『リンカ リンカ〜あの夏の先』言葉になる前の記憶を追いかけて―。

『リンカ リンカ〜あの夏の先』言葉になる前の記憶を追いかけて―。

2026-09-10 08:00:00

「ヒュッゲ」。その面白い響きの言葉をはじめて知ったのは中学生のとき、交換留学の準備で、ホームステイ先のデンマークについて授業を受けていたときだった。

ヒュッゲとは、冬は寒く長く、日照時間が7時間ほどしかないデンマークで、家族や友人たちが家に集い、特別なことをするわけでもなく、温かなものを囲みながらゆっくりと時間を過ごすこと、またはその時間そのもののことを指す。

幼稚園児のときには、外国語がわからないのは聞こえないからだと本気で思っていて、小学校の算数の授業で「数字は世界共通です」と言われて口をあんぐり開けていたわたしは、中学生になっても外国語についてまだほとんど何も知らず、ヒュッゲを日本語に翻訳することはできない、と知ったときも驚いていた。けれどその驚きは、言葉の中に見えた言語以上のひろがりに気が遠くなるような、それと同時に秘密基地みたいな小さな場所を見つけてうれしいような、ひとつの出会いのようなものだった。

その後わたしは少しずつながらも、地形が変われば言葉も形を変えていくことや、日本語には外国語に比べてオノマトペの種類が圧倒的に多いこと、うまく言葉にできない感情に遭遇する場面が人生には多々あるということなんかを学んでいった。

本作『リンカ リンカ~あの夏の先』の「リンカ」とは、デンマーク語のヒュッゲのように容易に日本語へ置き換えることのできない、チベットの人々の暮らしのなかにある、夏の時間やその過ごし方にまつわる言葉だという。チベット出身のカンドゥン監督が描くのは、そんな「リンカ」の記憶を中心としたサムキという少女/女性の物語だ。

原題は『一个夜晚与三个夏天』。一つの夜と三つの夏。このタイトルも可愛らしい。ラサで過ごした幼少期が一つ目の夏、上海に進学した中学生の頃が二つ目の夏、映画監督としてラサに帰った三つ目の夏…。

サムキは、自分の過去を映画にしようとしている。けれど、あの頃のことは、どうやら自分の記憶だけではうまくつながれていかない。自分が覚えていること、忘れてしまったこと、知らなかったこと。それは記憶なのか、それとも物語なのか、断定されないままに映画は進んでいく。

そして一つの夜、リンカとは対照的な夜のパーティーで、三つの夏それぞれのリンカの記憶の思いもよらなかったつながりをサムキは知ることになる。

「記憶の不確かさや、映画における虚構と現実の関係そのものに強い関心がありました。それは故郷についての考え方も同じで、私にとって故郷というものは実在するものではなく、私たちの記憶の中にだけ存在しているものと考えているのです」。

眼鏡をかけているサムキ。揺れる柳の木のあいだから差し込む夏の日差しに目を細めるときのように、目の悪い彼女がいつも見ていたのはきっと、おぼろげなまばゆい光。そんな光のなかに、記憶や故郷は包まれ、浮かんでいるのだろうか。

(小川のえ)

イントロダクション

本作は、アジアの若手監督の登竜門ともいわれる香港国際映画祭ヤング・シネマ・コンペティションで「最優秀作品賞」と「国際批評家連盟賞」をダブル受賞、そのほか数々の映画祭にも選出され高く評価された。

日本で初めて公開されるチベット女性監督による作品であり、チベットの都市ラサに生きる若者たちの姿をリアルに描いた映画でもある。

監督は1995年生まれのカンドゥン。アッバス・キアロスタミ監督に影響を受けたという彼女は、大胆な構成とシンプルな語り口で、これまで映画で描かれることの少なかったチベットの都市ラサの若者たちの姿をリアルに映し出している。

ストーリー

映画監督を志すサムキ。

いまは離れてしまった幼友だち・ラモとの記憶を映画にしようと、故郷チベットのラサに戻ってくる。

子供のころの近視のメガネ。みんなで楽しむリンカ。父のカメラ。母の留守。三つ編み。キラキラ光る刺繍のおサイフ。そして中国内地への進学と文通友だち。

撮影が進むなか、突然、大人になったラモと再会するが、サムキは彼女の記憶が自分の記憶と違うことに気づく......。

カンドゥン監督インタビュー

――あなた個人の「リンカ」の思い出を教えていただけますか?

「リンカ」という言葉は、中国語でも国際的な文脈でも、だいたい「ピクニック」に近い意味で使われます。

リンカはもともとラサの言葉で、「ピクニック」と共通する部分もありますが、ラサのあるウー・ツァン地方のリンカには、少し違う特徴があります。

私の記憶では、子どもの頃からリンカへ行くたびに、大人たちは伝統的な音楽「ナンマ・トゥーシェー」を歌っていました。旋律がとてもゆるやかで、どこか物憂く、切なさを帯びながらも美しい曲です。チベットで大勢集まる時の音楽は、みんなで輪になって楽しく踊る曲が多いのですが、それとは違った魅力を持つ美しい曲だと思います。歌詞にも、「夏はなんて短いのだろう」といった内容が出てきます。表現はとても繊細で、余白を残すような詩情があり、思いをあからさまには語りません。

昔はリンカといえば夏だけのものでした。チベットの夏はとても短いですから。でも今は、若者文化や、中国内陸部で広まったアウトドア文化の影響もあって、少し様子が変わってきました。暖かくなると、多くの若者が自分たちでテントを持って出かけ、リンカを楽しむようになっていますね。

(パンフレットより一部分を抜粋)

カンドゥン監督プロフィール

1995 年、チベットのラサ生まれ。脚本家、監督。北京で映画を学ぶ。ラサの若者世代やサブカルチャーコミュニティを繊細なタッチで描く作風で知られる。短編映画“Orlo with Karma”は 2025 年⻄寧 FIRST⻘年映画祭、バンクーバー国際映画祭に入選。本作が⻑編デビュー作である。現在はラサ在住。*東京国際映画祭での本作上映時には監督名は「カンドゥルン」と表記されたが、実際のチベット語発音の 「カンドゥン」を採用。

 

アップリンク吉祥寺 ほか全国劇場にて公開

公式サイト

監督/脚本:カンドゥン|エグゼクティブ・プロデューサー:ルー・シュー、ノルブツェリン|プロデューサー:ジャン・チェンチェン、リャン・イン|出演:ツェリンヤン、 ツェキメトほか

原題: 一个夜晚与三个夏天|英語題:Linka Linka|2025|中国映画|カラー|100 分| 1:1.85|チベット語、中国語、英語|日本語字幕:両角和歌奈|字幕監修:星泉|一般G: 映倫番号 61233|配給:ムヴィオラ

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