『グロリアス 世界を動かした女たち』女性解放運動のパイオニア、グロリア・スタイネムの半生をジュリアン・ムーア とアリシア・ヴィキャンデルが演じるバイオピック

『グロリアス 世界を動かした女たち』女性解放運動のパイオニア、グロリア・スタイネムの半生をジュリアン・ムーア とアリシア・ヴィキャンデルが演じるバイオピック

2022-05-11 11:11:00

11月の大統領中間選挙を控え、女性が中絶をする権利をめぐり国民の世論が割れているアメリカ。『グロリアス 世界を動かした女たち』で描かれる物語は過去から今に繋がる現在進行形の物語で、女性の人権問題が現在もあり続ける世界を変えようとして作られたアクティビズム映画だ。
キング牧師のデモなど当時の記録映像を多く使用し、今に繋げるメッセージを最前面に出しつつも、映像的刺激に満ちた映画にしたのはフリーダ・カーロを描いた『フリーダ』を監督したジュリー・テイモア。
「旅は一番の教育だ」という父の教えの元、グロリアが大学卒業後22歳の時にインドへ旅するところから映画は始まる。

 

 

ストーリー

大学生でインドに留学をしたグロリアは、男性から虐げられている女性たちの悲惨な経験を聞き、帰国後はジャーナリストとして働き始める。だが、社会的なテーマを希望しても、女だからとファッションや恋愛のコラムしか任されない。そこでグロリアは高級クラブの「プレイボーイ・クラブ」に自らバニーガールとして潜入。その内幕を記事にして暴き、女性を商品として売り物にする実態を告発する。更にはTVの対談番組に出演するなど、徐々に女性解放運動の活動家として知られ始める。40代を迎えた頃は仲間たちと共に女性主体の雑誌「Ms.」を創刊する。これは、未婚女性=Missや既婚女性=Mrs.とは別に、どんな女性にも使える新しい敬称=Ms.として、全米各地の女性に受け入れられていく──。

 

映画のタイトルをグロリアの複数形『THE GLORIAS』(原題)にした訳

ジュリー・テイモア監督

4年前、グロリア・スタイネムの「MY LIFE ON THE ROAD(原題)」を読み終えた時、映画にするには不可能な本だと思った。よくある3幕構成のドラマではなく、アメリカ全土を延々と旅し、さらにはインドへと旅する女性の80年にわたる人生を描いている。(あまりにも広すぎる舞台で、資金調達に苦労することは間違いない)しかし同時に、この類まれな人生がパワフルで時代に合った映画となり、人々を楽しませ、感動させ、感化する可能性を秘めているとも感じた。

グロリアは、旅を綴った本を書いた。そこには、互いに関連がないような瞬間や出来事が綴られており、政治的なものもあれば、個人的なものもある。それらを映画で表現することで、映画では稀な「女性の旅路物語」を作り出せると思った。その物語の中では、女性を最後に待っているのは死ではなく、中心にあるのは、恋愛や悲惨な結婚、報われない恋、あるいは男性ではない。グロリアの旅の物語は、「注目に値する女性たちとの出会い」なのである。そしてそれ自体が愛の物語なのだ。


グロリアの旅路は、ベラ・アプツーグ、フローリンス・ケネディ、ドロシー・ピットマン・ヒューズ、ウィルマ・マンキラー、ドロレス・ウエルタなど、政治・社会活動家たちとの出会いを通して培われていった、インスピレーション、協力関係、そして同志愛の物語である。

これは、「フェニミズムの第二波」として知られているが、この歴史の一部分は映画ではまだ語られていない。この映画は、ジュリアン・ムーア、アリシア・ヴィカンダー、ベット・ミドラー、ジャネール・モネイ、そしてロレイン・トゥーサントをはじめとする豪華な顔ぶれの俳優たちが印象的な場面を演じているだけでなく、完全に再現することは到底できない(再現しようとは誰も思わないだろう)記録映像がふんだんに織り込まれている。登場する人々、場所、そして1963年のワシントン大行進や1977年のヒューストン全米女性会議などの出来事は、真実に忠実に、リアルに表現しなければならなかった。

多くの人は、アビエーター・サングラス、ブロンドのハイライトが入った髪、60年代のミニスカート、潜入ルポをした時のバニーガール姿、70年代のMs.(ミズ)誌の台頭、そして合法中絶、女性に対する暴力、性的嫌がらせ、人種・性別不平等、男女平等 憲法修正案(ERA)などの問題に対して彼女が及ぼした影響など、グロリア・スタイネムの名前と彼女の象徴的な姿には馴染みがある。

しかし、この映画が目指しているものは、この多くの側面を持った1人の女性が、普通とは違う困難な幼少期からインドでの生活へ、そして人種や文化の違いを超えながら進化していく様子を明らかにすることである。この広範囲にわたる人生の物語は、1940年から現在まで様々な危機を乗り越え、厳しい闘いに勝利し、世界中の女性の生活のあり方と性質を変えてきたグロリアの生き様を描いている。 

一見、壮大な人生という印象を与えるが、「天から降りてきたバーテンダー」と親しみを込めて呼ばれている彼女は、女性たちの声に熱心に耳を傾け、女性たちの前進を助けてきた。傲慢さやナルシズムなしで草の根運動を組織し、物事を促進してきた彼女の姿は、その逆の姿を提示している今日の指導者たちに対する啓示ともいえる。

その一つの例が、「フェミニズムの顔」として表紙に載せたいというニューズウィーク誌の依頼を、彼女が断る場面である。彼女はその時、こう答える。「ムーブメントというのは、たくさんの人々が動いてできるものなのよ。写真に写る1人の人、それも、1人の白人女性が作るものではない。私が作るものじゃないのよ。私がいなくても、ムーブメントは起こるわ」

この映画が焦点を当てるのは、1人の女性ではなく、この作品に登場する数多くの「グロリア」である。そして私にとって「グロリア」とは、究極的には、スタイネムの後継者たちではなく、「われら人民」なのだ。この物語、そして、この人生を映画にしようと思った理由は、私がこの物語を通して様々な女性や少女たちのことを知るようになったから。この映画を見る人たちが、フローリンス・ケネディ、ベラ・アブツーグ、そしてウィルマ・マンキラーといった人たちのことをもっと知りたくなることを願っている。この人たちがグロリア・スタイネムの人生に関わるようになったのと同様に、グロリア・スタイネムは、私たちをこの人たちの人生に関わらせてくれるのだ。

グロリアの幼少期は、私にとって非常に興味深いものであった。彼女の父親は、映画『ペーパー・ムーン』に登場する詐欺師まがいのセールスマンのような人物だった。彼は四六時中旅に出ていて、旅こそが最高の教育であると娘に教え込んだ。何にも拘束されず、少女グロリアは、快活で無責任、そして芝居じみたレオを心から愛していたが、グロリアの母親の生活は犠牲になっていた。父親が出ていった時、娘と妻は自分で自分を養わなければならなくなる。12歳のグロリアは、母親が重度の精神疾患に陥っていくのを目の当たりにし、幼いながらも「母親の母親」になって自分たちの面倒を見ることになる。

20代前半にはインドに2年間渡り、そこでガンジーの言葉に感銘を受け、カースト暴動で壊滅状態となった村で初めて「トーキングサークル」を体験する。村の女性たちが焚き火を囲んで輪になって座り、恥を捨てて恐ろしい暴力の体験を話す様子は、まだ若きグロリアに大きな影響を与え、その後の生涯を通じて彼女の草の根運動を特徴づける形式となった。

若いジャーナリストであるグロリアは、最初は人前で話すことが恐ろしくて苦手だったが、ドロシー・ピットマン・ヒューズやドロレス・ウエルタの助けを得て、執筆活動だけでなく講演活動を通してもメッセージを発信していくようになったことは、私にとって大きな励ましである。そして成長したグロリアは、自分の思いをはっきりと伝えられるようになり、ユーモアや具体的な解決策を交えながら積極行動主義を奮起させると同時に、苛立ち、孤独、自信喪失をも感じることができるようになる。

映画で起用したいと思うような逸話や側面は数多くあり、これらの個々の経験や様々な声を結びつけてまとめるような仕組みを見いだす必要があると思った。7歳のグロリア、12歳のグロリア、20歳から40歳までのグロリア、そして40歳から後のグロリア、というように、少なくとも4つのグロリアを、直線的に伝記風に表現するのではなく、お互いと作用し合い、お互いのシーンに入り込みさえするような、柔軟で自由奔放に表現するのだ。

そこで私は、「時を超えたバス」というものを考え出した。そのバスは、次のデモ、次の集会、次のシンポジウム、次のインタビューや講演へと、絶えず移動している。そして様々なグロリアが、このバスに一緒に乗っているところを想像してみた。彼らは議論し、からかい合い、疑問を投げ合い、戒め合い、一緒に笑い、あるいはお互いをあざ笑い、お互いを慰め合う。この「時を超えたバス」はまた、記憶、反省、幻想という風景の中をも移動していく。伝記ではよく、時間や出来事の移り変わりを表現するためにナレーションが使われるが、この映画ではバスの場面がそのようなナレーションの声に取って代わる。

心の中で感じる苛立ちや自分を責める気持ちは、グロリアたちの間で交わされる会話や沈黙で表現される。私は、バスというライトモチーフを思いついてすぐにグロリア本人に電話をし、このアイデアについてどう思うか尋ねた。その数ヶ月前に、彼女の本を映画化することについてどう思うか尋ねた時は、彼女は驚いて、映画としての可能性は考えられないと答えていた。

しかし私を応援してくれ、どうやって可能になるかを忍耐強く見守っていてくれた。私が「時を超えたバス」の話をすると、彼女は「どうして知っていたの?」と驚いた。「知っているって何を?」と私が尋ねると、こう話してくれた。「私は時々、今の自分より年をとった自分、あるいは若い自分を街角などで見かけ、心の中でその自分と会話をするのよ」と。当然のことながら、このアイデアはしっくりきた。

ストーリーテリングには、具体的でより写実的なストーリーラインを強調する空想や誇張された内的現実という側面もある。映画『フリーダ』の中で現実になる絵画のように、これらの超現実的な瞬間は、言葉で表されない考え、願望、または抽象的な状態を表現するために存在する。特に伝記と呼ばれる映画では、現実のタイムラインにどうしても引きずられてしまうものだが、私は、それから離れて、説明がつかないようなまた言葉にならないようなことを表現することが重要だと考える。

だからこそ、10代のグロリアがハリウッドの蜃気楼を思い描く場面がある、彼女はタップダンサーになることを夢見ていたのだ。あるいは、映画の中の重要な節目に、30歳前後のグロリアが、テレビで男性インタビューにばかばかしい性差別発言を投げかけられて言葉を失う場面がある。その時に彼女が抑えていた感情は、心の中に赤い竜巻を呼び起こし、その竜巻は魔法のようにテレビスタジオを襲い、無防備なジャーナリストを巻き込んでしまう。

4人のグロリア全員が集まり、まさしく茶目っ気たっぷりでいたずらっぽく、神話に登場するような魔女に変わる。この魔女たちは、『オズの魔法使い』、『マクベス』に登場する3人の魔女や、『ハリー・ポッター』に登場する空飛ぶ魔女たちを思わせる。つまりグロリアたちは、脆い自尊心を持った男性の目に自分達がどう映っているかを知り、昔の女性・魔女のような姿に変身するのだ。

また、内側で起こっていることを具体化する別の例は、グロリアが50代の場面で起こる。グロリアは、自らの自伝で、移動や、講演、集会などのために絶え間なく移動する生活を、降りることのできないランニングマシンに例えている。そこで私たちは、画家エッシャーが描いたような風景の中で、巨大なハイウェイでできているランニングマシンの上を数人のグロリアが走っているとイメージを作り出した。あちこちに黄色斜線があり、その線がグロリアを貫いているように見えるシュールなイメージである。


私たちがこの映画を作っている究極的な理由は、何が可能で、そこに到達するにはどんな道を進むべきなのかということが核心にあるからだ。2016年の選挙の夜、製作を担当してくれたリン・ヘンディーと私は、ウォルドーフ・アストリアにあるサマンサ・パワー(国連大使)のアパートメントで、グロリア、マデレーン・オルブライト、そして世界各国の女性大使40人と一緒にいた。まだ執筆中の映画の映像を撮影するために集まっていたのだ。私たちは、ヒラリー・クリントンがアメリカ合衆国の大統領に選ばれる瞬間を捉えるのだと思っていた。

現実が見えてくると大使たちは、これから自分たちにどのような困難が待っているのかを理解して、絶望のうちに1人また1人と帰っていった。最後まで残っていたのがグロリア・スタイネム。彼女はいつものように楽観的に、「じゃあこれからは、否定的なことの肯定的な部分に目を止めなければね」と言った。

選挙の夜、期待していたような場面を映画の結びとしてカメラに収めることはできなかったが、あの1月に、女性の行進を撮影することはできた。グロリアが行進する何百万人という人々に向かってパワフルな演説をするのを見て、私たちは、この映画を『THE GLORIAS(原題)』という題名にする理由を見出した。グロリアが演説をこう締めくくった。「そして思い出してください。憲法の最初の言葉は、『私、アメリカ合衆国の大統領は…』ではないのです。憲法は、『われら人民は…』という言葉で始まっているのです」と。それに対して群衆が「われら人民は…」と繰り返した。私はその言葉が響くのを聞き、『THE GLORIAS(原題)』という題名をつけたのだ。

 

「私が一番興味があるのは、語られていない物語を語ることです」

現在88歳のグロリア・スタイネム85歳時のメッセージ

もし、私が子供を育てなくてはならなかったら、まったく違う人生を歩んでいたかもしれません。

学校に通う他の子どもたちを見て、自分の子ども時代に私は伝統的ではないことを知ったのだと思います。冬場はトレーラーハウスに住んで、ミシガンからフロリダ、あるいはカリフォルニアまで移動していたんです。それと、映画館に行ったとき、学校に通う子どもたちが木の柵がある家に住んでいるのを見て、なんて素晴らしいんだろうと思ったんです。

それ以来、私は自分が育った環境に感謝するようになりました。私はただ本を読み、自分の好きなことをすることで学んできました。

私が一番興味があるのは、語られていない物語を語ることです。可視化されるべき未知のものについて書くのは、とても興味深いことです。旅をしているからこそ、そういう話をたくさん聞くことができるし、文章として発信することもできるのです。

私が一番悔しいのは、女性に対する暴力の程度と種類です。私たちが知る限り、初めて地球上の女性の数が男性の数を下回りました。しかし、女性に対する暴力が他のすべての暴力の最大の指標であることも事実です。それは女性の命が男性の命よりも重要だからではありません。しかし、家庭や近所で支配や暴力を目にすると、ある集団は他を支配するために生まれてきたのだと思い込んでしまい、それはそれでいいのだと考えてしまうからです。

この歳になると、私は誰にトーチをバトンタッチすればいいのかと聞かれることがあります。私はいつも、まず第一に、自分のトーチは大切にします、と答えます。そして、私は他のトーチを照らすために私のトーチを使用しています。なぜなら、誰もがトーチを必要としているからです。これは、トーチを持っている1人の人よりもはるかに優れた革命的なイメージです。

私の名前はグロリア・スタイネムです。これが私の短い、しかし壮大な今想うことです。

PBS NEWS OUR より

 

 

 

 

 

 

予告編

公式サイト

5月13日(金)より kino cinéma横浜みなとみらい・立川髙島屋S.C.館・天神、アップリンク京都、ほか全国順次公開

監督・脚本:ジュリー・テイモア
出演:ジュリアン・ムーア、アリシア・ヴィキャンデル、ティモシー・ハットン、ジャネール・モネイ、ベット・ミドラー

2020年|アメリカ|英語|147分|カラー|ビスタ|5.1ch|原題:The Glorias|字幕翻訳:髙橋彩|G
提供:木下グループ 配給:キノシネマ 

© 2020 The Glorias, LLC

 

 

女性に向けて!人生の羅針盤となるお勧め映画