『山逢いのホテルで』アルプスの山間で、一人の女が二つの愛に揺れ動く。
火曜日になると彼女は、列車とロープウェーを乗り継いで、標高2000メートルの地には似つかぬ召かした格好で、ダムの横を通りぬける。向かう先は、山あいに佇むとも聳えるとも言えそうな瀟洒なホテル。そこに泊まるわけではない。レストランで、アバンチュールの相手を見つけるのが彼女の目的だ。「どこから来たの?あなたの住む土地の話を聞かせて」。それから間もなくして、彼女は誘う。「あなたの部屋へ行かない?」。
紅の少しはげた唇で、町はずれにある息子と二人暮らしの家へと帰る。障害のある息子を、彼女は一人で育てている。愛する息子とのささやかな時間。父からだと偽って、ホテルで聞いた男の土地の話を彼女自身でしたためた手紙を、息子に読み聞かせる。「愛しているよ。パパより」。ここまでが、彼女の毎週の日課だった。あの人に会うまでは。
彼女、クローディーヌは息子を愛し、そして愛する男性に出会った。
唐突に、シャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』のジャンヌを思い出す。彼女もまた、息子と暮らし、ルーティーンのある生活を送っていた。そして、親しいとは言い難い男との情事も。
快楽の末に行き着いた、または選択した、クローディーヌとジャンヌの結末の違いは何であったか。
作中で美しく映し出されるスイス・アルプスの山々はいつまでも変わらずそこにあると見えて、しかし細部では絶えず変化が起きていること。クローディーヌもそうだった。そして、それまで素通りしていた人工湖、ダムを前に、彼女は立ち止まり、新たな生き方を見つけた。(MO)
イントロダクション
【第76回カンヌ国際映画祭ACID部門 オープニング作品】
スイスの壮大な山々と湖畔に囲まれた、世界最大級のグランド・ディクサンス・ダムの麓に実在するホテルを舞台に、息子への献身的な愛と現実逃避の夢の間で揺れる女の姿を描く。果たしてクローディーヌが最後に選んだ道とは――。
主演は、『バルバラ セーヌの黒いバラ』(17)でセザール賞主演女優賞に輝き、『ボレロ 永遠の旋律』(24)では圧巻のダンスを披露した、フランスの名優ジャンヌ・バリバール。熟年を迎えた女性の孤独から、息子に無償の愛を捧げる母としての優しさ、情熱的な恋に落ちる女性の可憐さまでを見事に表現する。監督・脚本を手掛けたのは、ファッションデザイナーとして活躍したのちに本作で長編監督デビューを果たした、スイスの新鋭マキシム・ラッパズ。俳優たちの魅力を掬い取る繊細な眼差しや、じっくりと時間をかけて感情の変化を紡ぎ出す演出に、長編デビュー作とは思えない手腕を発揮している。
ストーリー
スイスアルプスをのぞむ小さな町で、障がいのある息子をひとり育てる仕立て屋のクローディーヌ。
毎週火曜日、彼女は山間のリゾートホテルで一人旅の男性客を選んでは、その場限りのアヴァンチュールを楽しむ、もう一つの顔を持っている。
そんな中現れたある男性との出逢いが、彼女の日常を大きく揺さぶることになる。
もう恋を追いかけることなど想像もしなかったクローディーヌは、再び女として目覚めようとしていた……。
マキシム・ラッパズ監督インタビュー
――平原や山、ダムなど、このロケーションを採用した理由は?
クローディーヌが谷で息子と過ごし、仕立て屋の仕事をする日常生活と、他方では、自立した女性として山で休暇を送る二重生活を映像で伝えるために、高地と低地の間の地形を組み合わせることにしました。2つの世界を繋ぐ旅というライトモチーフのアイデアが気に入りました。
この道筋は、物語を形式的に構築します。列車内の長いトラッキングショットで始まるオープニング、トンネルの暗闇の中の通路、目が回るようなダム、人口のまばらな山は非常に象徴的です。クローディーヌが私の思い描く物語を映画の世界へと導くこと、少なくとも自然主義とはかけ離れた世界へと導くことが重要でした。
――クローディーヌ役にジャンヌ・バリバールを選んだ理由は?
私はすでに『Tendresse(原題)』でジャンヌ・バリバールを起用しようと考えていました。彼女の魅力、気品、比類のない話し方に感銘を受けていたからです。彼女に『山逢いのホテルで』の脚本を読んでもらい、承諾してもらいました。母親、恋人、そして恋する女性の役を演じることができる女優を探していたのです。
つまり日常生活、仕立て屋、息子を持つ母親、山への逃避行、ホテルでの見知らぬ人々との出会いなど、多面的な役を演じられる女性です。メランコリックな雰囲気を醸し出す、優雅で神秘的なジャンヌ・バリバールの演技は、クローディーヌというキャラクターに豊かなニュアンスとアンビバレンスをもたらしました。
マキシム・ラッパズ監督プロフィール
1986年、スイス・ジュネーヴ生まれ。2011年、ジュネーヴ造形芸術大学(現HEAD)でデザインの学士号を取得。イタリアの著名なファッションデザイナー、ロベルト・カヴァリに才能を認められたことから、カヴァリの元で働き、若手デザイナーとして注目を集める。2012年、若手の登竜門であるイエール国際フェスティバルのファイナリストに選出され、審査員だった映画監督のクリストフ・オノレに出会ったことをきっかけに、映画業界に転向。オノレ監督の『変身物語 神々のエロス』(14)、第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作『ソーリー・エンジェル』(18)の脚本に参加する。2016年、映画と脚本の修士号を取得し、短編映画『L’Été(原題)』(16)、『Tendresse(原題)』(18)を制作。初の長編監督作『山逢いのホテルで』(23)は、第76回カンヌ国際映画祭ACID部門のオープニング作品に選出された。
監督・脚本:マキシム・ラッパズ
出演:ジャンヌ・バリバール、トマス・サーバッハー、ピエール=アントワーヌ・デュベ、ヴェロニク・メルムー
2023年/スイス、フランス、ベルギー/フランス語/92分/カラー/1.66:1/5.1ch
原題:Laissez-Moi
字幕:齋藤敦子
配給:ミモザフィルムズ
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