『クイーンダム/誕生』クィア・アーティスト、ジェナ・マービン。醜い世界で、美しくあるために。
ロシア・モスクワから西におよそ10,000キロ、時差は8時間ほどもある、オホーツク海に面した海港都市、マガダン。
本作は、マガダンで生まれ育った、2019年の撮影開始当時21歳だったクィア・アーティスト、ジェナ・マービンを3年間にわたって取材したドキュメンタリー。
「ジェナとは”存在”かな。”人物”って言葉は適切じゃない。僕は自分がノンバイナリーだと思う。そういう概念について自分で調べ、ジェンダーについて勉強している。全部は理解してないし、理解する必要もない。でもその概念を知り、僕は特定のジェンダーや思想を持たないと気づけた。ジェナはただ存在している」。ゲンナジー・チェボタリョーワ(ジェナの本名)は語る。
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白く塗り上げた顔に奇抜なメーキャップ。過激で芸術的なコスチューム。同性愛宣伝禁止法や性別変更禁止法など、LGBTQ+の活動を禁止する法律の制定が進んでいくロシアにおいて、そのような姿で街を闊歩する行為は、挑発の表現だと理解されてしまう。
しかしジェナの姿は、それが何かのための手段というよりも、自分のために見つけた方法だと思わせる。化粧と衣装をまといSNSに載せるための写真を撮るジェナは生き生きとしているし、街を歩くジェナは、どこまでも無表情で無言だ。
そして2022年2月24日、ウクライナ戦争がはじまる。
ジェナがロシアを、社会を敵に回したのではなく、彼らの側がジェナを敵にすることにしたのだろう。そのような社会では、ジェナが自分らしくあるための血肉として選んだ装いはむしろ、ジェナを危険に晒してしまう。美しいコスチュームは戦いのための鎧と化し、政治的な抗議と変容してしまう。
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か細くしなやかなジェナの身体を見ながらわたしは、それとはまったく対照的な肉体をもつ三島由紀夫のことを思い出していた。細江英公の写真集『薔薇刑』の三島由紀夫。戦後日本において武士道を志し、ボディービルダーのように鍛え、自決の方法として切腹を選択した三島由紀夫。ふたりの本当の考え、狙い、内面のことなど、ドキュメンタリーを見ただけのわたしが知り得るところではないけれど、唯一無二的なふたりのあいだに、共通する何かがある気がしてならない。
身体を賭けた自己表出。孤独な自己演出。政治に翻弄される時代に生きること。
ある人は英雄的だと言い、またある人は演出的だと言う。芸術的だと言う人もいれば、狂気的だという人もいる。通りすがりの私たちは、理解の手前で足踏みすることしかできない。その”パフォーマンス”が、単に自分の欲求を満たすためのものだとか、表現というよりも抗議の側面が上回ってしまっているだとか、判断を下すことはできない。
そもそも、自分の尊厳がどこにあるか、そしてその示し方がわかっていて、それを実際にできる人はどれくらいいるのだろう。
世界が醜ければ醜いほど、ジェナは美しくなっていくだろう。そして、本当に美しいものに、わたしたちは恐ろしさを感じるのかもしれない。
(小川のえ)
イントロダクション
世界各国の映画祭で受賞し、アメリカの映画批評サイトRotten Tomatoesでは批評家支持率100%という驚異的なスコアを記録し、「息を呑むほど美しい」「途方もない勇気の作品」「最高のドキュメンタリー」と、 圧倒的な称賛を受ける本作。
このドキュメンタリーの主演は、ロシアの首都モスクワから約10,000キロ離れた極寒の田舎町・マガダンに生まれ、祖父母に育てられたジェナ・マービン。 撮影当初わずか21歳。 監督は、 ロシア出身でフランス在住のアグニア・ガルダノヴァ。 プロデューサーは、 『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』の共同プロデューサーを務めたイゴール・ミャコチン。
ジェナは過激で独特な衣装を纏い、ウクライナ侵攻への反対や、LGBTQ+の活動を禁止する法律や政治、社会に対する反抗的な姿勢を表す。 このパフォーマンスは、現在のロシアでは命を危険にさらす行為だ。それでもジェナは、自らの存在をかけてアートを通じて抗議を続け、社会の無関心と差別に一石を投じている。
ストーリー
LGBTQ+の活動や表現が法律で禁じられているロシアに突如現れたクィア・アーティスト、21歳のジェナ・マービン。
ジェナは、幼い頃から自身がクィアであると認識しており、小さな町ではその存在が暴力の標的となった。
ロシアではLGBTQ+は 「存在しないもの」とされ、その当事者たちは日々、差別と抑圧にさらされている。
その痛みとトラウマを、ジェナはアートへと変えた。スキンヘッドにハイヒール、身体を締め上げるテープや有刺鉄線をまとい、“静かな叫び”として無言のパフォーマンスを街に放つ。
やがて、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発。反戦デモに参加したジェナは逮捕され、徴兵の危機にさらされる。
逮捕、嫌がらせ、社会からの排除――。それら全てを背負い、恐怖と絶望を超えた孤高のクイーンが誕生する。
これは、痛みと美しさを纏ったひとりのアーティストによる、命をかけた表現の記録。
アグニア・ガルダノヴァ監督コメント

© Nathan Daisy
10代の頃、私はなかなか自分を受け入れることができず、「女性らしくない」外見のせいで常に屈辱と暴力に耐えていました。
幼い頃から、私はよく男の子のふりをし、型崩れした服や重い靴を履いていました。それが、「女の子は女らしくなければならない」という固定観念からの逃げ場でした。
数年後、モスクワの中心部で、私は2人の男にスカートをはいた男と勘違いされ、それだけの理由で彼らに殴られました。私は作品の中で、セクシュアリティとジェンダー・アイデンティティというテーマをさらに掘り下げていくことに決めました。
当初のアイデアは、ロシアの数人のドラァグクイーンを追いかけることでした。最初に出会った候補のひとりがジェナでした。
一緒に時間を過ごした後、私はジェナの芸術性と勇気に魅了されました。私にとって、彼女は多くのドラァグクイーンの一人ではありませんでした。ジェナは自分探しの旅に出るアーティストだ ったのです。
ロシアや、クィアであることが違法である他の国の誰かが『クイーンダム/誕生』を観たとき、たとえそれがどんなに危険なことであっても、この映画とジェナが自分自身を受け入れ、自分の真実を世界と分かち合う自信を与えてくれることを願っています。
アグニア・ガルダノヴァ監督プロフィール
ロシア出身、フランス在住。前作『ONE STEP FORWARD, ONE STEP BACK』は、アルタイ山脈の文明から遠く離れた場所で暮らしたいという家族の夢を描いた作品で、メッセージ・トゥ・マン国際映画祭でプレミア上映された。アグニアの作品は、じっくりと丁寧に観察するような語り口で、複雑な人間関係に焦点を当てるのが特徴。 「女性らしくない」外見のせいで常に屈辱と暴力に耐えていた青年期を越え、セクシュアリティとジェンダー・アイデンティティというテーマをさらに掘り下げていくことに決めた。本作の当初のアイデアは、ロシア各地のドラァグクイーンたちを追うというもので、その取材の初期に出会った候補の一人がジェナだった。ジェナに出会い一緒に時間を過ごした後、ジェナの芸術性と勇気に魅了され、ジェナだけを追ったドキュメンタリーとなる本作を製作することを決意した。





監督:アグニア・ガルダノヴァ
製作:イゴール・ミャコチン、アグニア・ガルダノヴァ
主演:ジェナ・マービン
2023年 | フランス・アメリカ | ロシア語 | 91分 | シネスコ | カラー | 5.1ch | 原題 QUEENDOM | 日本語字幕 浅野倫子 | 配給 Elles Films
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