『舟に乗って逝く』“帰る場所”を問う現代の寓話

『舟に乗って逝く』“帰る場所”を問う現代の寓話

2025-06-17 08:30:00

母の死をきっかけに、遠く離れて暮らしていた兄妹たちが帰郷する。舞台は中国・浙江省の小さな村。古びた舟の上で生を終えたいという母の遺志をめぐり、家族の価値観や信仰が静かにぶつかり合う。陳小雨(チェン・シャオユー)監督の長編デビュー作『舟に乗って逝く』は、死と再生、そして“帰る場所”を問う現代の寓話だ。

監督自身の家族の記憶を起点にしたこの物語では、舟が重要なモチーフとなる。それは単に遺体を運ぶ手段ではなく、死後の旅路や、家族がかつて共有していた価値観の象徴として浮かび上がる。仏教とキリスト教、都会と地方、生と死——登場人物たちはそれぞれの信念と傷を抱えながら、母の送り方をめぐって葛藤する。だが本作が描くのは、対立の果ての断絶ではない。失った者とともに過ごした記憶が、やがて新たな絆を生み出す過程だ。

ドキュメンタリー的なリアリズムと、詩的な象徴性が交錯する演出も印象的だ。舟に揺られながら進むカメラ、暮れゆく湖面の光、響き合う沈黙——どのシーンも、言葉以上の感情を静かに伝えてくる。そして終盤に流れる「むすんでひらいて」の中国語版が、すべての別れに優しい余韻を残す。

同日公開のタイ映画『おばあちゃんと僕の約束』もまた、家族の再生と死を見つめた作品だ。文化や文脈は異なれど、老いと別れの先に希望を見出す眼差しは共通している。アジア映画の新たな潮流として注目に値するだろう。

『舟に乗って逝く』は、誰もが直面する“見送る”という営みにそっと寄り添いながら、生者と死者をつなぐ“心の舟”を描き出す。静かで力強い、珠玉の一作である。

 

イントロダクション

胸にしまった真実を描く脚本と目を瞠る映像
1994年生まれの陳小雨監督デビュー長編!

1994年生まれの若手監督、チェン・シャオユーが、自身の故郷・徳清で撮影。
台湾のエドワード・ヤン監督を愛し、日本の小津安二郎監督に影響され、チベットの名匠ペマ・ツェテン監督に指導を受け、「真実」を描くことの大切さを本作に込めた。
長女役のリウ・ダンは映画 『人生って、素晴らしい/Viva La Vida』ドラマ『開端-RESET-』などで知られ、本作で金鶏奨助演女優賞に見事輝いた。

ストーリー

逝くは、行く。
母が教えてくれたこと。
たくさんの運河があり、かつては舟が生活の要だった町・徳清。
母は、昔、舟で嫁入りした。 ここは、 母がようやく見つけた自分の居場所。
ある日その母に重い病気が見つかる。 その治療を巡って、アメリカ人の夫と上海に暮らす長女と旅のガイドをしながら風来坊のように暮らす弟の意見は食い違う。
母、娘、息子、孫、彼らの周囲の家族たち。 誰にも訪れる、 葬る葬られる物語。

 

陳小雨(チェン・シャオユー)監督インタビュー

Q この映画は監督の実人生が反映されていると聞きました。

『舟に乗って逝く』の一部の登場人物は、僕の家族が原型になっています。そして、本当の意味で原型と言えるのは僕の祖母です。映画の母親役のセリフの 80%は、実際に僕の祖母が言った言葉なんです。ジェンには僕自身の母と姉の要素が入っていますし、タオとチンには僕の友人たちの要素が反映されています。
でも映画の中の家族の関係は、実際とは大きく違います。僕たちはこの映画を、リアリズムの映画として撮ったわけではなく、言ってみれば、現実の質感を持ったロマン主義の作品だと考えています。この物語は「帰る場所」「家」「死」をめぐる寓話です。寓話には強い普遍性が求められます。私自身の家庭はもっと複雑で、両親が早くに離婚したり、家族が破産したりといったことがありました。ですがそれらは特殊な事情なので、映画には取り入れませんでした。どの家族にも共感してもらえるような映画にしたかったのです。その分、資金集めには苦労しました。物語に意表をつくようなところはありませんでしたから。映画の最初から、どんな結末になるか想像がつきます。でも特殊性を切り捨てても普遍的な、どんな家庭でも起こりうる物語を語るというのが、私たちの決断でした。

Q では最初の段階では、「舟」という題材はなかったのですか?

最初の段階では、「帰る場所」についての映画にしようということだけが決まっていて、脚本執筆の後半の段階で、「舟」という題材が現れました。製作中はずっと地元にいて、ここではあちこちで舟を見かけるので、見ているうちに、子供の頃に祖母から聞いた、かつてどの家にも舟があったという光景が思い浮かんだのです。

Q「帰る場所」を監督はどのように考えて演出しましたか?

一言で表すことは難しいですが、「帰る場所」とは一つの状態でもあります。ジェンは上海に家を持ち、上海で地歩を固めなくてはと思っていました。その時のジェンは上海の家を自分の帰る場所だと思っていたのだと思います。しかしその家は結局、はかないものであり、家よりも守るべきは家族の愛情なのだということに気づきました。彼女たちが最後、どこに引っ越したのかは分かりませんが、家族は一緒のようです。お母さんのピータンも残っていて、彼女が身近な人や生活の細部を大事にするようになったことが分かります。チンも自分のやりたいことを見つけて、それに取り組みます。その点は孫のタオも同じです。僕は早い時期に妻と出会い、映画という自分のやりたいことも見つけたので、他の場所に行っても、心理的にはさすらっている感覚や途方に暮れた感覚は、過去十数年間、味わってきませんでした。心が比較的安定していたのです。家も「帰る場所」も、一つの状態なのです。それは一曲の歌であってもいいし、一人の人でもいいし、いろんなものでありえます。それが心に安定をもたらしてくれるものであればいいのです。そして川の流れと同じで、今の「帰る場所」も一生を貫くとは限らず、いつかは変わっていくかもしれません。でも、それいいのです。

Q 今後が期待されていますが、監督自身はどう感じていますか?

正直言って驚いています。こうして日本の取材を受けること、日本で上映できることを嬉しく思っています。僕はエドワード・ヤンらの台湾ニューシネマや日本の家族映画、特に小津監督や是枝監督の影響を受けてきましたから。私は小説も書いてきましたが、観客はスペクタキュラーなものを好む傾向があって、父親の敵討ちとか、想像力旺盛な映画を見たがります。ですがこれらの家族映画によって、生活の細部も豊かに表現することができるし、それを見たがる観客もいると知りました。だからこそ新しい世界が開けて、『舟に乗って逝く』のような映画を撮る勇気が生まれたのだと思います。ですが正直言って最初は、このような映画を見てくれる人がいるのか、確信が持てませんでした。現代は短い動画によって、人々の注意力が細切れになっている時代です。『舟に乗って逝く』のような映画を見るのには忍耐がいります。観客が感動してくれたのは、この映画のレベルが高かったからではなく、そこにこめられた感情や表現に偽りがなかったからだと思います。この映画が注目されたあと、いろんな出資者と次回作に関して話しました。一部の出資者は、市場価値を上げるためのアドバイスをくれました。姉弟のケンカがもっと激しければ、興収がもっと上がったかも、とか。ですがそういうことをやり過ぎると、もともと表現したいと思っていたものから離れてしまう。僕たちはこれからもずっと似たような選択を迫られるでしょう。小さい資本で自分の表現したい、真実の情感が込められた作品を作るか、多くのお金を使って、もっと大規模だけど、自分が完全には信じていないような内容の作品を撮るか。若い監督が次の一歩を考えるとき、みんな直面する問題だと思います。僕は創作に向き合うとき、いい心の状態を保ちつづけたい、誠実さを守りたいと思っています。

監督プロフィール

1994 年 12 月 11 日生まれ、現在 30 歳。映画監督、脚本家、編集。本作の舞台である江南地域の湖州市徳清生まれ。トロント・フィルム・スクール映画制作学科卒業。まだ十代の 2011 年から映画を作り始める。これまでの作品に、ドキュメンタリー『走起!』『傍海村民』『浪』(いずれも原題)など。本作『舟に乗って逝く』が劇場用の初の長編作品となる。
青葱計画トップ 10、金鶏フィルム・プロジェクト・マーケット、雲之南ドキュメンタリー映画祭青年部門、鳳凰ドキュメンタリー大賞、CIFF 中国インディペンデント映画祭ドキュメンタリー年間ベスト 10 に選出されるなど、将来を嘱望される若手監督。

アップリンク吉祥寺ほか全国劇場にて6月13日(金)公開

公式サイト

『舟に乗って逝く』

原題:乘船而去|英語題:Gone with the Boat|99 分|2023|監督・脚本・編集:チェン・シャオユー(陳小雨)
出演:ゴー・ジャオメイ(葛兆美)、リウ・ダン(劉丹)、ウー・ジョウカイ(呉洲凱)|製作:ホアン・ファン(黄帆)
撮影:ホアン・イーチュアン(黄一川)|美術:ドン・シャオジェン(鄧暁珍)|音響:チャン・イン(張印)|作曲:ユーション(愚生)
配給:ムヴィオラ、面白映画

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