『ガザ=ストロフ -パレスチナの吟(うた)-』上映後トークイベント
『ガザ=ストロフ -パレスチナの吟(うた)-』上映後トークイベント
登壇者:ケリディン・マブルーク(本作監督)
2024年10月11,12日@アップリンク吉祥寺
10月11日(金)と12日(土)の上映後、『ガザ=ストロフ -パレスチナの吟(うた)-』共同監督の一人であるケリディン・マブルークのトークショーが、チュニジアとオンラインで繋いで開催されました。
11日のテーマは「一人ひとりの「顔」を伝えるために」、12日のテーマは「ガザには世界の問題が凝縮している」でしたが、内容の重複があるため、本レポートでは一つにまとめて報告します。
ケリディン・マブルーク監督:映画を見に来ていただき、ありがとうございました。現在のガザの状況に鑑み、10年以上前に製作したこの映画が日本で上映されることをありがたく思っています。また、日本でガザのことを考えて行動してくださっている方たちにも感謝を申し上げます。
イスラエルのプロパガンダによって、2023年10月7日に現在の戦争が始まったとの物語が作られていますが、それに対して反論する証拠の一つが皆さんに見ていただいたこの映画です。
司会:まず、『ガザ=ストロフ』を撮影した当時の状況について教えてください。
監督:この映画は、2008年12月から2009年1月にかけて起きたイスラエルによるガザへの軍事攻撃の停戦直後に撮影されたものです。当時、私はパリにいましたが、欧米メディアではガザの状況がほとんど報道されていませんでした。アラブのメディアではガザの惨状が放送されていましたが、実際にガザで暮らす人たちの姿を見ることはできませんでした。また、当時はスマートフォンが現在のようには普及しておらず、ガザの人々自身が発信することもできませんでした。そこで、共同監督のサミール・アブダラとともにガザに行って撮影するプロジェクトが始まったのです。
ガザでは、2007年からイスラエルによる封鎖が始まりました。それ以来、人や物資の移動が制限されており、「天井のない監獄」と呼ばれる状況が続いています。撮影当時、ガザに入ることは禁じられていたため、私たちは身分を医師と偽ってガザに入りました。
ガザに入った私たちが目にしたのは、現地の惨状でした。白リン弾の匂いが至る所でしていました。白リン弾は、1週間以上にわたって燃え続け、皮膚に付着すると燃焼し続けます。また、体内にリンが吸収されると、呼吸器や内臓を損傷させます。白リン弾は、非人道的だとして国際的な人権団体から非難されている兵器です。爆撃も続いていました。こうしたことは、当時、欧米メディアでは報道されていませんでした。
2009年にガザで撮影した映像記録は30時間に及ぶものでしたが、それを編集してフランスで見せることは容易ではありませんでした。イスラエルからフランス政府へ圧力がかかっていたからです。しかし、支援者たちの協力のおかげで、フランスの公共放送で放送され、映画版は国内の映画館で上映することができました。
司会:2024年の現在、2009年に撮影された映像を見ることにはどのような意義があると思いますか?
監督:いま『ガザ=ストロフ』を見ることには、二つの意義があると考えています。一つ目に、2008年から2009年の戦争についての歴史的証言の価値があることです。当時、この映像はEUや国連の人権委員会で、戦争犯罪や人道に対する罪の証拠として採用されました。ゴールドストーン報告書(注1)にも採用されています。この映像は、歴史的な証言・証拠なのです。
二つ目に、現在ガザで続いている戦争が2023年10月以降に始まったとするプロパガンダに対抗する証言としての意義です。現在、ガザでは本当に酷い虐殺が起きています。現在ほどの規模ではありませんが、1930年代にも、1948年のナクバの時にも、多くのパレスチナ人たちが殺されてきた歴史があります。戦争状態でなくても、ガザでは、爆撃が起きたり、罪のない大人や子どもが何の理由もなくイスラエル兵に撃たれて殺されたりすることが長く続いてきました。2023年10月7日から1年以上にわたって戦争が続いていますが、これは決して2023年10月7日に始まったものではなく、それ以前から何十年にもわたって続いてきたことです。この映画はそのことを示す証言・証拠です。
医学誌『ランセット』に掲載された記事(注2)に拠れば、2023年10月以降、ガザでは既に約20万人が亡くなったと推計されています。ガザでは、ヒロシマ・ナガサキに匹敵する犠牲が生じているわけです(注3)。
昨日(11日)のことになりますが、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に今年のノーベル平和賞が授与されると決まったのは素晴らしいことだと思っています。同時に、ガザでの犠牲がヒロシマ・ナガサキにも匹敵するのだということを日本の皆さんには覚えておいていただきたいと思います。
ところで、昨年公開されたクリストファー・ノーランの映画『オッペンハイマー』を見た際に、私は強い憤りを感じました。180分におよぶ長い時間をかけて原爆開発者を描いていながら、日本人の顔がまったく出てこなかったからです。『オッペンハイマー』は、一方的な視点から見られた原爆の物語に過ぎません。このように、西洋は他者の顔や人間性を剥奪するということをおこなってきたのです。
(注1)
2008年12月から2009年1月にかけてのガザでの戦争ののち、国連人権理事会において、南アフリカの裁判官であるリチャード・ゴールドストーンを団長とする調査団による現地調査がおこなわれ、2009年9月に報告書が公表された。報告書は、イスラエルおよびパレスチナ武装勢力の双方の行為が戦争犯罪に相当し、人道に対する罪に当たる可能性もあると結論づけた。
(注2)
ランセットの記事は2024年7月に発表されたもので、水・食料のほか医療資源の不足やインフラの破壊などによる関連死を含めれば、ガザでの死者の総数は3倍から15倍になるとする。その上で、ガザ保健省が6月19日に公表した死者数37,396人をもとに、関連死で亡くなる人の数を公表された死者数の4倍とした場合、総死者数は186,000人を上回ると推計している。
Counting the dead in Gaza: difficult but essential - The Lancet
ガザの死者は186,000人を超える可能性、ランセットの調査結果:アラブニュース
(注3)
1945年末までに、推計によると、広島では原爆によって約14万人が亡くなった。(リンク)
同じく推計によると、長崎では約7万4千人が亡くなった。(リンク)
司会:昨年10月以降、共同監督のサミール・アブダラと取り組んでいる「ガザ・フェイス 私たちは数じゃない!」というプロジェクト(注4)について教えてください
(注4)
監督:『ガザ=ストロフ』の製作以降、ガザでは2012年や2014年にも大規模な戦争が起きており、また現地で撮影しないのかと多くの人から聞かれました。けれども、私たちの目的は、建物が破壊されたり人々が殺されたりする悲惨な映像を撮ることではありません。私たちが撮りたいのは、パレスチナの人々の美しさや文化、彼らの人間性です。
スマートフォンが普及し、現在はガザの人たちが自分で撮った映像を発信することができるようになりました。その中には、詩人や作家だけでなく、一般の人たちや子どもたちもいます。現在起きている惨劇をガザの人たち自身が記録できるため、私たちがガザに行って撮影する必要はもうないと考えています。そこでサミールと私が立ち上げたのが「ガザ・フェイス」というプロジェクトです。「ガザ・フェイス」は、2023年10月7日以降の戦争によって亡くなった人たちのポートレートとプロフィール、どのように亡くなったかのテキストからなり、画像版と動画版があります。画像や動画は、デモで用いられたりSNSで拡散されたりしています。このプロジェクトはボランティアにより運営されており、既に英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語などに翻訳されています。つい最近、東京外国語大学の有志が中心となって日本語版が作られました(注5)。
「ガザ・フェイス」の目的は、亡くなった人たち一人ひとりの顔を取り戻すことです。というのは、亡くなった人たちが、死者数として、ただの数字にされてしまい、顔が消されるということが続いているからです。他者の「顔」を見えるようにすることが、私たちが抱き続けている問題意識の核にあります。近代以降の欧米には、他者の顔を剥奪してきた植民地主義の歴史があります。これは、南北アメリカ大陸でもアフリカでもアラブでもアジアでも起きてきたことです。
私は、パレスチナの問題には過去2~3世紀にわたる様々な問題が凝縮されていると考えています。パレスチナの人たちから人間性が剥奪されている状況が続いており、亡くなった人たちは数としてしか表されていません。イスラエル人の犠牲者が報道される時には、彼らの名前と年齢と顔写真とともに、どのような人物だったかが報じられます。しかし、パレスチナ人の犠牲については、「500人が亡くなった。300人の子どもが亡くなった」などと死者の数が報じられるだけです。なぜこのようなことが起こるのか、ぜひ皆さんにも考えていただきたいと思います。
(注5)
東京外国語大学での企画展「ガザ・フェイス 〜私たちは数じゃない!〜」、2024年10月5日(土) - 28日(月)
【来場者との質疑】
――映画の中でマフムード・ダルウィーシュ(1941-2008)の詩が用いられていましたが、現実の惨状と詩の美しさが対比されているようでした。なぜダルウィーシュの詩を用いたのでしょうか?
監督:ダルウィーシュは、アラブを代表する詩人です。朗読の音声は、ダルウィーシュ自身によるものです。彼の詩は、パレスチナの問題、植民地主義の問題を、もっとも力強く、またもっとも繊細に描いています。彼は『オリエンタリズム』の著者であるエドワード・サイード(1935-2003)の親しい友人でもあり、西欧による他者のモノ化、「オリエンタリズム」の問題に常に向き合っていました。
アラブ地域では詩が生活の中に根付いており、朗読会もよくおこなわれます。映画の終盤に、男性が詩のように長く語るシーンがありますが、彼は普通の農家の男性です。
ダルウィーシュの詩を用いたのは、パレスチナの美しい詩的な文化を、爆撃と破壊が表す野蛮さと対比して描きたいという思いがあったからです。詩は、ユーモアや文化と同じように、抵抗の武器の一つなのです。
――ますます酷くなっていくガザの状況を見ていると、イスラエルはガザを破壊して占領したいのではないかと思えてきます。監督は、どうすれば現在の戦争を終わらせられるとお考えですか?
監督:いまガザやヨルダン川西岸やレバノンなどでイスラエルがおこなっていることは、シオニスト の思想に基づくものです。それは、神から与えられた土地はすべて自分たちのものだとする考えです。彼らは、シナイ半島からイラクまで占領地をさらに広げ、人々を消し去ろうとしています。そこに住む人々は、殲滅させられなくても、苦しい生活を強いられたり追放されたりします。1948年や1967年のように。
さらに大きな問題なのは、彼らが、土地を支配するだけではなく、国際機関や欧米諸国に対する強い影響力と巨大な権力を持っていることです。イスラエルがおこなっていることに対し、国際法は効力を失っています。
しかし、世界各地でイスラエルに対抗する人々の連帯が強まっています。多くの都市で、かつてない規模で人々が抗議運動を起こしています。確かに、短期間のうちに戦争を終わらせることは難しいかもしれません。けれども、人々の問題意識が高まっていることに私は希望を抱いています。
(2024年10月11日、12日 チュニス=吉祥寺 通訳:二口愛莉 司会:大谷直子、堀池沙知子 報告レポート:中村修七)