『沼影市民プール』記録と弔い──「ケアする映画」とは何か。

『沼影市民プール』記録と弔い──「ケアする映画」とは何か。

2026-09-14 16:30:00

太田信吾監督の『沼影市民プール』は、「海のない市にプールを」という市民の願いから生まれ、再開発という名のもとに「死んでいった」プールを主人公にした異色のドキュメンタリーだ。

観る前は、都市開発への反対運動を訴える、いわばプロテスト型の地方政治批判ドキュメンタリーかと思っていた。だが、違った。観終えた後、じわじわと「諸行無常」的な諦念や、感謝の念のようなものが心に広がっていった。とはいえ、物語の内部で劇的な感情の解放が起きるわけではない。プールの廃止という結末に向けて緊張が高まり、それが一気にほどけるような山場も用意されていない。だから、この映画を安易に「ヒーリング映画」とカテゴライズすることもできない。監督によれば、ドキュメンタリー映画の「語り」が、当事者の人々の心のケアになりえるという。「ケアする映画」とはどんなものか。そんな問いを持ちながらこの作品を観た。

夏休みの子どもの居場所、高齢者の健康促進の場、家族のレジャー以外にもこのプールは意味がある場所だった。ゲイの人たちにとって、大切な出会いの場でもあったという事実もある。また、プールの脇で弁当や駄菓子という小さな商売を営むコミュニティも描きだされる。ゲイ・コミュニティにせよ、プールの片隅で細々と商いを続けてきた人々にせよ、行政の統計や再開発計画の書類には決して現れない存在である。沼影プール自体も、行政資料の上では、老朽化した一施設として数えられるにすぎない。こうした、見えない存在に監督はカメラを向ける。

また、ありふれて誰もが見過ごす日常にもカメラは向けられる。笑いながらスライダーが好きだという子。昔から通っていると豪語するおばさん。家族サービスを楽しむパパ…。失われていく場所に集っていた無数の小さな生のかたちが映し出されると、これは沼影プールだけの物語ではないことに誰もが気づく。ヒトが死ぬように、プールも、学校も、町も死ぬ。だれの心にも、いまは亡き思い出の場所がある。キューブラー=ロスの「死の受容の五段階」が構成に使われているのも、この喪失を、だれもが経験しうるものとして描くためだろう。

「語る」ことがケアになりうるのかという問いに、映画そのものは明確な答えを出してはいない。物語内のカタルシスを用意しない代わりに、記録として映画を撮り、それを観るという行為そのものが弔いの営みなのだろう。

Annette Nimura-Dupuis(アネット・ニムラ=ディピュイ)

イントロダクション

取り壊されたのは、みんなの居場所
とあるプールが息を引き取るまでの、49日間の記録

1971年、「海なき市にプールを」という市民の願いから生まれた沼影市民プール。“沼プー”の愛称で親しまれ、52年間で約600万人が訪れたその場所は、子どもたちの遊び場であり、人々の健康を支え、名前のない出会いや関係が生まれる場所でもあった。しかし2022年、さいたま市は屋外プールを解体し、新たに小中一貫校を建設すると発表。プールを必要とする10,000人以上から反対の署名が寄せられるも計画は進み、わずか2年後にプールは惜しまれながら姿を消した。その後、市は3度の入札を実施するもいずれも不調に終わり、2030年4月に予定されていた学校開校の見通しは依然として立っていない(2026年6月現在)。
これは、都市開発の陰で見過ごされてきた、地域住民の喪失へのケアを問う映画である。

ヨーロッパを中心に12以上の国際映画祭で上映され、高い評価を受けた太田信吾監督最新クリエイティブドキュメンタリー。
友人の死を描いた『わたしたちに許された特別な時間の終わり』、大阪・あいりん地区を舞台に、変わりゆく街と若者たちを追った『解放区』。都市の変化と喪失を記録してきた太田信吾監督が、次にカメラを向けたのは、ある市民プールの最後の夏だった。誰かにもう会えないと知ったとき、私たちは立ち止まる。場所の終わりもまた、どこか似たかたちで、心を揺らす。
精神科医エリザベス・キューブラー=ロスが提唱した「死の受容の5段階(否認・怒り・取引・抑うつ・受容)」をモチーフに、ある公共空間の終わりと、そこに集う人々を映し出す。

太田信吾監督コメント

アルゴリズムによって「見たいものだけ」を見るように加速していく現代社会のなかで、わたしたちは異なる他者の記憶や感情に触れる機会を少しずつ失っているのかもしれません。けれども映画には、すでに失われてしまった風景を、もう一度誰かの記憶の中に立ち上がらせる力があると信じています。

沼影市民プールは、もう存在しません。しかしこの映画を通して、みなさまそれぞれの心の中にある「帰る場所」や「失われた風景」が、静かに浮かび上がってくれたなら嬉しく思います。(一部抜粋)

太田信吾監督プロフィール

長野県出身。早稲田大学在学中に哲学・物語論を専攻。友人の自死と向き合い制作した初長編ドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 で公開後、世界12カ国で公開されるなど国内外で反響を呼んだ。『解放区』(2014)では、再開発に揺れる大阪は西成区・釜ヶ崎に漂着する若者をリアリティ溢れる描写で表現した。映画と舞台を横断して活動をしており、演出・出演を手がけたドキュメンタリーとパフォーマンスのハイブリッドな舞台作品『最後の芸者たち リクリエーション版』は2024年11月に欧州最大級の芸術祭フェスティバル・ドートンヌで上演された。近年の主な出演作に舞台作品『未練の幽霊と怪物』(神奈川芸術劇場プロデュース 作・演出:岡田利規)、『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』(さいたま芸術劇場プロデュース 作・演出:岡田利規) のほか、ドラマ『夢を与える』(WOWOW)、『東京怪奇酒』(テレビ東京)などがある。






アップリンク京都 ほか全国劇場にて公開

公式サイト

2025年/日本/84分/DCP/カラー/16:9/ステレオ

監督・撮影・編集・録音・プロデューサー:太田信吾
音楽:内橋和久
助監督:芳賀直之
追加撮影:与那覇政之、上ノ園芳樹 
録音:飯塚了
カラーグレーディング:星子駿光
デザイン:NORA DESIGN
ウェブデザイン:古谷里美
プロデューサー・海外展開:竹中香子
アソシエイトプロデューサー:高根順次
アシスタントプロデューサー:マキシム・ロレ
共同プロデューサー:みやたにたかし
企画協力:サトシ・フクモト
バブリシティ:プレイタイム
エンディングテーマ曲:SuiseiNoboAz「それから」
企画・制作:ハイドロプラスト
配給:NAKACHIKA
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