「演劇特集」:「天井桟敷」(寺山修司)、『死の教室』(タデウシュ・カントル)ほか演劇作品を見放題配信中

「演劇特集」:「天井桟敷」(寺山修司)、『死の教室』(タデウシュ・カントル)ほか演劇作品を見放題配信中

2023-02-16 16:32:00

2月24日(金)よりアップリンク吉祥寺&アップリンク京都で上映が決定している『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』。
本作は、2023年に没後40年となる劇作家の寺山修司が構成を担当し、1967年当時TBSで放送されたテレビ番組『日の丸』を題材に、改めて現代の日本と日本人の姿に迫ったドキュメンタリーである。

予告編

公式サイト

また、2月1日には中森明夫が「寺山修司が生きていたら、アイドルグループをプロデュースする⁉」という歴史のイフに基づく『TRY48』というエンタメ長編が発表された。

DICE+では、そんな寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」(1967-1983)の全公演とその軌跡を寺山自身の解説と舞台写真、そして当時撮影されたヴィデオで構成した『演劇実験室「天井桟敷」ヴィデオ・アンソロジー』見放題独占配信中

その他にも、香港の前衛劇やアンジェイ・ワイダによる舞台記録など、DICE+ならではの演劇・ダンス等の映像作品を見放題で是非お楽しみください。

【作品紹介】

『演劇実験室「天井桟敷」ヴィデオ・アンソロジー』

▼解説:寺山修司
▼収録公演
『人力飛行機ソロモン』1971年
『盲人書簡』1974年
『ノック』1975年
『疫病流行紀』1975年
『奴婢訓』1978年
『身毒丸』1978年
『レミング』1979年
『百年の孤独』1981年

 

『死の教室』

ポーランドの前衛演劇人タデウシュ・カントル(カントール)が演出した『死の教室』の、 アンジェイ・ワイダによる舞台記録。 タデウシュ・カントルならではの 「死の演劇」という演劇方法論を元に1975年ポーランド初上演され、 20世紀の ポーランド演劇史におけるもっとも著名な作品とされている。
以下は『死の教室』について寺山修司が述べた『臓器交換序説』(寺山修司【著】)の一節である。

カントール—―生身の俳優を追放せよ(寺山修司)

ただのマッチが、そのマッチに変わること。そこから生まれる関係を、ドラマツルギーと名付けることが、カントールの演劇的ディスクールであることは、あきらかだ。そこでは、「暴力を受けた物質」「有形化された誤解」として、マッチの仮面が剝されることになる。したがって、マッチは最早、ただの物質に還元されるところから、カントールの演劇をはじめるのだが、厄介なのはこの「物質」が、すでに記憶を持っている、ということである。ただのマッチと、そのマッチ、そして一年後の同じマッチを区別するのは、個人の時間なのか、あるいは集団の時間なのか、あるいはそれらの融合としての歴史なのか?そのへんから、彼の近作『死の教室』を思い出してみることにしよう。

『死の教室』には、十二人の死んだ老人が登場する。彼らは、それぞれ自分の分身(すなわち、少年時代の自分を呪物化したもの)として、一体ずつの人形を持っている。ある老人は、それを腰から紐でぶらさげ、ある老人は大切そうに抱いている。こうして、過去だけが、物質化されて、老人の腰からぶらさがっているのではない。俳優によって演じられた老人たちもまた、同じように、暴行を受けた物質、有形化された誤解として、カントールの腰からぶらさがって(あるいはカントールの腰にしがみついて)いるのである。彼らは、同一の回路を経てきた呪物として、マッチの軸同様にカントールによって「並べ変えられ得る」存在であった。『死の教室』で、彼らはまるで何か質問をしようとしたままのポーズで静止していた。そして、カントールのサインを得てはじめて、机に飛びあがったり、ズボンを下ろして、性器を露出しようとしたりするのであった。中断、そして「並べ変え」が意味するもの。

それは、演出家カントールの意味のままに動かされるチェスの駒としての俳優の役割を示しているのではない。『死の教室』のダイナミズムは、物質への偽装からはじまる非飽和の世界の表出であり、無限の繁殖力をそなえた「形成」のダイナミズムによって観客をもつつみこんでしまう、おそるべきアナーキズムの演劇だと言うことができるだろう。

 

『夢の戯曲』 ※非会員の方はこちらをクリック

香港を拠点とし、前衛劇の代表的な劇団として、長時間ポストモダン演劇理論の探求及び舞台での具体化に携わってきた演劇実験室アリス。
『夢の戯曲』は、スウェーデン生まれのアウグスト・ストリンドベリ劇作家による、表現主義の古典的作品である。

本作は、ヒンドゥー教における神々の帝王となるインドラの娘の話を描く。インドラは、生命の真髄を探り、この世を訪ね、人生の苦痛と悲惨さを体験する。人は生き延びるため、互いを傷つけ合う。禅の強い意味合いが込められている『夢の戯曲』は、仏陀による人への慈悲を表す。ストリンドベリの演出作品では、インドラの地上生活は夢の列として描写されている。

 

『ダンスのための往復書簡』

京都拠点の沢田穣治とロンドン拠点のサイモン・フィッシャー・ターナー。この二人の音楽家が2000年代初頭にある舞台作品のために音楽を提供した。インターネット環境が今ほどに整備されていなかった当時、その制作はお互いの音源を郵便を用いて送りあう形で進められた。

約20年前に二人が作りためていた音源の断片を、音楽家/レコーディングエンジニアの森崇が再構成することにより完成したこの作品は『往復書簡 correspondence』と名付けられCDリリースされた。その直後となる同年12月には、この作品の実演/再構築をライブで試みる3つの公演がアップリンク京都で開催された。

本作はダンサーのアオイヤマダ、画家/映像作家の中山晃子をゲストに迎えて行われた最終日の公演「ダンスのための往復書簡」の記録であり、現在進行形の往復書簡プロジェクトの最新映像となる。