『両親が決めたこと』死を想うことが、生きることにつながる映画
映画の中では長らくフィクションのテーマであった「安楽死」だが、ジャン=リュック・ゴダールがスイスで安楽死という選択をしたことで、それは現実的な問題として捉えられる時代に入ったと言えるだろう。
本作『両親が決めたこと』は、夫婦が二人同時に安楽死を選択するという物語である。夫婦双方が不治の病にあり、日常生活そのものが苦痛で、生きることが困難な状態であれば、二人で安楽死を選ぶという判断には理解が及ぶ。しかし、一人が健常者である場合、「一緒に死にたい」という意思だけで安楽死が認められるわけではない、というのが現在の法的現実だ。
本作の夫婦はスペイン人で、スイスに渡り二人同時に死を選ぶが、「デュオ安楽死」を独立した制度として法文化している国は存在しない。では、なぜスイスでそれが可能だったのか。
スイスでは安楽死は次のように厳密に区別されている。
・安楽死(第三者が致死行為を行う)=違法
・医師が注射などで死に至らせる行為=殺人
・本人が自ら致死行為を行う=合法
そのため、以下が必須となる。
・本人が薬を自ら飲む
・点滴のバルブを自分で開く
医師が関与できるのは、あくまで
・診断
・薬の処方
までに限られる。
「デュオ安楽死」という制度は存在しない。成立しているのは次の構造にすぎない。
・Aが自殺を選ぶ → 合法
・Bが自殺を選ぶ → 合法
・第三者が両者を利他的に支援 → 不罰
結果として
・同日
・同場所
・同プロセス
となるため、外形的に「デュオ」と見えるだけで、法は二人を一切統合していない。
愛し合っているから、片方が死ねば残った方も死ねる、という単純な話ではない。
日本でも安楽死をテーマにした映画はいくつか作られてきたが、本作では、すでに法制化されているスイスを参考にし、最後の部屋となる室内は実在の施設を実際に使用して撮影されている。そこで感じられるのは、仮に将来日本で安楽死が合法化されたとしても、決定的に異なるであろう空間の質だ。
その部屋は病院ではなく、生活の延長線上にあるような、ホテルの一室に近い佇まいを持つ。住みたいと思うわけではないが、映画の中で描かれるベッドの上であれば、「死ぬ」という選択もあり得るかもしれない、と感じさせる雰囲気がある。日本の安楽死映画で描かれる「最後の部屋」とは大きく異なる点だ。
さらに、法制化されている社会だからこそ可能なのだろうが、二人を送り出す前の家族とのパーティーの描写も、日本の感覚とは大きく異なり、本作の印象的な見どころの一つとなっている。
カルロス・マルセット監督は取材を通じて、次のように語っている。
「取材をして驚いたのは、安楽死の許可を得ても、実際には実行しない人が多いという事実です。選択肢という〈鍵〉を手にすることで死への恐怖から解放され、逆に残された人生を穏やかに過ごせるようになるというパラドックスがあります」
死を想うことが、生きることにつながる。そうした逆説が、この作品の根底にあるのだろう。
本作はミュージカルシーンも含む独特の構成を持っている。
自分自身の「死」について、この映画を通して考えてみるのも一つの体験かもしれない。
生きるために。
(TA)
イントロダクション
トロント国際映画祭で「作品賞」受賞!欧州で急増する〝デュオ安楽死′′を決めた両親と
その子たちの心の機微を描いた珠玉の家族ドラマ
情熱の都バルセロナ。80 歳の舞台女優クラウディアは末期がんと向き合い、最期に“自分で幕を閉じる”道を選ぶ。彼女を生涯愛し続けた夫フラビオも、静かにその決意に寄り添った。「デュオ安楽死」ができるスイスに行く——
突然の 共に旅立つ という告白に、3 人の子どもたちは戸惑い、反発し、涙する。死を語りながら、
なぜか温かく、どこか可笑しい。これは、人生の終幕を明るく照らす “家族の光”を描く物語。
ストーリー
バルセロナの舞台女優クラウディア(80)は末期がんの罹患者。癌は脳に転移し、錯乱や半身麻痺と自我の喪失が近づくなか、彼女は安楽死を選択する。
クラウディアは子育てよりも舞台優先で生きてきた。お茶目な女優妻を支え、今なお愛してやまない夫フラビオ。永縁なる夫婦は、共に旅立つことを決め、デュオ安楽死 を決意する。ところがスペインで安楽死はできるがデュオ安楽死はできない。ふたりはデュオ安楽死ができるスイスへ行く決意をする。
一方、母の病を機に同居を始める末娘のヴィオレッタ。長男長女は家庭を持ち実家に寄り付かない。ヴィオレッタは母に兄姉を合わせる目的で、両親の結婚記念パーティーを企画。しかしパーティー前夜に両親が決めたデュオ安楽死に気付き、ヴィオレッタはパーティーで思わず打ち明けてしまい、久しぶりの家族再会は修羅場と化す。
「最期に聞きたい死のプレイリストのご準備を」 子供たちは父の考えに賛成しない。長女は母の操作と決めつけ喧嘩する始末。しかし父の意志は 固く、両親はデュオ安楽死に必要な手順を進め、最後の旅の出発がにわかに訪れるのだが―
本作は両親の終幕を題材にしているが、不思議と暗さを感じない。むしろ家族のユーモアあふれるセリフ回しに、それを忘れてストーリーに没頭してしまう。本編の一部は、家族の心情を母の職業だったミュージカル調で表現し、本筋と見事に融合。最後まで自分らしく生きた母の終末期。欧州で急激に増えるデュオ安楽死。なぜ増加傾向にあるのか。その一つの答えを本作で垣間見る。
カルロス・マルセット監督 インタビュー

質問:原題『Polvo serán』の由来を教えてください。
監督: 原題は17世紀のスペインの詩人フランシスコ・デ・ケベードの有名なソネットの一節、「Polvo serán, mas polvo enamorado(塵となるだろう、だが愛ゆえの塵に)」から取っています。物理的な死によって身体は塵になりますが、そこに「愛」が介在することで、愛が死を超越することを表現した詩です。この「愛ゆえに塵となる」という言葉こそが、映画が描こうとしたテーマそのものだと考えました。
質問:なぜ劇中に日本のポスターを登場させたのですか?
監督: 理由は2つあります。ストーリーの観点から、主人公のクラウディアが国際的なパフォーマー(ダンサー)であることを視覚的に示すためです。日本はスペイン舞踊を非常に高く評価しており、能や暗黒舞踏など日本の伝統芸能とスペイン人ダンサーの間には古くから豊かな交流の歴史があります。
2つ目の理由は私的なものですが、日本映画、特に60年代の黄金時代の熱狂的なファンで、当時の日本の「スタジオ時代」の作品が特に好きです。また、私たちの世代のスペイン人にとって、日本のアニメは、アメリカ文化と同じくらい自分たちの文化の基礎(ファンデーション)として深く根付いています。『ヱヴァンゲリヲン』に個人的に影響を受けました。
質問:なぜ、安楽死(尊厳死)の選択が広がりつつあるのでしょうか?
監督: かつてのタブーが解かれ、一つの選択肢として認識されるようになったからでしょう。古くから「一方が死ぬと、後を追うように亡くなる夫婦」の話はありましたが、今はそれを暴力的な手段ではなく、愛する人と共に「良い終わり(nice ending)」を迎えるためのポジティブな解決策として捉える人が増えています。特に子供のいない夫婦にとって、「なぜ自分だけがこの世界に一人残らなければならないのか」という問いに対し、愛と連帯(companion)こそが生きる理由だと考える人々には非常に納得のいく選択になっています。
質問:スペイン社会での社会的価値観、また家族の「負担」はどのように捉えていますか?
監督: スペインでも「長生き」は尊ばれますが、現代では「どう生き、どう愛し、どう別れるか」という生の質がより重視されています。日本と同様に「家族に迷惑をかけたくない」という思いはありますが、この映画の夫婦は「自分たち二人の愛の絆」を何よりも優先しています。現代の欧州での選択は、家族に隠れて行う悲劇ではなく、徹底的な対話を通じて家族全員が納得した上で行われる「平和的な別れの儀式」としての側面が強まっています 。
監督 プロフィール
1983 年バルセロナ生まれ。UCLA の映画監督修士課程で奨学金を得てロサンゼルスに渡る。UCLA で映画監督修士号を取得。編集者としてキャリアをスタ
ート。『10.000KM』で監督デビュー。SXSW でプレミア上映後、審査員特別賞を受賞。ディスカバリー・アワードにノミネートされ、ゴヤ賞新人監督賞を
受賞。その後『The Days to Come』ではロッテルダムのオフィシャル・コンペティション部門でプレミア上映された。






アップリンク吉祥寺ほか全国劇場にて2月6日(金)公開
アップリンク京都では2月13日(金)より上映
スタッフ:
監督:カルロス・マルセット
脚本:カルロス・マルセット、クララ・ロケ、コーラル・クルス
撮影:ガブリエル・サンドル
美術:ライア・アテカ
作曲:マリア・アルナル
キャスト:
アンヘラ・モリーナ (クラウディア)
アルフレード・カストロ(フラビオ)
モニカ・アルミラル・バテット(ヴィオレタ)
パトリシア・バルガロ(レア)
アルバン・プラド(マヌエル)
2024 年/スペイン イタリア スイス/英語 スペイン語/106 分/16:9/5.1ch/原題:Polvo serán/英題:THEY WILL BE DUST/配給:百道浜ピクチャーズ
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