『こちらあみ子』芥川賞受賞作家・今村夏子のデビュー作を原作に、無垢で風変わりな少女のまなざしを描く

『こちらあみ子』芥川賞受賞作家・今村夏子のデビュー作を原作に、無垢で風変わりな少女のまなざしを描く

2022-07-05 12:00:00

主人公は、広島で暮らす小学5年生のあみ子。
昭和の原風景を背景に、純粋で少し風変わりなあみ子と、家族や同級生ら彼女を取り巻く人間たちの在り方が、絵と音の共鳴によって瑞々しく綴られていく。

あみ子は最強だ。
怒られても、かなしくても、泣かない。かと言って、愛想を振り撒くのでもない。大きな目で真っ直ぐ、ただただじっと見つめる。風変わりで他者をまったく意に介さないように見えるあみ子。純粋さゆえ、時に残酷で周りをブンブン振り回しながら、ジャッジのない世界を生きるあみ子。あみ子を追体験することは、遠い昔に忘れてきた、もしくは封印した、自分の中の純粋さを、再び呼び起こす体験となる。

原作は「むらさきのスカートの女」で第161回芥川賞を受賞した今村夏子が、2010年に発表した処女作「あたらしい娘」(のちに「こちらあみ子」に改題)。本作で太宰治賞、三島由紀夫賞をW受賞した。

あみ子を演じるのは、新星・大沢一菜(おおさわ・かな)。演技未経験ながら圧倒的な存在感で“あみ子の見ている世界”を体現した。両親役には、『ワンダフルライフ』(是枝裕和監督)の井浦 新と、『萌の朱雀』(河瀨直美監督)の尾野真千子。監督は、大森立嗣監督ほか数々の現場で助監督を務めてきた森井勇佑。映画化を熱望してきた本作で、念願の監督デビューを果たす。音楽を手がけるのは、繊細な歌声とクラシックギターの柔らかな音色が特徴的な青葉市子。彼女の音楽には、海外ファンも多い。

過不足なく切り取られた美しい映像の中で、私たちがあみ子を追体験し「子供の自分」を呼び覚ます時、不思議と「今の自分」が癒され、救われていくように感じるのは気のせいだろうか。確かに、誰もが“かつて見ていたはずの世界”がここにある。

 

 

イントロダクション&ストーリー


たのしいこともさびしいこともーーー
あみ子が教えてくれるのは、
私たちが“かつて見ていたはずの世界”


あみ子はちょっと風変わりな女の子。優しいお父さん、いっしょに遊んでくれるお兄ちゃん、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいるお母さん、憧れの同級生のり君、たくさんの人に見守られながら元気いっぱいに過ごしていた。

だが、彼女のあまりに純粋無垢な行動は、周囲の人たちを否応なく変えていくことになる。誕生日にもらった電池切れのトランシーバーに話しかけるあみ子。「応答せよ、応答せよ。こちらあみ子」―――。奇妙で滑稽で、でもどこか愛おしい人間たちのありようが生き生きと描かれていく。

ひとり残された家の廊下で。みんな帰ってしまった教室で。オバケと行進した帰り道で。いつも会話は一方通行で、得体の知れないさびしさを抱えながらもまっすぐに生きるあみ子の姿は、常識や固定概念に縛られ、生きづらさを感じている現代の私たちにとって、かつて自分が見ていたはずの世界を呼び覚ます。

観た人それぞれがあみ子に共鳴し、いつの間にかあみ子と同化している感覚を味わえる映画がここに誕生した。

 

 

 

監督インタビュー


――
原作小説との出会いを教えてください。

 はじめて読んだのは20代後半くらいの頃でした。読み終わった直後は、自分の感情をうまく言語化することができませんでした。打ちのめされたような気分でした。小説を読んでこんな気持ちになったことははじめてです。心のどこかに穴がぽっかり空いたような感じです。それからは、自分の中にあみ子が住み着いたといいますか、ことあるごとにあみ子のことを考えていました。次第に、映画にしたいと思うようになっていきました。

――
それからしばらくして、映画監督デビューが決まります。

僕はずっと映画の助監督をやってきたのですが、1つの現場が終わったら、次の現場、そのまた次の現場…‥と全然ちがう監督の現場を渡り歩くことになり、そこで求められることは現場をいかにうまく回せるかとか、いかに気が利くかとか、いかに大きな声が出せるかとかで、ぼくはそういうことが基本的には全然ダメだったので常に居心地悪く過ごしていました。映画を観ることがとても好きだったのですが、現場で映画の話ができる人もあまりいませんでした。このままで良いのかなと思っていたところ、大森(立嗣)さんの映画の助監督をやった流れで仕上げ作業にもつかせてもらうことになって、これをきっかけにこのサイクルから一旦外れてみたいと思いました。

基本的には大森さんの映画の助監督しかやらないことにして、映画と映画の合間に、プロデューサーの近藤(貴彦)さんの事務所で大森さんと脚本を書いたり映画の話をしたりして過ごしました。四六時中映画の話ができるのがとにかく嬉しかったのと、大森さんの映画の企画のはじまりから配給まで全部の行程をそばで見れたことはとても大きな経験でした。あるときからどうしたら僕が監督になれるかという話をだんだん2人がしてくれるようになって。ある日ぼくから近藤さんに、読んでみてくれませんかと『こちらあみ子』を渡しました。しばらくたってから近藤さんが、映画にしたい、と言ってくれたのがはじまりです。

――そして脚本執筆が始まるわけですが、小説を脚本に落とし込む際、どんなことを意識されましたか。

原作で描かれている、あみ子の見ている世界と、逆にあみ子には見えていない世界のことを、どういった映画の文体で描くべきかということを意識しました。原作の描写をそのままトレースしても、そのまま映画の文体にはならないと思ったので、ひとつひとつのシーンの絵を、明確に描写することには気を配りました。できるだけ視覚的にイメージしやすいように脚本は書いていったつもりです。それと同時に、音にも気をつけたかったので、例えば、「トウモロコシがぼとりと落ちる」とか「土足のままドカドカと上がり込んでくる」とか、擬音を比較的多く使って書きました。これも、脚本を読んでもらうスタッフに音をイメージしてもらいやすくするためです。映画は絵と音のイメージで出来ているということを意識しました。

――あみ子役の大沢一菜さんとの出会いについて教えてください。

一菜には一目惚れでした。オーディションの会場ではじめて見たとき、すごく直感的に、この子だと思えました。一菜の顔には謎があるんです。この子を撮りたいと直感的に強く思えたのが選んだ理由です。

――現場での一菜さんはいかがでしたか。

毎日大暴れしておりました。とんでもないエネルギーでした。毎朝、絶叫しながら現場にやってきて、スタッフ全員の腹を平等にパンチして回ります。それが朝の挨拶でした。全員に平等にパンチするところが律儀でステキなところです(笑)。それはまるで一菜なりに、現場で自分が緊張しないためにやっているかのようで、ルーティンを自分なりに見つけていたのだと思います。現場の雰囲気もそれがあることによってとても和みました。いい俳優は、現場で緊張しないために自分なりの現場の居方を見つけていくものだと思いますが、一菜には天性でそういう素質があるのではないかと思います。

そうやって大騒ぎしていたかと思ったら、カメラをまわしはじめるときにはスッと僕がお願いした通りにやってくれました。テイクを重ねることは極度に嫌いましたが(笑)。なので僕らも極力テイクを重ねないように集中してやりました。それでもどうしてもテイクを重ねなければいけないところはあって、一菜も「なんでー!」と言いながらがんばってやってくれました。でも坊主頭との教室での長いお芝居のシーンはたくさんのテイクを重ねましたが、自然とあまり抵抗はありませんでした。一菜もきっと本能的に、あのシーンがどんなものかわかっていたのではないでしょうか。いまだにぼくは、あのシーンで一菜がどうしてあのような表情をしたのかわかりません。ぼくからは表情の指定や声の出し方などの指定は一切していません。何度見ても、あの表情には奇跡が起こっていたなと思います。

ちなみに一菜は午後には必ず眠くなってしまいました。なのでそのくらいの時間になるとお昼寝タイムにしていました。ぼくらスタッフも一緒に昼寝したりしました。撮影のない日にはスタッフと一菜で一緒に遊んだりしました。一菜は自由でとても優しい子で、スタッフみんな一菜のとりこでした。

――小学生の頃のはつらつとした表情と、中学にあがってからの切ない表情のギャップがいいですよね。

撮影中、一菜の表情の豊かさには何度もハッとさせられました。撮影の序盤、お母さんに怒られている顔のアップを真正面から撮ったとき、映画の中で何回かこういう真正面から撮った一菜を撮っていこうと思いました。一菜の顔には謎がありました。謎がある人の顔を撮れるのはとても幸福なことです。

中学生時代の表情がちょっと違って見えるのは、バッサリ髪を切ったこととか、制服の襟が落ち着かないこととか色々理由はあったかと思うのですが、お母さん役の尾野(真千子)さんがクランクアップして、スーッと現場からいなくなったのが大きいのではないかと思います。(あえて現場ではアップのコールなどは控えていました。)それまで2人はだいぶ親密になっていたので、寂しかったんだろうなと。ただ一菜は決して寂しいとは口に出しては言わないタイプでした。口に出さないことで、滲み出してくるものがもしかしたらあったのかもしれません。

――両親役の井浦新さん、尾野真千子さんの印象を教えてください。

お父さんの哲郎役には、心の中に真空がある人がいいなと思っていました。分かりやすい表層的な葛藤ではなくて、奥の方に真空を抱えた存在として、そこに立っていることができる人。井浦さんは、現場でまさにそういった存在だったと思います。お母さん役の尾野さんは初めてご一緒しましたが、さゆりとしてのどの瞬間も、とても複雑で多義的といいますか、ひとつの意味に収斂されない、とても豊かなお芝居をされる方だと思います。

――子どもたちとの現場では、どのようなところに気を配りましたか。

とにかく現場を遊びの場としてとらえてもらうこと。自分たちスタッフも楽しむこと。昼寝の時間を取ること。そういったことは、すべて子供たちの自由さを制限しないようにするためです。それから、あみ子、のり君、坊主頭、の3人にはそれぞれにお芝居のつけ方を変えていきました。あみ子には心情的なことは伝えず動きだけ、坊主頭には心情の説明や“間”などを細かく伝えて、のり君には「我慢する役だから怒りを溜めて、発散するな」とひたすら我慢させました。のり君役の大関はほっとくとすぐ誰よりもはしゃいでしまうので、少し役作りしてもらいました(笑)。

現場的にはあまり物々しくならないようにとか、効率を優先して進行しないとか、映画の現場っぽくならないようにゆるい雰囲気をできるだけ損ねないように常に意識していました。撮影の岩永(洋)君も大きな照明をあてなかったり、厳密な立ち位置指定をしなかったり。テストをやるとすぐに子供達が飽きてしまうのでセッティングができるといきなり本番でやらせてもらうことが多かったです。こういうときに一番大変なのは録音部ですが、録音の小牧さんはとても柔軟に音を録ってくれました。そんなゆるい空気の中でもやれたのはスタッフのみんながそれだけ優秀だったからでもあると思います。

――そして、青葉市子さんが今回初めて映画音楽を手掛けたことも話題になっています。

2年くらい前にシナハンみたいな感じで広島を1週間くらい1人でぶらぶら歩き続けたのですが、そのときにずっと青葉さんの音楽を聴いていました。青葉さんの音楽によって自分の中のあみ子へのイメージに一本筋が通っていったようなところがあって、音楽をお願いするなら青葉さん以外には考えられませんでした。青葉さんの音楽には、あの世とこの世の閾が低いといいますか、不思議な感覚があります。そんな感覚がこの映画にぴったりだと思いました。青葉さんには導いてもらった感覚が強いです。青葉さんにお願いする前の、シナリオを直している段階から実はそれはすでにはじまっていて、実際に音楽を作ってもらう中でも、その音や会話した内容に導かれていきました。この映画にとって、青葉さんという存在はとても大きいです。

――原作にはないオリジナルシーンでは、あみ子がトイレの花子さんや死んだ校長先生など、オバケと触れ合います。

あみ子はこの世に生まれてこなかった弟のことをいなくなったことにはしません。ということは、オバケをこの世にいないものとしてとらえないこともできると考えてみました。あのシーンではオバケたちからあみ子に会いに来ています。オバケたちはそもそも学校のいろんなところに実際に存在していたということです。あみ子の妄想ではありません。あみ子なら、オバケたちとも関係が持てるのではと思いました。友達になれるのではとオバケたちも思ってワラワラと出て来たということです。

――劇中の“音”の聞こえ方には相当こだわられたとうかがいました。

この映画のイメージが、粒だった粒子の集まりのような感じでした。あみ子や他の登場人物や、虫とかカエルとかオバケとかのそれぞれの存在が、独立して粒だっているような、そういったバラバラな粒子の集まりがざわざわしている映画にしたいと思っていました。そのためには音が粒立つ必要がありました。足音や物音や画面の外の音など、いろんなものをあえて大きめにたくさん入れています。それは子供のときには、大人になった今よりも、もっと色んな音がざわざわ聞こえていたんじゃないかという思いからでもあります。音は映画において、もっとも重要な要素だと思います。

――最後にメッセージをお願いします。

あみ子は、世界に直接触れようとしているのではないかと僕は思っています。あみ子の触れようとしている世界の手触りは粒立って生き生きとしています。そんな感触をこの映画で描ければと思いました。社会は言語化を強いますが、世界は言語化できない未知なものをたくさん含んでいるのだと思います。そういったことを信じてこの映画を作りました。楽しんで見てもらえればと思います。よろしくお願いいたします。

 

 

監督・脚本:森井勇佑(もりい ゆうすけ)

1985年兵庫県生まれ。日本映画学校 映像学科(現 日本映画大学)を卒業後、映画学校の講師だった長崎俊一監督の『西の魔女が死んだ』(08)で、演出部として映画業界に入る。以降、大森立嗣監督をはじめ、日本映画界を牽引する監督たちの現場で助監督を務め、本作『こちらあみ子』で念願の監督デビューを果たす。

 

原作:今村夏子(いまむら なつこ)

1980年生まれ。広島県出身。2010年「あたらしい娘」(「こちらあみ子」に改題)で第26回太宰治賞を受賞し、デビュー。本作を含む同題作品集で第24回三島由紀夫賞を受賞した。16年には、文学ムック「たべるのがおそいvol.1」に発表した「あひる」が第155回芥川賞候補となる。17年、単行本「あひる」で第5回河合隼雄物語賞を受賞。「星の子」は第39回野間文芸新人賞を受賞したほか、第157回芥川賞候補、18年本屋大賞第7位。19年、「むらさきのスカートの女」で第161回芥川賞を受賞した。

 

音楽:青葉市子(あおば いちこ)

音楽家。1990年1月28日生まれ。
2010年にファーストアルバム『剃刀乙女』を発表以降、これまでに7枚のオリジナルアルバムをリリース。うたとクラシックギターをたずさえ、国内外で活動中。近年はラジオDJやナレーション、CM・舞台音楽の制作、芸術祭でのインスタレーション作品発表など、さまざまなフィールドで創作を行う。自主レーベル「hermine」(エルミン)より、体温の宿った幻想世界を描き続けている。最新作は、”架空の映画のためのサウンドトラック”『アダンの風』。

 

『こちらあみ子』予告編

 

 

公式サイト

 

7月8日(金) 新宿武蔵野館、ほか全国順次ロードショー

7月15日(金) アップリンク京都

 

大沢一菜 井浦 新 尾野真千子

監督・脚本:森井勇佑 
原作:今村夏子(「こちらあみ子」ちくま文庫)
音楽:青葉市子

奥村天晴 大関悠士 橘高亨牧 
播田美保 黒木詔子 桐谷紗奈 兼利惇哉 一木良彦

企画・プロデューサー:近藤貴彦 プロデューサー:南部充俊 飯塚香織 
撮影・照明:岩永洋 録音:小牧将人 美術:大原清孝 編集:早野 亮  
衣裳:纐纈春樹 ヘアメイク:寺沢ルミ 整音:島津未来介 音響効果:勝亦さくら スチール:三木匡宏 助監督:羽生敏博 宣伝:平井万里子 
タイトルデザイン:赤松陽構造
協賛:PBU 和光工業 杉本酒店 都北運輸 恵泉グループ famille soin 
助成:AFF 文化庁 「ARTS for the future!」補助対象事業
製作:ハーベストフィルム エイゾーラボ アークエンタテインメント TCエンタテインメント 筑摩書房 フューレック 
製作プロダクション:ハーベストフィルム エイゾーラボ 
配給:アークエンタテインメント
製作年:2022年

104min/カラー/ヨーロピアンビスタ/5.1ch

©️2022『こちらあみ子』フィルムパートナー