『椰子の高さ』ドゥ・ジエ監督インタビュー ただ呼吸しているだけ
累計興行収入2,000億円超を記録した『唐人街探偵』シリーズで撮影監督を務めた、中国の映像作家ドゥ・ジエ。2020年、創作の自由を求めて日本へ移住したドゥ・ジエ監督の長編監督デビュー作が『椰子の高さ』だ。
ばら撒かれた写真を無造作に拾い上げるように時系列や人物たちが交錯していく本作。逆再生のように映される車窓の風景や、過去と現在が同居するカット、自殺を選んだ人が残したもの、そして幽霊の存在。見えているものの不確かさを明かそうと私たちは目を凝らし、答えを探し続ける。監督・脚本・撮影・美術・編集のすべてを自ら手がけた本作は、四国の最南端である足摺岬を舞台に、映像と物語によって私たちを艶やかな思考の迷宮に迷い込ませてくれる。
今回はアップリンク吉祥寺での公開を前に、ドゥ・ジエ監督にインタビューをさせていただきました。
─写真家である凛は、撮った写真を現像することを選びません。彼女にとって大切なのは写真に写るものではなく「撮ったという事実」のように思えます。彼女のようにカメラを持ち続けてきたドゥ・ジエ監督が、映画を撮り、公開することを決めたきっかけ、またはその意味はなんでしょうか。
すごく難しい質問ですね。まず、凛についてですが、以前、友人とロケハンをしていたときに廃墟の撮影を行ったことがありました。廃墟を探索している中で、いくつかの現像された写真が残されていたことに気がつきました。意図的に置かれていたのか捨てられたのかはわかりませんが、そのときに考えたのです。写真が重要なのか、撮った事実が重要なのか。それが凛の設定を考えるきっかけとなりました。
─エンドロールにも出ていた廃墟のお写真ですね。
そうです。映画を公開することを決めたきっかけについては、まだ答えが出せないところがあります。実は興行したい作品でもなかったのです。最初は撮りたかっただけでした。長年カメラを続ける中で、映画を撮る行為自体は、自分の生活の一部、自分が生きている感覚に繋がっていると感じていて。
最近、息子がゲームをやっていて、あまりにも勉強をしないから父親として怒ったことがありました。「勉強もせずに何をしているのか」と叱った私に、彼は「呼吸しています」と返事をしました。子どもにとってはゲームが呼吸であり、自分にとっては撮ることが呼吸であったのだとそのときに改めて感じました。
映画を公開することで良い反応をもらうことも誤解される可能性もあります。作品を世に出すことで定義されることもある。ただ、自分の人生においては映画を公開する具体的な定義はないのではないかと思います。最終的に公開する形にはなりましたが、何かしらこの映画を定義したいということはなかった。ただ、日常生活の中で長年やってきている映画作り自体は、私にとって呼吸そのものなのです。何かを意図しているというよりも呼吸をするような感覚で映画を撮りました。
しかし、こういったインタビューも含めて、映画を観ていただいて質問がいただけることが大きな喜びとしてあります。それは自分が映画を人々に公開したい理由のひとつでもあります。この映画を観て、もしかすると誰も、私自身も答えを出せないかもしれない。しかし、考え始めるということがすごく大事だと思うのです。そういう意味では、公開のきっかけとして色んな考え方を知りたかったというのはあるかもしれません。
映画作りをやっているうちに私が困惑しているのは、何が一番大事なのかということです。撮った作品、撮った事実のどちらが大切なのかはわからない。
─印象的だったシーンのひとつに、菅元と青木がお互いに「そんな目で見ないで」と言うシーンがあります。あの瞬間、二人は互いの「見るという行為」に対し、暴力性に似た感覚を受け取ったのではないかと思えます。
暴力的な言葉遣いも含めて私自身もすごく好きなシーンです。今考えてもふさわしい表現だったと思っています。一連の言動を脚本に書くときにも意図的にきつい言葉を選びました。青木と菅元の目線については、言葉よりも目線が暴力的な行為になり得ると思っていて。私自身が生活している中でも他人の視線を暴力的だと感じることがあったので、このシーンを作りました。
見るという目線でいうと、観客の皆さんが映画を観るときには「逆に映画が観客を見ているのではないか」ということを考えたりもします。
─この映画では見ること、見えること、そして撮ることがひとつのテーマなっているような気がしますが、ドゥ・ジエ監督にとって、「見ること」と「撮ること」はどういったものなのでしょうか?
作品を撮るときには、見るという行為と撮るという行為が同時に発生しています。その中で、見ているもの、撮っているものは私にとってはどちらもうまくコントロールはできないものに思えます。悪い意味でコントロールができないのではなく、私たちの生活と同じようにストーリーも登場人物も成長していく中で、最初は意図していなかった部分が、見ているうちに、撮っているうちに生まれてくることが多くあるからこそです。
─本作では撮影のみならず、監督・脚本・編集等を担当されています。物語を書くことや編集することによってどんな気づきがありましたか。
新たな気づきや難しいことは特になかったように思います。本作は元々短編でしたが、撮っているうちに発生したものを撮りたくなってストーリーに盛り込んで、そうしてストーリーが大きく成長していきました。自分が膨大なストーリーを作ったというよりは、自然に発生していった物事を受け止めてストーリーが出来上がっていったという感じでした。そういう意味で、本作は生きているストーリーだなと感じています。
─本作のタイトルにもなっている椰子について。劇中で椰子の木に惹かれているのは、自殺をした凛でした。写真家である凛は、これまでカメラを持ち続けてきたドゥ・ジエ監督の姿にも重なる部分があります。同じカメラを持つ者として、ドゥ・ジエ監督が椰子の木に惹かれたのはなぜでしょうか。
私は物のテクスチャーにとても興味があるのです。たとえば杢目などといった、テクスチャーがあるものに生命力を感じるというか、存在の意味を感じるのです。そういう観点で、私自身なぜ椰子なのかは明確には分からないのですが、分からないものにどうしても興味を惹かれて、フォーカスしました。
─そういう意味では、劇中で死に最も近いところにいる凛が椰子の木に惹かれて見上げていたというのは、非常に面白いですね。
はい、とても魅力的な解読だと思います。私としては実はそこまで深く凛の行動について考えてはいなくて、生命力に惹かれたかどうかはわからないのですが、私が椰子のテクスチャーが気になるように、凛にとっても何かしらの理由で気になったのではないかなと考えています。色んな解釈ができること、それはこの映画で表したいものの一つでもあるので、それもある種の解読なのではないかなと思います。
凛については自殺をするという設定は最初からあったのですが、元々写真家として設定したわけではありませんでした。ただ、写真を撮ることが好きな人物だということは確かでした。今考えると、自殺という行動を起こすことは凛にとっては大切だったのでしょう。私は「自殺していく人々は世に何かを残したいのではないか」と考えている節があります。そう考えた時、凛が残したいものは撮ったフィルムだったのではないかと思いますが、これもあくまで推測でしかないです。私自身、なぜ凛が自殺したのか、答えが出せません。ただ、自分が去っていってもこの世界との繋がりを残したかったのではないかと思います。
例えば、本作では赤い帽子を被った人物が登場しますが、なぜ赤い帽子を被っていたのかについては誰にもわかりません。ウォン・カーウァイ監督は常にサングラスをかけていて、彼なりの理由はあるかもしれませんが私たちにはその答えはわからず、推測をするしかない。凛も同様で、なぜ写真を撮り続けるのか、自殺したのかは、亡くなった人から答えは聞くことができないから分かりようがない。『椰子の高さ』というタイトルもそうですが、答えが出ないことに疑問を持ち続けるということは私の人生におけるメソッドでもあります。「勝手な推測はできないのではないか」と私は考え続けています。理解できないこと、解釈しづらいことにずっと興味があるのです。
─劇中で菅元は足摺岬に来た理由を「決めた行き先に辿りつきたい、終着駅が必要だった」と語っています。今回、長編映画デビューをされたドゥ・ジエ監督ですが、監督のこれから目指す終着駅はどこになるのでしょうか。
自分にとっての明確な終着駅は、死であると考えています。死については誰にとっても終着駅であるからです。ただ、死に向かう過程において何かを目標にして進めたいというような考えは実はなくて、自分の性格や生活から考えると、やはり波に乗って発生するいろんな物事を受け止めるという面があるので、何かしらを目指して一段落したいという考えはありません。
劇中において菅元も最終的には足摺岬には来ていますが、「ラッキーだったら到着できるね」というセリフが表すように、必ずそこに行きたいという強い思いは当初の彼女にもなかったように思います。私も同じで、どこかに終着したいと作っているうちに考えることはあまりないですね。だからこそ、終着駅は今のところ死以外にはないのではないかと思っています。
─次に撮りたいと考えているものはなんですか。
私自身が困惑していることを撮って、皆さんにも見てもらいたいなと思っています。中国人として日本で生活を始めて、感情的な面でも社会的な面でも困惑していますが、自身でも解読できないそういうものを自分の映画で表現したい。誰かのために撮るのではなく、自分の問題提議、自分のために映画を撮っていくことになるのではないかなと感じています。
─最後に、これから映画をご覧になる観客の皆様に一言お願いいたします。
映画館にこの映画を観に来てくださる皆様に感謝を申し上げたいと思います。意図的かもしれないし、非意図的にこの映画を観たのかもしれませんが、ある種の運命でこの映画を観ることになったのでしょう。来てくれる皆さんにも感謝ですし、運命の神様にも感謝したいです。皆さんが映画を観に来てくれたことによって、観客の皆さんと私自身との間に確かな繋がりが生まれたのではないかと思います。
(インタビュー・文/編集部:F)
イントロダクション
舞台は、日本の四国最南端<足摺岬>。美しい自然に囲まれた絶景とは裏腹に、自殺の名所とも知られている。そこで、愛する人を亡くした男と、新婚旅行直前に恋人と破局した女が出会う。四国の果てで交錯する、ふたりの"孤独"と"再生"の物語。本作を描くのは、累計興行収入2,000億円超を記録した『唐人街探偵』シリーズをはじめ、数々の中国大作映画の撮影監督としてキャリアを築いたドゥ・ジエ。長編監督としてはデビュー作となる本作を監督・脚本・撮影・美術・編集のすべてを自ら手がけ、豊かな映像美で”日本”を魅せている。
ストーリー
ペットショップで働く菅元(すがもと)は、ある日、日本料理店に勤める恋人・⻘木(あおき)が、料理中に魚の腹から見つけた指輪をきっかけに、結婚を約束する。しかし、新婚旅行を目前に、ふたりの関係は唐突に終わりを迎えた。失意の中、彼女が向かったのはふたりで行くはずだった目的地̶̶四国の果て〈足摺岬〉。そこで立ち寄った足摺七不思議のひとつ「地獄の穴」に、指輪を落とす̶̶ 。
そして旅の途中、彼女は恋人と泊まるはずだった宿で、店主の持田(もちだ)と出会う。彼はかつて恋人だった写真家・凛(りん)を自殺で亡くし、その面影を抱えながら、町に留まり続けていた。一つの結婚指輪が引き合わせたふたりの心に宿る、“喪失”という同じ痛み。やがて言葉を交わすうちに、止まっていたそれぞれの時間が、ゆるやかに動きはじめる。答えはどこにもない。それでも、世界は̶̶ 少しずつ前へ進んでいく。
ドゥ・ジエ監督コメント
『椰子の高さ』は、“外国人”の視点から見た日本の物語です。物語の多くは、私が来日して最初の数年間、日常の中で見聞きした実際の出来事をもとにしています。ある先輩から「この感覚を大切にしなさい。環境に慣れてしまったら、もう同じ映画は撮れなくなるよ」と言われました。その言葉の通り、この映画を作る過程も方法も、私にとって“生命の延⻑”のようなものでした。本作は典型的なドラマ構造の映画ではありません。これまでの鑑賞経験から想像するものとは、違った印象を受けるかもしれません。むしろ、この映画を観る体験は、重要なピースが欠けたパズルを自ら完成させていくようなものです。観る方一人ひとりが、その欠けたピースを想像し、探し、埋めながら、あなた自身の世界(=映画)を組み立てていただけたら嬉しいです。

杜杰(ドゥ・ジエ)監督プロフィール
1976 年生まれ。中国出身。2001 年北京電影学院撮影学科卒業。撮影監督として参加した作品が成功を収め、広く注目を集めた。撮影した作品は、商業的な成功を収めただけでなく、ベルリン国際映画祭、釜山国際映画祭、東京国際映画祭、台湾金馬奨、香港アジア映画大賞、中国金鶏奨等にノミネートされている。2024 年にアメリカ撮影監督協会(ASC)に加入。2020 年より日本在住。ドキュメンタリー監督の何祖杰氏と共に、D•UNION FILM を設立。『椰子の高さ』で⻑編映画監督デビュー。






アップリンク吉祥寺にて2月6日(金)
アップリンク京都にて2月20日(金)より公開
『椰子の高さ』(2024/日本/カラー/デジタル/日本語/2.00:1/Dolby Digital 5.1/99分)
監督・脚本・撮影・美術・編集:杜 杰(ドゥ・ジエ)
出演:大場みなみ、田中爽⼀郎、小島梨里杏、渋谷盛太、千賀健史、田口敬太、烏森まど、崔凱晨、澤真希、小島ゆうな、酒瀬川純⼀、庄野広樹、吉田拓央、浜口宏樹
配給:ギークピクチュアズ
ⒸD·UNION FILM INC. 2024