『帰らない日曜日』原作小説に『キャロル』のプロデューサーが惚れ込み映画化
トッド・ヘインズ監督の『キャロル』をプロデュースしたエリザベス・カールセンとスティーヴン・ウーリーがグレアム・スウィフトが2016年に著した「マザリング・サンデー」の小説を読み「第一次世界大戦がもたらした行き場のない喪失感とその余波を、しかも上流階級のメイドだった女性の視点から、これほど明確に描いた物語は読んだことがありませんでした」と惚れ込み映画化されたのが本作『帰らない日曜日』(原題:MOTHERING SUNDAY)。
メイド役のジェーンを演じたのは、オーストラリア・シドニー出身のオデッサ・ヤング、邸宅の跡継ぎのポールを演じたのは、大ヒットTVシリーズ「ザ・クラウン」(19~)でチャールズ皇太子役を演じ、ゴールデン・グローブ賞とエミー賞で主演男優賞を受賞、『ゴッズ・オウン・カントリー』で注目されたイギリス・チェルトナム出身のジョシュ・オコナー。
監督はフランス、ル・アーヴル出身のエヴァ・ユッソン。2本目の長編映画『バハールの涙』(18)はカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品。
ストーリー
1924年、初夏のように暖かな3月の日曜日。その日は、イギリス中のメイドが年に一度の里帰りを許される〈母の日〉。けれどニヴン家で働く孤児院育ちのジェーンに帰る家はなかった。そんな彼女のもとへ、秘密の関係を続ける近隣のシェリンガム家の跡継ぎであるポールから、「11時に正面玄関へ」という誘いが舞い込む。幼馴染のエマとの結婚を控えるポールは、前祝いの昼食会への遅刻を決め込み、邸の寝室でジェーンと愛し合う。やがてポールは昼食会へと向かい、ジェーンは一人、広大な無人の邸を一糸まとわぬ姿で探索する。だが、ニヴン家に戻ったジェーンを、思わぬ知らせが待っていた。今、小説家になったジェーンは振り返る。彼女の人生を永遠に変えた1日のことを。
プロダクション・ノート
【原作・脚本について】
2016年に出版されたグレアム・スウィフトの小説『マザリング・サンデー』は各誌に絶賛され、ガーディアン誌は「傑作」、インディペンデント誌は「思い出と現実の、夢のような交錯」と讃した。ブッカー賞受賞作家であるスウィフトの長年のファンであり、『キャロル』のプロデューサーでもあるNumber 9 Filmsのパートナー・プロデューサー、エリザベス・カールセンとスティーヴン・ウーリーは、この小説が出版される直前にゲラを読み、作品に恋に落ちた。
「以前からグレアムの作品が大好きでした」とウーリーは言う。「素晴らしく才能がある作家です。彼の作品は面白おかしく、同時に繊細で心揺さぶります。我々はこの作品を唯一無二だと感じたのです。驚かされたのは、主人公のジェーンというキャラクターがとても良く描かれていたこと。1924年から1980年代までの時代を舞台にしていますが、母の日、そのたった1日の出来事が、その後のジェーンの人生を形作る様子が彼女の視点から語られます」
この小説は実に巧妙な記憶に関する物語だ。単純な二つの階級の身分を超えた恋愛ドラマではない。ジェーンが後年、小説家としてどのような人生を送り、どのような女性に成長していくのかを描くためには、緻密で洗練されたアプローチを要した。そこでカールセンとウーリーは、脚本家・劇作家のアリス・バーチを脚本家として起用した。初めて脚本を手がけた『レディ・マクベス』が成功したばかりだったバーチは、その後も「ノーマル・ピープル」、TVヒットシリーズ「メディア王~華麗なる一族」のシーズン2で称賛を受けている。
バーチは脚本の下書きを始めてすぐに、原作を参考にしつつもそのまま複製はせずに、時系列を崩した構成にすることに決めた。「単純な時系列にはできないことを明確に感じました。イメージや言葉が人生の中のある時代とつながり、記憶を呼び覚まさせていく手法に、本能的に興味を覚えたのです。とても情緒的で、文体はすごくエレガント。ジェーンはとても魅力的なキャラクターで、文章はまるで映画のように情景化できる。比較的短い小説なのに、スケールが大きく、それでいて内容が濃い。短い中に、一人の人間の人生の全てが詰め込まれているのです」
バーチの脚本を読み、監督のエヴァ・ユッソンはすぐに作品との繋がりを感じた。「当時手掛けていたテレビ番組がアクション作品だったこともあり、この繊細で文学的な脚本を読んで、”まるで天国”。すばらしい」と思いました。生きた感情があり、人々の脆さと親密さを描いたとても繊細な物語なんです。人はどのように人生を生き延びるのか?人生は辛く、数えきれないほどに悲劇的な出来事が起こります。その中、どうやって人々は創造的であり続け、笑顔と愛を維持していくのか?」
【オデッサ・ヤングとジョシュ・オコナーのキャスティングと撮影準備】
ポール役のキャスティング候補としてまず挙がったのは、『ゴッズ・オウン・カントリー』で力強い演技を見せたジョシュ・オコナーだった。「脚本は一気に読み終わりました。自分にとってそれは良いサインなんです」とオコナーは言う。「僕はアリスの脚本の大ファンです。脚本を読んでから1週間後に監督に会い、出演したいと明確に思いました。僕が惹かれるのはまさにポールのようなキャラクターなのです。とても感情的で、人生に対して疑問を感じている」
しかしユッソンは、理想のジェーン役を見つけるまではオコナーのキャスティングを約束できなかった。ジェーンとポールには相性の良さが必須だったからだ。時間は少しかかったが、ユッソンは“Shirley”(原題)に出演していたオデッサ・ヤングを見て、主役に相応しい俳優を見つけたと思った。その時にはすでにコロナが蔓延していたために会いに行くことは難しく、ユッソンとヤングはZoomで話さなければならなかったが、すぐにヤングが適任であると確信した。
「脚本を読んで本当に驚きました。」とヤングは言う。「監督とのミーティングはとても楽しかったです。おそらくロックダウンの3日ほど前でした。本当に仕事の話をしたのか、それとも笑い話をしていたのかは覚えていませんが、それ以来彼女との信頼関係が続いています。最初から、彼女の作品に対する並ならぬ情熱を感じていました。この映画は、女性クリエイターが、自らの階級と教育レベルのハンデを物ともせず、創造性を開花させていく物語です。どんなクリエイターにとっても、必ずしも協力的とは限らない世の中で、“創造する”ということはとても骨が折れる作業だと思います。女性であれば尚更です。だからこそ私はこのストーリーとの強い繋がりを感じました。周囲の人々が同様に感じてくれたとき、とても興奮します。」
脚本を読み、多くの時間を裸で共に過ごすことになることがわかっていたヤングとオコナーは、互いに良い関係性を築くことが重要であることがわかっていた。そのためオコナーは、隔離期間を終えたヤングをすぐにランチに誘った。オコナーは言う。「彼女に会ってすぐにファンになりました。無防備な状況に身を置くに当たって、お互いに安心できる関係性を築くことが大事でした。オデッサとはランチに行ってカムデンの運河沿いを散歩して、それ以降はとても良い仕事仲間となることができたと思います。彼女には間違いなく生まれ持ったジェーンの要素がありました」
ヤングはジェーン役を優雅にこなして見せたが、準備は簡単なものではなかった。隔離期間を終え、急いで衣装の試着やメイクアップのテストなどを行う必要があり、演技に向けてのリサーチをする時間がとれず、本能に身を任せるしかなかった。「緊張しました」とヤングは言う。「(1918年のフラッシュバック時の)15、6歳から40代の女性を演じるのは初めてでしたし、撮影が始まる2週間前までは役が務まるのかどうか不安でした。なので感情の振れ幅が激しい本作のような作品で、周囲に本当に才能のある人たちがいてくれて幸運でした。そうでなかったら撮影はとても難しかったと思います」
「長い時間、戦争の生存者の罪悪感という概念について考えました。」オコナーは自身の撮影準備について語る。「本作では3つの家族で5人の男の子が戦死しています。唯一生き残ったポールは皆の期待を一心に背負っています。決して結ばれることのない人と深く恋に落ちている青年の想いはどんなものなのか、僕は多くの時間を費やして理解しようと努力しました。一番難しかったことは、そのキャラクターになりきりつつも、悲しみに深く入りすぎないようにすることでした。」
【パンデミック禍での撮影】
最高の条件下で映画が制作出来ることは稀だが、パンデミック中の撮影には更なる困難が立ちはだかる。本作の撮影の準備は、イギリスや世界中の国々がロックダウンをしている最中に始まり、規制が緩和された後も何がどのような形で可能になるのかが不透明だった。
カールセンは言う。「プロダクションチーム全体がリモートで作業していて、最初は映画を作ることが可能かどうかさえ判断できませんでした。まさに未知の領域だったのです。最初にやったことは、Zoom会議を設定して、監督や衣装デザイナー、アートディレクター、撮影監督、それに主な役者たちを一堂に呼び集めたことです。最低限、顔合わせをして、制作を諦めていない方針を確認し合おうと思ったのです。」
Zoom会議で、全員の本作への意欲を再確認した後、ロックダウン前に発見した候補ロケ地の視察が、ソーシャルディスタンスを保ちながら始まった。パリから動けないユッソンはビデオ通話で参加。アシスタントディレクターがユッソンの手となり足となり、約2時間かけて現場周辺を視察した。リモートでの撮影準備は簡単ではなかった。チーム間のやりとりが難しく、挫けそうになった瞬間も何度かあるとカールセンは認める。それでも、純然たる決意で現地での撮影初日を迎えることができ、撮影が始まると軌道に乗った。カールソンは言う。「この状況を、馬たちが興奮して頭を振っている、スタート直前の競馬のようだと思いました。ゲートさえ開けば、後は馬がやることをやる。全てにおいて、出来事そのものよりも出来事を予測する方が不安になるのです。」と。
ウーリーは言う。「映画を作っているなんて信じられませんでした。いつもウイルス検査をしていたので、もし一人でも陽性だったらどうする?と神経がすり減りました。もちろんメジャーのスタジオなら陽性者を隔離するお金や、大人数の撮影スタッフを用意することができますが、我々の予算はもっと限られているので、みんな片時も気が抜けませんでした。」
入念な措置を徹底する必要があった。キャストとクルー全員が週2回検査を受け、毎日厳しいソーシャルディスタンスを保った。プロダクションチームは、マスク着用とソーシャルディスタンスの定期的な注意喚起を通常業務に追加し、クルーは消毒品を携帯した。こうしたルールの元、食事はセットや現場で分散してとり、皆で集まれるようなケータリングサービスはなかった。それでも、この厳しい措置は功を奏した。コロナのせいで撮影を中断することはなく、イギリスの最初と2回目のロックダウンの合間に、撮影を奇跡的に終えることができたのだ。
他の映画制作と比べて、本作はパンデミック中の撮影に有利な要素がいくつかあった。まず、イギリス最初のロックダウンの前にほぼ制作準備が整っており、最初のロックダウン期間中に最終的な調整をすることができたのでƒ、チームはロックダウン解除とともにすぐ行動に移ることができた。第二に、この作品は膨大な数のスタッフを必要とする大群衆のシーンや複雑なアクションのない、人数の規模が少ない物語であることだった。ロケ地も限られており、その殆どが一般人の立ち入りが制限されている田舎の屋敷だったことも助けとなった。
「こうした場所や屋敷に滞在できたのはとても嬉しかったです」とヤングは興奮気味に言う。「イギリスには一度行ったことがあったのですが、滞在は殆どロンドン市内だったので、いわゆるイギリスの美しい田園風景を見るチャンスがなかったのです。」
原作の舞台、ティザトンの代わりとなるハンブルデン村での撮影に臨んだ日、美しい田舎風景がはっきりと目の前に広がっていた。そこは、赤レンガと石造りの家々、垂れ下がったスレート屋根、バラが咲き乱れる庭が集まった小さな村である。その日、村の交差点での撮影では、戦没者記念碑をたくさんの献花で飾り、若者の戦死が村人たちの記憶に新しい1924年であることを表した。実際には撮影が10月に行われていることをカモフラージュするため、プロダクションデザイナーのヘレン・スコットとクルーは急いで春に咲く花を周辺に植え、聖メアリー教会の庭に水仙を、壁に沿って野花を散りばめた。
エヴァ・ユッソン監督
1977年、フランス、ル・アーヴル生まれ。2015年に制作した初の長編映画『青い欲動』はトロント国際映画祭に出品され、レザルク・ヨーロッパ映画祭では最優秀審査員賞含む3部門で受賞、一気に国際的な注目を集める。2本目の長編映画『バハールの涙』(18)はカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品される。テレビドラマの監督としても活躍しており、アマゾン・プライムで配信中のドラマシリーズ「ハンナ~殺人兵器になった少女~」(19~)のシーズン2で3つのエピソードを手掛けている。
「監督は並外れた強烈なエネルギーの持ち主ですが、それが彼女の知性にパワーを与えているんです」ユッソンの仕事ぶりについてコリン・ファースは言う。「彼女は物事に対して疑問を持つことを忘れません。イギリス的な物事を観察するとき、彼女がイギリス人ではないことは重要ではないのです。彼女はイギリス的な習慣に囚われすぎず、その根底にあるものに集中しているのです。本当にこの作品に没頭していました。文章や芸術を理解し、俳優や皆と人としてうまく接することができ、その上撮影やレンズのことなど、色々な知識を備えている。彼女のような監督に出会えたのは素晴らしいことです。
予告編
本編映像+予告編
5月27日(金) 新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督:エヴァ・ユッソン
製作:エリザベス・カールセン、スティーブン・ウーリー(『キャロル』)
出演:オデッサ・ヤング、ジョシュ・オコナ―、コリン・ファース、オリヴィア・コールマン
後援:ブリティッシュ・カウンシル 配給:松竹
© CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE AND NUMBER 9 FILMS SUNDAY LIMITED 2021