『オークション 〜盗まれたエゴン・シーレ』一枚の絵と、多彩な登場人物たちの行く先は―。
本作を見終え、余韻にひたった後にはたと、この映画の主題なりメッセージとは一体何だったのだろうかと、自分がよくわかっていないことに気がついた。
主人公は競売商に務める男アンドレ、もしくはエゴン・シーレの「ひまわり」なのだが、物語の結末、男の行く末よりも絵の行き先よりも、思い返すのは男の元妻や、オークション・ハウスで研修生として働く女、その女の父親、絵が見つかった家の青年、そしてその母親など、さまざまな登場人物たちのことなのだ。
この映画のテーマがなんであったかを知りたくて、パスカル・ボニゼール監督のインタビューを読んでみると、さらにわからなくなった。
贋作に脅かされたり、お金に振り回されたりするアート界を舞台にしながら、「本物か否かは私の関心事ではありませんでした。エゴン・シーレのくだんの作品は本物であり、それ以上語ることはありません」。
アンドレの下で働く研修生、オロールには病的なまでの虚言癖があり、そのことは作品の真価よりも言葉巧みに作品の値打ちを左右させるオークション業界と暗示的な類似があるようにも思うのだが、「オロールは嘘をついてばかりいますが、それがなぜかは説明されません。私自身にもわかりません」。
絵が、ナチス・ドイツによって退廃芸術として捨てられた過去については、「ただストーリーの背景にそうした歴史はありますが、歴史的背景自体は主題ではありません」。
また、フランス郊外で夜間労働をする若い青年の家で見つかった絵が、べつの持ち主の元へ行くことになったついて問われると、「この絵は“ふさわしい場所”に戻ったと言えるのでしょうか。とどのつまり、私には知るよしもありません」。
原題は「盗まれた絵/Le Tableau volé」で、構想段階の仮題は「オークション会場/Salle des ventes」だったという。邦題には『オークション 〜盗まれたエゴン・シーレ』と、仮題と原題とが盛り込まれているが、”オークション”や”盗まれた”という語の奥に隠されている(かもしれない)比喩に頭を悩ませるのも楽しい。フランスのエスプリここにあり、ということか。
フィガロ紙、ルモンド紙、カイエ・デュ・シネマ誌など数多くの名だたる新聞、雑誌が「絶好調」と絶賛するボニゼール監督の最新作を、一枚の絵を中心に描かれる多種多様な登場人物たちを、ぜひ見届けてほしい(MO)
イントロダクション
2000年代初頭、フランス東部の工業都市ミュルーズ郊外。若い工員の家で発見されたひまわりを描いた風景画が、ナチスに略奪されたウィーン分離派の画家エゴン・シーレの作品であることが判明する――。
この歴史的事実に基づき、多彩なキャラクターが織りなす知的でエスプリの効いたドラマで、美術オークションの裏側で繰り広げられる権謀術数をスリリングに描いたのが本作『オークション ~盗まれたエゴン・シーレ』だ。
監督はフランス・ヌーヴェルヴァーグの巨匠ジャック・リヴェット作品の脚本を数多く手がけたパスカル・ボニゼール。本作では美術オークション業界の内部構造や、富裕層と労働者階級の世界を見事に対峙させ、特権階級の残酷さを鮮やかに描き出す。辛辣な皮肉を交えながら、綿密な取材に基づくリアルなアート・ビジネスの世界や、オークションの緊迫感も見どころのひとつ。
一枚の絵を巡り次々と明らかになる登場人物たちの隠された秘密。
彼らが本当に手に入れたいものとはー?
【エゴン・シーレの「ひまわり」】
この作品の真の主役はミュルーズ郊外の一軒家で長らく煤にまみれながら、ひっそりと時を過ごしていたエゴン・シーレの「ひまわり」だ。その生涯は30年にも満たず、「夭折の天才」と称されたシーレはウィーン画壇の帝王だったグスタフ・クリムトの弟子とされているが、自分の生年(1890年)がオランダのポスト印象派の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホが死去した年と同じだということに運命を感じていたという。クリムトとゴッホはともに「ひまわり」の絵を描いているが、シーレの「ひまわり」がそのふたりの先達に影響を受けていることは想像に難くない。ナチス・ドイツに略奪されたこの「ひまわり」がこの世に姿を現したとき、この絵を通じて、登場人物たちの隠された秘密が明らかになり、人生で本当に手に入れたいものを見つけ出していく。
ストーリー
始まりは、競売人に届けられた一通の手紙。
パリのオークション・ハウスで働く有能な競売人(オークショニア)、アンドレ・マッソンは、エゴン・シーレと思われる絵画の鑑定依頼を受ける。シーレほどの著名な作家の絵画はここ30年程、市場に出ていない。
当初は贋作と疑ったアンドレだが、念のため、元妻で相棒のベルティナと共に、絵が見つかったフランス東部の工業都市ミュルーズを訪れる。
絵があるのは化学工場で夜勤労働者として働く青年マルタンが父亡き後、母親とふたりで暮らす家だった。現物を見た二人は驚き、笑い出す。それは間違いなくシーレの傑作だったのだ。
思いがけなく見つかったエゴン・シーレの絵画を巡って、さまざまな思惑を秘めたドラマが動き出す…。
パスカル・ボニゼール監督インタビュー
ーー本作のフランス語原題『盗まれた絵/Le Tableau volé』はエドガー・アラン・ポーの短編「盗まれた手紙」(訳注:フランス語La Lettre volée」)を想起させます。問題の絵は、ポーの短編の手紙同様、表沙汰になるまでは、何の価値もなければ関心を引いたこともなかったわけですが、ポーの短編との繋がりを意識していましたか。
そのアイデア自体には惹かれますが、正直、当初は全く意識していませんでした。実はタイトルを決めたのはかなり後になってからです。本作のプロデューサーのサイード・ベン・サイードの提案でした。
もとのタイトルは単に場所を描写するだけの「オークション会場/Salle des ventes」でしたが、最終的には『盗まれた絵』に落ち着き、より虚構性が生まれたと思います。
このタイトルはむしろ、友人のラウル・ルイスの傑作『盗まれた絵の仮説/L'Hypothèse du tableau volé』(78)へのオマージュです。
ーー本作は実話に基づくフィクションであると言及されています。
こうした言及はよく見かけますが、本作も“実話に基づいて”います。
つまり、2000年代の初頭にミュルーズ郊外の化学工場の若い工員の家にかかっていた絵が、大手の国際オークション・ハウスに所属する現代アートの専門家の目にとまり、ナチスに略奪されたエゴン・シーレの作品であることが明らかになったのです。実話とはそのことを指しています。
ーーその発見を知った時はどう思われましたか。
驚きました。というのも、エゴン・シーレというと思い浮かべるのは裸体画や、猥褻すれすれの挑発的なスタイルで身体をゆがめられた人物像です。
ところがミュルーズ郊外で発見された絵はかなり大きなサイズの風景画、ヒマワリ畑でした。もちろんシーレならではのタッチで描かれたものです。観る者が自由に解釈できるという点で私はこの絵に惹かれます。
70年ものあいだ、石炭暖房の部屋の壁にかけられていたため、発見時にはかなり煤けていました。そのこともエドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」との共通点で、人目につくところに隠されていた “盗まれた手紙”は大臣Dによって意図的に汚され、劣化させられていましたからね。汚れを落とし、額縁に入れられて初めて、作品は本来の輝きを取り戻すのです。
パスカル・ボニゼール監督プロフィール
1946年、パリ生まれ。1969年「カイエ・デュ・シネマ」誌の映画批評家としてキャリアをスタートさせる。1976年には、19世紀にフランスの農村で実際に起こった尊属殺人事件を扱ったミシェル・フーコーの研究書をもとに事件の映像化を試みたルネ・アリオ監督の野心作『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』の共同脚本に参加。以降、脚本家として作家主義的な映画監督ラウル・ルイス、アンドレ・テシネらとの協働を重ねたが、なかでもジャック・リヴェットの脚本家として確固たる実績と知名度を確立し、『地に堕ちた愛』(1984)、『彼女たちの舞台』(1988)、『美しき諍い女』(1991)、『恋ごころ』(2001)などの脚本を手がけた。脚本の仕事と平行して、1996年には満を持して『Encore(アンコール)』で監督デビュー。練り上げられた自作の脚本、知的にして軽妙なコメディタッチの作風はフランス映画の貴重な流派であり、長年のファンの期待を裏切らない『オークション ~盗まれたエゴン・シーレ』は監督第9作に当たる。他の監督作にミステリの女王アガサ・クリスティの「ホロー荘の殺人」を原作とした『華麗なるアリバイ』(2008)がある。
監督・脚本・翻案・台詞:パスカル・ボニゼール 『華麗なるアリバイ』
出演:アレックス・リュッツ、レア・ドリュッケール、ノラ・アムザウィ、ルイーズ・シュヴィヨット
原題:Le Tableau volé /2023年/フランス映画/フランス語・英語・ドイツ語/91分/シネマスコープ/カラー/5.1ch
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ/ユニフランス
配給:オープンセサミ、フルモテルモ 配給協力:コピアポア・フィルム
©2023-SBS PRODUCTIONS