『リサ・ラーソンがいた時間』その手から、愛を込めて。
「才能があるって大事?」
エミリアの問いにリサは「もちろん」とこたえる。
どうしてか、そのひと言がお守りのようにそっと心に残った。
制作への情熱を絶やさず、慈悲深くあり続けたリサ・ラーソン。
彼女が生涯をかけて手渡してくれたものは、作品だけではない。
ーーー
つくりかけの作品がずらりと並ぶアトリエ。
そこに佇む彼女の姿が亡くなった祖父に重なり、涙があふれてとまらなかった。
スウェーデンを代表する人気陶芸家・リサ・ラーソン。
赤と白のしま模様の猫「マイキー」をはじめ、日本でも馴染みのある作品の数々は、発表から何年経っても色褪せない名作だ。
朗らかに、繊細に、それでいて大胆に動く皺だらけの手。
辿ってきた年月が刻まれたその手は、生み出されてきた作品同様、温もりに満ちている。
向けられたカメラの前で、凛と微笑むリサ。90歳をこえても土に触れつづける姿はどこまでも美しい。けれど、孫娘を前に自身の人生を振り返る彼女は、あまりに赤裸々だった。
生涯を添い遂げた夫・グンナルとの出会い。
グスタフスベリを支え続けた盟友たちとの記憶。
そして、制作に追われる日々のなかで、家族との時間を犠牲にしてきたこと。
正解かわからないこれまでの日々に、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいくリサは、ほんのり哀しい光の粒を纏っていて、飾らないその姿にどうしようもなく心を掴まれた。
彼女が一生を捧げたものづくりの世界。
移ろいゆく時代のなかで偉大な功績をのこしながらも、常に愛情深く作品の向こう側を見つめるまなざしは、きっと、リサ・ラーソンが「いた時間」を見守る私たちへの最高の贈り物。
辛く悲しいリサとの別れ。それでも、大切なギフトのリボンをほどいた先で、彼女の深い愛にふれ、大切な人を想う時間もまた、リサからの贈り物なのかもしれない。
ーーー

(左:LiLiCoさん、右:エミリア・エクマン・ラーソン監督)
9月20日(日)、アップリンク京都にて行われた舞台挨拶で、エミリア監督はこんな言葉を残してくれた。
「夢ややりたいことがあるのなら、今すぐやるべき。いつかと思っていても、そのいつかは来ないこともあるから」
彼女がリサの撮影を始めたのは、学生のときだったという。「初めは適当だった」と笑いながら振り返るエミリアだけれど、ひとりの芸術家として、祖母として、女性として、リサ・ラーソンのいる時間を記録する日々は、彼女にとって二度とない奇跡だったのかもしれない。
祖母と孫、ふたりが重ねてきた時間をみつめる私たちもまた、その深い愛情と絆に背中を押される。いつか、ではなく、いま手を伸ばしてみること。そんな小さな一歩を、そっと受け取ったような気がした。
(鈴木栞)
イントロダクション
北欧・スウェーデンを代表する人気陶芸家リサ・ラーソン
その最期の日々を孫娘が見つめた、もっとも親密でやさしいドキュメンタリー
“かわいい”の奥に秘められた、リサの創作と人生の物語とは——
北欧・スウェーデンを代表する陶芸家、リサ・ラーソン。1931年にスモーランド地方のエルムフルトに生まれ、50年代から本格的に創作活動を開始。彼女が生み出した、赤と白のしま模様の猫「マイキー」やハリネズミ「ハリエット」などのキャラクター、丸みを帯びた愛らしい動物や子どもなどの陶器作品は、スウェーデンのみならず世界中で、世代を越えて愛され続けている。日本では、マリメッコやイッタラなどの北欧雑貨やインテリアブームを背景に、広く親しまれてきた。
そんな彼女は、2024年3月11日、92歳で惜しまれながらこの世を去る。本作『リサ・ラーソンがいた時間』は、彼女の孫であり映画監督のエミリア・エクマン・ラーソンが晩年の祖母の姿を見つめた、親密でエモーショナルなドキュメンタリーである。
ストーリー
ストックホルム近郊にあるリサ・ラーソンの自宅兼アトリエ。彼女は激しく粘土を叩きつけ、ブタのオブジェを作り上げたかと思えば、「しっくりこなかった」と言ってそれを壊してしまう。そんな創作と破壊の営みを、リサは70年以上も繰り返してきた。「今、どう感じている?」孫のエミリア・エクマン・ラーソンが率直な質問を投げかけると、リサは答える。「いつか天才的な何かを創れると思っていた。でもまだ叶っていない。」90歳を超えても、その創作意欲は衰えることがない。リサのようなアーティストになることを夢見ていたエミリアの視点を通して、リサ・ラーソンの人生と創作への情熱、そして家族との思い出が振り返られていく。
人生と創作活動を支え合ったリサとグンナル
2020年、パートナーであり画家のグンナル・ラーソンがこの世を去る。人生と創作活動を共にし、深い絆で結ばれていたリサとグンナル。その喪失は、リサに計り知れない悲しみをもたらした。
2人が出会ったのは、1950年のヨーテボリ。リサは当時、スロイドフォレーニング学校(現HDKヨーテボリデザイン工芸大学)で陶芸を学び、グンナルはヴァーランド美術学校の学生だった。学校のクリスマスバザーで知り合った2人はたちまち恋に落ち、1952年に結婚する。リサにとってグンナルは、創作を支える最大の理解者だった。彼女は「グンナルは私にすべてを教えてくれた」と語り、幸せだった日々を回想する。
大きな喪失感を抱えたまま、家族はグンナルの納骨のために、スコーネ地方の別荘に集まる。かつて一家は夏になると、この別荘で過ごした。グンナルが設計したリサのアトリエは、休暇中も創作に没頭するための大切な場所だった。
グンナルの骨壺はリサが創り、煙突の灰で色付けされた。さらに息子のマティアス・ラーソンは、蜂の巣を使って蓋を制作する。創作というラーソン一家らしい方法で、グンナルとの別れに
向き合っていく。またリサは「やり残したことがある」と、グンナルと暮らしていた高齢者施設を出て、再びストックホルムの自宅へと戻ることを決める。
人々に愛される陶芸家への道のり
グンナルの死をきっかけに、リサはカメラの前で自らの人生を語り始める。スモーランド地方の小さな村で育った彼女は、幼い頃から手を動かしてものを作ることが好きだった。芸術に関心のあった父親から合板と油絵の具を与えられると、絵を描くことに夢中になる。その作品を見たスロイドフォレーニング学校の教師に進学を勧められ、芸術の道へと進んだ。卒業後、コンペに出品した作品が、当時審査員を務めていた、スウェーデン最大の陶磁器メーカーであるグスタフスベリ社のアートディレクター、スティグ・リンドベリの目に留まる。これを機に、グスタフスベリ社で働き始めることになる。
1958年には、グンナルの助言を受けて制作した、ふくよかで丸みを帯びた女性像のブックエンドが大ヒット。「ABC少女」として知られるこの作品は、発表当時こそ賛否を呼んだものの、不況に苦しんでいたグスタフスベリを救い、リサの代表作の一つとなった。60年代初頭には、娘ヨハンナの姿から着想を得て、「子ども」シリーズを制作。グスタフスベリ時代の同僚だったフランコ・ニコロシは、70年代の代表作「アドベント」シリーズの誕生秘話を語る。聖ルチア祭をモチーフにしたこの作品は、当初社内で反対の声もあったが、40年以上にわたるベストセラーとなり、今もなお世界中の人々に親しまれている。
2022年には、長年にわたる優れた功績が認められ、スウェーデン政府から勲章を授与される。リサは、キャリア初期には批評家から十分な評価を得られず、女性への待遇も低かったと振り返る。それでも、自分の作品は人々に愛されてきたのだと思うことで歩み続けてきたと語る。
家族への深い愛情とエミリアとの対話、そして最期のとき
人生を振り返るリサの言葉は、やがて家族との思い出へと向かう。2歳で母親を亡くし、孤独を抱えて過ごした幼少期の記憶。そして自身が母親になってからも仕事に追われ、家族との時間を犠牲にしてしまったことへの後悔。それでも子どもたちが芸術の道に進んでくれたことに、幸せを感じていること。芸術一家のなかで、自分だけが芸術家になれないのではないかと不安を抱えていたエミリアは、リサに尋ねる。「家族や友達との時間を大切にしながら、創作を続けることはできるのか」。リサは子どもたちとの思い出を振り返りながら、家族への愛情を率直に語る。そしてエミリアが幼い頃からその才能を信じていた彼女は、映画監督であっても創作の原点に立ち返り、粘土に触れることを勧める。
病床にあっても、リサは繰り返す。「仕事が一番」「自分の才能には満足していない。でも、それでいい」。家族を愛しながらも、創作への情熱を持ち続けたリサ。その生き方は、最期のときまで揺らぐことはなかった。
リサ・ラーソン Lisa Larson(1931–2024)

1931年9月9日、スウェーデン南部のスモーランド地方、エルムフルト生まれ。スロイドフォレーニング学校(現HDKヨーテボリデザイン工芸大学)卒業後、ヘルシンキのデザインコンペティションに出品した花器が、スウェーデンを代表するデザインの巨匠であるスティグ・リンドベリの目に留まり、1954年に名窯グスタフスベリ社に入社。以後25年以上にわたり、リンドベリやカリン・ビョルクイストらとともに、同社を代表するデザイナーとして活躍。また、スヴェン・ヴァイスフェルトやベルント・フリーベリら、20世紀のスウェーデン陶芸界を代表する作家たちと同時期にグスタフスベリに在籍し、その黄金期を支えた。1980年に退社するまでの26年の間で、「小さな動物園」シリーズや「ABC少女」シリーズ、ストックホルムにある世界初の野外博物館内の動物園にいる動物たちをモチーフにした「スカンセン」シリーズなど、320種類もの作品を生み出した。49歳でフリーランスの陶芸家として新たな道を歩み始め、ストックホルム近郊のナッカに構えたアトリエを拠点に活動。数々のスウェーデン企業との協働を通じて、インテリア雑貨のデザインを手がけたほか、デンマーク、ドイツ、日本など各国企業とのコラボレーションも積極的に行い、活躍の場を広げていった。1992年には、グスタフスベリ社の美術品部門責任者であったフランコ・ニコロシに声を掛けられ、元アシスタントのシヴ・ソリンとともに「ケラミックステュディオン・グスタフスベリ」を設立。同工房を拠点に、精力的に創作活動を続けた。日本では1981年に西武百貨店で初の個展を開催。2000年代以降は日本で空前の人気を獲得し、2014年には松屋銀座で大規模個展「北欧の豊かな時間 リサ・ラーソン展」が開催されるなど、日本との深い関わりでも知られる。2022年、スウェーデンの芸術とデザインへの多大な貢献が認められ、政府よりイリス・クォーラム(Illis quorum)勲章を授与された。2024年3月11日、ストックホルム近郊にて逝去。享年92。
エミリア・エクマン・ラーソン監督コメント

私と祖母は、お互いを必要としていた。祖母は自分の人生を整理するために私を必要としていて、私は、不安定で未知の大人の世界へ踏み出す勇気を得るために、祖母を必要としていた。キャリアの始まりと終わりにいる二人の女性。しかし私たちは、同じような不安や、人生の意味をめぐる問いを抱えていた。家族はみなアーティストで、それ以外の道が示されることもなかったので、私は当然のように、自分も創作の道に進むものだと思っていた。しかし祖母が仕事ばかりで、子どもたちとの時間を後回しにしてしまったことを後悔していると知った時、そして成功を収めたにもかかわらず、彼女が決して満たされているようには見えないことを思うと考えてしまう。本当にその価値があるのだろうか?満たされることがないのに、なぜ創作し続けるのだろう?私にはそれが、ストレスとプレッシャーに満ちた人生のように思えた。
けれど、祖母を撮影し、彼女を知っていくうちに、私は理解し始めた。創作とは、成功や満足のためではないのだと。それはただ、自分の創作の中へ消えていけること。時間も空間も消え、手が自由に動き、心が安らぐ場所へ入り込めること。祖母が何度も、「あなたも陶芸家になるべきだ」「才能があるのだから本気でやるべきだ」と言っていた意味も、少しずつわかるようになった。そして、その意味を理解していく旅の中で、私は気づいた。私にとって最も自由で、“今ここにいる”と感じられる場所は、祖母の前で、カメラの後ろにいる時なのだと。
エミリア・エクマン・ラーソン監督プロフィール
1994年10月27日生まれ。リサ・ラーソンの孫。スウェーデン第三の都市マルメを拠点として、ドキュメンタリー映画を中心に活動するスウェーデンの監督・撮影監督。10代前半で初めてカメラを手にして以来、身近な人を撮り続けてきた。芸術・工芸を学んだ後、映画制作と文化プロジェクト運営を学び、映像、アート、演劇、ダンスなど横断的に活動。現在進行中の作品群を通して、「言葉にできないこと」「語る勇気を持てないこと」を表現する方法としての芸術創作を探求している。また映画制作と並行して、マルメ文化学校で障害のある子どもたちとともに、アート、演劇、ダンス活動にも携わっている。









監督・撮影:エミリア・エクマン・ラーソン
出演:リサ・ラーソン、グンナル・ラーソン、マティアス・ラーソン、エミリア・エクマン・ラーソン、フランコ・ニコロシ
2025年/スウェーデン/スウェーデン語/94分/カラー/1.85:1/5.1ch
英題:Memories In Clay: A Film About Lisa Larson
字幕:LiLiCo
後援:スウェーデン大使館
協力:株式会社トンカチ
配給:ミモザフィルムズ
© 2025 Kamlert Film AB, Film i Skåne AB, Sveriges Television AB