『そこにきみはいて』“ア”という曖昧さの美しさを映し出す、新しいア恋愛映画
竹馬靖具監督の『そこにきみはいて』は、喪失と“わからなさ”を抱えたまま生を続けていく人間の時間を、説明に依存せずに描き出す作品である。香里を福地桃子、健流を寛一郎、慎吾を中川龍太郎が演じ、三人の関係性は恋愛・家族・友情といった既存のラベルでは捉えられない“名づけられない距離”によって構成されている。
物語は、香里に最も近しい存在だった健流の突然の死から始まる。その死因は語られない。
竹馬監督は、健流のセクシュアリティや死の理由を“物語を動かす要因”として扱うことを避けたかったと語る。説明によって彼の存在が機能的に回収されてしまうのではなく、理由の不明さを抱えたまま残された人々の時間そのものを描くことを重視したという。
この言葉に示されるように、本作は“理由を解く物語”ではなく、“理由の欠如と共に生きる時間そのもの”を描こうとする映画である。
香里には、恋愛感情や身体的な関係に距離を感じるアロマンティック/アセクシュアルの設定があるが、映画はラベルを物語の中心に据えない。竹馬監督は人物をカテゴリーに還元するのではなく、香里が抱える“名づけられない揺れ”そのものに焦点を当てている。
竹馬監督は、自死もセクシュアルマイノリティも自らは当事者ではない立場から、この題材を映画にすることへの逡巡があったと述べている。理解しきれない領域であるからこそ、安易に意味づけたり説明したりせず、わからなさを含んだ関係性に向き合おうとする姿勢が必要だったという。
竹馬監督の演出は、視線、呼吸、沈黙、ランニングのリズムといった「身体の時間」を用いて人物の内部を立ち上げていく。香里と健流が同じ壁の染みに触れようとする場面は、わかり合えない断絶と、それでも一瞬だけ交差する感情の温度を象徴する、本作の核となるショットである。
香里・健流・慎吾が抱えるのは、社会が規定する“関係のテンプレート”から少し外れた“A(ア)”の領域である。“A”とは英語の接頭辞 a-(not/〜ではない)であり、日本語の「曖昧」「間(あいだ)」の“ア”の響きも孕む。これは、恋愛という概念の外側に広がる巨大なグラデーション——名前のない感情圏——を指す視点である。
その観点から見ると、本作は恋愛映画でも反恋愛映画でもない。既存の言葉では回収しきれない関係そのものを扱い、“わからない他者と共にいること”を静かに写し取る映画である。
ゆえに『そこにきみはいて』は、“恋愛の外側にある感情”を描く、新しい〈ア恋愛映画〉 と呼ぶことができる。
『そこにきみはいて』は、名づけられない感情とともに生きるすべての人へ向けた、竹馬靖具監督の静かな問いであり、“ア”という曖昧さの美しさを映し出す、新しいア恋愛映画である。
(TI)
イントロダクション
注目の実力派俳優 福地桃子×寛一郎 どんな言葉でも名付けられなかった感情のかたち
それぞれの孤独を抱えた者たち。ある女性はアロマンティック・アセクシュアルであり、恋愛というものに実感を覚えられないまま、唯一の理解者と思えた相手との結婚を決める。親友を愛したまま、彼女と“別のかたち”で生きることに懸けたが、自らの内に激しい欲望の渇きを隠していた。そこにもうひとり、社会的な成功を手に入れながらも、実はある秘密と葛藤を抑圧させて生きる者が現れる。すれ違い、傷つけ合いながら、個として必死につながろうとする三人。自分の居場所を探し続ける彼らの存在、そして“生と死”を超えた関係性は、果たしてどこに向かうのか――。
監督・竹馬靖具×原案・中川龍太郎が描く、新たなる詩的リアリズムの世界
本作は原案と出演を務める映画作家にして詩人、中川龍太郎のパーソナルな想いが土台となったものだ。彼の実体験であり、生涯追い求めてきた主題である「親友の自死」。それは中川監督作の『走れ、絶望に追いつかれない速さで』(15)や『四月の永い夢』(17)などに反映されてきたが、今回はいま一度、作家としての原点に立ち返り、従来とは異なるスタンスで自らの新境地に挑んだ。
ストーリー
嘘でも 特別だった
本当のことは 言えなかった
近くて遠いわたしたちは、何かが変わる予感がしていた
海沿いの街を旅する香里(福地桃子)と健流(寛一郎)は、恋人というより、どこか家族のようだった。だが入籍が近づいたある日突然、健流は自ら命を絶つ。お互いにとって一番の理解者だと信じていた香里はショックを受け、健流と出会う以前のように他人に対して心を閉ざす。そんな中、香里は健流の親友であったという作家・中野慎吾(中川龍太郎)のことを思い出し、彼の元を訪ねる。健流の知らなかった一面を知るために、ふたりは街を巡りーーー。
竹馬靖具監督コメント

中川さんから原案を受け取ったとき、正直に言えば、私にはこの脚本は書けないと思いました。けれど、主演の福地さん、中川さん、寛一郎さんという 3 人の存在から強いインスピレーションを受け、この物語は、自然と輪郭を持ちはじめたように思います。福地さんは、非常に難しい役柄に真正面から向き合い、見事に演じてくれました。この役を演じられるのは、やはり福地さんしかいない──作品が完成した今、あらためてそう感じています。
監督プロフィール
1983 年生まれ。2009 年に監督、脚本を手掛けた映画『今、僕は』が全国公開。2011 年に真利子哲也監督の映画『NINIFUNI』の脚本を執筆。2015 年、監督・脚本作『蜃気楼の舟』がカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のフォーラム・オブ・インディペンデントコンペティションに正式出品される。『蜃気楼の舟』は 2016 年に全国公開。2020 年には映画『ふたつのシルエット』が、2022 年には『の方へ、流れる』が全国公開された。
原案 : 中川龍太郎氏コメント
”演じる”ことによってのみ癒すことができる痛みがあることを竹馬監督に教えていただきました。”中野慎吾”という小説家は、自らの痛みから目を背けることで大切な人たちを傷つけつづけてきた人物です。その姿には、自分が監督として映画に関わる中では表現できなかった感情や言葉が詰め込まれています。拙作『走れ、絶望に追いつかれない速さで』が公開されてちょうど十年。あの時、観客の皆様との対話を通して、自分の抱えていた問題にわずかな光明が見えた気がしました。あの日々のように、この作品を見ていただいた方々と対話できる日を楽しみにしています。





アップリンク吉祥寺 アップリンク京都
ほか全国劇場にて 11月28日(金)公開
出演:
福地桃子
寛一郎 中川龍太郎
兒玉遥 遊屋慎太郎 緒形敦 ⻑友郁真
川島鈴遥 諫早幸作 田中奈月 拾木健太 久藤今日子
朝倉あき/筒井真理子
脚本・監督:竹馬靖具
エグゼクティブ・プロデューサー:本間憲、河野正人
企画・プロデュース:菊地陽介 ラインプロデューサー:本田七海
原案:中川龍太郎
音楽:冥丁
撮影:大内泰 録音・整音:伊豆田廉明 美術:畠智哉 助監督:平波亘
ヘアメイク:藤原玲子 スタイリスト:石橋万里 制作担当:中島正志
音響効果:内田雅⺒ 編集:山崎梓
宣伝プロデューサー:伊藤敦子 宣伝美術:石井勇一(OTUA)スチール:水津惣一郎
制作プロダクション:レプロエンタテインメント 宣伝:ミラクルヴォイス
配給:日活
©「そこにきみはいて」製作委員会 2025/97 分/ビスタ/日本/5.1ch