『アダムの原罪』寄り添う、見守る、救う…。その善意に、どこまで近づいていいのだろうか。

『アダムの原罪』寄り添う、見守る、救う…。その善意に、どこまで近づいていいのだろうか。

2026-06-02 08:00:00

前作『Playground/校庭』で小学校を描いたローラ・ワンデル監督は、本作『アダムの原罪』では小児科病棟を舞台に選んだ。

学校も病院も、誰かを守るためにつくられた場所である。あるいは、誰かを守りたいという願いが制度として形になった場所。ワンデル監督が見つめるのは、制度の正しさや脆さそのものではく、「守る」という営みのなかで生じてしまう矛盾や痛みだ。

『Playground/校庭』では7歳の少女ノラの低く、ぼやけた視線で世界を映したように、本作では満床の小児科病棟を休む間もなく駆け回る看護師長ルシーを追いかける。

ルシーの顔ではなく背中によって、そして一つにまとめた髪が少しずつ乱れる様によって、彼女の疲労や焦燥が静かに語られていく。

その日、432号室に運ばれてきたのは、左腕を骨折した4歳の男の子アダムとその母親レベッカだった。

シングルマザーのレベッカは「腹痛を起こすから」という不可解な理由で、自分が作ったもの以外の食事をアダムに与えない。そのためにアダムは慢性的な栄養失調で骨が脆くなっており、病院に運ばれてくるのも二度目だった。

病院食を拒むレベッカに対し、病院と裁判所の調査官は面会の制限を言い渡す。しかしレベッカは面会時間を過ぎても帰ろうとせず、アダムも母親のそばから離れない。

「今夜だけでも泊まらせてほしい」。そう懇願するレベッカの姿を見たルシーは親子二人が引き離されないように奔走するが、レベッカは彼女の差し出す手を何度も振りほどいていく…。

病院と裁判所はアダムを、母親のレベッカもアダムを、看護師のルシーはアダム、そしてレベッカを守ろうとしている。物語の全員が、誰かを守ろうとしている。

病院や裁判所がアダムを守るとき、それはレベッカから彼を奪うことを意味する。ルシーが二人を守ろうとするとき、それは病院の判断を揺るがすものになる。そしてレベッカはアダムを守ろうとしているが、しかしその手段はアダムを危険に晒している可能性をはらんでいる。

「守る」という行為そのものの複雑さ。

病院や裁判所の”守り方”は規則に基づいたものである。レベッカのアダムに対するそれも、家族としてごく自然なことだろう。

ではルシーはなぜ、病院側と掛け合ってまで、ましてや手を差しのべたレベッカに期待を何度も裏切られてもなお、彼ら二人を守ろうとするのだろうか。

「助けたい」という感情。わたしはそれをどこまで信じていいのかわからない。

「寄り添う」、「見守る」、「伴走する」。近年聞かれるこういった言葉には、相手の主体性を尊重する響きがある。「救う」、「導く」、「正す」ことは善意だが、誰かの人生に踏み込んでいると警戒する気持ちが、現在の私たちの共通感覚となりつつあると言ってもいいだろう。

しかし、ルシーはその一線を越え、介入し、掛け合い、説得する。それは共感だったのか、責任感だったのか。あるいは自分自身のため、いやもっと別の何かだったのか。

ラストシーンでレベッカの背中を見据えるルシーの表情に、その答えを問いつづけている。

(小川のえ)

イントロダクション

長編デビュー作『Playground/校庭』(21)で、カンヌ映画祭批評家連盟賞受賞、米アカデミー賞国際長編映画賞ショートリスト選出など、鮮烈なデビューを飾ったベルギーの秀鋭ローラ・ワンデル。

長編2作目となる本作では、巨匠ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟がプロデューサーを務め、第78回カンヌ国際映画祭「批評家週間」のオープニングを飾り、大きな反響を呼び起こした。

看護師ルシーを演じるのは、『CLOSE/クロース』『あやまち』などのフランスの実力派レア・ドリュッケール。『あのこと』『ミッキー17』といった話題作が続くアナマリア・ヴァルトロメイが、孤立したシングルマザー、レベッカの苦境を全身で体現。2人の迫真の演技からも目が離せない。

とある病院の一夜を、驚異の接写とリアルタイムによる没入型カメラワークで描出。まるでドキュメンタリーのような臨場感あふれる映像体験で観る者の心を掴んで離さない圧巻のヒューマン・サスペンスが誕生した。

ストーリー

ある病院の小児科センターに、左腕を骨折したアダムという4歳の男の子が入院した。

栄養失調で痩せこけたアダムは発育が遅れ、骨が脆くなっている。

裁判所は移民のシングルマザー、レベッカに問題があるとし、彼女の面会を制限する命令を下した。

自らもシングルマザーである看護師長のルシーは、息子と引き離され、親権を失うことを恐れるレベッカに寄り添おうとする。

しかしレベッカの思いもよらない行動と病院システムの歪みによって、ルシーは次第に追いつめられていく……。

ローラ・ワンデル監督インタビュー

私がこの映画で描きたかったのは、人が痛みや罪の意識をどう受け止め、どう他者と向き合っていくかということです。
 
私たちは皆、誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりしながら生きています。
それでも、人間である限り、理解し合うこと・赦すことをあきらめてはいけない。
それが“For Adam’s sake”——“人間であるがゆえに”の意味です。
 
私は『Playground/校庭』で“外の世界の暴力”を描きましたが、『アダムの原罪』では “内なる暴力”、つまり自分自身との闘いを描いています。
人が自分の罪や喪失と向き合うとき、その静かな闇の中にこそ、希望の芽があると思うのです。
 
登場人物たちは言葉を失い、沈黙の中でしか互いを感じ取れない。
その沈黙の瞬間にこそ、人間の最も深い部分が表れる。
だから私はカメラを極限まで寄せて、呼吸や瞬きの間にある“赦しの気配”を撮ろうとしました。

ローラ・ワンデル監督プロフィール

1984年、ベルギー生まれ。16歳で『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(75)に衝撃を受け、ベルギーの視聴覚芸術院(IAD)で映画製作を学ぶ。卒業制作の短編『Murs(原題)』(07)が世界各地の映画祭に出品。3本目となる短編『Les corps étrangers(原題)』(14)がカンヌ国際映画祭の短編コンペティション部門に選ばれ、その際にリュック・ダルデンヌとの交流が始まる。⻑編映画デビュー作『Playground/校庭』が第74回カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、国際批評家連盟賞を受賞。BFIロンドン映画祭サザーランド賞、マグリット賞など、世界中の映画祭を席巻し、第94回アカデミー賞国際⻑編映画賞ショートリストにも選出された。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌを製作に迎えた本作は、第78回カンヌ国際映画祭批評家週間のオープニング作品に選ばれ、ベルギー版アカデミー賞と称されるルネ映画賞(マグリット映画賞から2025年より改称)では最優秀作品賞、最優秀監督賞、脚本賞を含む、6部門ノミネートを果たした。広範な調査とフィールドワークに基づいて映画を構築することを特徴とする。

アップリンク吉祥寺 アップリンク京都 ほか全国劇場にて公開

公式サイト

監督・脚本:ローラ・ワンデル(『Playground/校庭』)

製作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟

出演:レア・ドリュッケール(『CLOSE クロース』) 、アナマリア・ヴァルトロメイ(『あのこと』『モンテ・クリスト伯』)

2025年/ベルギー、フランス/フランス語/79分/16:9/5.1ch/原題: L’intérêt d‘Adam /英題: Adam‘s Sake /日本語字幕:岩辺いずみ/提供:ニューセレクト/配給:スターキャットアルバトロス・フィルム/後援:駐日ベルギー大使館、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ   

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