『A Missing Part また君に会えるまで』単独親権の日本、共同親権のフランス ──愛と法の齟齬。
本作はベルギー出身の監督ギヨーム・セネズが2024年に発表したドラマ作品だ。監督と主演のロマン・デュリスが前作『パパは奮闘中!(Nos Batailles)』の宣伝のために来日した際、日本では離婚後の共同親権や面会権という概念が法的に認められていないという現実を知ったことから着想されたという。実際、日本では年間15万人の子どもが一方の親と離別している。親権が母親側に渡り、父親が子どもに会えなくなるパターンがその86パーセントだという。一方、フランスでは、その約2.5倍にあたる毎年約38万人の未成年の子どもが両親の別居を経験している(2010年のDREESデータによる)。しかし、共同親権・面会権が法的に保障されているため、日本のように一方の親と完全に断絶するケースは制度上は想定されていない。私の友人たちにも両親が別々に暮らしている子は多いが、皆、両親の家を行き来しながら過ごしており、「片親」というレッテルはさほど重く響かない。
物語は、主人公ジェローム、通称「ジェイ」(ロマン・デュリス)が、東京でタクシー運転手として街を流しながら娘リリーの姿を探し続けるところから始まる。娘への接近を禁じられていたジェイは、リリーには「父はもう日本にはいない」と伝えられていた。帰国を決意していたある日、自分の乗務するタクシーに少女が乗り込む。それが3歳のときに別れて以来、9年ぶりに再会した娘だった。しかし、当然ながらリリーの方は父をまったく覚えていない。この邂逅から、ジェイは娘との「共有された記憶」を取り戻そうと無謀な賭けに出る。本作の山場は、ここに置かれている。父娘の物理的な再会そのものよりも、9年という失われた時間をたった一日で取り戻そうとする賭けに挑む二人の姿がまぶしかった。リリー役を演じる新人メイ・シルネ=マスキの眼差しが、冷静にふるまっていた父親の感情を少しずつ解放していく過程は見応えがあった。だが、養育費を払い続けても面会する権利すら持てないジェイは、外国人という立場も加わり、孤立を深めていく。ここに日本社会の閉鎖性が浮き彫りにされる。しかし、最後のシーンではジェイの顔に笑みが浮かび、邦題通り「また君に会えるまで」生きていく希望の光が確かに見えた。
一点だけ気になったのは、ストーリーがジェイの視点のみで展開し、リリーの母親の事情がまったく示されていなかったということだ。夫婦の仲違いはどちらか一方だけの責任に帰せられるものではないはずだ。母親には彼女なりの事情があったはず。単独親権問題への社会的関心を呼び起こす力を持つだけに、一方の視点に偏らない描写が必要だったのではないか。願わくは、この映画を夫婦間の争いに政治利用する親が現れないことを。
Annette Nimura-Dupuis(アネット・ニムラ=ディピュイ)
イントロダクション
本作は、「親子の絆」という普遍的なモチーフを起点に、日本とフランス、それぞれの社会制度の違いを背景として変容していく現代の〈家族〉のかたちを描き出す。
2026年に予定される共同親権制度の施行とも呼応し、制度と感情、社会と私生活のあいだで揺れる人間の姿を静かにすくい取る作品である。
家族とは何か、誰とどのように生きるのか?観客一人ひとりに問いを投げかける、制度の転換期に生きる家族の物語である。
ギヨーム・セネズ監督は、『パパは奮闘中!』でフランス国内に大きな反響を呼び、家族をめぐる物語を社会的視点と繊細な感情描写の両面から描ける作家として評価を確立。
本作でも、変わりゆく社会の中で家族と向き合おうとする人々の葛藤を、過剰な演出に頼ることなく、静かなまなざしで描いている。
ストーリー
東京でシェフとして働くフランス人のジェイ(ロマン・デュリス)は、日本人女性と結婚するも離婚。
共同親権をめぐる制度の違いにより、最愛の娘リリーと引き離される。
望みを捨てきれないままタクシー運転手に転身した彼は、孤独に街を彷徨いながら、いつも娘の面影を追い続けている。
やがて帰国を決意した矢先、思いがけない再会が訪れる。成長した少女が、偶然ジェイのタクシーに乗り込んでくるのだ。
しかし、リリーは目の前の男性が実の父親だとは気づかない。ジェイもまた名乗ることができないまま、束の間の時間を共にする。
それは偶然か、あるいは運命か。再び父として娘と向き合うことができるのか。
名乗れない父と、父を知らない娘。交差した時間が、止まっていた父の人生を再び動かしはじめる。
監督コメント

© Guillaume Perret
私は、現状を変えるために映画を作っているわけではありません。
まず第一にあるのは、感情を伝えることです。観客が映画館で物語に心を動かされる、そこがすべての出発点だと思っています 。
本作は、日本に住むフランス人男性から『離婚後に子どもと引き離された』という話を聞いたことから始まりました 。
それをきっかけに、日本人や米国人、フランス人など、様々な境遇にある50人以上の父親・母親たちに取材を行いました 。
そこで耳にしたのは、やはり深い痛みと傷の数々でした 。
日本では共同親権をめぐる法改正の動き(※2026年4月導入)などがありますが、私の目的は制度の是非を議論することではありません 。
『なぜ法律が、子どもたちが両親それぞれに会うことを妨げるのか』という問いは抱きつつも 、離婚や親権のなかで『子どもが中心に置かれにくい状況』は日本に限らず欧米にも共通する課題です 。
私が描きたかったのは、引き離されたという事実そのものよりも、その後に残された傷とともに、人間がどう生きていくのかという時間なのです 。」






アップリンク京都 ほか全国劇場にて公開
2024年∕フランス・ベルギー共同製作∕日本語字幕 岡崎はな∕本編98分∕5.1ch∕配給 MAM FILM
監督・脚本 ギョーム・セネズ∕脚本 ジャン・ドゥニゾ∕撮影 エリン・キルシュフィンク∕音楽 オリヴィエ・マルグリ
主演 :ロマン・デュリス ジュディット・シュムラ、Cirne 増喜明、津由、成田結美、阿部進之介、矢柴俊博、あがた森魚、内田春菊
プロダクション Les Films Pelléas (フランス) Versus Production (ベルギー)∕制作プロダクション・配給 MAM FILM
原題 UNE PART MANQUANTE
2024年∕フランス・ベルギー共同製作∕日本語字幕 岡崎はな∕本編98分∕5.1ch∕配給 MAM FILM
©LesFilmsPelleas_VersusProduction