『ユニバーサル・ランゲージ』“人に優しくすること”の翻訳は─。
ペルシャ語とフランス語が公用語になった、“もしも”のカナダ・ウィニペグ。
本作『ユニバーサル・ランゲージ』のこの設定に、”消滅”した故郷の島国を求めて、独自の言語〈パンスカ〉をつくり出し、ヨーロッパを渡り歩く留学生Hirukoと、彼女が行く先々で出会う境遇豊かな人びとを描いた『地球に散りばめられて』(多和田葉子著)にたいして抱いたものと似た好奇心が、くすぐられてしまった。
ウィニペグは、マニトバ州の南、米ミネソタ州との国境にほど近い場所にある都市。地図をひろげれば、フランス語が公用語のケベック州と、海を越え遠く離れたペルシャ語圏の中東を結ぶような、不思議な交点にある。フランス語とペルシャ語。その二つの言語が同時に交わされている場所とは、一体どんなところなのだろう。家庭は?学校は?街は?文化は?
映画に登場するウィニペグという街は─駐車場が観光名所で、ブラウン地区の向こうにベージュ地区があり、英雄には30分の黙祷を捧げる─キッチュでチャーミングな、まるでおとぎ話のような場所で、ウィニペグという街自体が主人公のようだ。しかしそのマジックリアリズムの仕掛けを少しでも解いてしまえば、いま私たちがいる場所とのたくさんの共通点が見えてくる。(むしろ現代はインターネットやSNSによって、現実のほうがマジックリアリズムのような世界に寄っていっているだろうか。)
ウィニペグに生まれ、フォルーグ・ファッロフザード、ソハラブ・シャヒド・サレス、ジャファル・パナヒ、アッバス・キアロスタミらの映画を通してイランやペルシャ語と出会ってきたマシュー・ランキン監督はごくシンプルに、「この映画の主要なテーマの一つは“人に優しくすること”」と語る。
“多様性”という言葉が、言い表し方が、謳われて、叫ばれて久しい。“多様性”のいちばん易しい翻訳は、“人に優しくすること”、かもしれない。
(小川のえ)
イントロダクション
ちょっとズレてる人々が織りなす
“すれ違い”のケミストリー
監督は、カナダ首相の座を巡る権力争いを皮肉と遊び心たっぷりに描いたブラック・コメディ「The 20th Century」がベルリン、トロントなど主要な国際映画祭を始め、全世界で絶賛された実験映画監督のマシュー・ランキン。
本作は切れ味のあるユーモアセンスと、アッバス・キアロスタミやジャック・ タチなどの巨匠たちに強く影響を受けたキュートで詩的な映像が第77回カンヌ国際映画祭で評価され、監督週間部門としては史上初の観客賞を受賞。さらには、オスカー国際長編映画賞のカナダ代表にも選出される快挙を達成した。
そんな本作で描かれているのは、ペルシャ語とフランス語が公用語となり、イラン文化が強く反映された架空のカナダ・ウィニペグを舞台に、ちょっとズレた人々が織りなす、すれ違いのファンタジー。
監督が「この映画の主要なテーマの一つは“人に優しくすること”」と語る通り、言語や文化、さらには自分と他人との境界も曖昧になって混沌とするウィニペグで、それでも相手と関わり合おうとする登場人物たちの姿勢は観る者の胸を打つことだろう。
本作は架空の都市を舞台にしたフィクションだけれど、きっとそれはあなたの周りでも起きている日常の風景だ。どうかあなたの“ユニバーサル・ランゲージ”が見つかりますように。
ストーリー
舞台はペルシャ語とフランス語が公用語になった、“もしも”のカナダ・ウィニペグ。
暴れまわる七面鳥にメガネを奪われたオミッドは、学校の先生に黒板の字を読めるようになるまで授業を受けさせないと理不尽に怒られてしまう。
それに同情したネギンとナズゴルは凍った湖の中に大金を見つけ、そのお金で新しいメガネを買ってあげようと思いつくのだった。
2人はお金を取り出すために大人たちにアドバイスを求めるが、街に住んでいるのはみんなちょっとヘンテコな人たちでなかなか思うようにいかない。
そこに、廃墟を観光スポットとして紹介する奇妙なツ アーガイドのマスードや、仕事に嫌気が差して自暴自棄になったマシューまで絡んできたからさあ大変!
はたしてネギンとナズゴルは無事にオミッドにメガネを買ってあげられるのだろうか?
マシュー・ランキン監督インタビュー
──この、なんとも奇妙な映画をどう説明しますか?
僕の映画はウィニペグとテヘラン、そしてケベック州のモントリオールが交差するシネマティックなベン図だと考えてもらえるといい。川が合流するようなものだし、ある意味ハワイアンピザみたいでもある。外見はワイルドだが、内面は優しいオシキャットのような映画で、ケベックの陰鬱な映画、ウィニペグのシュールなパズル画、そしてイラン映画流の詩的リアリズムが混ざっている。
これら三つの要素は、互いに映り込み、屈折し合う。『ユニバーサル・ランゲージ』はどれか一つの場所を扱った作品で はなく、三者の複合、つまりメティサージュ(混淆)の物語なんだ。
イラン映画は千年以上にわたる文学・詩の伝統から生まれ、カナダ映画はこの四十年、ディスカウント家具のコマーシャル文化の中で育まれてきた。現代世界の二面性こそがこの映画の主題だと思う。コミュニティと孤独、近さと距離、神聖とありふれた日常、普遍と局所。僕らは、この複雑で悲しくも美しく、輝く世界を、新しい視覚と言語の方法で開こうとしている。
──ウィニペグ育ちでケベック在住とのことですが、イランやペルシャ語の影響はどのようして受けたのでしょうか?
僕がイランと出会ったのは映画からだった。フォルーグ・ファッロフザード、ソハラブ・シャヒド・サ レス、アッバス・キアロスタミ、ジャファル・パナヒ、マフマルバフファミリーといった“メタリアリズム派”の作品を見て衝撃を受けた。また、1970–80 年代の子供向け映画を作ったイラン国際児童映画センターの作品も重要だった。
若い頃、彼らと映画を学びたいと思いイランへ行ったが叶わなかった。それでもそこで出会った人々や、友情、アートを通じた対話が僕の人生に影響を与え続けている。ペルシャ語もゆっくり学び続けているんだ。
──この映画は政治的ですか?
いいや。これは“より広い人と人とのつながり”を切望して生まれた映画だ。
家族や帰属、連帯といった深いレベルでのつながりへの渇望を、僕たちのこの時代において描きたかった。政治的イデオロギーや SNS の偽善者たちは、また新しいベルリンの壁を作ろうとしている。僕たちはそのような二元論を否定する。国境なき、普遍的な連帯から始めようと。ここにも“そこ”がある、“ここ”にも“あの人”がいる。 みんなは、あなた自身でもあるんだ。
『ザクロの色』にある「私たちは互いの中に自分を探していた(原文:We were searching for ourselves in each other.)」という台詞が、僕たちにとって調律音叉のようなものだった。
マシュー・ランキン監督プロフィール
1980年、カナダ・マニトバ州ウィニペグ生まれ。マギル大学およびラヴァル大学で歴史を学んだのち、ケベック州の映画専門教育機関 INIS(Institut national de l’image et du son)で映像表現を本格的に学ぶ。若き日に憧れのイラン映画を追ってテヘランに渡った経験は、のちの映像作家としての方向性に大きな影響を与えることになった。 キャリアの初期から、歴史的題材や記憶、国民的イメージを詩的かつ風刺的に再構成する短編映画を数多く手がけ、これまでに40本以上の短編を監督している。2019年に発表した長編デビュー作『The Twentieth Century』はカナダ・スクリーン・アワードで8部門にノミネートされ、3部門を受賞。カルト的支持を集めると同時に、その実験精神とユニークな映像美で国際的な注目を浴びた。本作『ユニバーサル・ランゲージ』(2024)は、友人2名と共同で制作。2024年カンヌ国際映画祭監督週間でワールドプレミアされ、観客賞を受賞。その後もトロント国際映画祭、バンクーバー国際映画祭、メルボルン国際映画祭などで賞を重ね、カナダ代表として第97回アカデミー賞国際長編映画賞のカナダ代表にも選出された。
アップリンク京都 ほか全国劇場にて公開
監督・脚本:マシュー・ランキン 脚本:ピローズ・ネマティ、イラ・フィルザバディ
撮影:イザベル・スタチチェンコ 音楽:パブロ・ビジェガス、アーミン・フィルザバディ
出演:ロジーナ・エスマエイリ、サバ・ヴェヘディウセフィ、ピローズ・ネマティ、マシュー・ランキン
2024年 | カナダ | ペルシャ語・フランス語 | 89分 | カラー | ヨーロピアンビスタ | 5.1ch | 原題:UNIVERSAL LANGUAGE | 字幕翻訳:髙橋彩 | 配給:クロックワークス | 映倫:G
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