『「桐島です」』ラストシーンの先にわたしたちは何を見る

『「桐島です」』ラストシーンの先にわたしたちは何を見る

2025-07-04 19:46:00

2024年1月26日まで、日本全国の交番には、指名手配犯・桐島聡の笑顔の写真が掲示されていた。桐島は、1970年代の連続企業爆破事件に関与し、指名手配されていた「東アジア反日武装戦線」のメンバーである。長期にわたり潜伏生活を続けていたが、末期がんを患い鎌倉市の病院に入院。亡くなる4日前、「最期は本名で迎えたい」と語り、桐島聡と名乗ったことから、病院職員が警察に通報した。

この桐島の死に触発され、即座に映画化されたのが、1971年にパレスチナで『赤軍ーPFLP・世界戦争宣言』を撮影後、日本赤軍に合流し国際指名手配となった足立正生監督の『逃走』である。
また『「桐島です」』は、『夜明けまでバス停で』に続き、高橋伴明監督と脚本家・梶原阿貴のコンビによって映画化された作品だ。

両作品の監督は『映画芸術』誌上で対談を行い、足立監督は「闘争」の現代的意義を、高橋監督は「青春」の普遍性をそれぞれ主張。桐島という一人の人物を通して、現代社会をどう描くかが議論された。その相違は音楽にもはっきりと表れている。

『逃走』の音楽は大友良英が手がけ、挿入曲には山下洋輔トリオの『Dancing古事記』が使用されている。一方、『「桐島です」』では、憂歌団のリードギター・内田勘太郎が音楽を担当し、劇中では河島英五の『時代おくれ』を弾き語りで歌うシーンが印象的に描かれる。

アヴァンギャルドとセンチメンタル。監督たちの演出スタイルや、桐島聡という人物へのアプローチの違いが、使用された音楽を通して明確に浮かび上がる。

桐島たちが行った武装闘争は、もはや現代において有効な闘い方ではない。しかし、イスラエル軍がガザで今もジェノサイドを続ける現在、本作のラストシーンでは、パレスチナの伝統衣装クフィーヤを纏った女性が観客に銃口を向ける。

その意味を、私たちはどう受け止めるべきだろうか。(TA)

イントロダクション

2024年1月26日、衝撃的なニュースが日本を駆け巡った。1970年代の連続企業爆破事件で指名手配中の「東アジア反日武装戦線」メンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる人物が、末期の胃がんのため、神奈川県内の病院に入院していることが判明した。
男は数十年前から「ウチダヒロシ」と名乗り、神奈川県藤沢市内の土木関係の会社で住み込みで働いていた。入院時にもこの名前を使用していたが、健康保険証などの身分証は提示しておらず、男は「最期は本名で迎えたい」と語った。報道の3日後の29日に亡くなり、約半世紀にわたる逃亡生活に幕を下ろした。
桐島聡は、1975年4月19日に東京・銀座の「韓国産業経済研究所」ビルに爆弾を仕掛け、爆発させた事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていた。最終的に被疑者死亡のため、不起訴処分となっている。

このナゾに満ちた桐島聡の軌跡を『夜明けまでバス停で』(22)で第96回キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞、脚本賞を始め数々の映画賞を受賞した脚本家・梶原阿貴と高橋伴明監督のコンビがシナリオ化。医師の長尾和宏が、『痛くない死に方』に続き、高橋作品の製作総指揮を務める。
桐島は何を思い、どんな事件を起こし、その後、半世紀にわたって、どんな逃亡生活を送っていたのか。

 

ストーリー

1970 年代、高度経済成⻑の裏で社会不安が渦巻く日本。大学生の桐島聡は反日武装戦線「狼」の活動に共鳴し、組織と行動を共にする。しかし、1974 年、一連の連続企業爆破事件でで多数の犠牲者を出したことで、深い葛藤に苛まれる。組織は警察当局の捜査によって、壊滅状態に。指名手配された桐島は偽名を使い逃亡、やがて工務店での住み込みの職を得る。ようやく手にした静かな生活の中で、ライブハウスで知り合った歌手キーナの歌「時代おくれ」に心を動かされ、相思相愛となるが...。

 

高橋伴明監督インタビュー

――2024 年 1 月、桐島聡のニュースを知ったとき、どのように感じましたか?

「日本にいたのか」と思いました。彼は海外にうまく逃げているのではないかという予想もあったので、「日本にいたのか」という驚きがまずありました。そして、彼は単に逃げ続けていたのではなく、一般社会に溶け込んで生きていたからこそ、ここまで⻑く逃亡を続けることができたのだろう、とも感じました。それも、小さな町にひっそりと隠れていたわけではなく、神奈川県藤沢市という都市に住み、普通の社会の中で暮らしていた。そんな事実を知り、改めて彼の生き方に関心を持ちました。

――それが映画になると思ったのは、いつ頃ですか?

事件が報じられたとき、ちょうど別の企画を進めていたのですが、その映画のプロデューサーの小宮亜里さんが「いや、これをやるべきでしょ」と言い出しました。僕自身、過去に連合赤軍事件を題材にした『光の雨』(2001 年)を撮った経験もあり、「この話を映画として残すべきだ」と考えました。49 年もの間、逃亡し続けた一人の男の物語には、映画として描くべきテーマがある。そこから、急遽企画が動き始めました。

――脚本はどのように作られたのでしょうか?

すぐに(『夜明けまでバス停で』でコンビを組んだ)脚本家の梶原阿貴さんに電話しました。すると、彼女が「もうスクラップは作っていますよ」と言ったんです。僕は、事実とフィクションをどう織り交ぜるかを考えていたので、「嘘の部分は俺が責任を取るから、事実の部分を 5 日でまとめてくれ」とお願いしました。2 月の初めには作業が始まり、本当に 5 日で第一稿が完成しました。僕自身も「こういう話にしたい」という下地を作っていたので、それと梶原さんの脚本にコメントを書き加えながら進めていきました。

――フィクションとして描きたかったのはどんな部分ですか?

それは、桐島の⻘春時代です。彼は単なるイデオロギーの信奉者ではなく、もっと普通の若者だったのではないかと思うんです。もし彼が純粋に思想だけで突っ走っていたなら、もっと早く捕まっていたのではないか。彼には、革命家としての一面とは別に、ごく普通の⻘年としての側面もあったはずです。だからこそ、⻘春や恋愛の部分を描くことで、「逃亡者」ではなく「一人の人間」としての桐島聡を表現したかった。

――毎熊克哉さんの演技について、どのように評価されていますか?

毎熊さんは映画をよく理解している俳優で、細かく説明しなくても、こちらの意図をすぐに察してくれる。彼はもともと監督志望だったこともあって、現場の流れや演出意図を深く理解してくれるんです。演技にも深みがあり、表情一つで内面の葛藤が伝わってくる。その内面的な演技力が、この映画には欠かせなかったですね。撮影を進めるうちに、「この役を彼にやってもらえて良かった」と何度も思いました。

――映画で描きたかったものは何でしょうか?

この映画は「単なる逃亡の物語ではない」ということです。桐島聡が 49 年間逃げ続けたのは、ただの逃亡生活ではなく、彼の中に人間的な優しさがあったからではないかと考えています。彼は、弱い立場の人に寄り添うことができる人間だった。毎熊さんの所属事務所のアルファーエージェンシー社⻑、万代博実さん(2025 年 2 月 11 日逝去、享年 74)が「これは⻘春映画だ」と言ってくれたのがうれしかった。単なる社会派の映画でもなく、政治運動の映画でもなく、一人の人間の⻘春の軌跡を描いたつもりです。

 

 

監督プロフィール

1949 年 5 月 10 日生まれ。奈良県出身。1972 年『婦女暴行脱走犯』で監督デビュー。以後、若松プロダクションに参加。60 本以上のピンク映画を監督。『TATTOO〈刺⻘〉あり』(82/主演:宇崎⻯童)でヨコハマ映画祭監督賞を受賞。以来、脚本・演出・プロデュースと幅広く活躍。『愛の新世界』(94/主演:鈴木砂羽)でおおさか映画祭監督賞受賞し、ロッテルダム映画祭で上映された。主な監督作品は『光の雨』(01/主演:萩原聖人)、『火火』(04/主演:田中裕子)、『丘を越えて』(08/主演:⻄田敏行)、『禅 ZEN』(08/主演:中村勘太郎)、『BOX 袴田事件 命とは』(10/主演:萩原聖人)、『赤い玉、』(15/主演:奥田瑛二)、『痛くない死に方』(20/主演:柄本佑)など。前作『夜明けまでバス停で』(22)は第 96 回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画監督賞を始め多数の賞に輝く。

 

アップリンク吉祥寺ほか全国劇場にて7月4日金より公開

公式サイト

監督:高橋伴明 製作総指揮:⻑尾和宏
企画:小宮亜里 プロデューサー:高橋惠子、高橋伴明
脚本:梶原阿貴、高橋伴明 音楽:内田勘太郎 撮影監督:根岸憲一 照明:佐藤仁 録音:岩丸恒
美術:鈴木隆之 衣装:笹倉三佳 ヘアメイク:佐藤泰子 制作担当:柳内孝一 編集:佐藤崇
VFX スーパーバイザー:立石勝 助監督:野本史生 ラインプロデューサー:植野亮
制作協力:ブロウアップ 配給:渋谷プロダクション
製作:北の丸プロダクション

2025 年/日本/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/日本語/105min
映倫区分:G

©北の丸プロダクション