『小説家の映画』ホン・サンス監督独自のスタイルと削ぎ落としの美学によって、想像力が掻き立てられるモノクロ映画
アーティストや表現者としての女性の生き様に焦点を当てて描いた本作。ある一定の成功を納めながらも、創作活動に行き詰まり、共に迷いを抱えたふたりの女性が偶然の出会いを通して、映画作りという新たな可能性に共に心を開いていく姿を綴った物語だ。
監督は、独自のスタイルで世界を魅了する韓国の名匠ホン・サンス。長編第27作目となる本作は、2022年の第72回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員大賞)に輝き、3年連続4度目の銀熊賞受賞の快挙を果たした。引退同然だった人気女優ギルス役には、公私共にホン監督のパートナーである『逃げた女』のキム・ミニ。執筆に行き詰まった小説家ジュニを『あなたの顔の前に』のイ・ヘヨンが演じる。
一体、これほどまでに想像力を駆り立てる映画があるだろうか? 色を削ぎ落としたモノクロ映像といい(カラー映像にあえてモノクロ処理を施したそうだ)、映像による状況説明が極端に少なく、そのほとんどが会話によって構成された映画のつくりといい、『小説家の映画』はまるで小説を読んでいるような映画だ。観る者が想像力を無限に広げることのできる〈余白〉がある。それは、映像というフォルムが与えられる前の、想像力や創造力の迸る瞬間を捉える試みのようなものであるのかもしれない。
ホン・サンス 監督インタビュー
――本作は27作目の長編ですが、特別な、私的で、親密な映画です。いつも数ページの台本から始めるとおっしゃっていますが、この映画は、映画の中で観ることになる短編映画からではなく、映画の最初の場面から作り始めたのでしょうか?
まず最初にキム・ミニを主役にしようと決めました。それからこの前の映画(『あなたの顔の前に』)で一緒に仕事をしたイ・へヨンに出演してもらうことに決めました。そして準備を始めた初日に、小説家が映画を作ろうとしている、というアイデアが生まれました。そこで、彼女が作ることになる短編映画として、私がすでに撮っている映画が使えるだろうかと考えました。
ずっと前に作った短編のことが頭にありました。いや、それほど昔ではなくて1、2年ほど前に撮ったものです。私が小さなカメラを訪問先に持参して、そこで撮影した映像を夜に編集し、音楽を入れて。そんな短編がありました。最も自然なセッティングで撮影し、台本はなく、何かのアイデアを表現する映画でもない。
そんな短編と、私の台本を元にした俳優たちの演技を比べようと思いました。俳優たちも私もできる限り自然な演技になるように努めますが、私がかつて作った短編と、私が書いた台本を元にこれから作る映画とは、どんなふうに違ってくるのか比較してみたかったのです。実際にどんな違いが認められるのかは分かっていませんでしたが、とにかくそれが撮影の準備を始めた時に私が最初にしたことの1つでした。その他にもいくつかのことを意識していました。
――あなたは世界中のフィルムメイカーたちにインスピレーションを与えています。あなたが達成されたことの1つは、自然な感情を表現したということです。あなたは最も自然な雰囲気を創り出そうとしていらっしゃると私は理解していますが、それはとても難しいことです。登場人物たちの間の自然な雰囲気をどのように生み出しているのか、教えてください。今私たちのいるこの世界では、自然でいられる機会は得がたいものです。
まったくの自然な状態というものはないと思います。彼や彼女が部屋にひとりでいたとしても、それが自然と言えるかどうか分かりません。私たちはいつも自分たちの考えにコントロールされて、何かを意識したり、過去に囚われていたり、何者かになろうとしています。それが自然なのかどうか、私には分かりません。自然さというのは比較の問題で、より自然であるか、そうでないか、ということです。
自分が本当に自然な状態を求めていると、私は思っていません。私は映画監督で、小さなディテールが重要な要素として作用しているのを見たいと思っているようです。そして、相対的により自然といえるような演技を求めています。先ほども言いましたが比較してみたいのです。自然に撮った短編と、台本に基づいて撮ろうとしている映画とを比較してみたかったのです。そこには人が感じとることのできる小さな感触の違いはあるのだろうか、と。
仕事の時間について言えば、最近の2本の映画では、撮影の前日の朝に台本を書き始めています。私は眼の問題を抱えていて、眼への負担を軽くする必要がありました。前日の朝に書いたものを、撮影する日の朝早くに少し書き直して。午前4時頃に書き始めて9時か10時くらいに仕上げて、11時か12時くらいに撮影を始めます。9時くらいに始めることもありますが、それは台本の執筆にかかる時間次第です。最近は撮影はなるべく昼間にして、夜を避けるようにしています。午後6時とか5時には撮影は終わります。通常は1週間に3日間ほど撮影します。
――登場人物たちについて、小説家の女性はみんなの羅針盤のようでしたが、俳優はどのように選んだのですか?
私は映画をコントロールしながら、時にはアクシデントを利用して、その両方を使いながら映画を作っています。キャスティングは映画作りで最も重要なことかもしれません。これまで一緒に仕事をしてきた俳優たちは男性も女性も、映画に出演してもらうために初めて会う日にその俳優から受け取る印象が、私の中にある何かを起動させました。
彼であれ彼女であれ主役を演じる俳優と初めて会う日に、その映画作りを通して試すことになる主要なアイデアが生まれます。前にお話ししたように今回はイ・へヨンに会って、小説家が自分の映画を作る、というアイデアを着想しました。うまく説明できないのですが、それが一番重要なことと言えます。人と会い、その人から印象を受け取り、それに刺激され想像力とアイデアを働かせて映画を作っていくのです。それが私のやり方といえます。
ホン・サンス
監督・脚本家
1960年10年25日、韓国、ソウル生まれ。韓国中央大学で映画製作を学んだ後、1985年にカリフォルニア芸術工科大学で美術学士号、1989年にシカゴ芸術学院で美術修士号を取得。アメリカ留学中に短編の実験映画を数多く製作した。その後、フランスに数か月滞在、シネマテーク・フランセーズに通い映画鑑賞に明け暮れた。韓国に戻り、1996年に長編デビュー作『豚が井戸に落ちた日』を発表、批評家や数多くの国際映画祭で絶賛される。2004年に『女は男の未来だ』が、初のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品を飾り、男女の恋愛を会話形式で描くその独創的なスタイルから、“韓国のゴダール”、”エリック・ロメールの弟子“などと称され絶賛された。『アバンチュールはパリで』(08)以降、フランスの名女優イザベル・ユペール主演の『3人のアンヌ』(12)や『へウォンの恋愛日記』(13)まで、続けてカンヌ、ヴェネツィア、ベルリンの三大映画祭にて出品を果たしている。2013年には、チョン・ユミが主演を演じた『ソニはご機嫌ななめ』が、本国韓国でもヒットを記録した。
2012年には、特集上映「ホン・サンス/恋愛についての4つの考察」で来日時のトークイベントで意気投合した加瀬亮を主演に迎え、『自由が丘で』(14)を発表。2015年、『正しい日 間違えた日』が第68回ロカルノ国際映画祭グランプリと主演男優賞を受賞し絶賛を浴びる。本作に出演したキム・ミニと再び『夜の浜辺でひとり』(17)でタッグを組み、第67回ベルリン国際映画祭主演女優賞(銀熊賞)に輝く。以降はキム・ミニを主演に作品を発表し続けている。
第70回カンヌ国際映画祭では、『それから』がコンペティション部門に、『クレアのカメラ』がアウト・オブ・コンペティションにと、同年に2作品が招かれたことでも注目を集めた。2020年、キム・ミニ主演作となる『逃げた女』では、第70回ベルリン国際映画祭で自身初となる銀熊賞(監督賞)に輝く。2021年に、25作目『イントロダクション』で第71回同映画祭の銀熊賞(脚本賞)を受賞、同年に第74回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクションで26作目『あなたの顔の前に』が上映される。本作は「2022年 第96回キネマ旬報ベスト・テン」の外国語映画部門で第10位に輝いた。2022年、27作目となる本作『小説家の映画』で、第72回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員大賞)を受賞、3年連続4度目の銀熊賞受賞の快挙を果たした。同年にクォン・ヘヒョを主演に迎えた28作目『WALK UP』が、サン・セバスチャン国際映画祭にて出品、2023年には最新作となる29作目『IN WATER』が第73回ベルリン国際映画祭エンカウンター部門に出品されるなど、名実ともに韓国を代表する監督の1人として現在も精力的に作品を発表し続けている。
ストーリー
長らく執筆から遠ざかっている著名作家のジュニが、音信不通になっていた後輩を訪ね、ソウルから離れた旅先で偶然出会ったのは、第一線を退いた人気女優のギルス。初対面ながらギルスに興味を持ったジュニは、彼女を主役に短編映画を撮りたい、と予想外の提案を持ち掛ける。かつて名声を得ながらも内に葛藤を抱えたふたりの思いがけないコラボレーションの行方は……。
『小説家の映画』予告編
公式サイト
2023年6月30日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
出演:イ・へヨン、キム・ミニ、ソ・ヨンファ、パク・ミソ、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ、ハ・ソングク、キ・ジュボン、イ・ユンミ、キム・シハ
2022年/韓国/韓国語/92分/モノクロ・カラー/1.78:1/モノラル
原題:소설가의 영화 英題:The Novelist’s Film 字幕:根本理恵
配給:ミモザフィルムズ
© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED