『けものがいる』世界初のQRコードエンドクレジットは、感情が不要とされる近未来設定を反映
ベルトラン・ボネロ監督の『けものがいる(La Bête)』は、愛と恐怖、そして人間の運命をめぐる壮大で挑戦的なSFロマンス。ヘンリー・ジェームズの中編小説『密林の獣』を大胆に翻案し、 「1910年のパリ」 「2014年のロサンゼルス」 そして「 AIが支配する2044年の近未来」 という三つの時代を舞台に、ガブリエル(レア・セドゥ)とルイ(ジョージ・マッケイ)の数奇な関係を描く。
物語の中心にあるのは、「感情が不要」とされる2044年の世界。人間らしさの象徴である感情は、社会的成功の障害とされ、ガブリエルは仕事を得るために自らの感情を消去する決断を迫られる。その過程で彼女は過去の人生、すなわち1910年と2014年へと意識を遡り、それぞれの時代でルイと出会い、運命に翻弄されていくのだった。
ボネロ監督は本作についてこう語る「最初にやりたかったのは、女性の肖像を描き、愛とメロドラマを正面から扱うことでした。そしてジャンル映画の手法とぶつけることで、親密さとスペクタクル、古典と現代、既知と未知、可視と不可視を織り交ぜたかった。おそらく最も切ない感情、“愛への恐れ”について語るためです」。
さらに、「“けもの”は観客それぞれが抱く恐怖の象徴。テクノロジーかもしれないし、愛そのもの、あるいは“愛を恐れること”かもしれない」とも語る。
グザヴィエ・ドランは本作『けものがいる』で共同プロデューサーとして参加し、AI面接官の声を演じた。ボネロ監督は「カナダとフランスの共同制作だったため、友情を基に彼を起用した」と説明し、特に、ドランの出身地であるケベック州でのボネロの居住経験が協力関係を深めたという。
ドラン自身が直接関与した記述はないが、本作の世界初のQRコードエンドクレジットは、感情が不要とされる近未来設定を反映したボネロのコンセプトに沿った実験的試みで、ドランの参加したプロジェクト全体の前衛性を示す一例となっている。( AIによる映画レビュー)
イントロダクション
『哀れなるものたち』を始め、世界中から選りすぐりの話題作が集結した第80回ヴェネチア国際映画祭公式批評スコアで一位を獲得し絶賛された、鬼才ベルトラン・ボネロ監督の最新作。
主演は、世界の名監督の作品や『デューン 砂の惑星PART2』などのハリウッド大作でも活躍するレア・セドゥ、『1917 命をかけた伝令』の実力派ジョージ・マッケイ。共同プロデューサーには『マティアス&マキシム』の監督グザヴィエ・ドランが名を連ね、面接官の声の役で出演している。
イギリスの文豪ヘンリー・ジェームズの傑作中編小説「密林の獣」を自由かつ大胆に翻案したこの作品は、2044年の近未来を起点に、100年以上の時を超えて転生を繰り返す男女の物語。
AIに管理された近未来をスタイリッシュなディストピアSFとして映像化した2044年、35ミリフィルムで撮影された華麗なコスチューム・プレイが繰り広げられる1910年、ガラス張りの豪邸を舞台にしたスリラー劇から目が離せない2014年。3つの時代を行き来する壮大な映像世界は、愛と恐怖の狭間で引き裂かれていく主人公たちのあまりにも数奇な運命を映し出す。
驚くべきスリルとロマンに満ちあふれ、人間が生きることの意味とは何かという深遠なテーマにも触れた本作は、あらゆる観客の感性を刺激し、胸を締めつけてやまない。
ストーリー
近未来、人間は〈感情の消去〉を余儀なくされていた―。
AIが国家の社会システム全般を管理し、人間の感情が不要と見なされている2044年のパリ。
孤独な女性ガブリエル(レア・セドゥ)は有意義な職に就きたいと望んでいるが、それを叶えるにはDNAの浄化によって〈感情の消去〉をするセッションを受けなくてはならない。
人間らしい感情を失うことに恐れを感じながらも、AIの指導に従って1910年と2014年の前世へとさかのぼったガブリエルは、それぞれの時代でルイ(ジョージ・マッケイ)という青年と出会い、激しく惹かれ合っていく。
しかしこの時空を超越したセッションは、ガブリエルの潜在意識に植えつけられたトラウマの恐怖と向き合う旅でもあった。
はたして、3つの時代で転生を繰り返すガブリエルとルイの愛は成就するのか。
そして過酷な宿命を背負ったガブリエルが、最後に突きあたる衝撃的な真実とは……。
ベルトラン・ボネロ監督インタビュー
──この映画『けものがいる』について、なにから始めるのがよいでしょうか......?
映画の現在について。あるいは、2044年について......かな。この映画は、ほぼ近未来ディストピア映画と言っていい。「ほぼ」と付したのは、いまや日ましに世界がディストピアに近づいてきているという印象を受けているからなんだ。私にとって未来を描くということは、観客が実際に手に取って触れることができるほど感覚的に近く、想像可能なものであるべきものだと思っている。そう、まさしく実際に指先で触れることができて、そのなかに自分を投影することができるような感じのものにしたかったんだ。
またこの映画は、次のように簡潔に要約できるかもしれない。つまり、人工知能というものがその持てる力を使って人類が抱えていたすべての問題を解決してくれた時代に、とても知的な女性が、ある選択を迫られる。自分に見合った興味深い仕事を見つけてそれに就くか、それとも感情を選ぶかという選択を迫られる。その結果、夢見ていたような愛を経験できるかもしれない。だが、苦しみから解放されるためには、前世に戻って、彼女の無意識を汚染する古いトラウマを取り除かなければならない。そして彼女は、現世も時代も超えた愛の物語に直面することになるんだが、それは明らかに彼女の選択を混乱させることにもなる。
仕事か感情か......。その選択は耐えがたいジレンマであると同時に、管理化がますます進んでゆく社会で、つねに私たちが直面するかもしれない問題だ。秘密というものの不在は、自由の不在と韻を踏んでおり、そこからある物語を、感情あるいは愛情についての物語を考え、つくることができた。この映画における現在は、問題がないにもかかわらず(あるいは、問題がないという問題があるからこそ)、ほとんど耐えがたいものとなり、その結果、過去が避難所となるんだ。
──大胆な試みによるオープニング──グリーンバックのなかでレア・セドゥが演技する──で始まる『けものがいる』は、観客にスマホでQRコードをスキャンさせてエンディング・クレジットを示すというクロージングを迎えます。
このような映画のプロローグ=オープニングであれば、1910年が違ったように響くんじゃないかと思ったんだ。このプロローグは、映画の冒頭を飾る。と同時にまた、「この映画の主題は彼女である」と述べる、とてもシンプルなやり方でもある。QRコードについて言えば、映画に見合ったものになっているのではないだろうか。一般的に言って、エンディング・クレジットが流れる時間は感動的な瞬間だ。音楽があり、それに沿うようにして俳優やクルーの名前が現れては消えてゆく。観客は次々と立ち上がって、ふたたび外の光を見いだす準備をする。この映画は、感情が追放された世界を描いているのだから、エンディング・クレジットの時間から感情が排されているのは理にかなっていると思う。ただひとり、ガブリエルだけが、まだなにかを感じることができる。それが、彼女をより孤独にしている、と私は思う。
インタビュー・聴き手:エマニュエル・ビュルドー
翻訳:杉原賢彦
ベルトラン・ボネロ監督プロフィール
1968年、フランス・ニース生まれ。ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で上映された「何か有機的なもの」(98)で長編デビュー。2001年にジャン=ピエール・レオを監督役にした『ポルノグラフ』は、カンヌ国際映画祭批評家週間で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞。その後も、「ティレジア」(03)は、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門、マチュー・アマルリックを起用した「戦争について」(08)はカンヌ国際映画祭監督週間に選出されるなど、国際的評価を高める。2011年『メゾン ある娼館の記憶』で再度カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に返り咲き、同作はアカデミー賞外国語映画賞のフランス代表作となった他、セザール賞の7部門にノミネートされ、デザイン賞を受賞。その後、ギャスパー・ウリエル主演『SAINT LAURENT サンローラン』(14)、パリでテロを計画する若者を描くアクション映画「ノクトラマ 夜行少年たち」(16)などを監督。本作は2023年のヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門で上映、映画祭の公式批評スコアで1位を獲得し絶賛された。
監督・脚本・音楽:ベルトラン・ボネロ『SAINT LAURENT/サンローラン』
ヘンリー・ジェイムズ「密林の獣」を自由に翻案 共同プロデューサー:グザヴィエ・ドラン
出演:レア・セドゥ『デューン 砂の惑星 PART2』、ジョージ・マッケイ『1917 命をかけた伝令』、 ガスラジー・マランダ『サントメール ある被告』、グザヴィエ・ドラン(声) 『マティアス&マキシム』
原題:La bête/2023年/フランス・カナダ/ 仏語・英語 /ビスタ/5.1ch/ 146分/字幕:手束紀子/配給:セテラ・インターナショナル
©Carole Bethuel