『テイク・ミー・サムウェア・ナイス』だれか彼女に"ナイスな場所"を教えてあげて。

『テイク・ミー・サムウェア・ナイス』だれか彼女に"ナイスな場所"を教えてあげて。

2025-09-17 08:00:00

「カード払いで」「駅はどこですか」。旅行のための外国語―ボスニア語を、母親と並んで家のベランダで肌を焼きながら練習する、オランダ生まれのボスニア人少女─アルマ。

ボスニアで暮らしていた彼女の両親は、かつて戦火を逃れ、祖国からオランダに移ったのだった。母国を忘れられなかった父親はその後、母と娘を残してオランダを去り、やがて連絡も途絶えていった。その父親が入院したとの知らせが、母親とアルマの元に届く。母親は今さら会いたくはないと言い、アルマはひとりで父親がいるというボスニアのポドべレジイェへと向かうこととなる。

この”旅”のために母親と買いに行ったスモーキーな水色のベロアのワンピースを身につけ、スーツケースを引っさげて、彼女はボスニアの空港に降り立つ。

ボスニアでの彼女の唯一の身寄りは従兄のエミルだ。甲斐性がなくぶっきらぼうなこの従兄にはデニスという相棒がいる。アルマは彼ら二人になかば協力を得、なかば翻弄されるようにして、父親のいるポドべレジイェを目指す。

異国の空港にひとりの少女。頼りにならない従兄と、その男友達。

映画ファンならすぐ気がつくように、またエナ・センディヤレヴィッチ監督自ら公言しているように、本作『テイク・ミー・サムウェア・ナイス』は、ジム・ジャームッシュ監督の映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』をトレースし、エヴァではないアルマという少女の物語に仕上げている。

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は、叔母の住むクリーブランドを目指しハンガリーからアメリカに来たエヴァが、途中から従兄のウィリーと男友達のエディとともに”楽園”─フロリダへと向かう道中を描くロードムービーである。タイトルは”Stranger in Paradise(楽園の異邦人)”をもじったに過ぎないかも知れないが、直訳をしようとすれば、「楽園以上に奇妙なもの」となる。クリーブランドでもフロリダでも、エヴァたちの"本当はここじゃない感"が漂いつづける。

本作も同様に、「どこかナイスな場所にわたしを連れていって」とタイトルがつぶやくように、行き先は父親の元でありながら、ほんとうの目的地はどこかべつの場所であり、しかもアルマ自身そこが一体どこであるのか、どこにあるのかを知らない。

アルマの行く先々では、もはや可哀想なくらい、彼女に良い方向を示してくれる人物は現れない。ひとりで外国に行き、知らない男と二人きりで酒を飲み、したい相手とセックスする。しかし旅先から母親への電話を欠かさない彼女は、もう子どもではないが、まだ大人でもなく、実際にはほんの小さな少女だと思う。少女、という時間あるいは状態の、まぶしくて痛いほどの矛盾。

そんなに遠くないけれど昔で、いつの間にか忘れてしまうと思われる、あの時間、あの状態にあったことのあるわたしは、もしもどこかでアルマに出くわしたなら、少女だった自分のことを思い返しながら、わたしの知っている中で一番ナイスな場所を教えてあげたい。

(小川のえ)

イントロダクション

物憂げなのに不思議と心地よく、風変わりでありながらどこか親密さも感じられる本作は、「大人」とも「少女」とも言いきれないひとりの若い女性が経験する、ひと夏の物語。

青春ロードムービーであり、陽光きらめくバカンス映画の趣も湛えたその映像世界には、長編デビュー作となるエナ・センディヤレヴィッチ監督の唯一無二の感性が息づき、観る者に白昼夢の中をたゆたうような映画体験をもたらす。

ボスニア・ヘルツェゴビナ出身、オランダ育ちという監督自身のルーツを色濃く投影したこの半自伝的作品は、監督が心酔するジム・ジャーム ッシュの代表作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』から多大なインスピレーションを受けている。

男女3人の主要キャラクター、静的でミニマルな演出、ゆったりと流れる時間、そして余白に満ちた空間。さらにアイデンティティが不確かな主人公の“自分探し”という普遍的なテーマを追求した本作は、世界中から優れたインディペンデント映画が集うロッテルダム国際映画祭コンペティション部門でタイガーアワードを受賞し、国際的にも高く評価された。

ストーリー

大人への入り口に立つアルマは、オランダ育ちのボスニア人の女の子。

幼い頃、自分と母を置いてボスニアに戻った父が病に倒れたと聞き、彼女は見舞いのためひとり“母国”を訪れる。

しかし、迎えてくれた従兄のエミルは冷淡で、彼の親友である軽薄なデニスは彼女への下心を隠そうともしない。

さらに、キャリーケースの鍵が壊れるという不運にも見舞われたアルマは、やむなくひとり、遠く離れた病院へと長距離バスで向かうことに...。

だがその先には、さらなる迷走と混乱が待ち受けていた...。

エナ・センディアレヴィッチ監督インタビュー

――アルマというキャラクターの着想はどこから来たのですか?

アルマを創り出すにあたり、ジム・ジャームッシュ監督の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の女性キャラクターから着想を得ました。ジャームッシュが移民のテーマを独特で斬新な形で描いた点に強く惹かれます。

アルマというキャラクターを探求する中で、彼女の内面をより深く理解し、その複雑な側面を多角的に描くことが必要だと強く感じるようになりました。そして、彼女の抱える「問題」の根源に向き合うことが、作品にとって重要な要素になったのです。

その過程で、私自身の思考や性格の一部をアルマに重ねることで、キャラクターに「本物らしさ」を与えることができると気づきました。実際、私はアルマだけでなく、映画の登場人物すべてに対して同じ試みを行っており、それぞれのキャラクターがリアルで生き生きとした存在になるよう努めました。

この映画は、私自身の移民としての経験やアイデンティティの揺らぎを反映しつつ、普遍的な「居場所を探す旅」の物語です。

――ボスニアでの撮影はいかがでしたか?

本作の撮影中、ボスニアにとって非常に困難な時間でした。数か月にわたるボスニア滞在を通じて、現地の厳しい現状を目の当たりにし、深い悲しみを覚えました。

特に衝撃を受けたのはボスニアの若者の失業率が60%にも達しているという現実です。さらに、政治制度が分断と腐敗を助長し、国の機能が十分に果たされていない状況が続いていました。ヨーロッパという枠組みの中にありながら、国によって、ここまで大きな格差が存在することに驚きを感じました。

ボスニアで生きる人々の困難な状況と、外の世界との温度差を撮影しながら痛感し、その無力感は映画にも強く反映されています。

映画のキャスティングを通じて、ボスニアの若者たちと直接交流し、彼らがどれほど閉塞的な環境に生きているかを実感しました。彼らは「戦場下で育った子どもだから劣っている」という意識を植え付けられ、社会に影響を与える力を持てないと信じ込まされながら育ってきました。

エナ・センディアレヴィッチ監督プロフィール

1987年ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれ。モドリチャにて幼少期を過ごすも、ボスニア紛争の勃発により家族と共に避難。ベルリンを含む約20回の転居生活を経て、2002年にオランダ・アムステルダムに移住した。アムステルダム大学およびベルリン自由大学でメディアと文化を学び、2014年にオランダ映画アカデミーで脚本と演出を専攻、卒業。難民としてオランダに渡った自身の背景や、複雑なアイデンティティの問題は、彼女の作品全体に深く息づいている。2013年、初の短編映画『Reizigers in de Nacht(夜の旅人)』を発表。2016年には、オランダに逃れたボスニア難民家族の移住をテーマにした短編映画『Import』が、カンヌ国際映画祭監督週間で上映され、大きな注目を集めた。2019年、『テイク・ミー・サムウェア・ナイス』で長編デビュー。ミニマリズム、東欧的ロードムービー、 キッチュな美術センスを融合させ、主人公アルマの内面と不安定な旅を詩的かつユーモラスに描いた。

 

アップリンク京都 ほか全国劇場にて公開

公式サイト

監督・脚本:エナ・センディヤレヴィッチ/撮影:エモ・ウィームホフ/編集:ロット・ロスマーク/衣装:ネダ・ナゲル

音響:ヴィンセント・シンセレッティ/音楽: エラ・ファン・デル・ワウデ

出演:サラ・ルナ・ゾリッチ、エルナド・プルニャヴォラツ、ラザ・ドラゴイェヴィッチ

原題:TAKE ME SOMEWHERE NICE 日本語字幕:上條葉月

提供:クレプスキュール フィルム、シネマ サクセション 配給:クレプスキュール フィルム

2019/オランダ・ボスニア/オランダ語・ボスニア語/カラー/4:3/91分

©2019(PUPKIN)