『恒星の向こう側』星々のあいだにあるもの
恒星:天球上で相互の位置をほとんど変えず、自ら光を放つ天体。(広辞苑)
乾いた秋晴れの空があっという間に霞がかり、砂粒を孕んだ風がザラりと肌を撫でる。
濡れて汚れて最低な現実を必死に耐え忍んだ先には、息をのむほど美しい夕日。
まるで体ごと自然の一部にでもなったような、静かな揺らぎの世界に身を委ねる、摩訶不思議な92分に魂が疼いた。
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娘を愛せない可那子と、存在を否定され生きてきた未知。
「親子でもな、他人やで」
淡々と、大きな起伏を避けるように。それでいて、果てしなく鋭利な可那子の言葉は、未知が必死に保ってきたかりそめの平穏を一掃する。
中途半端な幸福も、被害者じみた不幸も赦さない。突き放すような視線は、凍てつく夜に吹雪が舞うような厳しさで、彼女に何を言っても負けな気がしてしまうのは、私もあなたも同じではないだろうか。
温もりを排除した透明すぎる母娘は、ふたりだけの摂理のなかで一定の距離を保ち、決して交わろうとしない。その姿は、まるで星座を形づくる恒星たちのようで、自転を繰り返すふたつの命の不器用な結びつきを見ている時間は、歯がゆくもあり奇蹟のようでもあった。
それでも、湖面に投げられた小石が、小さな波紋を向こう岸まで届けるように、わずかな歩み寄りが長い冬に雪解けをもたらす。泣けるほど美しいその瞬間を、どうか多くのひとに目撃してほしいと思う。
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命には避けがたく終わりがくる。
行く末を知ったからといってすべてを美化できるほど、我々は美しい生き物ではないだろう。
痛ましく、醜く、欠陥だらけなまま。
それでも、淡々と紡がれていく日常の、どっちつかずな尊さを、最期の瞬間まで諦めなくていいのかもしれない。
(鈴木栞)
イントロダクション
第38回東京国際映画祭 最優秀女優賞W受賞
母のことが嫌いだった。
優しくされた記憶より、傷つけられた記憶の方が多かった。
だから距離を置いた。
もう会わなくてもいいと思っていた。
生と死のあわいを見つめ続けてきた中川龍太郎監督の新たな到達点。
母の余命を知った娘は、残された日々を共に過ごそうとするものの、長年にわたり積み重なった親子の軋轢と直面することになる。母との溝が埋まらぬまま、夫との関係にも不安を抱える中、その体内では新たな命が育っていて……。
新作を発表するたびに国内外から注目を集める中川龍太郎監督が、『走れ、絶望に追いつかれない速さで』(15)『四月の永い夢』(17)に続いて、喪失と再生をテーマに撮り上げた3部作の最終章となる『恒星の向こう側』。誰よりも深く逃れようのないもので結びついているがゆえに、どうしてもお互いを許せなかった母と娘は、死という現実を前にしてそれぞれと向き合ってゆく。
主人公の未知を演じたのは『あの娘は知らない』(22)の福地桃子。母の顔色をうかがいながら大人になり、自分が母親になることにも自信を持てない女性が、一人の人間としての母を知ることで自らの人生を肯定していく姿を繊細かつ力強く体現した。その母親である可那子には、中川監督たっての希望によって、『あん』(15)『たしかにあった幻』(26)などの監督として知られる河瀨直美の出演が実現。激しい存在感を放ちながら死へと向かっていく生き様を魂で刻みつけ、2025年の第38回東京国際映画祭では、福地と河瀨がそろって最優秀女優賞を受賞する快挙を成し遂げた。未知の夫で過去に縋る登志蔵には、『そこにきみはいて』(25)でも福地と婚約者同士を演じ、河瀨監督の『たしかにあった幻』にも出演した寛一郎。また、可那子の過去の秘密の鍵を握る万理を『四月の永い夢』の朝倉あき、若き日の可那子を『万事快調<オール・グリーンズ>』(26)の南沙良、未知が働く児童施設の職員役に『ネムルバカ』の久保史緒里と『Winny』の三浦貴大、現在の万理には中川龍太郎監督の最新短編作『世界は美しいと誰かが言った』にも久保、三浦と共に出演した中尾幸世が扮し、実力派キャストが顔を揃えている。
劇中では1980年代から2025年までいくつもの時代を、そして奈良と北海道・野付半島の地を行き来しながら、現在と過去の対話の中で人と人のつながりが語られ、中川監督ならではの映像美が言葉にならない感情を映し出す。さらにその一部を創作過程の演劇作品として描くことにより、登場人物の個人的な体験を普遍的なドラマへと昇華させた。劇伴と主題歌「まばゆく」を手がけたのは、劇場アニメ『ルックバック』(24)、映画『この夏の星を見る』(25)、現在放送中のドラマ「Tシャツが乾くまで」(TBS)などの音楽を担当するピアニスト・作曲家のharuka nakamuraで、その祈りにも似た神聖な音色と歌声が深い余韻を残す。
親子、特に母娘という同性同士の関係性には、共依存や過干渉だけでなく、「毒親」といった言葉ではとらえきれない複雑な感情が渦巻いている。その奥底にある叫びを掬い上げるように描かれる、去り行く命、新しく生まれてくる命、緩やかにつながっていく記憶と時間。生と死のあわいを見つめ続けてきた中川監督が、喪失から再生へと大きく舵を切り、新たなる境地に踏み出した。
ストーリー
母のことが最期まで嫌いでした。
東京でこどもの居場所支援をするNPOで働く未知(福地桃子)は、母親の可那子(河瀨直美)が倒れたという連絡を受けて、久しぶりに実家のある奈良へ帰る。そこで知らされたのは、可那子が進行性のがんを患っており、治療を拒否しているという事実だった。
闘病生活をサポートするために休職して戻ってきた未知に可那子は言う。「親子でもな、他人やで」。自分の選択を母に否定されながら育ったトラウマから抜け出せない未知と、思うように娘を愛せなかった可那子は、親子関係に確執を抱えていた。
そこへ未知の夫で演出家の登志蔵(寛一郎)がやって来る。登志蔵に別れた未知の父親を重ねる可那子。実はこのとき未知の体には新しい命が宿っていた——。
中川龍太郎監督プロフィール

映画監督、脚本家。慶應義塾大学文学部卒。在学中に監督を務めた『愛の小さな歴史』で東京国際映画祭スプラッシュ部門にノミネート。『走れ、絶望に追いつかれない速さで』も同部門にてノミネートされ、フランスの映画誌カイエ・デュ・シネマからその鋭い感性を絶賛される。『四月の永い夢』は世界4大映画祭のひとつ、モスクワ国際映画祭コンペティション部門に選出され、国際映画批評家連盟賞・ロシア映画批評家連盟特別表彰をダブル受賞。松本穂香を主演に迎えた『わたしは光をにぎっている』がモスクワ国際映画祭に特別招待。『静かな雨』が、釜山国際映画祭正式招待作品として上映、東京フィルメックス にて観客賞受賞。『恒星の向こう側』が、東京国際映画祭コンペティション部門ノミネート。2026年には『星の教室』、『君の話』が全国公開となる。詩人としても活動し、やなせたかし主催「詩とファンタジー」年間優秀賞受賞(10)。


アップリンク吉祥寺 ほか全国劇場にて公開
2025 年/日本/カラー/シネマスコープ/DCP/5.1ch/92 分
監督・脚本・編集:中川龍太郎
出演:福地桃子、河瀨直美、寛一郎、朝倉あき、南沙良、三浦貴大、久保史緒里、中尾幸世
音楽:haruka nakamura
配給:NAKACHIKA