『神々の山嶺(いただき)』夢枕獏×谷口ジローによる山岳コミックの傑作をフランスがアニメ化した本格冒険ミステリー
谷口ジローのリアルに迫るバンド・デシネ的作風とフランスのアニメ熱。確かに力作に違いない。でもまぁ、とはいえアニメだから……と敬遠する人もいるだろう。
ところが。
数分でアニメであることを忘れさせる、ものすごい吸引力。
そして実写を凌ぐ壮大なスケール感。
「登山家マロリーはエベレスト初登頂に成功したのか?」という登山史上最大の謎に迫りながら、孤高のクライマー・羽生と、彼を追うカメラマン・深町が冬にエベレスト南西壁無酸素単独登頂に挑む姿を描いた物語。限界までリアルを追求した登攀シーン、そして何より、絶景の山々の美しさが深く脳裏に刻まれる。
フランスでは300を超える劇場で上映され13万人超動員の大ヒットを記録。全世界ではNetflixが配信権を獲得するも、日本では、堀内賢雄(深町誠役)、大塚明夫(羽生丈二役)ら豪華声優による日本語吹替版での凱旋上映が実現した。このアニメ版では、原作である谷口ジローの漫画とも夢枕獏の小説の単行本、文庫本のいずれとも異なるオリジナルの結末、解釈が用意されたという。
『とてもいじわるなキツネと仲間たち』でセザール賞長編アニメ映画賞を受賞し、アニー賞長編インディペンデント作品賞にノミネートされたパトリック・インバートが監督を務め、米アカデミー賞長編アニメ賞ノミネート作『ウルフウォーカー』の製作チームによるパリのアニメ・スタジオ“フォスト”が参画。緻密な表現をとことん極めた。
7年の歳月をかけて完成し、日本文化や日本人への深いリスペクトも感じられる本作。誰よりも実現を待ち望んでいた谷口ジローはもういない。が、制作者たちは彼の想いを見事に引継ぎ、日本漫画の世界観とフランス漫画(バンド・デシネ)の美意識を見事に融合させた。リアルで哲学的、ノスタルジックで斬新な“アニメの新しい後味”を与えてくれる映画だ。
ストーリー
「登山家マロリーがエベレスト初登頂を成し遂げたかもしれない」といういまだ未解決の謎。
その謎が解明されれば歴史が変わることになる。
カメラマンの深町誠はネパールで、何年も前に消息を絶った孤高のクライマー・羽生丈二が、マロリーの遺品と思われるカメラを手に去っていく姿を目撃。
深町は、羽生を見つけ出しマロリーの謎を突き止めようと、羽生の人生の軌跡を追い始める。
やがて二人の運命は交差し、不可能とされる冬季エベレスト南西壁無酸素単独登頂に挑むこととなる。
プロダクションノート
山に魅了された者として、
壮大な冒険映画を作りたかった。
山を舞台にした初のアニメーション作品を。
— ジャン=シャルル・オストレロ (プロデューサー)
伝説の漫画 「神々の山嶺」
夢枕獏が 1994 年から 1997 年にかけて雑誌に連載した小説「エヴェレスト 神々の山嶺」は、登山をテーマに2つの運命を描いた物語だ。過去の悲劇を背負って生きるクライマーの羽生丈二、カメラマンの深町誠はエベレストの頂上を目指す。高い標高の地で繰り広げられるこの冒険物語は、海外では翻訳されていないものの、日本で多くの読者を惹きつけた。なかでも漫画家の谷口ジローは、2000 年から 2003 年にかけてこの小説を漫画化。全5 巻のコミックを集英社から発行した。フランスでは出版社のカナが翻訳版を出版し、多くの読者を獲得して累計 38 万部を売り上げた。さらに 2005 年には、アングレーム国際漫画祭において谷口ジローがこの作品で最優秀デッサン賞を受賞。そしてその 7 年後、ジュリアン・フィルムのプロデューサー、ジャン=シャルル・オストレロが物語のザイルを繋いだ。
「全5 巻を読み終えたとき、すぐにでも映画化したいという思いに駆られました。でも、これほど壮大な物語からどんな映画を作ればいいのか?その考えはすぐにはまとまらず、まずは頭の中でアイデアを熟成させました。それから作品の権利を扱う東京のフランス著作権事務所のコリーヌ・カンタンに連絡して、谷口ジローさんに映画化の話をしてもらったんです。彼は、全身全霊を込めて描き上げた作品だからアニメーションで映画化されるのはとても嬉しい、と喜んでくれました。その反応が作品をスタートさせる大きな原動力となりました」
山に適応するということ
その後、映画プロデューサーのディディエ・ブリュネールと『とてもいじわるなキツネと仲間たち』(17)、『パチャママ』(18)を手掛けたダミアン・ブリュネール、メリュジーヌ・プロダクションで『カブールのツバメ』(19)、『ウルフウォーカー』(20)を手掛けたステファン・ローランツが製作に加わった。1500 ページに及ぶコミックには人間の強い野心が描かれている。このテーマを見失わずにどのような 90 分の長編アニメーションを作ればいいのか?まずはそのシナリオ作りが始まった。
「漫画の原作は、たくさんの足跡を残してくれました。そのおかげで、手が届かなそうなものを征服したいと願う人間の姿を詳細に知ることができました。羽生と深町という 2 人の人物の理性と感情の境目はどこにあるのか?私たちはそのことを問い続けました」(ディディエ・ブリュネール)
「誰もが谷口ジローの作品に敬意を抱いていて、彼をがっかりさせたくない、という強い思いがありました」(ステファン・ローランツ)
1コマに広がる目のくらむ景色
漫画版「神々の山嶺」には、高山の環境が忠実に再現されている。小さなコマの中に目がくらむようなエベレストの絶景を表現した谷口ジローの画力は高い評価を受けている。谷口が視覚以外の感覚に訴えようとしていたことは明らかだ。時が止まったように感じることもあれば、読者の脳の中で壮大なパノラマが映し出されることもある。読者はその雄大さに圧倒され、めまいすら覚えるのだ。
今回のアニメ化において、漫画の原作は大きな指針となっている。しかし監督はそこから距離を置く必要があった。「もちろん漫画は大量の情報を与えてくれますが、それがそのまま絵コンテになるわけではありません。制作チームはエベレストについて膨大な調査を行いました。さらに、できるだけ正確な描写をするために、クライマーたちにも協力してもらいました」。
制作チームはフランス山岳会のシャルリ・ヴァン・デル・エルスト、エべレスト登頂に成功したヴァンサン・ヴァシェットの協力を仰ぎ、寒さの感覚、テントの中で寝たときの風の轟音、ロープの結び方、息切れなど「何がリアルで、何がリアルではないか」を見極めるための貴重な生の情報を集めた。たとえ 1 本の映画とはいえ、世界の屋根とも呼ばれる山に挑戦するのは並大抵のことではない。そこで命を落とした有名な登山家たちが亡霊となって見ているのだから。
ジョージ・マロリーの謎
山を愛する人であれば、どんなルートも先人たちの挑戦の上に成り立っていることを知っている。その道を切り拓いたのがジョージ・マロリーだ。1924 年、当時 37 歳のイギリス人登山家マロリーはアンドリュー・アーヴィンとエべレスト登頂に挑み、帰らぬ人となる。遺体が発見されたのは頂上目前の標高 8390m地点。彼らが登頂を果たしたか否かを証明するカメラは発見されなかった。それ以降、クライマーたちは、この謎を解くカメラを見つけることを期待しながらエべレストに挑んだ。そして今回のアニメでは、何が彼らを精神的高みへと向かわせるのかを描こうと試みた。
「山に登りながら自らに問いかける羽生と深町の心理を観客にも理解してもらわなければなりません。登山はある意味、芸術的アプローチにも似ています。『なぜ描くのか?』と訊かれたら、私には『描くことが好きだから』という以外に答えようがありません。この物語の主人公たちと同じように、私たちも何かを創造しながら常に孤独を感じているんです」
羽生と深町は心に謎を抱えながらエべレストに向かう。山に登ることで、その答えは見つかるのだろうか? エべレスト登頂は単なるスポーツ的偉業ではない。痛みを感じながら己の人間性を探求する営みなのだ。
ヒマラヤと日本の往復
物語は羽生と深町の過去と現在を行き来しながら、雪のエベレストと東京の繁華街の日常をも行き来する。手つかずの自然と都会の景色の中で支配された自然。リアルな東京を描くため、日本人の友人であり、コンサルタントでもあるミズホ・サトウ=ザノヴェロにアドバイスを求め、看板の文字などを確認してもらった。さらに、監督のこだわりはどのように日本人を描くかにも及んだ。
「日本人を描くなら、それらしい動きをさせなければなりません。文化を捻じ曲げたり勝手に解釈したりしたくなかったので、設定を欧米人に変えることも頭をよぎったぐらいぐらいです。日本とフランスではあまりに多くのことが違います。死生観、上下関係、習慣…。しぐさも日本人と欧米人とでは異なります。いろいろと悩んだ挙句、日本人を描きつつ、動きはどちらかというと欧米人に合わせることに落ち着きました」
動く漫画
グラフィック面では、監督は 2D で使えるあらゆる可能性を追求した。谷口の描く山はまるで写真のようにリアルだ。ディテールが描き込まれていることもあれば、大胆な空白もあり、スケール感も自在に操られている。
「谷口はとても構図がうまい漫画家です。でも私は別の構図を編み出すことにしました。3Dのような奥行きは出せないので、逆光や構図のバリエーションなどあらゆるテクニックを使ってスクリーンに没入できるように試行錯誤を重ねました。これがうまくいかないなら、今度は別の方法で、といった具合に本当にたくさんのアイデアを試しました」(パトリック・インバ ート)
スタッフたちはクライマーの姿を追ったドキュメンタリー『ドーン・ウォール』(17)を参考にしたという。さらには今敏、宮崎駿、葛飾北斎、高畑勲、小津安二郎など日本のアーティストからも大きな影響を受けている。これらの作家たちの作品には、考え抜かれたパノラマが広がっている。
ザイルで結ばれたスタジオの数々
製作はジュリアン・フィルム、フォリヴァリ、メリュジーヌ・プロダクションの 3 社で行い、制作はパリのフォスト、ルクセンブルクのスタジオ 352、ヴァランスのさまざまなアニメ会社が並ぶ「ラ・カルトゥシュリ」にオフィスを構えるレ・ザストロノートの 3 つのスタジオで行われた。そしてコロナによる外出制限が始まった。
「スタッフ全員がパソコンを持って家に帰ることになりました。それぞれが同じタッチで描いていても、コミュニケーションは常にとり続ける必要がありました」(ジャン=シャルル・オストレロ)
「誰もがクライマーのように孤独と向き合い、なんとかこの状況を克服したいと闘っていました。パトリックは、道具を背負ったクライマーの重そうな動きからタバコの消し方まで、いろんな動きをオンラインで説明しなければなりませんでした」(ダミアン・ブリュネール)
「この映画の大部分がテレワークによって生まれています。大変な状況でしたが、おかげで羽生と深町のエべレスト登頂の世界に逃避することができました」(ステファン・ローランツ)
作品が“頂上”に到達したとき、パトリックはようやく自分たちが成し遂げた仕事に思いをはせることができた。「この作品がエべレストのような登るべき山だったのかはわかりません。でも完成することができて本当に満足しています。私は“描くことが好き”ですから」
パトリック・インバート監督インタビュー
監督・共同脚本
パトリック・インバート
Patrick Imbert
映画監督、アニメーター。
数多くのテレビシリーズに携わり、映画『アヴリルと奇妙な世界』、『アーネストとセレスティ ーヌ』ではアニメーション監修を担当した。2018 年には、『とてもいじわるなキツネと仲間たち』をバンジャマン・レネールと共同監督し、セザール賞にて長編アニメーション賞を受賞した。
原作者
夢枕獏
作家。1951 年、神奈川県出身。
1977 年に作家デビュー。 以後、「キマイラ」「サイコダイバー」「闇狩り師」「餓狼伝」「大帝の剣」「陰陽師」などのシリーズ作品を発表。 1989 年「上弦の月を喰べる獅子」で日本 SF 大賞、1998 年「神々の山嶺」で柴田錬三郎賞を受賞。2011 年「大江戸釣客伝」で泉鏡花文学賞と舟橋聖一文学賞を受賞。同作で 2012 年に吉川英治文学賞を受賞。2017 年菊池寛賞受賞、2018 年紫綬褒章受章。
谷口ジロー
漫画家。1947 年、鳥取県出身。
1975 年「遠い声」でビッグコミック賞佳作を受賞。以降、1992 年「犬を飼う」で小学館漫画賞審査委員特別賞、1993 年「『坊っちゃん』の時代」で日本漫画家協会賞優秀賞、1999 年「遥かな町へ」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2001 年「父の暦」でアングレーム国際漫画フェスティバル審査員賞、同年「神々の山嶺」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞など数々の賞を受賞。 2011 年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章し、ルーヴル美術館やルイ・ヴィトン等との企画を手がけた。「孤独のグルメ」の中国での戯曲化や、フランスでの「遥かな町へ」の映画化、「晴れゆく空」のテレビドラマ化など、海外でも人気を誇る。
『神々の山嶺』予告編
公式サイト
7月8日(金) 新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺、ほか全国ロードショー
監督: パトリック・インバート
原作:「神々の山嶺」作・夢枕獏 画・谷口ジロー(集英社刊)
日本語吹き替えキャスト:堀内賢雄 大塚明夫 逢坂良太 今井麻美
2021年/94分/フランス、ルクセンブルク/仏語/1.85ビスタ/5.1ch/原題:LE SOMMET DES DIEUX /吹替翻訳:光瀬憲子
配給:ロングライド、東京テアトル
© Le Sommet des Dieux - 2021 / Julianne Films / Folivari / Mélusine Productions / France 3 Cinéma / Aura Cinéma