『アフター・ザ・クエイク』“怪獣を倒して未来の関東大震災を防ぐ”という直線的な物語ではない
NHKで『その街のこども』や『あまちゃん』を手がけてきた井上剛監督が、震災をどう物語にするかをずっと考え続けてきたという。彼はすでに村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』をNHKドラマ『地震のあとで』として映像化しているが、今回の『アフター・ザ・クエイク』はその延長線上にある。阪神・淡路大震災から30年の節目に、断片的な短編を長編映画として束ね直すことで、震災の記憶をどのように継承し、未来へ開くのかを問う作品となった。
選ばれたのは「UFOが釧路に降りる」「アイロンのある風景」「神の子どもたちはみな踊る」「かえるくん、東京を救う」の四編。原作ではそれぞれが独立した短編として提示されていたが、映画では1995年から2025年へと続く時間の流れに再配置され、世代を超える連鎖として描かれる。赤い廊下を通じて物語がつながっていく映像的仕掛けは、記憶が人物から人物へと引き渡されるさまを示している。
震災を題材にした作品を模索していた時期にこの短編集と出会い、「直接的に悲劇を描かなくても、震災の記憶を抱える人々に届く物語はあり得る」と確信したことが映画化の大きな動機となっている。
登場人物は皆「からっぽ」を抱えている。失踪した妻を探す男、焚き火を前に心を通わせる家出少女と男、信仰に揺れる青年、そして東京で孤独に暮らす警備員。彼らの前に現れる“かえるくん”(声:のん)は、かつて「みみずくん」と呼ばれる存在と闘い、東京を地震から救ったと語る。そのエピソードは怪獣映画のパロディのように映るが、実際には未来の災厄を象徴する寓話である。
井上は「『からっぽ』だからこそ、中に何でも入れられる。その余白が観客の想像力を掻き立てる」と語っており、この寓話性は観客自身の不安や記憶を投影する余地を生む。
演出も同様に、説明を避け、村上文学の“語らない文体”を映像の“余韻”に置き換えようとし、余白を残すことを重視している。監督は小説的なセリフを俳優にどう託すか悩み、「あえてセリフを喋らずに演じてもらった場面もある」と明かしている。言葉がなくても伝わる瞬間をスクリーンに収めることで。
要するに、本作は“怪獣を倒して未来の関東大震災を防ぐ”という直線的な物語ではない。むしろ、震災の記憶と不安をどのように語り継ぎ、どのように未来の想像へと開くかをめぐる映画的実験である。断章を連鎖へ、説明を余白へ、悲劇の再演を寓話へ――その翻訳作業の手応えが、静かな高揚として終盤に結実する。
本作の脚本を手がけたのは『ドライブ・マイ・カー』で国際的に注目を集めた大江崇允。複数の短編を大胆に編み直し、断片を大きな流れへと翻訳する構成力が発揮されている。また音楽は大友良英。静謐でありながら時に不穏さをにじませ、映像と同じく「余白」を聴覚的に形づくる。台詞を抑制し、音楽と沈黙のバランスで観客に解釈を委ねる本作の姿勢を支える重要な要素だ。
『アフター・ザ・クエイク』は、文学と映像のあいだに漂う余白を観客に託し、震災30年の日本に新たな物語の形を示す。怪獣映画の興奮とアートフィルムの静謐さが同居する、稀有な一本である。
(TI)
イントロダクション
世界的作家・村上春樹の傑作短編連作『神の子どもたちはみな踊る』にオリジナル設定を交え映像化! 一流の製作陣が集結し、新しい村上ワールドを創造する。
25 年前の作品とは思えないほどますます現代性を帯び、今も世界中で愛読されている村上春樹の短編連作『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫刊)。全 6 編からなる原作から「UFO が釧路に降りる」「アイロンのある風景」「神の子どもたちはみな踊る」「かえるくん、東京を救う」の 4 編を元にオリジナル設定を交え再構築。監督を務めたのは連続テレビ小説「あまちゃん」や大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」など数々の話題作を手掛けてきた井上剛。天災を描き続けてきた井上が、ドラマ・映画共に高く評価された『その街のこども』制作時に指針として常に読み返していたという原作の映像化に満を持して挑んだ。脚本を『ドライブ・マイ・カー』の大江崇允、音楽を『花束みたいな恋をした』の大友良英、気鋭の撮影スタッフが集い新たな村上ワールドを創り上げた。本作はギャラクシー賞を受賞した NHK ドラマ「地震のあとで」(2025 年 4 月放送)と物語を共有しつつ、4 人を結ぶ新たなシーンが加わり、30 年という時代のうねりを映し出した1本の映画として生まれ変わった。
日本映画界屈指の豪華俳優陣が集結!岡田将生、鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市が主演を務め、のんが“かえるくん”に命を吹き込む!
現実と幻想、恐怖と滑稽を飛び越えながら、だれもが抱く孤独とその先の希望を描き出す。これは、先の見えない世界で“からっぽ”になってしまった私たちが、自分を取り戻すための物語。
日々目まぐるしく変化する時代に生きる私たちが、再び大切なものを見つけ出すための希望の物語がここにある。
ストーリー
1995年、妻が姿を消し、失意の中訪れた釧路でUFOの不思議な話を聞く小村。
2011年、焚き火が趣味の男と交流を重ねる家出少女・順子。
2020年、“神の子ども”として育てられ、不在の父の存在に疑問を抱く善也。
2025年、漫画喫茶で暮らしながら東京でゴミ拾いを続ける警備員・片桐。
世界が大きく変わった30年、人々の悲しみや不幸を食べ続けたみみずくんが再び地中で蠢きだした時、人類を救うため“かえるくん”が現代に帰ってくる。
井上 剛監督インタビュー
Q 村上春樹さんの原作『神の子どもたちはみな踊る』を刊行から 25 年経った今、映画化することになったきっかけを教えてください。
これまで阪神・淡路大震災に関する作品を何本か作ってきたのですが、30 年を迎えるにあたって、前作(Disney+「拾われた男」)で出会ったプロデューサーの山本晃久さんから、村上春樹さんの『神の子どもたちはみな踊る』をやれませんかねと言われて、僕は「あら!」っと驚いたんです。なぜかというと、2010 年に「その街のこども」という作品を作っていたときに、今回の原作を読んでいたからなんですよ。2010 年当時、僕は NHK の大阪放送局に勤務していたから、周りに震災を経験した局員もいていろんな声を聞いていて、震災の体験のない自分がそれを題材にドラマをつくるとなった時、ご家族が亡くなったとか友人が亡くなったとかというドラマを描かなければならないなら抵抗があるなあと。プロデューサーと脚本の渡辺あやさんと 3 人ですごく悩んだんですね。というのも NHK であれば、震災そのものをテーマにしたドキュメンタリーなどもあるわけだし、そのことをまたわざわざドラマに仕立てて感情をなぞったり、知った風に演出するのは嫌だなという気持ちがあって、そこで渡辺あやさんとも話し合って、震災の話ではあるんだけど、その傷に触れられない男女二人がその日だからたまたま話せるようなラブストーリーにできないか?ということになったんです。そのとき、ヒントになったのが、この原作だったんです。6434 人の亡くなった方のことを描けるならもちろんそれは大切なんですけど、自分たちにはまだできない。ならば、そのまわりにも震災の記憶がある人はたくさんいて、その方たちに届く物語ができないかと考えたときに参考にしていた本だったんです。だから山本さんに「この原作で行きましょう」と言われたときは、その(自分にとっての)偶然に驚いたんです。
Q 今回、実際に村上春樹さんの原作を映像化するときに感じた難しさはありましたか?
やっぱり原作が書かれてから 25 年経っていますし、原作のすばらしさは読者の方は知っているわけで、その上で僕らが映像化する上で、新しく提示できるものは何だろうと悩みました。そのこともあって、原作とは違う時間設定にしました。1995 年から始まって、2011 年、2020 年、2025 年という風に。それとは別に、やっぱり村上春樹さんの書いた文学を映像に起こすのが一番難しかったです。
Q 村上春樹作品特有の非現実的な表現を描く上で、どのようなことに力を入れましたか?
こだわったのは地下鉄の電車のシーンですね。本編中に出てくるみみずくんっていうのがいるんですけど、みみずって地下でくねくねしているじゃないですか。そのことと、地下を走る列車が生き物のように見えて重なるように感じれるといいなと思って、それを印象付けるために特別に大掛かりなミニチュアを作って変なアングルで撮ったりしましたね。冒頭の赤い廊下もぐにゃぐにゃするように、電車もぐにゃぐにゃ曲がったらいいなと思ったんです。それと、地鳴りなどの音の設計も映画では意識しました。地下を意識した感覚が得られるのではないかと思います。映像的には、時代、パートによって、色合いも変えていますね。
監督 プロフィール
1968 年生まれ、熊本県出身。93 年 NHK 入局。ドラマ番組部や福岡放送局、大阪放送局勤務を通して、様々なジャンルのテレビ番組制作に関わる。主にドラマやドキュメンタリーの演出・監督・脚本・構成を手がける。
代表作は、数々の話題を生んだ連続テレビ小説「あまちゃん」(13)や大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(19) 、土曜ドラマ「ハゲタカ」(07)、「64(ロクヨン)」(15)、「トットてれび」(16) 、「不要不急の銀河」(20)、「拾われた男」(22)など。2023 年 7月末日、NHK を退局し株式会社 GO-NOW.を設立。フリーの監督・演出家として活動している。
アップリンク京都 ほか全国劇場にて10月3日(金)より公開
監督:井上剛
出演:岡田将生、鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市 、橋本愛、唐田えりか、吹越 満、黒崎煌代、黒川想矢、津田寛治、井川遥、渋川清彦、のん、錦戸亮、堤真一
脚本:大江崇允
音楽:大友良英
プロデューサー:山本晃久、訓覇圭
アソシエイトプロデューサー:京田光広、中川聡子
原作:村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫刊)より
製作:キアロスクロ、NHK、NHKエンタープライズ 制作会社:キアロスクロ
配給・宣伝:ビターズ・エンド
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