『美と殺戮のすべて』写真家ナン・ゴールディンのオピオイド製薬会社への抗議活動を縦軸に彼女の初期から現在までの活動を描く

『美と殺戮のすべて』写真家ナン・ゴールディンのオピオイド製薬会社への抗議活動を縦軸に彼女の初期から現在までの活動を描く

2024-03-25 07:40:00

『美と殺戮のすべて』は、予告編だけをみると、写真家ナン・ゴールディンが中毒により多くの命を奪ったオピオイド製薬会社サックラーを訴える社会運動の映画に見えるが、それだけではない。彼女のアーティストとしての活動を捉えたドキュメンタリーだ。

映画の構成として、ボストン時代の幼少期に姉が自殺をしたという家庭問題、80年代ニューヨークで活動を始め最初の写真集『性的依存のバラード』を発表した頃のエピソード、彼女が初めてキュレーションしたエイズをテーマにした展覧会。それらのエピソードを横軸として、縦軸に彼女のオピオイド問題の事態改善を訴える「P.A.I.N」(Prescription Addiction Intervention Now)という団体の運動が描かれる。

製薬会社サックラーが販売した「オキシコンチン」は「オピオイド鎮痛薬」の一種であり、全米で50万人以上が死亡する原因になったとされる合法的な麻薬だ。アップリンクで配給した『メイクアップ・アーティスト:ケビン・オークイン・ストーリー』のケビンも2002年にオピオイド中毒で亡くなっている。

日本では、オピオイドはそこまで被害が広まっていないが、NETFLIXではアメリカのオピオイド中毒の実態を描いたドキュメンタリーをいくつも見ることができる。

『美と殺戮のすべて』は、予告だけで判断せずに、写真家ナン・ゴールディンに興味のある人はもちろん、80年代ニューヨークをはじめとする当時のカルチャーシーンに関心のある人は必見の映画と言えるだろう。ベネチア国際映画祭のグランプリに相当する金獅子賞受賞作品。

 

プロダクションノート


――ABOUT THE PRODUCTION

1970 年代初頭から活躍する写真家兼ビジュアルアーティストであるナン・ゴールディン。親しい友人やアーティストの生活を記録し、これまでタブー視されてきた社会問題やサブカルチャーを切り取ってきた彼女は、見事なスライドショー「The Ballad of Sexual Dependency(性的依存のバラード)」(85)や、自身が企画・主催したエイズをテーマにした学際的な展覧会「Witnesses: Against Our Vanishing(消えゆく命の目撃者)」(89)などの独創的な作品で、社会に大きな影響を与えてきた。2017 年、オピオイド中毒を乗り越えたゴールディンは、アート界における自身の地位を活用し、人々の苦しみから利益を得る強大な権力との闘いに身を投じてゆく。

ゴールディンがオピオイド関連の活動に参加した契機は、マサチューセッツ州ケンブリッジにて、オピオイド系薬物の過剰摂取から命を守る緊急拮抗薬ナルカンを容易に入手することができるよう、自動販売機を設置しようとした取り組みが頓挫したというニュースを目にしたことから。「裕福な人々が道を閉ざしたことが、オピオイド危機に対しての私の活動に火をつけました」

――P.A.I.N.について

ゴールディンは数人のアーティストや活動家とともにオピオイド危機の事態改善を訴えるとともに、サックラー家にオピオイドで利益を得た責任を追求するためP.A.I.N.(Prescription Addiction Intervention Now:処方薬中毒への介入をいま)を設立した。

パーデュー・ファーマ社を所有するサックラー家は、美術館や芸術活動への多額の寄付で知られている。同社は依存性の高いオピオイド系処方鎮痛剤「オキシコンチン」を製造しているだけでなく、オキシコンチンの販売に関連した刑事告訴で有罪判決を受けている。サックラー家とパーデュー社は、全米で50万もの命を奪ったオピオイド危機と長年に渡って公然と関連付けられてきたが、オキシコンチンの過剰なまでの販売促進と、それが引き起こした惨状を止めるための法的な取り組みの成果はほぼ得られなかった。例えば2007年、パーデュー社はオキシコンチンの依存性や乱用の可能性について医師と患者を欺いたとして連邦政府の告訴に対して有罪判決を受けた。パーデュー社は6億ドルの支払いを命じられたが、この件でサックラーの名は明示されず、その後もパーデュー社はオキシコンチンを積極的に販売し続け、利益は新たな高みに達した。それ以降、同社に対するさらなる公聴会や訴訟が続いているにも関わらず、パーデュー社におけるサックラー家の影響力は包括的な説明責任から同社を守ってきた。そこでP.A.I.N.は、法律の枠を超えて彼らへ説明責任を追求した。

「私がサックラーに着目したのは、よく見聞きする名だったからです。私が愛してやまない芸術を支援する寛大な慈善家の名だと認識していました。やがて、その金がいかに汚れたものであるかを知りました。彼らこそが、私自身が中毒となった麻薬を生産し、販売した張本人であることを知ったのです」

2018年1月、ゴールディンはアメリカの現代美術誌アートフォーラムに「Growing P.A.I.N.」という題の痛ましい記事を寄稿した。記事では彼女はP.A.I.N.の創設と、サックラー家がパーデュー・ファーマ社を通じて多くの死者を生みだして得た利益を美術館や大学に寄付していたことについて詳述した。

P.A.I.N.のメンバーであるミーガン・キャプラーは付け加える。「長きに渡ってサックラー家は、製薬業と芸術界における評判とをうまく切り離してきた。私たちはそのシステムを破壊し、彼らのありのままの姿を白日の下に晒し、彼らの名をオピオイド危機の代名詞にしようとしました」

ゴールディンとP.A.I.N.はオピオイド危機とサックラー家とを関連付けるため、寄付を受け入れ、謝意を込めて

展示ホールに彼らの名を冠した美術館で幾度も強力な抗議活動を行った。さらに彼らは当初からカメラで自分たちの活動を記録し、最終的にはノンフィクション映画にするつもりでいた。「P.A.I.N.について興味深い点の一つは、美術館での抗議活動は6回しか行わなかったことなんです」とキャプラーは言う。

――始動したプロジェクト

P.A.I.N.の活動が開始すると同時に、ゴールディンは組織のミーティングや活動を記録した映画の制作を決める。約1年半の間、P.A.I.N.はゴールディンの長年の共同制作者であるエグゼクティブ・プロデューサーのクレア・カーターとアレックス・クワートラーとともに撮影を行い、その後アカデミー賞受賞監督のローラ・ポイトラス、プロデューサーのハワード・ガートラーとジョン・ライオンズ、ローラ・ポイトラスのプロダクションであるプラクシス・フィルムズのヨニ・ゴリホフを含む映画製作者たちにプロジェクトへの参加を依頼した。

2019年、プロデューサーのガートラーは写真家ピーター・ヒュージャーのドキュメンタリーに収録するインタビューの撮影中にゴールディンと出会う。インタビュー後、ゴールディンは新たなパートナーを迎え入れることに興味を持つ。ゴールディンの作品の生涯のファンであったガートラーと共同製作者のライオンズは、プロジェクトへの参加のオファーに即座に承諾する。「ナンの芸術的な実践が彼らの行動原理に深く組み込まれているのは明らかで、その説得力は抜群だった」とライオンズは明かす。

ゴールディンの芸術性を長らく称賛してきたポイトラスは、短編映画『Terror Contagion(原題)』(21)となるプロジェクトの戦略を練っている折に、ゴールディンとドイツ人映像作家のヒト・シュタイエルと出会う。この会議の過程で、ゴールディンはポイトラスにP.A.I.N.とドキュメンタリーについて説明し、ポイトラスはこのプロジェクトに心を奪われる。「私の作品は政治的な問題を追う傾向があります。正義や説明責任を追求すべく闘う個人を追うことが多いのです」

ゴールディンとサックラー家との継続的な闘いについて理解したポイトラスは、このプロジェクトが頭から離れず、映像制作会社パーティシパント・メディアの最高コンテンツ責任者だった故ダイアン・ワイヤーマンに電話をかけ、制作会社が関与する可能性について話を進めた。

プロジェクトが具体化するにつれ、P.A.I.N.が映画の主題であることに変わりはないが、これは世界有数の写真家であるゴールディンの人生と作品に内在するアクティビズムとの繋がりを探る理想的な機会でもあった。しかし、ガートラーは「アーティストのポートレートを制作することは本意ではなかった」と指摘する。

――“過ちは隠蔽され、秘密は身を滅ぼす”

HIV/エイズ危機と国内外に広がる現在のオピオイド危機との間の経済的、社会的、制度的な類似性に触れることがゴールディンは不可欠だと考えていた。社会的な危機は独立して存在するのではなく、ゴールディンが没頭していた、しばしば非難されるコミュニティと彼女のアートの背景にある個人的なストーリーとの関係を捉えることが、彼女の作品の全容を理解する上で極めて重要であった。

ゴールディンは、彼女が称える、写真やスライドショーの中で生き続ける友人や協力者のコミュニティを鑑みると、彼女のアートが持つ政治的破壊性は常に備えられた資質であったと信じている。映画の中でゴールディンが「過ちは隠蔽され、秘密は身を滅ぼす」と語るように。

「私の作品はすべて、自殺、精神病、ジェンダーなど、スティグマ(特定の事象や属性を持った個人や集団に対する、誤った認識や根拠のない認識)をテーマにしています。私の最初期の作品は、70年代初頭にボストンでドラァグクイーンを撮影したものでしたが、80年の頃まで、自分の作品が政治的なものだと認識していませんでした。

私が5年間バーテンダーをしていたバーを経営していたマギー・スミス、彼女こそが仕事とは政治的であることだと気づかせてくれました」

ポイトラスは次のように付け加える。「彼女の70年代のクイーンたちの写真は存じていましたが、彼女と話していると、写真やスライドショーが詳らかにするのとは異なる形で彼らの重要性を理解することができました」

ポイトラスは約2年に渡り、厳格な新型コロナウイルス感染症対策のプロトコル下で、ブルックリンのゴールディンの自宅を訪ね、一連の音声インタビューを行い、ゴールディン自身が撮影したスライドショーや写真とともにドキュメンタリーの骨子を固めた。「ナンと私は、週末に彼女の自宅でオーディオ・インタビューをするようになり、次第に感情的な深度を増していき、より個人的な層へと繋がっていきました」

インタビューは音声のみが録音され、制作チームはその音声が細心の注意を払って取り扱われることを保証するために必要な条件とセーフティネットの構築に努めた。編集チームの一部の人間とポイトラスだけが音声にアクセスでき、ゴールディンには個人的な情報が広く共有されたり、映画に使用される前に確認することができる権利があった。

「インタビューには多くの時間と空間が必要だと理解していました。これらのインタビューはとても親密で、とても辛いテーマにも触れています」とプロデューサーのヨニ・ゴリホフは付け加える。「音声のみで行うことで、毎回カメラを入れることで実現できないような、時間と空間を確保することができました」

――構成要素について

ポイトラスの『美と殺戮のすべて』の構成は、ゴールディン自身の声と過去に撮影されたP.A.I.N.の映像に加え、ゴールディンが撮影したスライドショーを重要な構成要素として取り入れた。

ナン・ゴールディン・スタジオのアーカイブ・プロデューサーであるシャンティ・アヴィルガンとオリヴィア・ストリーサンド、2名の献身的なアーキビストのたゆまぬ努力により第三者の映像も入手でき、ポイトラスは映画を時間の流れに乗せるための資料を大いに活用できた。

ポイトラスが映画に使用したいと考えていた重要な作品は、ゴールディンの亡き姉、バーバラ・ホリー・ゴールディンに焦点を当てた3画面から成るビデオインスタレーション『Sisters, Saints, and Sibyls(原題)』(04)であった。ゴールディンの幼少期、創造的な意欲を体現するアーティストたちのコミュニティで築かれた深い友情、HIV/エイズ蔓延期に直面した言葉では言い表せない喪失からの回復など、これらのストーリーを織り交ぜながら『美と殺戮のすべて』は、彼女の人生を直接反映させた作品を通して語られる、一人のアーティストのポートレートを生み出すため、歴史的な瞬間を捉え、積み重ねていく。

ポイトラスのアプローチは、映像編集者のジョー・ビニとエイミー・フットの力を借り、ストーリーが織りなすドラマチックな糸の交錯を、現代の出来事と、現在に影響を与えた過去の出来事とで分けた。ポイトラスは、ステレオタイプなアーティストの半生を描いたドキュメンタリーを模倣したくなかった。ポイトラスは言う。「P.A.I.N.のグッゲンハイム美術館での行動から80年代初頭のニューヨークへ移行し、今日の発言力を持った確立されたアーティストから、ナンがどのようにアートの世界に入り、どのように作品が進化していったかを見ていくような並置が好きなんです」

ガートラーは付け加える。「2時間で誰かの人生のすべてを伝えきることは不可能です。ただし、ローラと編集チームは、本質を照らし出すような適切な物語や瞬間を、細やかな針に通すように紡ぎ出してくれました」

映画のタイトルは、その本質を的確に捉えている。『All the Beauty and the Bloodshed』という印象的なフレーズは、ゴールディンの亡き妹バーバラのロールシャッハ・テストに対する医学的回答から引用された。

ゴールディンは、映画製作におけるポイトラスの忍耐とパートナーシップに感謝を示している。「他人のレンズを通すと、物事の見え方が異なってくるのは当然です。もし私がこの映画を手掛けたら、異なる形で自身の物語を語ったでしょう。ただ、これはローラの映画なんです。彼女は信じられないほど寛大に、私をこのプロセスに受け入れてくれました」

声や写真を通じてゴールディンが常に映画の中に存在していることに加え、彼女が映画へ与えた影響は劇伴の選曲にも強く感じ取れる。彼女は注目すべき曲をいくつか薦めただけでなく、自身の作品「Memory Lost」でコラボレーションしたニューヨークの実験的なグループ、サウンドウォーク・コレクティヴに作曲を依頼した。

「観るものをナンのプロセスや人生に引き込むことで、彼女が起こしたマジックを解くことなく、何が彼女を突き動かしているのかを理解してもらう。それを私たちは達成できたと思います」とガートラーは言う。

パーティシパント社の最高経営責任者デヴィッド・リンデにとって、『美と殺戮のすべて』はポイトラスと同社のプロデューサー、ダイアン・ワイヤーマンの長年にわたる相互理解と、共通した世界観により培われたパートナーシップの集大成であった。ゴールディンがプロジェクトの中心であったことで、パーティシパントの支援についての関心はより一層高まった。「力強いアートと力強い活動を繋ぐ企業として、この作品に携わり、ナンとローラを支援できたことは、これ以上ない幸運です」とリンデは語る。

――変化と影響

デヴィッド・リンデと、パーティシパント社のドキュメンタリー映画制作部門の役員トリッシュ・ウォード=トーレスは、美術館やその他の文化空間などの施設が、世界に対して責任を負っているという点で意見が一致する。P.A.I.N.がオピオイド危機とサックラーの慈善活動の関連性を白日の下に晒すために行った活動について知る中で、彼らはゴールディンと彼女の勇敢さに触発された。

「私たちは、サックラーの名を施設から排除する驚くべき活動について認識していましたが、P.A.I.N.の目標は、単にサックラーに説明責任を求めるだけでなく、オピオイド危機に対処するハームリダクション(薬物の使用を止めさせることではなく、薬物の使用によるダメージを減らすことを目的とした政策、プログラム、または実践のこと)の取り組みなど、より広範なものだとすぐに気づかされました」とウォード=トーレスは説明する。

サックラー家とパーデュー・ファーマ社はこれまで、全米で何千もの民事訴訟を起こされた後にパーデュー・ファーマ社が破産を申請し、包括的な説明責任を回避することに成功したが、ゴールディンとP.A.I.N.の抗議活動により、アート界における彼らの地位は事実上剥奪された。今や世界は、彼らが何者で、何を行ったかを知っている。

「我々がアメリカの数十億ドル規模の企業に影響を与えることができたのは、私の誇りであり喜びです」とゴールディンは付け加える。

今日においてP.A.I.N.は、サックラー家を筆頭とした製薬会社との和解で得た資金を、全米のハームリダクションと過剰摂取防止センターに活用するよう主張し続けている。今のところ、VOCAL-NYやHousing Worksなど、影響を受けたコミュニティと緊密に連携する草の根団体を支援するために募金活動を行っているが、彼らの主な目的は薬物の安全な消費場所を合法化することである。

「この危機を脱する唯一の方法は、エビデンスに基づいたハームリダクションに資金を投じ、血を流さずに麻薬戦争と闘うことです」とカプラーは付け加える。「この映画に対する私たちの願いは、依存症の悪いイメージを少しでも払拭することなんです」

 

ローラ・ポイトラス
監督・製作
1964年2月2日、米マサチューセッツ州ボストン生まれ。ドキュメンタリー映画作家、ジャーナリスト、アーティスト。彼女の映画は世界中の映画祭で上映され、ジャーナリストとして獲得したピーボディ賞など諸々の栄誉に加えて、米国アカデミー賞にも輝いた経歴を持つ。

『シチズンフォー スノーデンの暴露』(14)は、英国アカデミー賞、インディペンデント・スピリット賞、全米監督協会賞、ドイツ映画賞、ゴッサム賞らとともに、第87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞に輝く。イラク戦争に焦点を当てた『My Country, My Country(原題)』(06)はアカデミー賞、インディペンデント・スピリット賞、エミー賞にノミネートされた。グアンタナモ収容所を題材にした『The Oath(原題)』(10)はサンダンス映画祭撮影賞、エディンバラ国際映画祭ドキュメンタリー部門審査員賞、ゴッサム・インディペンデント映画賞ドキュメンタリー賞を受賞。この3作品を、9.11後のアメリカ3部作としている。

エドワード・スノーデンから入手した文書に基づく、ポイトラスのNSA(国家安全保障局)による世界規模の大量監視に関するリポートは、ガーディアン紙とワシントン・ポスト紙にピューリッツァー賞公益賞をもたらした。このリポートはジョージ・ポルク賞、調査報道記者編集者会(IRE)賞、ライデンアワー賞にも輝いている。2014年、国際ドキュメンタリー協会戦火の勇気賞を贈られた。

2007年にはグッゲンハイム・フェローシップを受け、2010年にはアメリカのロックフェラー・フェローに選出。2012年にはマッカーサー・フェローシップ賞を受賞。デューク大学とイエール大学で映画制作を教えてきた。彼女の作品は2012年のホイットニー・ビエンナーレに選出され、2016年にホイットニー美術館で初の個展「Astro Noise」を開催。この個展では“テロとの戦い"に焦点を当てた一連の没入型インスタレーションを展示。さらに2021年にヨーロッパ初となるインスタレーションを紹介する個展「Circles」をベルリンのアートギャラリーNBKで開催した。

イントロダクション

写真家ナン・ゴールディン
彼女はなぜ戦わなければならなかったのか
未来を生きるために、今我々が知るべき彼女の人生がここに記されている

1970年代から80年代のドラッグカルチャー、ゲイサブカルチャー、ポストパンク/ニューウェーブシーン……当時過激とも言われた題材を撮影、その才能を高く評価され一躍時代の寵児となった写真家ナン・ゴールディン。2018年3月10日のその日、彼女は多くの仲間たちと共にニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れていた。自身の作品の展示が行われるからでも、同館の展示作品を鑑賞しにやってきたわけでもない。目的の場所は「サックラー・ウィング」。製薬会社を営む大富豪が多額の寄付をしたことでその名を冠された展示スペースだ。到着した彼女たちは、ほどなくして「オキシコンチン」という鎮痛剤のラベルが貼られた薬品の容器を一斉に放り始めた。「サックラー家は人殺しの一族だ!」と口々に声を上げながら……。「オキシコンチン」それは「オピオイド鎮痛薬」の一種であり、全米で50万人以上が死亡する原因になったとされる<合法的な麻薬>だ。果たして彼女はなぜ、巨大な資本を相手に声を上げ戦うことを決意したのか。大切な人たちとの出会いと別れ、アーティストである前に一人の人間としてゴールディンが歩んできた道のりが今明かされる。


『美と殺戮のすべて』予告編


公式サイト

 

2024年3月29日(金) 新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、グランドシネマサンシャイン池袋、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー

 

監督・製作:ローラ・ポイトラス『シチズンフォー スノーデンの暴露』 出演・写真&スライドショー・製作:ナン・ゴールディン
2022年|アメリカ|英語|121分|16:9|5.1ch|カラー|字幕翻訳:北村広子|R15+
原題:ALL THE BEAUTY AND THE BLOODSHED|配給:クロックワークス
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