『見はらし世代』「見晴らし世代」対談:シニア観客&Z世代観客「この映画の“見晴らし”は、希望と違和感の共存なんですね」

『見はらし世代』「見晴らし世代」対談:シニア観客&Z世代観客「この映画の“見晴らし”は、希望と違和感の共存なんですね」

2025-10-10 22:10:00

 

今年のカンヌ映画祭監督週間最年少監督として上映された団塚唯我監督の『見晴らし世代』。
シニア世代の観客とZ世代の観客の対談形式で映画を紹介する。

シニア観客:最初の海の見える家のシーン、あれがすべての始まりであり、終わりのようにも感じた。穏やかで美しいのに、もう家族は壊れている。母親(井川遥)はほとんど何も言わず、波の音の中で存在が薄れていく。家族がまだ「形」としてある最後の瞬間なのに、誰も互いを見ていない。

Z世代観客:監督が「母の表情を抑えて、“見えない感情”を撮りたかった」と語っていました。あの沈黙が映画全体を貫いています。父親が都市を設計する人間だからこそ、家庭という“最小の社会”が崩れていく。その対比が痛烈ですよね。

シニア観客:  父はランドスケープデザイナー。都市を整える仕事をしているのに、家族の地盤はもろい。渋谷の再開発を背景にして、家族の再生を描くという構図──確かに鮮やかだけど、少しテンプレートに感じた。宮下公園のジェントリフィケーションも象徴的に使われすぎていて、図式的だと思ったよ。

Z世代観客:そう感じましたか? 僕はそこに誠実さを感じました。監督が「再開発は誰かを見えなくする」ということを明確に意識していた。だからあえて構図を単純にしたんじゃないでしょうか。都市と家族を並列に置くために。

シニア観客:  ただね、都市ってそんなに単純じゃない。整備された街にも、ちゃんとカオスは生まれる。新しい建築にも、想定外の歪みや、想像しなかった出会いがある。再開発=排除、と決めてしまうのは、ちょっと図式的だ。私は都市を悪者にしてほしくなかった。たぶん、私が60代で“都市の変化を体感してきた”世代だからだろうけど。宮下公園も未来は渋谷地区が衰退して空きテナントが出て、安く借りられるようになってスタートアップ企業や個人のお店が集積してると魅力的だと思うが。

Z世代観客:  なるほど。でも、団塚監督は「東京を撮るときは、自分が育った風景を見直すような気持ちだった」と言っていました。彼にとって渋谷は“消費される都市”じゃなくて、“記憶が更新され続ける場所”なんだと思います。だから、そこに立つ父と、そこを歩く息子を重ねた。

シニア観客:その視点はわかる。だけど私は、父と息子の関係にももう少し“乱れ”がほしかった。すべてが整理されすぎていて、現実の家族ほどの泥臭さがない。都市の描写も含め、全体に理性的で清潔なんだ。まるで“整備された映画”のように。

Z世代観客:  それ、面白いですね。若い観客の多くは“クールさ”を評価していましたよ。SNSでは「顔のアップがなく、引いた絵で観察しているのがいい」「感情を押しつけない距離が心地よい」といった声が多かったです。感情を削ることで、観客が自分の感情を投影できるんです。

シニア観客:私には、感情の余地というより、感情の“回避”に見えた。たとえば蓮がバイトを突然辞めるシーン。何も言わず去っていく。あれは象徴的だけど、人と人との関係を結ぶ力を失っているようで悲しくなる。若い世代は、言葉を使わずに伝えるというけれど、それは“伝わらなさ”と紙一重だよ。でもまあ退職代行サービス使うよりましか。

Z世代観客:  監督は「沈黙は拒絶ではなく、誠実の形」と言っていました。僕たちの世代は、言葉を信じない分、距離感で関係を測っている。だから、あの沈黙は現代のリアリティなんです。

シニア観客:そのリアリティを、映画は淡々と撮っている。ときどき美しすぎて、息苦しいほどだ。そんな中で印象的だったのが、台湾人アシスタントの台詞だよ。「日本の街はきれい。でも、風が吹かない。」あれは一番の名セリフだ。彼女の存在が、この映画に外の空気を入れていた。

Z世代観客:  そうですね。彼女のまなざしは、監督が言う“外からの東京”の視線そのもの。観光でも批判でもなく、ただ観察する。その距離が、この映画の姿勢を象徴している。

シニア観客:だけどね、「風が吹かない」というのも、言葉としては詩的だけれど現実には違うと思う。ビルの間にも、宮下公園にも、ちゃんと風は吹いている。整備された都市にも風はある。問題は、誰がその風を感じているか、なんだ。映画はそこまで踏み込んでいない気がした。つまり、「風が吹かない都市」という発想自体がテンプレートに見えるんだよ。そういう“考え方に酔っている”感じが少しある。

Z世代観客:たしかに、あの台詞は比喩としては強すぎるかもしれませんね。でも、僕はあの言葉を「風の流れを感じられない心の状態」として受け取りました。台湾人アシスタントの視線は、物理的な風ではなく、都市に生きる人々の感情の風通しの悪さを指していたんだと思います。

シニア観客:それならまだ納得できる。風は止まっていない。ただ、人の心が閉じている。都市は生きているけれど、人が息をしていない。そう考えれば、あの言葉も少し現実を超えた詩として響くかもしれない。

Z世代観客:その“外からの視線”が、映画に呼吸を与えていると思います。団塚監督も「異国の視線を通すことで、東京を観察できる」と話していました。観光でも批評でもなく、ただ観察する。その距離が、この映画の姿勢を象徴している。

シニア観客:彼女がもっと物語に関わってもよかったと思う。外からの視線は、都市を固定化しない。渋谷を“再開発された街”と断定する代わりに、変化し続ける“生きもの”として撮ることもできたはずだ。

Z世代観客:でも、その“変化の息吹”を最後に撮っているのがLUUPのシーンなんじゃないですか? 父の設計した都市の上を、息子が自由に走り抜ける。スマホで探して、どこでも借りられて、どこでも返せる。ノーヘルで風を切って走る。それって今の東京ですよ。

シニア観客:LUUPはね、便利だけど危ない。私は車を運転することもあるから、あれが視界に入ると怖くてたまらない。自由というより、制御のない加速だ。街がスピードを求めすぎて、人のリズムを失っている気がする。

Z世代観客:でも、団塚監督は「LUUPは希望でも絶望でもない。抗いようのない現実」と言ってました。あれは“父の設計図の上を生きる息子”の比喩でもある。自由と従属の境界を走る映像なんですよ。

シニア観客:いや、抗いようのない現実ではなく、LUUPはいずれ法規制されると思う。どうも利権の匂いを感じるよ。父が作った都市の構造に、自分を合わせていく若者の姿。だけど、その風の中に確かにエネルギーもあった。都市の爽快な乗り物ではなく、疾走する危険な乗り物と移ったので君らは楽観的過ぎるし、物事のの裏を考えなさすぎる。

Z世代観客:つまり、この映画の“見晴らし”は、希望と違和感の共存なんですね。きれいすぎて息が詰まる場所にも、見えない風が吹いている。

シニア観客:確かにテンプレートに見える構図の中に、監督は風を入れようとしていた。ジェントリフィケーションも家族の崩壊も、すべてが整理されて見えるけれど、その整然さの奥に乱れを感じる。だから、完全には割り切れない。

Z世代観客:やっぱり、“見晴らし”というタイトルがすべてを言っていますね。見えることの安心と、見えすぎることの不安。その間に、世代の距離がある。

シニア観客:そうだね。君はあの風を自由と感じ、私は演出された風と感じた。でも同じ風を見ている。映画って、そういう場所だと思うよ。

(TI &ChatGTP)

 

イントロダクション

───2025年、未明
家族、東京、あたらしい景色

今年5月、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に日本人史上最年少、26歳の監督作品『見はらし世代』が選出された。オリジナル脚本・初長編作品でその快挙を成し遂げたのは、短編『遠くへいきたいわ』(ndjc2021)で注目を集めた団塚唯我監督。主人公の青年・蓮と、結婚を控え将来について悩む姉。そして母の喪失をきっかけに姉弟と疎遠になった、ランドスケープデザイナーの父。渋谷の街を舞台に、関係を再び見つめ直そうとする彼らを描く本作は、普遍的な家族の風景から、都市の再開発がもたらす影響までを繊細に描き出す。きわめて軽やかに、ただ、決して切実さは失わずに。観客に開かれた、新人監督の瑞々しい感性による新しいスタイルの日本映画が誕生した。

再開発が進む東京・渋谷を舞台に主人公・蓮を演じるのは『さよなら ほやマン』で映画デビューし、日本批評家大賞 新人賞を受賞した若き技巧派俳優の黒崎煌代。「私のキャリアを最初から近くで観ていてくれた団塚監督だからこそ100%の信頼をもって撮影に臨むことができました」と信頼を寄せる団塚監督初長編作品にて、自身も初主演という大役に挑んだ。父親・初を演じるのは、悪役からコミカルなキャラまで幅広い役を演じ、多数の作品で存在感を発揮する遠藤憲一。母親・由美子をドラマ・映画・舞台・モデルなど幅広い分野で活躍する井川遥、姉・恵美を数々の映画新人賞に輝く若手実力派の木竜麻生が演じている。

 

ストーリー

再開発が進む東京・渋谷で胡蝶蘭の配送運転手として働く青年、蓮。ある日、蓮は配達中に父と数年ぶりに再会する。姉・恵美にそのことを話すが、恵美は一見すると我関せずといった様子で黙々と自分の結婚の準備を進めている。母を失って以来、姉弟と父は疎遠になっていたのだ。悶々と日々を過ごしていた蓮だったが、彼はもう一度家族の距離を測り直そうとする。変わりゆく街並みを見つめながら、家族にとって、最後の一夜が始まる――

 

プロダクションノート

プロデューサー 山上賢治より

―――監督との出会い
2021 年、文化庁委託事業「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」で団塚唯我監督作品の制作をシグロで受けることになった。私自身は、あるきっかけでスタッフとして参加した。完成した『遠くへいきたいわ』という短編は瑞々しい感性をもった良い作品になった。何よりも一番印象的だったのは、当時まだ 23 歳だった監督が、映画に映るあらゆる要素の取捨選択が上手い、俯瞰的に捉えられることができるところだった。
その後、シグロで製作した『さよなら ほやマン』にメインキングで参加してもらい、そこで当時デビュー作として出演していた黒崎煌代さんにも出会った。

―――企画の始まり
2022 年、監督がシグロに本作の初稿を持ち込んで、企画がスタートした。短編では母親を失った少女が主人公だったが、本作では主人公は青年となっていた。そして、東京の都市再開発が物語に入っていた。
企画の始まりから公開を控える現在まで、その時々で監督は明確なビジョンを持っていた。

―――脚本について
主人公の蓮は一見すると感情の流れが読みにくい、現代の青年という印象だが、脚本の初期段階では更にそれが顕著だった。
脚本は何度も改稿を重ねていったが、全体を通した大きな印象は初期から大きくは変わっていないように思う。それだけ、描きたいものが明確にあったのだろう。
家族の物語を再開発が進む東京で、更に再開発自体をメタファーにしながら描く。その発想が斬新だった。自身が普段東京を見ている眼差し的にも、団塚唯我にしか撮れない作品が生まれたと思う。
そして、決定稿までの改稿を見ていて、団塚唯我という監督は、男性女性年齢層に関わらず、どの属性の人物でも書ける、という点に凄さを感じた。実際には描けないものもあるのだろうが、描けないものを無理に書かないのかもしれない。
そして、軽やかな文体で書かれた脚本は、それ自体読み物として面白かった。

 

―――完成から、映画祭について
本作は当初からカンヌ国際映画祭に応募しようと思っていた。ただ、1 月 31 日にクランクアップをし、編集ラッシュが 2月 18 日、英語字幕制作にかかる時間を逆算しラッシュ後に四日間だけ修正をし、カンヌに提出することになった。流石にこの段階では選ばれないだろうと思い、気持ちを切り替えそのまま編集を進めていた。
カンヌも諦め、引き続き仕上げを進めていたところ、4 月 13 日に電話が来た。監督週間部門のディレクターからで、「あなたたちの作品を選んだよ。おめでとう。凄く美しい作品だ」と言ってくれた。全く実感も湧かないが、明後日記者会見で発表するからと言われた。嬉しかったこと、ホッとしたことを覚えている。
ここまでまだ海外の映画祭での上映が続いているが、本作は元々日本の観客、特に東京に住んでいる観客が一番楽し
めるのではないかと思っている。これから日本の観客からどんな反応があるか、とても楽しみにしている。

 

団塚唯我監督プロフィール

1998年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学環境情報学部中退。映画美学校修了。在学中は万田邦敏や脚本家の宇治田隆史より教えを受ける。同校修了作品として制作した短編、『愛をたむけるよ』が、なら国際映画祭、札幌国際短編映画祭、TAMA NEW WAVE 等の映画祭で入選、受賞。2022 年、若手映画作家育成事業ndjc にて、短編『遠くへいきたいわ』を脚本・監督( 制作:シグロ)、第36回高崎映画祭等に招待。本作品『見はらし世代』が初長編映画となる。

 

アップリンク吉祥寺アップリンク京都ほか全国劇場にて10月10日(金)公開

公式サイト

 

黒崎 煌代
遠藤 憲一
木竜 麻生 菊池 亜希子
中山 慎悟 吉岡 睦雄 蘇 鈺淳 服部 樹咲 石田 莉子 荒生 凛太郎
中村 蒼 / 井川 遥

監督・脚本:団塚唯我
企画・製作:⼭上徹⼆郎
製作:本間憲、金子幸輔、長峰憲司
プロデューサー:山上賢治
アソシエイト プロデューサー:鈴⽊俊明、菊地陽介
撮影:古屋幸⼀
照明:秋⼭恵⼆郎、平⾕⾥紗
音響:岩﨑敢志
編集:真島宇⼀
美術:野々垣聡
スタイリスト:⼩坂茉由 ヘアメイク:菅原美和⼦、河本花葉
助監督:副島正寛 制作担当:井上純平 音楽:寺⻄涼
『見はらし世代』製作委員会:シグロ、レプロエンタテインメント
制作プロダクション・配給:シグロ
配給協力:インターフィルム、レプロエンタテインメント
宣伝:共同ピーアール、レプロエンタテインメント
2025年 | カラー | 115分 | 2:1 | 5.1ch | DCP
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(日本映画製作支援事業)、独立行政法人日本芸術文化振興会

©2025 シグロ / レプロエンタテインメント