『VORTEX ヴォルテックス』誰にも訪れる死という普遍的なシチュエ ー ションであるが故に 、最も辛い映画であるとも言われている

『VORTEX ヴォルテックス』誰にも訪れる死という普遍的なシチュエ ー ションであるが故に 、最も辛い映画であるとも言われている

2023-12-06 16:49:00

『VORTEX ヴァルテックス』は、57歳になったギャスパー・ノエ監督が「本作は私のこれまでの映画よりも大人へ向けた作品かもしれない​」という、認知症を患う妻と心臓に病を抱える夫が死ぬまでの数週間を描いた映画だ。

画面が2つに分けられ、それぞれ違う視点でカメラが夫婦を捉え、時折一つになる視覚体験として描かれるのは、ドキュメンタリーのようにみえる夫婦の日常生活。

​最小限の脚本で、即興に近い演技をしている。妻には、ノエ監督が『ママと娼婦』の演技を気に入ったという名優フランソワーズ・ルブラン。夫には、監督の友人でイタリアン・ホラー映画の帝王ダリオ・アルジェント。

本作を観る観客の年齢によって当然違った感情を抱くだろう。「死」は誰にでも等しく訪れるもので、それは恐怖ではなく、日常であり、毎日多くの人が亡くなる場所は病院で、映画で言われるように現代では「死は医療の領域」なのだろう。

ダリオ・アルジェントは、ノエ監督の演出方法についてこう語っている。

「台本は、おそらく 15 ページほど。フランソワーズ・ルブラン、アレックス・ルッツと共に私はすべてを即興で作った。ギャスパーが、都度、状況について話してくれて、私たちは長短問わず即興で演じたが、それほど複雑ではなかった。私はフランス語が苦手なので、セリフが続く台本の場合は、もっと難しかったと思う。演じるにあたり、私は、自分の奥底にあるもの、自分の感情について、本当の自分と向き合わなければならなかった」

フランソワーズ・ルブランは「監督は登場人物の心情について語りましたか?
」という質問にこう答えている。

「いいえ、ちっとも!あるいは、私が理解できなかったのかもしれません!(笑)彼は実践的な指示を出します。例えば、「もっと虚ろな表情を」、「指を小刻みに動かして」、「つぶやいて」など非常に具体的なことです。彼はキャラクターの心情について話さないので、とても良かった。そんなの耐えられないわ」

「大人へ向けた映画」とノエ監督語っているが、誰にも等しく訪れる死を描いた本作に関してはこうも語っている。

「すべての観客へ向けた初めての長編映画だ。描かれているのは、多くの人が経験している、または今後、経験していくであろう普遍的なシチュエ ー ションであるが故に、最も辛い映画であるとも言われている」

 

ギャスパー・ノエ 監督インタビュー



――なぜ本作を作ろうと思ったのでしょうか?

私は数年前から年配の方と一緒に映画を作りたいと思っていた。個人的なこととして、祖父母、そして母と、老後は生きていく上で非常に複雑で困難な問題が伴うことに気づき、やがて、彼らは、最も守られていたであろう幼少期へと回帰していき、抗えない状況が巻き起こる。そこで私は、精神的に衰弱して言葉を失った一人の人間と、まだ言語を習得していないその孫という両極端な二人についてのシンプルな物語をイメージしていたんだ。

――監督の作品の中でも最も挑発的で、最も暴力的な映画です

それは私が判断することではない。ただ、『VORTEX ヴォルテックス』は、すべての観客へ向けた初めての長編映画だ。描かれているのは、多くの人が経験している、または今後、経験していくであろう普遍的なシチュエーションであるが故に、最も辛い映画であるとも言われている。私はすでに人々を怖がらせたり、興奮させたり、笑わせたりする映画を作ってきたので、今回は、思いっきり泣けるような映画を作りたいと思った。涙はまぶたの膜に触れると鎮静効果があり、この世で最も快感をもたらす物質の一つだ。

また、私よりも年上で愛すべき人たちと映画を撮るのはこれが初めてではない。『カルネ』(1991)と『カノン』(1998)を一緒に作ったフィリップ・ナオンの場合もそうだった。今回の『VORTEX ヴォルテックス』は、私自身の最近の経験や、非常に優秀かつ愛する人たちが、思考力が衰えて亡くなっていくのを目の当たりにしたことからインスピレーションを得たんだ。

――最も過激で絶望的な映画でもあります

砂上の楼閣が崩壊していくように、これは、遺伝子的にプログラムされた崩壊の物語。
カンヌ映画祭のあらすじに書いたように、人生はすぐに忘れ去られる短いパーティーだ。

――突然の脳出血という病を経験された後に、この映画を書いたのですか?

いや、そうではない。この映画のテーマについてはずっと前から考えていた。一方で、この病で、私が生きて無傷で生還する可能性はほとんどなかったので、当時は何か得体のしれない所に放り出された気分だった。3週間モルヒネを服用していた間、私は、自分の死とそれが周囲の人たちに与える影響、そして、私がいなくなった後の混乱について考えていた。他者に残した人生の様々な物事は、脳とともに朽ちてしまう記憶と同じくらい早く、その人の中でゴミ収集車のように消えてしまう。それが“死”。いずれにせよ、運命が、私に楽しい時間を与えてくれたので、生と死と呼ばれるこの2つの概念に対してより穏やかになったように感じる。さらに、病の回復期と、それに続くコロナウイルスによって生活が制限され、ロックダウンのおかげもあって、私は溝口、成瀬、そして不当に忘れ去られた木下の偉大な監督たちのメロドラマな作品を発見するのに何ヶ月も費やせたし、憂鬱さ、残酷さ、美的独創性、本当に素晴らしい映画とは何なのかを思い出させてくれたんだ。本作は、『生きる』(1952年/黒澤明監督)、『楢山節考』(1958年/木下恵介監督)『心中天網島』(1969╱篠田正浩監督)にインスパイアされたよ。

――撮影のスピードは速かったのでしょうか?

10ページくらいの文章を、CNC (The French National Centre of Cinema)に預けるためにキャラクターの説明を増やして14ページにしたんだ(笑)。 Canal + commitと私は、初めてCNC から財政援助を手に入れた。 4月にスタートし、25日間かけて5月8日に撮影を終えた。セット内に編集室があり、撮影日がそれほど長くなかったので、週末の夕方にすぐに編集を始めたんだ。特にカンヌ前のポストプロダクションはとても速かった。私はスピーディーにやるのが大好きなんだ。それはファスビンダーにとっても、60年代のすべての偉大な日本の監督にとっても早撮りは効果をあげている。すぐにできることをなぜゆっくりやるんだ?

――スプリットスクリーンのアイデアはいつ思いついたのですか?

この映画のストーリーは非常にありふれたもので、80歳以上の人にとってごく自然に起こることであり、その子供たちが対処しなければならない出来事だ。そして、それは日常生活を送る上でとても重い状況だ。50歳以上の多くの人は、呪いのようにその問題を抱えてしまい、彼らは話すことを恥じているように感じる。

形式としてはシンプルなセットで、セリフもなく、可能な限り現実的なドキュメンタリーに近いものをイメージしていた。本作において唯一ともいえる美的こだわりは、老夫婦の孤独を強調するために、いくつかのシーンをスプリットスクリーンで撮影することだったが、映画の全期間に渡って敢行するつもりは元々なかったんだ。最初の週は 2 台のカメラでいくつかのシークエンスを撮影しただけだったのが、編集室で、登場人物の 1 人がフレームから離れ、もう 一方が1人だけになったとき、彼または彼女が何をしているのかを、同時に、かつ、ずっと見ていたかったことに気づいたんだ。現実とは、人が作り上げた認識の集合体。そして、映画において、ほとんどの人が使っている人工的なテレビ映画の手法ほど退屈なものはないと感じていたので、映画という人為的なものを作るのであれば、スプリットスクリーンを楽しんでもいいのではないかと思ったんだ。

そこで、ショットのタイミングを計り、欠けている部分を撮影してシークエンスを完成させた。このプロセスは撮影の 2 週目から課せられた。並行して進行していても、決して交わることのない 2 つのトンネルをたどっているように感じられるんだ。人生の道と言ってもいいかもしれない。取り返しのつかないほど分離された 2 人の登場人物。カメラづかいは少し複雑で、いつものように絵コンテも作成してなかった。スプリットスクリーンには優れた空間ロジックが必要で、私は常に頭の中でルービックキューブを解いていたんだ。またしても、夜はよく眠れなかったよ。

――俳優陣はいかがでしたか?

私の 3 人の俳優は、私が夢見ていた最も美しいロールスロイスのようだった。尊敬するフランソワーズとダリオと仕事をすることで、私は自分自身に強いプレッシャーを与えることができ、楽しく、とても建設的だった。私は失敗したくなかった。ダリオ・アルジェントのような巨匠の前で怠惰な監督の仕事をしたくなかったし、フランソワーズの演技を一瞬たりとも見逃したくはなかったんだ。『ママと娼婦』(1973)でフランソワーズを発見して以来、私はフランソワーズを崇拝しているんだ。ジャン・ユスターシュ監督の非常に正確に書かれた台詞は、私がやろうとしていることとは正反対だけどね。

ダリオが映画に出演することに同意してから、息子役を見つけるまで2週間もかからなかった。私はフランソワーズとダリオの写真を画鋲で壁に貼り付け、誰が彼らの子供として信頼できるかを自問し、アレックス・ルッツのことを思い出したんだ。私は『Guy(原題)』(2018)を偶然にも観たことがあって、彼のパフォーマンスに衝撃を受けた。彼の写真を両親の写真の隣に貼り付けたところ、完璧にはまったんだ。実際、会ってみたところ、彼のスケジュールが空いていて、そして、彼が10ページの脚本から自ら『Guy(原題)』を監督したことを話してくれて、なんてぴったりなんだと思ったんだ!

――「大人へ向けた」この作品で、良い評価を得るかもしれませんね

ほとんどの素晴らしい映画は公開と同時に虐殺され、最悪の映画は崇められる…。だから私は評価を気にしない。パゾリーニの言葉を借りれば、何を言うかよりも何をするかが重要だ。 『VORTEX ヴォルテックス』は私のこれまでの映画よりも「大人へ向けた」作品かもしれない。『カノン』(1998)と短編『SIDA(原題)』(2006)を除けば、私は本当にティーンエイジャーのためのティーンエイジャーについての映画しか作ってこなかったように感じる。 57歳(※)になった今、私はようやく少しだけ大人になりつつあるのかもしれない。未知の世界に入り込んでいる。

※インタビュー当時の年齢。

ギャスパー・ノエ
Gaspar Noé
監督・脚本・編集
1963年12月27日、アルゼンチン・ブエノスアイレスで父である画家のルイス・フェリペ・ノエとソーシャルワーカーで英語教師の母の間に生まれる。5歳の時、ニューヨークへ渡り、再び、6歳でブエノスアイレスへ戻る。1976年、13歳の時にフランスへと移住。パリのルイ・リュミエールで映画を学ぶ。短編映画『Tintarella di luna』(1985)で映画監督デビューし、「Pulpe amère」(1987)を経て、91年に中編映画『カルネ』で、カンヌ国際映画祭の批評家週間賞を受賞。その続編となる初長編映画『カノン』(1998)をアニエス・ベーからの資金援助で完成させ、再びカンヌ国際映画祭で話題を巻き起こし、同賞(批評家週間賞)を受賞。2大スターを起用した『アレックス』(2002)では、モニカ・ベルッチがレイプシーンを体当たりで演じ、熾烈な暴力描写で賛否を呼び起こし、拡大公開された本国フランスではスマッシュヒットを記録。その後、東京を舞台にしたサイケデリックな輪廻転生物語『エンター・ザ・ボイド』(2009)、『LOVE 3D』(2015)では、メランコリックなラブストーリーとハードな性描写を自身初の3D映像で描き出し、賛否両論を再び巻き起こす。『CLIMAX クライマックス』(2018)では誤ってLSDを摂取してしまったダンサーたちが、次第に精神が崩壊していくさまを描き、鬼才ぶりを遺憾なく発揮した。本作『VORTEX ヴォルテックス』は、第74回カンヌ国際映画祭でワールドプレミア上映された。

 

ストーリー

映画評論家である夫と元精神科医で認知症を患う妻。離れて暮らす息子は2人を心配しながらも、家を訪れ、金を無心する。心臓に持病を抱える夫は、日に日に重くなる妻の認知症に悩まされ、やがて、日常生活に支障をきたすようになる。そして、ふたりに人生最期の時が近づいていた……。

『VORTEX』予告編


公式サイト

 

2023年12月8日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、ほか全国順次ロードショー

2023年12月15日(金) アップリンク京都

 

監督・脚本:ギャスパー・ノエ
キャスト:ダリオ・アルジェント、フランソワーズ・ルブラン、アレックス・ルッツ

2021年╱フランス╱フランス語、イタリア語/148分/カラー/スコープサイズ╱5.1ch╱原題:VORTEX/字幕翻訳:横井和子

提供:キングレコード、シンカ
配給:シンカ

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