『WANDA/ワンダ』世界の映画人に愛されるも、歴史の中で眠っていたバーバラ・ローデンのデビュー作にして遺作が日本初上映

『WANDA/ワンダ』世界の映画人に愛されるも、歴史の中で眠っていたバーバラ・ローデンのデビュー作にして遺作が日本初上映

2022-07-13 13:14:00

マーティン・スコセッシ監督の設立した映画保存運営組織ザ・フィルム・ファウンデーションとイタリアのファッションブランドGUCCIがタッグを組んで修復し、2017年には「文化的、歴史的、または審美的に重要」と後世に残す価値がある映画としてアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された作品、『WANDA/ワンダ』。

監督、脚本から主演までを一人で担ったのは、バーバラ・ローデン。彼女はモデルから女優へとキャリアを積み重ね、1966年にハリウッドの巨匠エリア・カザンと結婚。38歳になった年に初めて、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』やアンディ・ウォーホルの映画に影響を受け、11万5千ドルという低予算で本作を制作した。その後長編映画を撮ることはなく、ローデンは48歳の若さで病によって帰らぬ人となる。そんな彼女が映画史に遺した最初で最後の「小さな宝石」が、ついに日本のスクリーンで日の目を見る。

「何も持ってない これまでも これからも」

ワンダのこの言葉通り、彼女は大切なものを全て失い、かといって特別それを嘆くわけでもなく、フラフラと街を彷徨い続ける。しかし、バーバラ・ローデン監督自身も言うように、これは『俺たちに明日はない』のような「犯罪者カップルの逃避行」映画ではない。そこに心惹かれるようなロマンスはないのだ。時に子どものようなあどけなさを見せるワンダは自由そのものであるのに、彼女の通った跡にはいつも虚無が漂い、その行くあてのない旅に終わる気配はない。

それでも、画面の中の彼女は間違いなく生きている。当時の質感のままに修復された本作の中で、醜く、滑稽に、それでも毅然として描かれているワンダの生き様を現代の映画館で見届けることができるのは貴重であり、その姿はこれから私たちの胸の中で小さく輝き続けていくだろう。

 

ストーリー

ペンシルベニアの炭鉱町に住むワンダは、自分の居場所を見つけられずにいる主婦。知人の老人を訪ねお金を貸してほしいと頼むワンダは、バスに乗り込み夫との離婚審問に遅れて出廷する。タバコを吸いヘアカーラーをつけたまま現れたワンダは、夫の希望通りあっさりと離婚を認め退出する。街を漂うワンダは、バーでビールをおごってくれた客とモーテルへ。 ワンダが寝ている間、逃げるように部屋を出ようとしたその男の車に無理矢理乗り込む。だが、途中ソフトクリームを買いに降りたところで逃げられてしまう。 またフラフラと夜の街を彷徨い歩き、一軒の寂れたバーでMr.デニスと名乗る小悪党と知り合う。彼に言われるがまま、犯罪計画を手伝うハメになるワンダの行方は…。

バーバラ・ローデンが語る「ワンダ」の世界


中央:監督・脚本・主演のバーバラ・ローデン

私は無価値だった。私には友達がいなかった。才能もない。私は影のような存在でした。学校では何一つ学ばなかった。今でも数を数えられない。子供の頃は映画が嫌いだった。スクリーンの中の人々は完璧で、劣等感を抱かせた。私はよくドアの後ろに隠れていました。祖母のストーブの後ろに隠れて幼少期を過ごしました。とても孤独でした。私は自分の世界に閉じこもるように、自分には何の価値もないと確信して人生を過ごしてきました。自分が何者なのかわからず、あちこちに出没し、プライドもなかった。自分が何を望んでいるのか分からないが、何を望んでいないのかは分かっている。『ワンダ』を作るまで、私は自分が誰なのか、自分が何をすべきなのか、まったくわからなかったのです。

私自身、自閉症のようになったことがあるんです。 私は、人々が苦労している地方から来ました。身の回りのことを気ままにうかがう余裕はない。その日その日を生きることにしか関心がない。彼らは決して愚かではない、無知なのです。建築物も、町並みも、着ている服も、すべてが醜い。彼らの目に映るものすべてが醜いのです。

『ワンダ』は、実際に起こった事件に着想を得て制作しました。男女で銀行を襲撃し、男性はその場で射殺され、女性は裁判にかけられた。懲役20年の判決を言い渡された際、その女性が裁判官に感謝の言葉を口にしたことが奇異として報道されたのです。女性は、アルマ・マローンという私と同じ歳で、南部の貧しい家庭に生まれるという同じような生い立ちの女性です。そうした謎こそが私を惹きつけて止まないところでした。彼女は、自由と引き換えに、ベッドと毎日の食事を事実上保証してもらったのです。その彼女の内面を理解したいと思ったことから本作を撮ったのです。私もニューヨークに来なければ、刑務所に入るか、死んでいたかもしれなかったのです。

映画の中ではあまり説明しすぎないように、露骨になりすぎないように、言葉にしすぎないようにしました。私の作品の主題は、あまり言語的でなく、自分の事情を自覚していない人たちです。

『ワンダ』は『俺たちに明日はない』のような「犯罪者カップルの逃避行」映画ではないのです。「美しい物、美しい色、美しい人々に満ちた理想主義な映画」ではなく、現代の標準的なインディーズのテンプレートに沿った作品でもないのです。風変わりなロマンスもなければ、個人の贖罪や家族の和解の物語でもないのです。

私は綺麗な画面は嫌いです。完璧すぎて感情移入できない。見た目だけじゃありません。リズムや編集、音楽ー全てについて。技術的に綺麗にできていればできているほど、内容も綺麗なだけになり、全部が上辺だけになってしまう。登場人物も含めて。

『ワンダ』を制作したとき、私は意識改革やウーマン・リブについて何も知りませんでした。この映画が完成したとき、ちょうどそれが始まったところでした。この映画は女性の解放を描いたものではありません。女性や人々に対する抑圧を描いたものです。女性であることは未知の世界へ挑むことであり、私たちはある種の開拓者であり、女性であることの意味を発見することなのです。

私が影響を受けた作品は、シネマ・ヴェリテ、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』、アンディ・ウォーホルの映画などが挙げられます。私は、フィクション映画をドキュメンタリーのようにしたいと考えていました。子供の頃、私は映画が嫌いでした。俳優の完璧な顔に劣等感を感じていたからです。スクリーンの中の人たちがお互いに話しているのが好きで、観客がすべての言葉を聞く必要はないと思っていたのです。ハリウッド映画のようなクリスタルな音ではなく、ウォーホルの映画に出てくる "悪い音 "のほうが、リスナーが実際に聞いている音に近いような気がして、そういう不完全さが自分のビジョンに勇気を与えてくれたのだと思います。

バーバラ・ローデン監督

1932年7月8日アメリカ、ノースカロライナ州アッシュビルで生まれる。幼少期に両親が離婚すると、祖父母に育てられる。16歳でニューヨークに移住し、ロマンス雑誌のモデルとして働き始めた。女優になる目的でアクターズ・スタジオで演技を学ぶ。 57年、ニューヨークの劇場でデビュー。ロバート・レッドフォードや、ベン・ギャザラと一緒の舞台を踏んだ。60年、エリア・カザン監督作『荒れ狂う河』にモンゴメリー・クリフトの秘書役として、また、ウォーレン・ビーティの姉を演じた『草原の輝き』に出演する。66年に23歳年上のエリア・カザンと結婚する。70年、撮影監督兼編集者のニコラス T・プロフェレスと共同で、11万5千ドルというわずかな予算で、自ら監督・脚本・主演した『ワンダ』を制作。 長編映画を監督することはなかったが、Learning Corporation of Americaのために2本の教育用短編映画を監督している。78年、ローデンは乳がんと診断され、80年9月5日、ニューヨークのマウントサイナイ病院にて48歳で病死。



予告編

 

公式サイト

7⽉9⽇(土)よりシアター・イメージフォーラム、8⽉12⽇(金)よりアップリンク京都ほか全国順次公開
9月9日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開

監督・脚本:バーバラ・ローデン
撮影・編集:ニコラス T・プロフェレス  
照明・音響:ラース・ヘドマン   
制作協力:エリア・カザン
出演:バーバラ・ローデン、マイケル・ヒギンズ、ドロシー・シュペネス、ピーター・シュペネス、ジェローム・ティアー

1970年/アメリカ/カラー/103分/モノラル/1.37:1/DCP/原題:WANDA    

日本語字幕:上條葉月   
提供:クレプスキュール フィルム、シネマ・サクセション   
配給:クレプスキュール フィルム

©1970 FOUNDATION FOR FILMMAKERS

 

どんな生き方でも受け止めてくれるお勧め映画