『バード ここから羽ばたく』〈鳥〉という存在、そして飛ぶことの軽やかさと重々しさ。
鳥ほど、身近な動物でありながら、その体の構造を見れば見るほど、恐れが湧いて、見惚れる存在はあるだろうか。
鳥は、翼をもち飛ぶことができる、ということから、しばしば自由や平和、幸福の象徴として思い起こされるが、わたしたちを惹きつけるそのイメージには、もっと混沌としたものが含まれている気がしてならない。
彼らは美しい羽だけでできているわけではなく、硬い嘴があり、爬虫類のような小枝ほどに細い足、そしてその先端には長く鋭い爪。空を飛ぶときの華麗さや儚さとは裏腹に、歩くときのぎこちない上下動は滑稽にも見える。ふわふわとした羽毛に包まれた異形、とでも言おうか。
4月に公開した映画『終わりの鳥』に登場する、死を司どるという超越的な力をもったキャラクターも、鳥のかたちをしている。その紹介文では大江健三郎の『個人的な経験』や藤野可織の『いやしい鳥』など〈鳥〉が登場する物語を挙げたが、まだまだある。村上春樹作品ではタイトルにもある通り『ねじまき鳥クロニクル』、また『海辺のカフカ』には”カラスと呼ばれる少年”が登場する。宮崎駿の最後になるかもしれない映画『君たちはどう生きるか』の主要キャラクターも、”サギ男”なるアオサギだ。多和田葉子の短編『献灯使』に出てくる"無名"という人物の母親は死後、鳥になったというストーリーで、表紙ではハシビロコウがこちらを見ている。
わたしたちの前に〈鳥〉が、さまざまな種類の鳥になって、または人間に似た姿で、強力なメタファーとともに現れる。少々気味の悪い彼らはしかし、敵ではない。
そして本作『バード ここから羽ばたく』では、12歳の少女ベイリーが、”バード”と名乗る正体不明の男と出会う。
これまで、『フィッシュ・タンク』(09)や『アメリカン・ハニー』(16)、そしてドキュメンタリー映画『 牛 (Cow) 』(21)といったように、〈魚〉、〈蜂〉、〈牛〉など、動物を作品のモチーフに多用してきたアンドレア・アーノルド監督が、本作で〈鳥〉に託したものとは何だろう。リアリズムに基づいた作品を手がけてきた監督は、今回初めてマジックリアリズム的手法で、現実と超現実が溶け合うような物語を誕生させた。
ベイリーを見守る謎の男”バード”の姿は、まるであの、ベルリンの街を見下ろす天使のようだ。そして”バード”の場合、空を舞うことは同時に、自分よりも大きな何かに身を投じることだとも思える。軽やかさと重々しさ。それは初潮を迎えて大人へと成長していく過程にある少女ベイリーの、心と身体に訪れた複雑さと重なる。羽ばたくことの歓びと重み。
「羽ばたく」という言葉が喚起する開放的な印象を裏切るのにもかかわらず、励ますような癒しを与える―ベイリーの父親バグを演じたバリー・コーガンや、”バード”役のフランツ・ロゴフスキといった名優たちをも魅了する、アーノルド監督の優しさとはきっと、こういうことなのだろう。
(小川のえ)
イントロダクション
どんづまりの日常が色づいた、魔法のような4日間。本作『バード ここから羽ばたく』は、郊外の下町に暮らす12歳の少女が“バード”と名乗る摩訶不思議な男と出会い、ささやかに、しかし確実に世界がひらかれていく姿を描いた珠玉のヒューマンドラマ。
監督と脚本は、社会の片隅に生きる人びとの姿を映し続け、熱い称賛を集めてきた『フィッシュ・タンク』 (09) 『アメリカン・ハニー』(16)の名匠アンドレア・アーノルド。国際的な評価や輝かしい受賞歴とは裏腹に、日本では映画祭や限定公開などでしか上映の機会がなかったが、リアリズムと神話的ファンタジーの融合という新境地を拓いた本作で待望の全国公開が実現した。
『アメリカン・ハニー』ではビーチで日向ぼっこしていたサッシャ・レインをスカウトしたように、若い才能の原石を見出すことに定評があるアーノルドは本作の主演にも無名の少女ニキヤ・アダムズを抜擢。ニキヤには学校演劇の経験しかなかったというが、思春期のもどかしさやみずみずしさを体現する名演を披露し、アーノルドの鑑識眼の高さを証明しててみせた。
父親バグに扮したのは、クリストファー・ノーランやヨルゴス・ランティモスら錚々たる大物監督に愛される若手個性派の筆頭バリー・コーガン。タイトルロールである正体不明の男“バード”を演じたのは、ミヒャエル・ハネケやテレンス・マリックら巨匠監督にも起用されるドイツの名優フランツ・ロゴフスキ。
撮影監督はケン・ローチ作品や『哀れなる者たち』などで知られ、アーノルド監督とは短編時代からタッグを組んでいる名手ロビー・ライアン。本作では16mmフィルムのざらついた画質とスマホのデジタル映像を組み合わせ、リアルでありながら夢の中にいるようなカラフルで詩的な映像美を作り出した。
ストーリー
シングルファーザーの父バグと暮らし、やり場のない孤独をつのらせていた少女ベイリーは、ある日、草原で服装も振る舞いも奇妙な謎の男“バード”と知り合う。
彼のぎこちない振る舞いの中にピュアななにかを感じたベイリーは、「両親を探している」というバードの手伝いをはじめるが……。
アンドレア・アーノルド監督 インタビュー
――映画制作に初めて乗り出した頃と今のご自分を比較して、どんなことを感じますか?
最初の頃とまったく同じ感覚です。確かに多くのことを学びましたが、映画を作るたびに前作や前々作で感じたのと同じくらいやりがいや新鮮さを感じています。過去の短編映画も思い起こしてみたけど、今も当時と同じように取り組んでいると思いますね。
――あなたの作品には共通のテーマやトーンがあり、毎回同じスタッフを起用しますね。監督として意識的に繰り返しているという自覚はありますか?
毎回必ずやりたいと思っていることはいくつかありますが、作品ごとに違ってくる部分もあります。ただ私たちのセットでは、もう何年も「アクション」や「カット」といった言葉は使っていません。いつも変な言葉だと思っていましたから。
「アクション」と言うと、俳優たちもその言葉を聞くだけで緊張すると思うのです。「さあ、演技して!うまくやるのよ!」みたいな感じですから。どんな言葉を使うかは作品によって違うけれど、私は「行ってらっしゃい」みたいな感じで、ほとんどの場合は何も言いません。
「カット」も少し厳しい感じがします。「今やってることをやめて!もうやめて!」みたいな印象じゃないですか?人前に自分を晒している俳優に対して言うには少し厳しすぎる言葉だといつも思っていました。だから私は、その代わりに「ありがとう」とだけ言うことにしています
(2024.5.14 第77回カンヌ国際映画祭にて)
バリー・コーガン(バグ役)インタビュー
――本作のバグ役を手にしたのは、あるインタビューのおかげだと信じているそうですね?
しばらく前に受けたインタビューで、アンドレア・アーノルド監督と仕事がしてみたいと言いました。
そうしたらアンドレアから連絡をもらって、ロンドンでフィッシュ・アンド・チップスを食べながら話をしていたのです。そのとき彼女は「今の時点では、あなたに脚本を見せるつもりはありません。事前に内容を知ってほしくないのです」と言いました。でも私はそう言われる前からすでに参加したいと伝えていたのです。それまでは脚本を読んで納得がいかないと出演を決めないということをモットーにしていたのですが(笑)。
彼女とならいつだって一緒に仕事がしたい。アンドレアは現代に存在する最高の映画監督のひとりだと心から思っています。2016年頃から思い続けていた夢が、まさに叶った感じでした。
――アーノルド監督とはどんな関係性を築いたのでしょうか?
私はおばあちゃんに育てられました。家庭内で強い影響力を持つ女性に面倒を見てもらった背景があるおかげで、女性の映画監督と仕事をするときに、より自分の力を発揮できるのだと思います。女性の映画監督に対してはより心を開いて、安心できる。
私はいつも、心から気にかけてくれる監督や同僚に恵まれてきました。アンドレアも、人として、また俳優として私のことをとても愛してくれています。
自分の人生にはあまり面倒見のいい存在がいなかったから、誰かがそういう役割を果たしてくれると、それに応えたいと思うのです。
フランツ・ロゴフスキ(バード役)インタビュー
──アーノルド監督は、出演者に事前に脚本を読ませない方針を徹底していたと発言していますよね。
自分たちが演じる役に対して準備をできない状況が興味深かったです。
脚本を読む代わりに、アンドレアが勧める曲を聴いたり、彼女が送ってくれた写真を見たりしました。演技の準備をする代わりに、彼女の世界観の一部になっていった感じでした。
──一緒に仕事をしてみて、どんな監督だと感じましたか?
とても「探究的」な監督ですね。最終的に観客が目にするのは、氷山の一角です。作品に残らなかったショットがすごくたくさんあります。撮影は時系列に沿って行われて、色々なことを試しました。
編集で選ばれたショットは、現場で撮影したものに比べればほんのわずかです。良い写真家は1000枚の写真を撮って999枚を捨てる。アンドレアも同じようなことをするのです。
アンドレア・アーノルド監督プロフィール
1961年生まれ、イギリス、ケント州出身。1980年代に音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」にダンサーとして出演するなどテレビ業界で活動した後、アメリカン・フィルム・インスティチュートで映画を学ぶ。1998年、短編映画「The Milk(原題)」で監督デビュー。「Wasp(原題)」(03)が第77回アカデミー賞で短編映画賞を受賞する。初長編映画『Red Road(原題)』(06)、長編第二作『フィッシュ・タンク』(09)、第四作『アメリカン・ハニー』(16)で三度、カンヌ国際映画祭審査員賞に輝く。ほかの監督作に『ワザリング・ハイツ ~嵐が丘~』(11)、東京国際映画祭に出品されたドキュメンタリー『牛』(21)がある。スカーレット・ヨハンソン主演のFBIスリラー『Featherwood(原題)』が準備中である。
アップリンク吉祥寺 ほか全国劇場にて公開
監督・脚本:アンドレア・アーノルド
2024年/イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ/英語/119分/ヨーロピアンビスタ/5.1ch/原題:BIRD /日本語字幕:石田泰子/提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム
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