『Playground/校庭』7歳の少女を通し追体験する、あの頃は名付けられなかった思い。
主人公は、小学校に入学したばかりの7歳のノラ。
校庭をはさみ奥にそびえる校舎が見える校門の前で、泣きじゃくるノアを10歳の兄、アベルが抱きしめる。「大丈夫。休み時間に会える。友達もできるよ。心配しないで。大丈夫」。ノアは父親とも抱擁を交わし、名残惜しさいっぱいのままに、教員に手をひかれ、校舎の中に入っていく。校内の喧騒が、どんどんと迫ってくる。
ここですでに観客(わたし)は、主人公を見守るだけの存在ではいられなくなる。ノラの目線で、学校で起きる些細な、けれど素通りすることのできない幾多の瞬間を経験していく。カメラはノラを大きく映し出し、周囲はひどくぼかされている。目本体ではなく意識全体が光景を経験するように。
ある日、ノラはアベルがいじめを受けていることを知ってしまう。学校生活の開かれた場所であり、隙間でもある校庭。兄と会うことのできる休み時間の校庭で。
ノラの心情を単純に示す言葉は描かれない。(けれどそれはそもそも複雑な心情しかないからかもしれない。)アベルが酷いいじめに遭っているのを見つけて先生を呼ぶ時も、「大変なことが起きているの」と、ただ状況を説明するだけ。
それはノラが内気な性格だから、というだけではないはずだ。子ども同士の社会だけにある独特の緊張感。大人には見えない世界が感じ取れる。
困惑を受け流すすべもなくただ受け止め、仲間外れにされないよう周りのクラスメイトに歩調を合わせる。無邪気でいながら、同時に居心地の悪さを感じていた子ども時代の、思い出とも呼べないような小さな出来事がたくさん浮かんでくる。
思い出せるということは、覚えているということで、つまりその影響の余韻が、大人になった今でも消えないでいるのだろう。だから、わたしはこの7歳のあまり多くを語らない少女を心配してあげるどころか、その苦しみを共有できてしまう。
語り損ねられてしまう、鮮明には見ることのできないその先を描くこと。それこそが、映画というメディアだけが果たしうるものではないかと思う。そして本作『Playground/校庭』は、語ることのできることとできないこと、見えるものと見えないもののあわいに立ち、両方のまなざしをこちらに向ける。(MO)
イントロダクション
ベルギーの新鋭ローラ・ワンデル監督が鮮烈な長編デビューを飾った本作は、第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、国際批評家連盟賞を受賞。さらにロンドン映画祭で新人監督賞に輝くなど、世界中で29の賞を獲得し(2024年11月時点)、第94回米アカデミー賞国際長編映画賞のショートリストにも選出された。
大人にはうかがい知れない子供の世界を、斬新なスタイルで捉えたその映像世界は、驚くべき密度の映画体験を実現し、圧倒的な完成度を誇る出来ばえとなった。
恐怖にも似た不安心理を繊細に、そして力強くあぶり出す。静寂の中、激しく魂を揺さぶる衝撃作が誕生した。
ストーリー
7歳のノラが小学校に入学した。
しかし人見知りしがちで、友だちがひとりもいないノラには校内に居場所がない。
やがてノラは同じクラスのふたりの女の子と仲良しになるが、3つ年上の兄アベルがイジメられている現場を目の当たりにし、ショックを受けてしまう。
優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、なぜかアベルは「誰にも言うな」 「そばに来るな」と命じてくる。
その後もイジメは繰り返され、一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラは、やり場のない寂しさと苦しみを募らせていく。
そして唯一の理解者だった担任の先生が学校を去り、友だちにのけ者にされて再びひとりぼっちになったノラは、ある日、校庭で衝撃的な光景を目撃するのだった……。
ローラ・ワンデル監督メッセージ
初の⻑編作品に子供時代を題材にし、学校をロケ地に選んだのはなぜですか?
私が学校、特に校庭を選んだのは、そこに小さな社会があるからです。
学校では集団行動が求められる。でも、私は映画を 撮る数か月間前、校庭を観察し、テリトリーという概念を発見しました。この場所では、誰もが自分の居場所を確保しようとするのです。
子供時代は初めての発見の時期であり、人生と人間関係が非常に濃密になります。この時期に、私たちの人格が形成されます。
学校の始まりはこの人格に影響を与え、大人になってからの世界観を決定づけることが多くあります。読み書きを学ぶことに加え、私たちが探求するのは何よりも他者との関わりなのです。
なぜアベルとノラの母親は登場しないのか、そしてなぜ本作はそれについて何も触れていないのでしょうか。
子供と学校の世界にとどめ、外の世界をできるだけ見せたくなかったのです。
ノラにとって、父親が一人ですべての問題に対応 していることを見るのはつらいことです。母親は家にいるのかもしれないし、いないのかもしれない。
子供にとって、学校という世界があるだけで、他にはほとんど何も存在しない。
一般的に、家の外では、子供はこの世界しか知りません。一方、母親の不在について何も言及しないことは、観客に解釈の自由を与えることでもあります。
観客が映画を自分のものにすることはとても重要で、彼らが自身を投影するために、解釈の余地を与えなければなりません。観客に何でもたやすく見せてはいけません。
スクリーン外の実生活が重要なのです。
ローラ・ワンデル監督プロフィール
1984年、ベルギー生まれ。ベルギーの視聴覚芸術院(IAD)で映画製作を学ぶ。在学中に短編映像『Murs』(07)を制作。その後、初の短編映画 『Onégati』(10)を製作した後、2014年に監督した短編映画『Les corps étrangers』ではカンヌ国際映画祭の短編コンペティション部門に選出された。本作で初の⻑編映画デビュー。第74回カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、国際批評家連盟賞受賞した。また、第94回アカデミー賞国際⻑編映画賞ショートリストにまで選出され、世界中の映画祭を席巻しセンセーショナルなデビューを飾った。最新作である『In Adamʻs Interest』(25年撮影開始予定)では、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ製作のもと、レア・ドリュッケール(『CLOSE クロース』(23)、アナマリア・ヴァルトロメイ(『あのこと』(22))をキャストに迎え、小児科病棟で働く看護師と、 ある母子が直面する困難を描くドラマ作品を手がける。
監督・脚本:ローラ・ワンデル
出演:マヤ・ヴァンダービーク、ガンター・デュレ、カリム・ルクルー
2021年/ベルギー/フランス語/72 分/ビスタ/5.1ch/原題:Un Monde/英題:Playground/日本語字幕:岩辺いずみ/提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム/後援:駐日ベルギー大使館
© 2021 Dragons Films/ Lunanime