『たしかにあった幻』河瀬直美が問いつづける、いのちの行方。
神戸の臓器移植センターでサポートスタッフとして働くフランス人のコリー。心臓の移植手術を必要とする重症小児を多く受け持つその病院で、西欧とは異なる死生観や倫理観を目の当たりにするコリーの心の支えは、旅先の屋久島で出会った恋人の迅だった。しかし、同棲を始めて一年経ったある日、彼は突然姿を消してしまう。
いつ訪れるかわからないドナーを待つ子どもたち、ドナーとして我が子を見送る親、そして、いつ戻るかわからない恋人を探すコリー。
待つともなく待たなければならないこと。失ったものの行方。いまはもう幻のように思えるそれを、彼らは決して手放さない。
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コリーと迅が出会う屋久島の自然の、そのすべてを飲み込み吐き出すような形相は、『萌の朱雀』(1997)や『殯の森』(2007)の燃えるように揺れる濃い緑と、『2つ目の窓』(2014)のどこまでも青くどこまでも深い海を同時に思い起こさせる。
川瀬映画の風景はいつも、いのちの象徴のようだ。
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生まれたときには両親が離婚していて、養父母に育てられた川瀬監督は21歳のとき、自身の戸籍謄本をたどり、一つも記憶がない実の父親を探す自身の姿を、ドキュメンタリー映画『につつまれて』(1992)に残した。また、第一子を妊娠した際には、自分を育てた養母と自らの出産を記録した『垂乳女(たらちめ)』(2006)を撮った。
命はどこから来て、どこへ行くのか──日本の臓器移植医療と行方不明者問題を扱いながら浮かび上がらせる本作のこの問いは、『につつまれて』のときにあったであろう、“どうしてわたしはここにいるんだろう” というプリミティブな感情や、「命を授かる、ということは、命を分ける、ということなのかなあ」という、『垂乳女』でのつぶやきに呼応する。
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2020年に東京オリンピック公式記録映画の総監督に任命され、昨年2025年には大阪・関西万博でパビリオンのプロデュースも担当した河瀬直美監督。
本作『たしかにあった幻』はおよそ6年ぶりの劇映画だが、命の所在、魂の在りどころを、映画という時間の装置を使って見つめようとする、その情熱に変わりはない。むしろそれが、映画と出会った彼女の宿命なのかもしれない。と言うのは簡単だけれど、その問い、その宿命を引き受けつづけることの重さは、一つ一つの映画の、一つ一つの時間に、確かに刻まれている。
(小川のえ)
イントロダクション
「幻」とは実在しないものがあるかのように見えること、あるいは存在自体が疑わしいもの、の意に相当する。それを修飾する言葉として「たしかにあった」という表現は、論理的には成立しない。にもかかわらず、相反するワードを敢えて同義的に並べたタイトルは、二項対立を超えてゆく新しい思想を提案する本作の内容を知らしめている。
河瀨直美監督にとって6年ぶりとなる劇映画の最新作であり、オリジナル脚本としては8年ぶり。
「死」が終わりではないという気づきの先に、移植医療が人の命を繋いでゆき、「生」の意味を問いかける本作は、第78回ロカルノ国際映画祭でのワールドプレミア上映にて、河瀨監督のマスターピースと評された。
ストーリー
フランスから来日したコリーは、日本における臓器移植への理解と移植手術の普及に尽力するが、西欧とは異なる死生観や倫理観の壁は厚く、医療現場の体制の改善や意識改革は困難で無力感や所在のなさに苛まれる。
また、プライベートにおいても屋久島で知り合った迅と同棲を始めるが、お互いが使う時間のズレからくるコミュニケーションの問題に心を痛めていた。
そんな中、心臓疾患を抱えながら入院していた少女・瞳の病状が急変するが…。
川瀬 直美監督インタビュー

--本作の着想はどこから生まれたのでしょうか?
人間にとって死は誰にも必ず訪れるものなのに、それについて家族間や近しい人と語り合うことは極端に少ないですよね。
それを語ることで、死=「終わり」という概念とは違う考え方にもたどり着けるのではないかと思いました。
死は終わりではなく、その先にも命は続いていく。それがこの映画の出発点でもあります。
--それを考える糸口の一つとして、本作では臓器移植に焦点が当てられています。
日本にも移植手術のために待機している人たちは何万人といるのですが、国内では制度や仕組みの壁もあって、なかなかドナーが見つからないんです。特に小児の、対象が心臓となると、まさに時間との勝負でもあり抜き差しならない状況です。
海外では短期間でドナーが見つかって、同じ境遇にある患者が生き延びる確率も高い中、日本ではなぜできないのか。
すぐには解決の見えない問題ではあるけれど、それを変えていく方法はきっとどこかにあるはずだと思いました。
なぜなら「生きる」ことについては誰もが当事者だからです。
川瀬 直美監督プロフィール
生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける映画作家。一貫した「リアリティ」の追求はドキュメンタリー・フィクションの域を越えてカンヌ映画祭をはじめ、世界各国の映画祭での受賞多数。代表作は『萌の朱雀』『殯の森』『2つ目の窓』『あん』『光』『朝が来る』など。世界に表現活動の場を広げながらも、2010年には、故郷・奈良にて「なら国際映画祭」を立ち上げ、後進の育成にも尽力。ユネスコ親善大使、奈良県国際特別大使を務めるほか、大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサー兼シニアアドバイザーを務めた。 俳優として、第38回東京国際映画祭最優秀女優賞を受賞する他CM演出、エッセイ執筆など、ジャンルにこだわらず活動中。 プライベートでは、10年以上にわたりお米作りにも取り組んでいる。




監督・脚本:河瀨直美
出演:ヴィッキー・クリープス、寛一郎、中野翠咲、中村旺士郎、岡本玲、小島聖、早織、永瀬正敏、利重剛、中嶋朋子、尾野真千子、北村一輝
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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