『マルティネス』偏屈な中年男の、架空の恋の行方は―?
本作『マルティネス』は、定年間近の独身男性・マルティネスが、孤独死した隣人・アマリアに恋心を抱いていく、という奇想天外なラブストーリー。
存在しない相手への(との)恋、という意味で、AIとの恋愛を描いた『Her』(2013年、スパイク・ジョーンズ監督)のセオドアを思い出しながら、このメランコリックな、しかしユーモラスに描かれた偏屈な中年男性のステレオタイプのようなマルティネスを見ていた。
マルティネスは、マンションの外に捨てられたアマリアの遺品に出会い、そして彼女に惹かれていく。当人はすでに亡くなっているのにも関わらず、さまざまな遺品からうかがえる彼女の気配は、彼にとてもいきいきとして映った。
マルティネスがアマリアに恋に落ちる前、つまりアマリアが亡くなる前、彼の生活はひどく単調だった。ダブルのスーツを着て、しかめっ面でバスに乗り込み出勤し、仕事道具をデスクの上に几帳面に並べる。休みの日はジャージを着て近くのプールへと通い、帰り道の公園のベンチで、周りのカップルに眉をひそめる...。しかしアマリア(の遺品)に出会って、彼の日常は少しずつ、みるみるうちに、変化していく。しがみついていた小さな習慣の数々を、ひとつずつ手放していくように。
マルティネスの職場の後任パブロは、故郷にいる恋人と遠距離恋愛をしている。パブロは会うことができないならば、そばにいて相手の存在を感じることができないのならば、それはいないことと同じではないか、とぼやいているが、彼の場合、マルティネスのように孤独ではなかった。孤独でいることとひとりでいることは、まったく同じではないということだ。
架空の恋も、決して空虚ではない。恋が成就するかどうかではなくて、恋することそれ自体が生み出す見えない力の作用。アマリアに出会ってからのマルティネスも、他人から見ればまだ頑固で不器用な中年男かもしれない。けれど彼の目には、以前よりも確かに世界が色づいて映っていることだろう。
(小川のえ)
イントロダクション
監督は本作で長編デビューを果たしたメキシコ出身のロレーナ・パディージャ。パンデミックを通してメキシコにおける若者と高齢者との関係性が変化したことに着想を得て、老いや死、孤独に直面し愛に迷う60歳の男性を主人公にしたユニークでほろ苦い人間ドラマを作り上げた。
主演は、第90回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した『ナチュラルウーマン』(2017)で印象的な演技を見せたチリ人俳優フランシスコ・レジェス。説得力のある演技と存在感で、偏屈ながらも愛さずにはいられない魅力的な主人公マルティネスを見事に演じた。
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ストーリー
メキシコで暮らすチリ人のマルティネスは偏屈で人間嫌いな60歳の男性。
会計事務所での仕事やプールでの水泳といった日々のルーティンを決して崩さない。しかしそんなマルティネスの規律的な日々は、会社から退職をほのめかされ、後任のパブロがやって来たことで終わりを迎える。
時を同じくして、アパートの隣人で同年代の女性、アマリアが部屋で孤独死していたことが判明する。
アマリアの私物に自分への贈り物が残されていたことを知り、次第に彼女に興味を抱くようになるマルティネス。
遺された日記や手紙、写真を通してアマリアへの思いを募らせていく内に、マルティネスは心の奥底で眠っていた人生への好奇心を取り戻していく。
ロレーナ・パディージャ監督インタビュー
―――本作『マルティネス』の制作のきっかけは何だったのでしょうか。
『マルティネス』は「男性優位主義」「孤独」、そして私たちの社会に根付く「老い」に対するネガティブな固定観念といった、私にとって重大なテーマを探求したダークコメディです。
脚本家としての私には常にコメディが根底にあるように思います。重大なテーマを扱う時ですら、コメディの要素が含まれています。
重いテーマでもコメディを通して語ることができると分かりましたし、それが『マルティネス』でやりたかったことです。
男性優位主義という固定観念を解体することは、滑稽であると同時に胸が痛むことでもありました。特に『マルティネス』では、そうやって外の世界から自分を守って生きてきた登場人物を扱ったので、なおさらです。
何も感じなければ、傷つくこともありません。私の父がまさにそうでした。マルティネスという登場人物を掘り下げることで、父のことをもっと知りたいと思いました。
私はメキシコ出身の女性監督・脚本家として、男性優位主義の社会を批判的な視点だけでなく、理解しようとする視点からも見ることができます。私たちはみな、男性優位主義の犠牲者です。
ですが、それをただ非難するのではなく、老齢の登場人物がそういった社会のルールから脱しようと懸命にもがく姿を映し出したいと思いました。
ロレーナ・パディージャ監督プロフィール
1978年、メキシコ・グアダラハラ生まれ。フルブライト奨学生としてニューヨーク大学の芸術学部、ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツでドラマティック・ライティングの修士号を取得。これまで10年以上にわたり、5カ国・10都市・23の異なる地域で暮らしたのちに、現在は故郷メキシコに戻りテレビシリーズや長編映画の脚本を執筆している。
長編監督デビュー作となる『マルティネス』では、脚本・監督を務め、ベルリナーレ・タレンツのスクリプト・ステーション、トリノ・フィルム・ラボ、Cine Qua Non Labに参加し、メキシコ国立映画センター、トライベッカ映画研究協会、Filma Jalisco、オースティン映画批評家協会などから支援を受けた。同作はグアダラハラ映画祭でHecho en Jalisco賞を受賞し、サンフランシスコ国際映画祭、カルガリー国際映画祭、サンタンデール国際映画祭、グラスゴー国際映画祭をはじめ、世界各国の映画祭で上映された。
監督:ロレーナ・パディージャ
出演:フランシスコ・レジェス、ウンベルト・ブスト、マルタ・クラウディア・モレノ 他
原題:Martínez |メキシコ|2023年|96分|カラー|スペイン語|フラット|5.1ch|G
日本語字幕:島﨑あかり|字幕監修:洲崎圭子|後援:在日メキシコ大使館
配給・宣伝:カルチュアルライフ
© 2023 Lorena Padilla Bañuelos