『星と月は天の穴』滑稽で切ない愛の行方。

『星と月は天の穴』滑稽で切ない愛の行方。

2025-12-21 11:07:00

1966年、文芸誌「群像」に発表され芸術選奨文部大臣賞を受賞した吉行淳之介の短編小説『星と月は天の穴』。日本文学史に刻まれたこの名作を、脚本・監督の荒井晴彦が満を持して映画化した。描かれるのは、妻に捨てられ、愛をこじらせた一人の男の、滑稽でいてどこまでも切ない愛の行方である。

「あなたは軀と恋愛してるのよ」――
この痛烈な言葉によって、主人公・矢添克二の心の奥底にぽっかりと空いた穴が否応なく浮かび上がる。小説家である矢添は、自身の内面を投影するかのように作品の中で恋愛小説を書き綴り、「精神的な愛」の可能性を模索していく。本作は、主人公が小説家であること、メタフィクション的に作品内で恋愛小説が綴られること、そして吉行自身が抱えていたコンプレックスが矢添に重ね合わされていることから、より私小説的な趣を帯びた一編としても読み解くことができる。連載時は矢添の内面描写を丹念に掘り下げることに重きが置かれていたが、単行本化にあたっては「ブランコを漕ぐ女性の情景」に象徴されるような、文学的余韻を湛えた描写が加筆された。哀愁とユーモア、そして性と精神が絡み合う吉行文学の核心は、本作においてより豊かな人間味をもって結実している。

1966年という時代の空気や質感をスクリーンに転写したいという監督の意図から、本作は全編モノクロで撮影されている。濃淡と陰影によって組成された画面は単なるノスタルジーにとどまらず、活字から文脈を読み取るかのように、吉行文学が持つ余白の美を映像として立ち上げる。さらに、綾野剛演じる矢添の心の揺れを映し出すかのように、赤をパートカラーとして用いている点も荒井監督の映像的感性が光る表現だ。その選択には、吉行淳之介原作の映画『砂の上の植物群』へのオマージュ的な意図も込められているという。

こうした映像と演出によって立ち上がる矢添克二という人物を、全身で引き受けたのが綾野剛だ。荒井作品への出演は『花腐し』に続いて2作目となるが、本作では文学と映画、言葉と肉体の狭間で揺れ動く男の内面を、これまでにない枯淡と滑稽さをもって体現している。荒井監督の脚本が放つ言葉の強度を真正面から受け止め、噛みしめるように発せられる台詞の一つひとつが、矢添の孤独と欲望を浮かび上がらせる。

そんな本作について、綾野剛は次のように語っている。
「荒井さんが執筆されたセリフや物語、活字のうごめきは、読んでいてうっとりします。『花腐し』の時も「シナリオとは。脚本とは」を感じましたが、今回もまさしく言葉が編み込まれた脚本でした」

愛と性、精神と肉体、言葉と沈黙。そのあいだに横たわる矛盾や滑稽さを、真正面から、しかもユーモアを失わずに描き切ること――それは決して容易ではない。だが荒井監督は、吉行淳之介の文学に深く分け入り、その核心をすくい上げることで一人の男の私的な物語を、時代を超えて響く普遍的な映画へと昇華させた。『星と月は天の穴』は、いつの時代にも繰り返される「愛をこじらせる男」の本質を静かに、しかし鋭く照らし出す。矢添克二という男の不器用な愛の行方は、観る者の記憶や感情といつの間にか重なり合っていく。ぜひ映画館で、その物語を見届けてほしい。

(小出)

 

イントロダクション

日本を代表する脚本家・荒井晴彦。『身も心も』(97)をはじめ、『火口のふたり』(19)、『花腐し』(23)など、自ら監督を務めた作品では人間の本能たる〝愛と性〟を描き、観る者の情動を掻き立ててきた。最新作『星と月は天の穴』は、⻑年の念願だった吉行淳之介による芸術選奨文部大臣受賞作品を映画化。過去の離婚経験から女を愛することを恐れる一方、愛されたい願望をこじらせる 40 代小説家の日常を、エロティシズムとペーソスを織り交ぜながら綴っている。

主人公・矢添克二を演じるのは、荒井晴彦と『花腐し』(23)以来のタッグとなる綾野剛。確かなキャリアを重ねた綾野が、愛を恐れながらも求めてしまう矛盾を抱えた、枯れかけた男の色気を体現する。矢添の心に踏み込む大学生・紀子役には新星の咲耶が抜擢され、無邪気さと艶を併せ持つ存在感で物語を動かす。柄本佑ら実力派が脇を固め、1969年という激動の時代を背景に、一人の男の私的な愛の物語を描く。荒井脚本と綾野剛の真骨頂が響き合う、R18+の異色作。

 

ストーリー

小説家・矢添克二(綾野剛)は、妻に去られて10年、40代を迎えてなお孤独を抱えて生きている。偶然再会した旧友(柄本佑)との会話で時の流れを痛感する一方、心の空白を埋めるように娼婦・千枝子(田中麗奈)と関係を続けていた。恋愛に踏み出せない背景には、誰にも明かせない〝秘密〟への強いコンプレックスがある。矢添は自作小説の主人公Aに自らを投影し、年下の女子大生との恋を描くことで「精神的な愛」の可能性を探っていた。そんな中、画廊で出会った大学生・瀬川紀子(咲耶)との偶然が、彼の日常を揺るがす。距離を詰めてきては心に入り込んでくる紀子の振る舞いに戸惑いと恐れを覚える矢添。一方、千枝子の結婚を知り、彼女と娼館の外で夜を過ごすことで、自身の愛への憎悪と渇望に向き合う。矢添は再び、一人の女と向き合うことができるのか......。

 

荒井晴彦監督コメント

18 歳だった。彼女もいないし、女の子の手を握ったのは高校の文化祭のオクラホマミキサーの時だけだった。それもそっと。’66 年の「群像」新年号、吉行淳之介の「星と月は天の穴」、「女の軀に軀を重ねても欲情は起ってこない」男は、連れ込み旅館の枕もとの棚の下の埃を見る。「数週間にわたって抜け落ちた数え切れない数の男と女の毛が、絡み合っていた」「突然、はげしい欲情が彼の中に衝き上ってきた」 これ、なんか分かると思った。妻に裏切られ、愛とか恋とかいう情感を持ち込むのを拒否し、女を「道具」として扱おうと思っている男が「道具」に敗けてゆく小説だった。映画の仕事をするようになって、いつか映画にしたいと思ってきた。やっとです。
「精神という花が咲いている。引っこ抜くとその根っこに『性』がぶらさがっている」と吉行さん。引っこ抜いていきたい。

 

監督プロフィール

1947 年生まれ、東京都出身。季刊誌『映画芸術』編集・発行人。日本映画大学名誉教授。若松プロの助監督を経て、77 年の『新宿乱れ街いくまで待って』で脚本家デビュー。以降、『赫い髪の女』(79・神代辰巳監督)、『キャバレー日記』(82・根岸吉太郎監督)など数々の日活ロマンポルノの名作の脚本を執筆。日本を代表する脚本家として活躍し、『W の悲劇』(84・澤井信一郎監督)、『リボルバー』(88・藤田敏八監督)、『ヴァイブレータ』(03・廣木隆一監督)、『大鹿村騒動記』(11・阪本順治監督)、『共喰い』(13・青山真治監督)の5作品において、キネマ旬報脚本賞を受賞した。脚本・監督を務めた作品には、新人監督に贈られる新藤兼人賞を受賞した『身も心も』(97)、第 67 回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)を受賞した『この国の空』(15)、第 93 回キネマ旬報ベスト・テン1位の『火口のふたり』(19)、日本映画プロフェッショナル大賞作品賞・監督賞を受賞した『花腐し』(23)がある。

アップリンク吉祥寺アップリンク京都ほか全国劇場にて12月19日(金)公開

公式サイト

『星と月は天の穴』
(2025年/日本/122分)
脚本・監督:荒井晴彦
出演:綾野剛、咲耶、岬あかり、吉岡睦雄、MINAMO、原一男、柄本佑、宮下順子、田中麗奈
原作:吉行淳之介「星と月は天の穴」(講談社文芸文庫)
製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
制作プロダクション:キリシマ一九四五
制作協力:メディアミックス・ジャパン
レイティング:R18+
©2025「星と月は天の穴」製作委員会