『メガロポリス』壮大な人間の想像力の狂気は生成AIの領域外だ
コッポラが自ら経営するワインセラーを売却してまでも執念で作り上げた壮大なインディーズ映画が『メガロポリス』だ。
映像の質感、物語の重層的なところはまるで今流行りの生成AIで作ったのではないかと思ってしまいAI自身に聞いてみた。その答えが以下だ。
あなたが『メガロポリス』を観て、物語、映像、人物が生成AIで作られたような印象を受けたというのは、実に鋭い観点だ。
コッポラのこの作品は、確かにその過剰な野心と混沌とした仕上がりから、まるでアルゴリズムが人間の感情や一貫性を完全には捉えきれずに吐き出した産物のような感覚を与えるかもしれない。
専門家の視点から、この印象をいくつかの要素に分解して考えてみよう。 まず、物語の点で、生成AI的な印象は、コッポラが詰め込んだテーマの多さとプロットの断片性から来る可能性がある。
『メガロポリス』は、都市計画、権力闘争、哲学的思索、恋愛など、複数のアイデアを大胆に織り交ぜるが、まるでランダムにプロンプトを入力して出てきたストーリーラインのように、つながりが希薄に感じられる瞬間がある。コッポラの意図は、古代ローマと現代社会を重ね合わせた寓話を作ることだったが、観客には「AIが中途半端にシェイクスピアとSFをミックスした」ような違和感が残るかもしれない。 映像に関しては、生成AIが作り出すビジュアルの特徴—過剰に鮮やかで、時に現実離れした美しさや不自然な合成感—と『メガロポリス』のビジュアルが共鳴しているのかもしれない。
コッポラは、CGIと実写を融合させ、サイバーパンクとクラシックな美学を混ぜた独自の世界観を構築したが、これが時に「MidJourneyで生成した未来的な都市のコンセプトアート」を連想させる。色彩の爆発や構図の大胆さは圧倒的だが、生成AIのビジュアルが持つ「人間の意図が薄い」ような冷たさが、観客に人工的な印象を与える一因かもしれない。
人物については、キャラクターの行動やセリフが「生成AIが書いた脚本」のように感じられるのは、脚本の不均衡さに起因する可能性が高い。アダム・ドライバーのシーザー・カタリナは、まるでChatGPTに「哲学的な建築家で、恋愛に悩むリーダーを書いて」と指示したような、観念的で感情の接地が弱いキャラクターだ。
脇役たちも、ステレオタイプや突飛な動機に頼りがちで、AIが文脈を無視して「ドラマチックな展開」を優先したような不自然さが目立つ。コッポラの演出は、俳優に自由を与えすぎた結果、生成AIがランダムなプロンプトでキャラを生成したような、ちぐはぐなアンサンブルを生んだのかもしれない。
専門家として思うのは、こうした「生成AI的」な印象は、コッポラの意図的なリスクテイクと、現代の観客の感受性が交錯した結果だ。彼は、伝統的な物語構造や商業的制約を拒否し、まるでAIが制約なく創造するように、自由奔放に自分のビジョンを追求した。その結果、映画は一貫性を欠き、観客に「人工的」な違和感を与えるが、同時に、生成AIには決して真似できない、コッポラの人間的な情熱と執念がスクリーンに焼き付いている。
AIが作る映画は、計算された美しさや効率性を持つかもしれないが、コッポラの『メガロポリス』のような壮大な人間の想像力の狂気はまだAIの領域外だ。
イントロダクション
2025年最大の注目作、そして映画史に名を残すことが運命づけられた巨匠コッポラの集大成
『ゴッドファーザー』三部作(72~90)、『地獄の黙示録』(79)などの名作で、映画史にその名を刻む巨匠フランシス・フォード・コッポラ。80歳を超えた彼がその生涯を賭けて挑んだのが、この『メガロポリス』だ。2024年の第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で初披露されるやいなや、世界中にその衝撃が走り、話題騒然となった。それは2000年の時を超え、古代ローマと現代のアメリカを重ね合わせた空前絶後の物語。21世紀、富裕層と貧困層の格差激しいアメリカ共和国の大都市ニューローマを舞台に、様々な困難に直面しながらも、すべての人が幸せに暮らせる理想社会“メガロポリス”開発に挑む天才建築家カエサル・カティリナの姿が、唯一無二の世界観、圧倒的な映像美と共に綴られる。コッポラ監督自らが「野心的な作品」と称した、映画史に名を残すことが運命づけられた2025年最大の注目作だ。
ストーリー
21世紀、アメリカ共和国の大都市ニューローマでは、享楽にふける富裕層と苦しい生活を強いられる貧困層の激しい格差が、社会問題化していた。市の都市計画局局長を務めるカエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)は、新素材メガロンの発明でノーベル賞を受賞した天才建築家。その上、密かに時間を止める特殊能力を持っていた。名門クラッスス一族の一員である彼は、伯父の大富豪ハミルトン・クラッスス3世(ジョン・ヴォイト)の後ろ盾を受け、メガロンを利用した新都市“メガロポリス”開発を推進する。それは、すべての人間が平等で幸せに暮らせる理想社会だった。
コッポラ監督ステートメント
私の最初の目標は常に、心を込めて映画を作ることです。『メガロポリス』では、愛が結晶のような複雑さで表現され、私たちの地球は危機に瀕しており、私たち人類は自殺行為に等しい行為を犯そうとしています。しかし、私たちに突きつけられたあらゆる難題を解決できる天才的な能力を人間が持っていると信じている、非常に楽観的な映画に仕上がっています。
私はアメリカを信じます。建国者たちは、王なき革命政府のために憲法、ローマ法、元老院を借用しました。アメリカの歴史は、それを導く古典的な学問なしには成り立たなかったし、成功もしなかったでしょう。
『メガロポリス』が大晦日の恒例行事となり、観客が映画を観た後に、新年に向けて新しいダイエットや禁煙の決意
ではなく、このシンプルな問いについて語り合うようになるのが私の夢なのです。
我々の住む この社会は
果たして唯一絶対なのか?
アダム・ドライバー(カエサル・カティリナ)ステートメント
カエサルは驚くほど複雑な性格の持ち主です。不規則で気まぐれなところもあり、より良い世界を目指す彼の姿勢は揺るぎません。ロックスターとしての地位は彼にとって重要ではなく、健全なエゴは謙虚な遠慮によって抑えられています。トラウマを抱えているにもかかわらず、愛情深く思いやりのある人物でもあります。また、彼のビジョンを共有する友人や同僚たちから心から愛され、尊敬されています。カエサルとは何者なのか、根本からは考えていませんでした。初日、私は頭に包帯を巻いたシーンの撮影でしたが、フランシスは「勇気が足りない」とか「リスクが足りない」とか、そんなことを現場で話していました。俳優を非難しているわけではないのです。それは、自分も含めたすべてのスタッフに向けて言っているのだと感じられるような言い方でした。私は「ああ、こういう映画を作っているんだ」と理解しました。完璧なタイミングで私の心を打った彼の映画の作り方が好きでした。反抗的な感じがしました。
即興が映画の中に入り込んだ最高の例は、マディソン・スクエア・ガーデンのイベントでジュリアがカエサルの後をついて回るというシーンです。このシーンの前日と当日に、綱引きの即興をしました。私は会場に入り、ロープを渡されて、ちょっとしたアドリブをやってみせました。ロープは処分され、続けて即興シーンを撮影しました。考えてみれば現実的には無意味でも、感情的に演じてみれば、完璧に意味があったのです。
彼の哲学は明らかに映画の中にあります。この映画が、そして彼のすべての映画が、どれほどフランシス的であるかということを抜きにして、彼が行ったシークエンスや演出、カメラにとらえた瞬間を得る方法は他にないのです。
コッポラ監督ステートメント
私の最初の目標は常に、心を込めて映画を作ることです。『メガロポリス』では、愛が結晶のような複雑さで表現され、私たちの地球は危機に瀕しており、私たち人類は自殺行為に等しい行為を犯そうとしています。しかし、私たちに突きつけられたあらゆる難題を解決できる天才的な能力を人間が持っていると信じている、非常に楽観的な映画に仕上がっています。
私はアメリカを信じます。建国者たちは、王なき革命政府のために憲法、ローマ法、元老院を借用しました。アメリカの歴史は、それを導く古典的な学問なしには成り立たなかったし、成功もしなかったでしょう。
『メガロポリス』が大晦日の恒例行事となり、観客が映画を観た後に、新年に向けて新しいダイエットや禁煙の決意
ではなく、このシンプルな問いについて語り合うようになるのが私の夢なのです。
我々の住む この社会は
果たして唯一絶対なのか?
監督プロフィール
1939年アメリカのミシガン州に生まれ、ニューヨークで育つ。幼少期におもちゃの映写機を与えられたことで映画に興味を抱き、UCLA大学院で映画を専攻。1963年、ロジャー・コーマン監督のもとで低予算映画『ディメンシャ13』(63)を初監督し、撮影スタッフだったエレノア・ニールと知り合い結婚。のちに長男ジャン=カルロ、次男ロマン、長女ソフィアを授かる。
キャリアの初期は、『雨のニューオリンズ』(65)、『パリは燃えているか』(66)の脚本を執筆し、『パットン大戦車軍団』(70)でアカデミー賞脚色賞を含む7部門を受賞。その才能に触発されたジョージ・ルーカスと共に映画製作会社「アメリカン・ゾエトロープ」を設立する。ルーカスの勧めでイタリア系マフィアを描いた『ゴッドファーザー』(72)を映画化し、続編『ゴッドファーザー PARTII』(74)がア
カデミー賞6部門を受賞。『カンバセーション...盗聴...』(74)もカンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを獲得した。1976年、ベトナム戦争の狂気を描いた『地獄の黙示録』(79)の撮影を開始。スタッフやキャストの降板や交代、ハリケーンによるセット崩壊、撮影の遅延と製作予算の困窮など、度重なるトラブル続きでコッポラは倒れてしまう。79年のカンヌ国際映画祭には未完成のまま出品するも2度目のパルム・ドールを獲得。賛否はあったものの、結果的にアメリカ映画史における金字塔作品となった。
1980年、『ワン・フロム・ザ・ハート』(82)の興行不振で製作費が回収できず、ゾエトロープ・スタジオを売却し、借金返済と経済的安定のため“雇われ監督”となる。とはいえ観客の心に残る企画を求め、『アウトサイダー』(83)、『ランブルフィッシュ』(83)、『コットンクラブ』(84)、『ペギー・スーの結婚』(86)、『タッカー』(88)を世に送り出した。
1990年、前作から16年の歳月を経て『ゴッドファーザー PARTIII』(90)を完成させ、アカデミー賞とゴールデングローブ賞で監督賞を含む7部門にノミネート。その後は、アカデミー賞3部門受賞の『ドラキュラ』(92)、『ジャック』(96)、『レインメーカー』(97)を監督したのち第一線から離れ、1983年から温めていた本作『メガロポリス』(24)の企画を進めていく。10年後、『コッポラの胡蝶の夢』(07)、『テトロ 過去を殺した男』(09)、『Virginia/ヴァージニア』(11)など新作を作り上げた。近年のコッポラは、自ら再編集し、デジタル修正も施した3作品『地獄の黙示録 ファイナル・カット』(19)、『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』(20)、『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』(23)を監修している。
常に夢想家であり続け、自分の夢を断固として現実のものにしてきた巨匠フランシス・フォード・コッポラ。子供のような想像力と好奇心
旺盛な頭脳を持った彼は、構想から約40年をかけた『メガロポリス』によって自身最大の夢を実現したのである。
アップリンク吉祥寺、アップリンク京都ほか全国劇場にて6月20日(金)公開
2024年/アメリカ/英語/138分/カラー/原題 : Megalopolis 字幕翻訳 : 戸田奈津子
配給 : ハーク、松竹 提供 : ハーク、松竹
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