『沖縄久高島のイラブー』と『沖縄久高島のイザイホー』神への尊敬と畏敬を捉えた貴重な記録映像

『沖縄久高島のイラブー』と『沖縄久高島のイザイホー』神への尊敬と畏敬を捉えた貴重な記録映像

2024-07-30 20:00:00

『沖縄久高島のイラブー』と『沖縄久高島のイザイホー』
久高島は沖縄県の本島からフェリーで20分くらいのところにある島で、全周8km、現在は150世帯、200程度が暮らしている。かつて琉球王国の時代は琉球神話の聖地であった。その聖なる地に受け継がれたのが神女「ノロ」の制度であり、その祭事として12年に一度行われてきたのがイザイホーという祭事であり、そのイザイホーを支えるものがエラブウミヘビを燻製にして作られるイラブーであった。イラブー作りも神事として厳粛に行われてきたもので、単なる調理とは違う。

イザイホーは午年(うまどし)に、その年に30歳から41歳の女性で、久高島に生まれ、久高島の男性に嫁いだ、しかも、不貞を犯していない健康な女性が、このイザイホーの神事を通して一般の女性から神女になる行事で、230人程度しかいない島で、多くの人が島を離れてしまう現代では、中々該当する女性が現れず、1978年以来、行われていないという。さらに神女は70歳でテーヤク(退役)になるため、1978年に神女になった方も、2010年代半ばにはテーヤクになっていた。神女としての勤めは、12年に一回のイザイホーだけではなく、一年中行われる神事(年間30回近い)を行うことになり、イザイホーで神女となってからが重積を担うことになる。ただ、神女になってから、各家庭に帰り、各家庭の安寧と繁栄を神様に直接頼むことができるので、神女になった方々は非常に満足されている。

この映画は民俗学的な資料としても重要だが、単なる記録ではないことを忘れてはいけない。この映画に写っていないものが重要だ。それは、イラブーを作る過程でも度々垣間見ることができる神への尊敬と畏敬であり、イザイホーの神事に参加している神女の人々が見ているあるいは感じている神の存在だ。この映画で行われる神事は沖縄神道の祭事であるが、古来から畏敬していた神への崇敬であり、神を感じることができるという感覚を、自分が持っていることに喜びを感じるだろう。映画に写っていない“もの=神”が主役の映画であることを素直に感じることができれば、この映画をより深く愛することができるであろう。

最後に、この映画を監督した岡田一男とカメラマンの谷口常也について語っておこう。

岡田さんは、1960年代にソ連のモスクワにあった全ソ連国立映画大学(VGIK)でミハイル・ロンムの師事(ミハイルロンムの門下生にはアンドレイ・タルコフスキーやニキータ・ミハルコフをはじめ綺羅星のようにソ連映画の栄光を形成したスター監督たちが続々といた)を受け、ソ連映画全盛期のソ連映画の技法を最高レベルで学んだ。しかも、全ソ連映画大学時代に知り合い学生結婚した女性(岡田さんとはその後離婚)は、後のキルギスと言わず世界の文学史に名を残したチンギス・アイトマートフの夫人となる。岡田さんは大きく歴史が動く舞台そでにいた人なのだ。その人が監督したドキュメンタリー作品だ。日本の沖縄の久高島を舞台にした映画には、なんと、ソ連映画の血脈が流れている。それだけでも、面白い発見ができるだろう。それが、このドキュメンタリーを単なる文化映画に留めていない何かがある。

谷口さんは日大芸術学部を卒業後、日映科学、岩波映画などを経て、岡田さんの東京シネマ新社一筋で従事した名カメラマンだ。彼の撮影は常に的確で、動物もののドキュメンタリーも数多く仕事をされ、取り損なうことのない腕のいいカメラマンで、職人的な技術がありながら、温厚な人柄で、一緒に仕事をするとこんなに気持ちのいいカメラマンはいないだろうという人だ。かつて日本映画を支えていた職人的カメラマンの仕事を21世紀の今日、この映画で見ることができる。そういう意味でも貴重な作品だ。

『沖縄久高島のイラブー』102分 ディレクターズ・ノート

『沖縄久高島のイラブー』は1970年代後半、東京シネマ新社が、伝統文化財記録保存会、下中記念財団EC日本アーカイブズと共同して取組んだ沖縄久高島でのイザイホー(1978 年12 月執行)の映像記録活動の中で、独自に撮影したイラブー(エラブウミヘビ・ヒロオウミヘビ)の燻製づくり、イラブーに関わる祭祀の16mmフィルムによる記録に加え、2023年秋に存命の 78 年被撮影者、復活に関わった関係者の証言、さらにイラブーづくりの現状や調理、祭祀復活の努力を4K-24pビデオ新規撮影で統合し、伝承の記憶と継承を中心に描いた長編ドキュメンタリー映画である。

イザイホー映像は、1979 年に、16 ㎜映画として『沖縄久高島のイザイホー』第一部、第二部としてまとめたが、イラブー映像は、2021 年 4 月に文化財映像研究会が発足して関連映像の高画質スキャンによるデジタル化が始まるまで、粗編集と関係者間の試写は行われたものの外部には未公開であった。

1978 年晩秋のイザイホー収録にあたって筆者は、祭祀という晴着の世界だけでなく、島人の普段着の世界も記録したい、信仰と言う精神面の記録だけでなく、物づくりと言った物質文化についても記録したいと考えた。 
しかし、1977 年からの準備段階で、晴着姿を記録されることはともかく、普段着の世界を撮られることへの抵抗感が意外に強いことに気づいた。また年間 30 近くある年中行事の積重ねあってのイザイホーであることは重々判っていたが、民俗祭祀記録はこうあるべきと言う自らに課した製作技術条件と経済的負担を照合わすと、選択肢は極めて限られていた。結局、年中行事の記録を早々に断念し、イザイホーのみに注力し、久高島滞在期間中に、限られた人々の許諾で可能な、島の特産品、イラブーづくりの記録をすべく、久高ノロ家にお許しを得た。 

この当時、久高島のイラブーづくりは、久高ノロが主宰し、ノロ家が雇った経験豊かな小頭夫婦の指導で、一年交代で島の年中行事の世話役を務める久高・外間二組のハッシャ(村頭)夫婦によって行われていた。我われは撮れる限りの全てを記録することを寛大に許されたが、伝承技術流出への懸念も伺ったので、公開は慎重に行うことを口頭ではあったがお約束した。 

幸い、約 50 日間の久高島滞在中に、久高ノロ管掌のイラブーガマにおける女性たちのイラブー捕獲、トゥンチグヮー内外での6日間に及ぶイラブーの燻製過程、次期ハッシャの燻製材準備、島内の家庭におけるイラブー汁調理を記録できた。イザイホー記録への準備過程の中で、イラブーづくりの記録を写真家、比嘉康雄氏と共にできたことは、スタッフ一同の久高島理解にとって極めて有益で、イザイホー記録の充実にもつながった。翌1979 年秋、筆者自身は、東京シネマ新社として初めてのTV番組となった子ども向け動物帯番組制作に忙殺され、海外にあった。しかし比嘉氏からの連絡と助言でカメラマンたちを、イラブー収穫感謝・豊漁祈願の儀礼である、旧暦九月のハンジャナシーにおける「俵の口開けとムムハメー」の記録に派遣した。 

『沖縄久高島のイラブー』は作品の形態としては、ドキュメンタリー映画の手法を採り、科学的ドキュメンテーション映画とは対極をなすものとなっている。筆者にとって『イザイホー』は生涯における初めての本格的民族誌映像制作であったが、『イラブー』もまた生涯初めての本格的長編ドキュメンタリー映画の試みである。筆者自身、既に末期高齢者の齢に達しており、時間との追いかけっこの中での、また記憶違い・思い違いの検証・修正の繰返しの中での作品づくりとなった。文化財映像研究会としての久高島における聞き取り調査を三島まきと筆者で2022年夏から始め、23年夏までの数回の聞き取り調査、収録打合せの中で、折角ご協力の意思表示をいただきながら、23 年秋の撮影時には、手遅れになった方々がいられた。それでも、多くの方々の協力で貴重な証言は充分得られたとも思っている。 

映画作品としてまとめるという事は、選択に始まり選択に終わる。その選択の中で多くのことを非情に切捨てることをも意味している。であるから、補完するものとして未収録映像の資料化は必須の課題でもある。1977-79 年の 16 ㎜フィルムの整理だけでなく、2023 年の 4K 記録映像の整理も、文化財映像研究会のプロジェクトにとっては、これからの重要な課題となる。 

この作品のDVD制作にあたっての特典映像の付加や、より高画質のBD制作の提案もあった。しかし、どちらも採用しなかった。筆者は、DVDという4半世紀前の古い規格のメディアの画質に満足できず、そこに多くの経費を掛ける意味は見いだせない。そのかわりDVDの有償購入者には、ウェブ上で、より高画質な24p4K画像にアクセス可能にすべきと考えた。その中には、整備されつつあるアーカイブ映像も逐次含めていく。経費を節減する理由には、もう一つある。地元への還元策として、作品のDVDと冊子のセットを久高島全戸への無償配布の原資捻出がある。伝承技術の流出防止で公開を見送った火床の準備過程や排泄物処理過程は、実に1978年撮影の核心であり、島内限定で遺す資料編の重要部分なのだ。制作費の不用意な肥大は、きめこまかな対応を圧迫しかねない。 

ウェブ上でのアクセスを容易にする課題の中には、いわゆるバリアフリー版もある。視覚障害者用の音声ガイド版、聴覚障害者用の字幕版制作は、初めての試みであって、本編に先付け映像を付加し、その発する非可聴音でUDCastという専用アプリを起動させる方式をとった。なかなか微妙で画像データの圧縮方法が不適切だと起動できず苦労した。このことで思い起こさせられるのは1978 年のイザイホーで神女となったナンチュの中に耳の聞こえない方がいたことである。彼女は本来なら前回の1966 年のイザイホーでナンチュとなるべき方だった。七つ橋渡りでの失敗を危惧され、小さな子供の世話もあり、見送られたが、12 年後、息子さんが長じて遠洋漁業に出漁されているため、その安全を祈って志願され、周囲の支えで無事、神女となられた。 

この作品は、約 17 時間のイザイホー、久高島関連 16 ㎜フィルムのデジタル化と、新規撮影経費の2回にわたるクラウドファンディングによって資金調達した。無論、友人知人縁故のある方の支援もあるが、趣旨に賛同して多くの方々の未知の方々が製作の一端を担ってくださって実現した。作品をご覧いただく方々、DVD・冊子をご購入いただく方々、さらにはイラブーを食される方々にも、久高島の人びとが今、懸命に続ける民俗文化の伝承への努力に連帯し、その苦労の一端を、映像を見て楽しむ、食を楽しむという無理のない行為の中で、共に担っていただきたいと願っている。 

久高島は、1960 年代から実にさまざまな方々によって映像に記録されてきた。多分、沖縄というより日本全体でも突出には久高ノロ家のイラブーとの関り、近世にハッシャがイラした多くの映像による記録が存在する地域なのではないだろうか。我われの記録は、内容・画質ともに重要なものとは自負するが、そのごく一部に過ぎない。映像は所蔵者がただ保管し、所在情報を整備しているだけでは、役立つものではない。強い意志と賢い思考で整理され、それを実際に見ることが出来なければ意味がないのだ。そのことを久高島年中行事データベースと言う優れた先行例が教えてくれている。今般の仕上げ過程で、年中行事データベース構築に関わられた乾尚彦氏からいただいた的確な助言の数々は、久高島年中行事データベースの後に続く我われへの賜物、恩恵と受け止めている。 

『沖縄久高島のイラブー』の完成で、文化財映像研究会のイザイホー映像デジタル化プロジェクトは折返し点を過ぎ、後半に入る。文化財映像研究会の体質を強化して、個々の儀礼の無省略版制作を積重ね、その中で、取捨選択をして『沖縄久高島のイザイホー』完全版に進みたいと念じている。次の第一歩は、かなり大きな省略を行った第4日目の映像の整理から取掛ろうと思っている。

 

 

『沖縄久高島のイザイホー』2022年デジタル・リメーク版 ディレクターズ・ノート

この作品のベースとなっている 1979 年版は、16mmカラーフィルム撮影と同期録音で記録したものである。付 されているナレーションは当時のママなので、2022 年版で新たに付した神謡の解釈とは矛盾している箇所も ある。原作は岡田が、36 歳と若い頃の作品である。当時、西ドイツで提唱されていた「科学的ドキュメンテー ション・フィルム」の方法論を日本では、どう展開できるのか?を、様々な分野で模索しており、本作もその一 環として取組んだものである。
岡田は、1961-66 年、モスクワの全ソ国立映画大学劇映画監督科のミハイル・ロンム教授(監督 )のクラスに 在籍した。そこで知的自由の大切さと共に、他人、先行者の模倣を絶対避けること、競争になった時、同じこと をやったら、より経験を持つ者に必ず負ける。知恵を絞って、オリジナルなやり方を考えろ。若者は先人を乗 越えて進まなければならない。明日の映画界は、先人を乗越えられない者 を必要としない、と教え込まれた。 また思考する方法論として、過去から現在までの、関連事項を歴史的に徹底的に調べ上げ、その蓄積に基づ いて将来への表現創出をユニークに行うことを身に着けた。社会主義を名乗りながら、実態は画一的な全体 主義国家体制の中で、国家動向と正反対の教えを受けられたのは、当時としては非常な幸運であった。
また 1970 年から公益財団法人下中記念財団でエンサイクロペディア・シネマトグラフィカに関わる下中記念 財団 EC 日本アーカイブス(ECJA)の立上とその後の運営に父、岡田桑三と共に携わり、そこで西独ゲッティ ンゲンの科学映画研究所(IWF)のゴットハルト・ヴォルフの提唱する「科学的ドキュメンテーション・フィルム」の 方法論を習得した。ドキュメンタリー・フィルムでは、作家の主張をストーリー化し、現実をその主張に従って記 録し、膨大な事実の記録を作家の主観で取捨選択し、ストーリー順に切貼りして行く。「科学的ドキュメンテー ション・フィルム」では、研究者とメディア専門家が共同作業で、知的映像情報の集積を体系的に整理して、 様々な利用者の情報源となるように展開する。この相違に、ご注目いただきたい。

日本から供給する EC フィルムの製作実務を通じて、「科学的ドキュメンテーション・フィルム」の方法論に則 りながら、芸能記録、陶芸、海洋生物学、細胞生物学、動物行動学など様々な分野で、ドイツ流には 染まらな い日本型の映像制作を絶えず目指した。1972 年の「雅楽シリーズ」を共同した民族音楽学者、小泉文夫から 大きな影響を受け、多数カメラを動員して記録する手法を学んだ。
1973 年のアメリカ、シカゴの世界民族学・人類学大会における、ジャン・ルーシュ、ポール・ホッキングスの 「緊急人類学」アッピールに前述の G.ヴォルフが呼応し、EC 各国支部に文化変容の危機にある信仰に映像 制作を注力するよう呼びかけた。当時の財団理事長下中邦彦は、それなら沖縄で行こうと即断して、岡田に 谷川健一・比嘉康雄両氏に相談するよう指示した。両氏とは、沖縄なら久高島、久高島ならイザイホーとなっ たが、イザイホーと 26 以上ある年中行事との関連をどうするかが問題となった。当初から多数カメラによる機 動的な撮影を目指していたため、早期に年中行事記録は断念し、イザイホーだけに集中する決断をした。

第 1 日目夕刻 七つ橋わたり イティティグルーに率いられたナンチュたちをノロとヤジクが囲む 谷口常也撮影
下中記念財団の財政状態はかなり厳しく、財源確保に腐心した。外部資金で映像制作を行いつつ、その成 果で EC フィルム製作を実現する方策を探った。1973 年から沖縄海洋博の松下電器グループの海洋博ホー ル、35mm、3 面マルチスクリーン展示「マリン・フラワーズ 腔腸動物の生活圏」を手掛け、これが再建された 東京シネマ新社の出発点となった。作品としては好評を得たが満足 できず、16mmフィルムで、限られたメン バーと指導学者で継続プロジェクトを組み、「ムーンジェリー ミズクラゲのライフサイクル」制作にさらに 3 年か け、その間に公益財団法人放送文化基金の助成を受けた。
放送文化基金創立時の特別プロジェクトで活動する伝統文化財記録保存会が 、イザイホーの記録を計画 中と聞きつけ、撮影フィルムの相互利用、プールの可能性を本田安次理事長に打診したところ、イザイホー記 録を岡田らに発注しようと逆提案を受けた。だが、二者の予算でも足りず、EC フィルムを再編集して国立民族 学博物館のビデオテーク番組とする作業を受注し、約 30 作品の製作費の東京シネマ新社の利潤を注入する こととし、その分を平凡社から前借した。
EC フィルム活動を通じ、ゲッティンゲンの IWF の機材編成など技術情報をチェックしていたが、最も先端的 な取組みをしていたイレノイス・アイブル=アイベスフェルト教授の率いるマックスプランク行動生理学研究所 人間行動学研究センターの 16mmカメラ、テープレコーダー同期録音記録システムなどを参考に機材編成を 考えた。従来、東京シネマは 1954 年の創業以来、東洋現像所=ImagicaLab でイーストマンカラーフィルム使 用がデフォルトであったが、ソニー PCL でフジカラーフィルムで記録することにした。フィルム価格よりも、ソ ニー PCL が複製ネガをフジカラー撮影用ネガで作成する新技法を開発したことが大きかった。初秋の年中行 事カンザナシーにあたり、民俗地理学者、仲松弥秀教授とメインスタッフで斎場御嶽や久高島各所をくまなく 巡って、村落共同体と祭祀の関係を学んだ。1979 年版は、作品の骨格を仲松弥秀の村落共同体論で固め、 比嘉康雄の書起した、外間ノロウメーギ、西銘シズのイザイホー理解を反映したものとなった。

第 4 日目朝 東方遥拝 神女たちは東に向かって正座し、ニライカナイにイザイホーの終了を報告する 高山永一撮影
以上のような経緯から、今般の文化財映像研究会(岡田一男・石村智・三島まき)による全撮影フィルム・音 声デジタル化と将来のアーカイブ化、データベース化に至る論考を下記にまとめている。より興味のある方は ご参照いただきたい。 デジタル化への道1~6 http://tokyocinema.net/izaiho-history1.html
2022 年版は、2021 年のクラウドファンディングによる、全撮影フィルムデジタル化の成果発表の一環として 製作したものである。1979 年版音声トラックは残したが、整音処理をし、画像は新たに得た 2K- Full(2048x1556 ピクセル)、24P デジタルスキャン高画質画像の 4:3 画像を内容を吟味しつつ、全 300 カット を 16:9 画面に切直し、差し替えた。16mm映画では不完全かつ不可能だった、クレジットタイトルや中間字幕を補 充した上、凡そ聴き分けられる全ての神謡を三島まきが原音を書起こしてカタカナ表記し、その現代語訳を付 している。多くの先人がイザイホーの神謡の書起こしや、現代語訳を試みられているが、それらを綜合的に検 討し、現時点で最も妥当と思われるものにしている。
2022 年版製作の作業は、単にデジタル化完了の成果発表だけではなく、今後始まるアーカイブ化作業を 効率的、的確に進行させるために不可欠なものであった。 1979 年当時、カラーフィルムで撮影しながら、編集 作業のためのラッシュプリントは白黒プリントで行った。今般のデジタル化の中で、本編使用を見送ったカット やシークエンスに、現代の観点で見ると使うべきであったと思われるものもある。次ステップであるアーカイブ 化作業の中で、これら未使用映像も音付けを行い、個々の儀礼や神遊びの頭から尻までの未省略版を作成 していく。また 50 日間の久高島滞在中にエラブウミヘビの燻製づくりの一部始終を撮影したが、新撮を加えて 現代的なドキュメンタリー・フィルムのスタイルで、『沖縄久高島のイラブー』として完成させる。エラブウミヘビ の燻製は久高島の名産品として知られるが、島の祭祀組織が維持されていた時代には、島の年中行事を世 話役として支える久高・外間の二組の村頭一家の生活費を確保する、島の信仰維持の重要な手段となってい た。その過去から現代への変遷を辿って、久高島の民俗伝承の未来を見据える作品に仕上げたい。
これらアーカイブ化作業の先には、データベース化が控えている。先行例としては、2000 年代始めに行わ れた「久高島年中行事データベース」が既に存在する。それを模範としつつも、アクセスへの制約を取り払っ て、島人の民俗文化の伝承にも、研究者や学生の民俗祭祀研究や教育にも、何時でも、何処でも、誰でも使 える情報提供を目指したい。データベース化の中で、「久高島年中行事データベース」との統合が実現すれ ば、久高島の島レベルでの信仰にかかわる、ほぼ全てが映像データベースとして網羅される画期的なものに なる。その中で、最終的には大幅な構成変更とナレーションを徹底的に書直して『沖縄久高島のイザイホー』 の改定 3 版を製作できればと考える。それらのゴールは、2026 年と想定している。ご期待ください。

 

公式SNS

 

『沖縄久高島のイラブー』


『沖縄久高島のイザイホー』

[youtube url="https://vimeo.com/722068560"]

 

 

8月2日からUPLINK吉祥寺で公開!

『沖縄久高島のイラブー』(102分)
監督:岡田一男・鈴木由紀
ナレーター:草野仁
企画・製作・著作:文化財映像研究会/東京シネマ新社

『沖縄久高島のイザイホー』【2022年デジタル・リメーク版】(110分)
監督:岡田一男
制作:文化財映像研究会/東京シネマ新社 岡田一男、石村智、三島まき