『センチメンタル・バリュー』過去も愛も、手放すように、受け渡されていく。

『センチメンタル・バリュー』過去も愛も、手放すように、受け渡されていく。

2026-02-18 08:00:00

センチメンタル・バリュー。情緒的価値、感情的な価値、愛着、思い出。他人にはとるに足らないものであっても、当事者にとっては特別な意味をもつもののこと。

映画は、主人公のノーラが6年生のときに書いた”家”にまつわる作文から始まる。

「家が騒音より嫌ったのは静寂だった/父が去って家は軽くなり両親の騒音も消えた/家は父の物音が恋しかった」。

オスローで舞台俳優をしている姉ノーラと、結婚し一人の息子を育てる妹アグネス。そして、離婚をして家を出て行った映画監督の父グスタヴ。かつて一つ屋根の下で暮らしていた三人はいま、べつべつの場所で、それぞれの人生を生きている。

母の死をきっかけにして、彼らは一家が代々住んできた家で、久しぶりに顔を合わせる。

和解にも再出発にもならない再会。

しかし”家”は、その出来事さえも蓄えながら、静かに彼らを見守りつづける。

「この物語には、“受け継がれる悲しみ”という感覚が根底に流れていて、私たちは“家”という空間を、時間、感情、そして許しの継承を探るための枠組みとして使いました」と、ヨアキム・トリアー監督は話す。

受け渡されたもの、受け渡してしまったもの。“家”という場所は、そういった何かが生まれては消え、また生まれては消え、けれどそれらは完全に消えることはなく、壁に床に、しみ込んでいる。

祖母の家、母親の実家を思い出す。劇中に何度も挟まれる回想シーンのように、幼い頃、祖母の家に泊まりに行くたび、その家のべつの様子をわたしは思い浮かべていた。

小さい子どもでも女子高生でもあった母親の姿、かつては威勢のいい母親であり、お洒落な紳士の妻であった祖母の様子が、家のどこかに残っている気がした。そして、自分のよく知らない天井の壁紙や玄関の門は、祖父、祖母、母にとってはべつなものとして見えているだろうなぁという感覚をおぼえた。

祖母の家が建て壊されるとき、窓や壁などひとつひとつの素材を少しずつ残して、ミニチュアの家を作れたらと思った。そして、60年も暮らした我が家を失う祖母の気持ちとはどんなものなのか、想像することすら怖かった。

自分の実家もまた、兄が去り、わたしも去って、これからどうなってゆくのかわからない。祖父が亡くなったあと、高齢の祖母を迎え入れ、いまは両親と祖母の三人が暮らしている。母と父がわたしたち家族のために建てた家に、わたしがまた暮らすことは、たぶんない。

祖母の家のように、実家もいつか、いまの姿が跡形もなくなってしまうのだろうか。受け継いでほしいと、きっと両親は思っている。その思いを受け取れないことのやりきれなさ。

そこには、価値(バリュー)と呼ぶにはあまりに曖昧な感情や、絆という美しい響きの言葉ではおさまらない家族のつながりが、守護神のように、魔物のように、息づいている。

カンヌ映画祭での上映後、拍手の鳴り止まなかったという19分間は、観客がそれぞれ、自分自身の家を追憶する時間だったのかもしれない。そんな時間を与えるものを、センチメンタル・バリューと呼ぶのだろう。

(小川のえ)

イントロダクション

2025年、第78回カンヌ国際映画祭で本映画祭最長19分間に及ぶ圧巻のスタンディングオベーションで会場を沸かせ、最大の熱狂を巻き起こし、堂々のグランプリ受賞。本年度アカデミー賞フロントランナーとの呼び声も高い話題作がついに公開される。

本作を手がけたのは、第94回アカデミー賞で脚本賞・国際長編映画賞の2部門にノミネートされ、日本でも大ヒットを記録した『わたしは最悪。』のヨアキム・トリアー。

同作で恋愛と人生の選択を、リアルに、共感たっぷりに描いた監督が次なるテーマに選んだのは――愛憎入り混じる「親子」という名のしがらみ。

主演には再びレナーテ・レインスヴェを迎え、映画監督の父親役には名優ステラン・スカルスガルド。さらに、本作の演技で脚光を浴びるインガ・イブスドッテル・リッレオースに加え、ハリウッドからエル・ファニングも参加。複雑かつ緊張感に満ちた人間模様を浮かび上がらせる。

あまりに不器用な親子に共感し、たどり着く結末に世界が唸った家族ドラマの到達点。きっとあなたの“代えがたい”一本(sentimental value)になる。

ストーリー

オスロで俳優として活躍するノーラと、家庭を選び息子と夫と穏やかに暮らす妹・アグネス。

そこへ、幼い頃に幼い頃に家族を捨てて以来、長らく音信不通だった映画監督の父・グスタヴが現れる。それは15年ぶりの復帰作となる新作映画の主演をノーラに打診するためだった。

怒りと失望を未だ抱えるノーラは、その申し出をきっぱりと拒絶するが、ほどなくして、代役にアメリカの人気若手スター・レイチェルが抜擢される。

さらに撮影場所がかつて家族で暮らしていた思い出の実家であることを知り、ノーラの心に再び抑えきれない感情が芽生えていく―。

プロダクションノート

自身も親となったヨアキム・トリアー監督は、「一つの世代が次の世代に何を受け渡していくのか」という、より根源的で哲学的な問いに向き合うようになった。

ちょうどその頃、脚本家エスキル・フォクトとの共同作業のさなかに、彼の家族が代々所有してきた家が売りに出されたことが重なり、「家」という概念について、これまで以上に深く思いを巡らせることになったという。

 「“家”というのは、非常に主観的で個人的なものです。そこから発想を広げていくうちに、大人になってからの人生や、期待・後悔といった感情をめぐる、より複雑な物語へと自然に進んでいったんです」。

ヨアキム・トリアー監督プロフィール

長編デビュー作『リプライズ』(06)で2007年アマンダ賞(ノルウェー・アカデミー賞)の最優秀ノルウェー作品、監督賞、脚本賞を受賞。2006年のアカデミー賞外国語映画賞ノルウェー代表作品に選出。続く『オスロ8月31日』(11)は 2011 年カンヌ国際映画祭のある視点部門にて正式出品し、2013年セザール賞の最優秀外国語映画賞にノミネート。初の英語作品となる『母の残像』(15)ではカンヌ国際映画祭コンペティション部門に初選出された。その後『テルマ』(17)でも世界的な映画賞を複数受賞し注目を浴びた。

そして、『リプライズ』『オスロ、8月31日』と並び「オスロ三部作」として名を連ねる『わたしは最悪。』(21)ではレナーテ・レインスヴェが第74回カンヌ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞、英国アカデミー賞(BAFTA)にノミネートの後、第94回アカデミー賞では脚本賞、国際長編映画賞にノミネートを果たす。今作『センチメンタル・バリュー』を含む6本の長編映画を脚本家エスキル・フォクトとのコラボレーションで作り上げ、いずれも国際的に高い評価を受けている。

アップリンク吉祥寺 ほか全国劇場にて公開

公式サイト

監督:ヨアキム・トリアー

脚本:ヨアキム・トリアー、エスキル・フォクト

出演:レナーテ・レインスヴェ、ステラン・スカルスガルド、インガ・イブスドッテル・リッレオース、エル・ファニング

配給:NOROSHI ギャガ

英題:SENTIMENTAL VALUE/2025年/ノルウェー/カラー/ビスタ/5.1ch/133分/字幕翻訳:吉川美奈子/レーティン グ:G

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