『ロックの礎を築いた男:レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点』自由な表現を最初に体現したミュージシャン
映画『ロックの礎を築いた男 ― レッド・ベリー ビートルズとボブ・ディランの原点』は、アメリカ南部に生まれた伝説的ミュージシャン、レッド・ベリーの音楽的功績と社会的背景を描いたドキュメンタリーである。公開2日目となる5月24日(土)には、アップリンク吉祥寺でトークイベントが開催され、音楽ライターで本作の字幕監修を務めた朝日順子、音楽プロデューサー・作曲家の川原伸司、MCとして汐月しゅうが登壇した。
川原は、「自由な表現を最初に体現したミュージシャン」と評し、歌詞もリズムも常識にとらわれない彼の音楽が、のちのアーティストたちの原点になったことを指摘した。また、音楽ライターで字幕監修を務めた朝日純子氏は、「本当に全部ここにたどり着くんだなとわかった」と語り、アメリカンロックもブリティッシュロックも、その源流にはレッド・ベリーがいることを強調した。
映画では、刑務所農場でのフィールド録音や、口承で伝えられていたフォークソングの記録活動など、彼の歌が「記録」と「自由」の両側面を持っていたことも描かれる。一方で、当時の音楽業界には黒人アーティストに対する著作権搾取が横行し、川原氏は「今の常識で判断すると随分阿漕なことをしていた」と厳しく語った。こうした不条理の中でもレッド・ベリーは自らの価値を理解し、「人間ジュークボックス」と呼ばれるほど多くの楽曲を記憶し、伝え続けた。
今回の日本公開にあたっては、ほとんど存在しなかった歌詞の日本語訳も新たに制作され、朝日氏は「どのバージョンの歌かを特定するところから始めて翻訳した。歌詞ってとても重要なんです」と語る。ビートルズやディランに影響を与えたレッド・ベリーの声を通して、音楽の原点と表現の自由について考えることができる本作は、名もなき声がいかに時代を超えて受け継がれていくかを教えてくれる、貴重な記録である。
左から、朝日順子さん、川原伸司さん、汐月しゅうさん
イントロダクション
「レッド・ベリーがいなかったら、ビートルズもなかった」という有名な言葉を残したジョージ・ハリソン同様、ヴァン・モリソン
も「レッド・ベリーがいなかったら、私はここにいなかったかもしれない」と追懐。ジャニス・ジョプリンは最初に買ったレコー
ドがレッド・ベリーだったことを明かし、以来、ブルースに夢中になったと回想する。また、ウディ・ガスリーは「最も偉大な
フォークシンガー」と称賛を惜しまない。1950 年代、イギリスを席巻したスキッフルは、ロニー・ドネガンがレッドベリーの曲
を洗練して録音して歌ったもので、ローリング・ストーンズなどのロックミュージシャンがブルースを演奏し始め、レッドベリ
ーが住むアメリカの白人にも影響が広がったのだ。まさに「音楽史を変えた」と言っても過言ではないレッド・ベリーの真
実に迫る音楽ドキュメンタリー。それはロックのルーツを探す旅ともいえる。
ストーリー
1888 年、開拓が始まったばかりのルイジアナでは珍しい核家族の一人っ子として生まれ育ったハディ・レッドベターことレ
ッド・ベリーは早くからギターを学び、10 代の頃から出入りしていたシュリーブポートの赤線地区ファニン・ストリートで演
奏していたという。ダンスパーティでは人気者で、女性にめっぽうもてたことから多くの男たちから反感を買い、トラブルに
巻き込まれることもしばしば。
初めて刑務所に収監されたときは脱獄に成功したが、2度目はナイフを持って追いかけてくる男を拳銃で殺した罪でテキ
サス刑務所に投獄された。しかし、パット・ネフ知事に捧げた曲が気に入られ、35 年の刑罰から2年で釈放。その後、アン
ゴラ刑務所にも収監され、そこで民族音学者ジョン&アラン・ローマックス親子と出会う。アメリカン・ブラック・ソングのル
ーツを探していた彼らはレッド・ベリーの音楽性に魅了され、O・K・アレン知事に恩赦を求める歌を録音するなど陳情に協
力、レッド・ベリーは再び釈放された。
以降、レッド・ベリーはローマックス親子の歌の収集・録音の手伝いを申し出て、刑務所ツアーなどのアシスタントとして参
加。その後、ニューヨークへ移住し、ローマックスによって世界に紹介されたレッド・ベリーの音楽は観客を熱狂させた。レ
ッドベリーは、当時のアメリカの黒人に「自分がいる場所から抜け出せる」と見本を示した。1949 年に 61 歳で逝去した後
も、彼の曲は多くのミュージシャンによってカバーされ、新たな音楽が生まれ続けている。
Alvin Singh(本作プロデューサー/レッド・ベリー親族)インタビュー
―― レッド・ベリーとの関係を教えてください。本作を作ろうと思ったきっかけは?
私の大伯父です。
私の祖母が、10代の時にレッド・ベリーと同居していたので、私にいつも彼の歴史を聞かせてくれたものです。なので、祖母などがまだ在命のうちに、動画というフォーマットで何かやりたかったんです。彼を知る人々を撮りたい、というのが第一の理由でした。
―― この作品を制作する上で、インタビューを撮りたい相手をリストアップしたと思います。撮りたかったけれど撮れなかったアーティストはいましたか?
ええ、ザ・ホワイト・ストライプスの(リード・ボーカル兼)ギタリストのジャック・ホワイト、ザ・ルーツのクエストラブ、ヴァン・モリソン、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズです。彼らはレッド・ベリーの影響を受けていて、皆、企画を気に入ってくれて、出演の承諾してくれていたのですが、旅行などでタイミングが合わなかったんです。
―― 映画では、ポール・マッカートニーがレッド・ベリーの『ミッドナイト・スペシャル』をカバーしている映像が紹介されています。他にも、作中では数多くのアーティストたちが、レッド・ベリーの曲をカバーしていました。使いたかったけれども使えなかった、というアーティストのカバーソングもあったのでしょうか?
いいえ、全て使用することができました。ポール・マッカートニーに関しては、実はギリギリまで含められるか議論したんです。でも、承諾が得られました。ビートルズは映画に入れたかったので、とても大事なことでした。
―― ボブ・ディランがカバーしている映像はありますか?
いいえ、ありません。存在しているものはあります。実は映画の製作中にボブ・ディランは、ノーベル賞平和賞を受賞しました。その後、6ヶ月経ってからようやくスピーチをしたんですが、彼はそのスピーチの中でレッド・ベリーに言及しているんです。使用しませんでしたが、使用できたらよかったですね。ボブ・ディランのインタビューは撮影できませんでした。彼は私たちが撮影したいと思った人物の一人でしたが、承諾が得られませんでした。インタビュー類はしないと言われたんです。
でも、最近のボブ・ディランについての映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』では、レッド・ベリーが言及されています。
―― この映画のどんなところが音楽愛好家にとって魅力的だと思いますか?
その後世界で最も有名になるバンドをインスパイアしたロニー・ドネガンのパートあたりかな。私が音楽家たちにアドバイスしたいのは、独自性を持っていたら、自国の人々が敬意を示さなかったとしても、世界に誰か敬意を払ってくれる人はいるということです。それもこの映画の面白い点だと思います。アメリカではかなり後になるまで、あるいは今でもレッド・ベリーの評価は十分ではありません。でもヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカなど、多くの地で尊敬されています。
―― この映画のどんなところがレッド・ベリーを知らない人たちにとって魅力的だと思いますか?
音楽を知らなくても、二回恩赦を受けたというのは面白い物語でしょう。私はアメリカで、他に二回恩赦を受けた人を知りません。アメリカは囚人数で言えば世界一位です。だからあなたが音楽に詳しくなくとも、あんなことをみんな体験して、釈放されたのか、と感嘆するでしょう。そして一旦自由の身になれば、好きなことをやれたわけです。しかも世界に愛されるほどの実力でした。彼は音楽家としては大して稼いでもいませんでした。でもそういうことに挫けずにいました。
―― 読者にメッセージをお願いします。
これは、語られずに終わったかもしれない物語です。アメリカの外の視点を持つ人に、この映画を見ていただけることを光栄に思います。外の人々にも響く作品を作ることは映画製作者としてとても大事なことです。オープンな気持ちで楽しんで、良い時間を過ごしていただきたいです。これは、語られずに終わったかもしれない物語です。
監督:カート・ハーン
出演:レッド・ベリー、ピート・シーガー、ハリー・ベラフォンテ、B・B・キング、ジョーン・バエズ、アンナ・ローマックス・ウッド、
アーロ・ガスリー、バーニス・ジョンソン・リーゴン、オスカー・ブランド、クイーン・”タイニー”・ロビンソン、ラリー・リッチモン
ド、マイケル・タフト、クリストファー・ローネル、ジェフ・プレイス、オデッタ
2021 年/アメリカ/80 分/カラー/ステレオ/原題 ”Lead Belly - The Man Who Invented Rock & Roll”/
字幕監修:ピーター・バラカン、朝日順子/配給:NEGA
©2024 House of Lead Belly