『関心領域』ガザやウクライナで戦争が行われている現代の私たちが見る映画
アカデミー賞国際長編賞・音響賞、カンヌ国際映画祭グランプリ、英国アカデミー作品賞…間違いなく本作品は映画として傑作だ。
絶対に映画館で見てほしい映画といえる。この映画の主役の1人は音響だ。アウシュビッツの中で行われていることは、画面には登場させず、効果音として、収容所所長一家の一見幸せそうに見える家の隣で何が行われているかを雄弁に語る。また、映像は、ソニーのVeniceというカメラを何台も使って、まるで現代の町中に張り巡らされた監視カメラによって撮影されたかのような、第三者が見ている映像で、主人公たちの行動を俯瞰的に、絶対に感情移入させないように撮影されている。その意図を読み取るには、映画館の大スクリーンで観ることが重要だ。
映画の題材となっているナチスの収容所、主人公のヘス中佐が所長をしているアウシュビッツ収容所。ナチスの収容所全体でユダヤ人は600万人、ソ連人は500万人(スターリンはドイツに殺された500万人の労働力を補うという口実で、ドイツ人捕虜420万人、その不足分をドイツの同盟国、そして日本人50万人で補おうと考え、その日本人50万人がシベリア抑留につながる)が虐殺された。
収容所の恐ろしさは、随所に描かれている。ユダヤ人から奪った毛皮をヘス夫人が手にして、そのポケットから出てきた口紅をつけるシーンがあったり、庭に肥料として巻かれる灰は、おそらく、遺体を焼いた灰(肥料になるリンが豊富)、そして働いているメイドたちは囚人で、夫人がメイドを怒って、「お前なんか処刑して、灰にしてその辺に撒いてやる」などと暴言を吐く。
かつて、ロベルト・ロッセリーニが「無防備都市」の中で、拷問している隣の部屋で、ナチス将校が女性と戯れているシーンがあったが、かのブニュエルはやりすぎでいやらしい演出だと憤っていた。だが、この「関心領域」のレベルまで、徹底していればブニュエルも文句は言えないだろう。当然この映画を見れば、ホロコーストへの反省、憎しみを覚える。これまであったユダヤ人虐殺を扱った映画以上に、説得力をもっているのは間違いない。
だが、この映画は、単純な芸術映画とは言い切れない側面がある。主張しているメッセージがあるはずだ。人類はこのホロコーストから何を学ぶのか? この映画の舞台となったアウシュビッツ収容所は、毎年、イスラエルの学生が修学旅行で見学に来ている。イスラエルは建国以来、このホロコーストの歴史を徹底的に教え込んでいる。現在、イスラエルの若い世代は極右的な考えを持つという。彼らは、イスラエルは徹底的に敵を排除しなければ、再びホロコーストが襲ってくるという考えを持っている。敵を排除することは、正義だと疑わない。その青年たちで構成されるイスラエル軍の士気は極めて高い。
ホロコーストの状況に極めて近いガザの戦争を見ていると、人類は何も学ばないのかと悲観したくなる。今、戦争しているイスラエルにしろ、ロシアにしろ、ナチスドイツによって多くの人間が虐殺された国だ。勘繰った見方だが、ガザの状況とこの映画が世界に発信されることとは無関係ではないのかもしれない。
この映画の題名『関心領域』は、現代の我々が、自分のこと以外無関心であることへの警鐘なのだと思う。
最後に、ヘス所長は、階級的には中佐だ。高級幹部ではない(映画の中でも同僚が大佐への昇進を伝えられるシーンがある)、第一線部隊では、大隊(いいところ600万人の兵士がいる部隊)長といったところだ。そんな中級幹部が200万人の人間を殺し、戦争真っ盛りの時代に、まるで王様のような優雅な暮らしをしている。彼の存在は、ナチスの中で、どういった位置付けだったのだろう。ヘスが事務所でスラブ系の女性(おそらく囚人の一人)を呼ぶシーンがある。実際のヘスがそんなことをしたかは分からないが、ヘスは、極めて愚直な男だったのではないかと思う。階級が上がらない、つまり、評価されなくても、直向きに任務に邁進する人間だったのだろう。家族を大事にし、上司から言われたことを何も疑問を持たずに実行する、得てして、そういう人間が、殺戮の担い手になるのかもしれない。ガザで武器を持って戦っているイスラエルの兵隊たちも、ヘスと同じくらい愚直な人間たちなのだ。
ジョナサン・グレイザー 監督インタビュー
ⓒKuba Kaminski
――本作を監督するいきさつを教えてください。
私はそんなに多くの作品を監督しているわけではありません。何かを作るときは、完成するまでそのプロジェクトに打ち込むという傾向があります。掛け持ちをするようなことは絶対にありません。最後の映画(『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』)を完成させたとき、本作のテーマが持ち上がりました。これは私が人生のあ る時点で常に挑戦しようとしていたものだったと思います。しかし原作を読むまで、この映画の視点について考えたことがありませんでした。描かれた視点の中に私に響くものがあったので、(プロデューサーの)ジェ ームズ・ウィルソンに電話して小説を読むよう勧めました。小説の中の強制収容所長であるパウル・ドルが物語を牽引するのですが、極めてグロテスクなキャラクターです。エイミスはアウシュビッツの実際の所長であるルドルフ・ヘスに基づいてパウル・ドルを描いたのは明らかで、私はその小説から、物語の片隅にある程度記されていたヘスと妻のヘートヴィヒについて、アウシュビッツでどのように暮らしていたかについて読み、調べ始めました。夫婦は大きな庭がある邸宅に住み、そこには強制収容所と隔てた共有の壁があった。本当に、それは私にとってある意味で壁になりました。
――この映画で、コンパートメント化(分離隔離化)が主要なテーマのように見えますが、すべてのカメラで別々の部屋を同時に撮影するという、この映画の作り方の中心でもありますね。
映画を作るにはとても奇妙な方法ですが、それが私にできる唯一の方法でした。距離を取りたかったのです。登場人物と離れたかった。触れるのが怖かったということではなく、むしろ法医学的に調べたかったのです。人類学的にと言ってもいいかもしれません。だから撮影監督と逆光や女優の髪に光が十分に当たらないことについて話し合うことをしませんでした。適切なレンズを使用しているかどうかとか、肩越しの撮影が必要かどうかなどについても。魅力的に描きたくなかったのです。それをするのが映画の常で、それは映画という言語では極めてたやすいことですから、“美化しない”というのは容易なことではありません。傍観してみたいとだけ思っていたのです。そうするとその後、プロットにも徐々に興味を失っていきました。単なるホロコーストを背景にした物語を作りたくはなかったのです。テーマをどんどん掘り下げていった。そうしていくうちに、どうやって映画を撮ればいいのか、また自分が映画にしたいものはどんなものなのかが分かってきました。
――この映画は、あなたが見ているものに関して非常に控えめです。それは、ある種の傍観者的で、不介入を通して、あるいは純粋に音を通して虐殺を描こうとしていますね。
私が撮りたかったのは、誰かがキッチンで一杯のコーヒーを注ぐ様子と、壁の向こう側で誰かが殺される様子とのコントラスト、その両極端の共存です。そういった空気感を観客はどのように受け止めるか。そこで私はこう考えました。この人たちはこの家に住んでいて、4年間にわたって罪を犯してきた。そして私は自問しま した。いつ我々はメスを入れるんだ、いつ彼らのことを取り上げるのだと。
――非常に綿密な調査があったんでしょうね。
脚本を書き始める前に、2年間調査しました。映画のスタッフにはアウシュビッツ・ビルケナウ博物館の研究者にも参加してもらいました。彼らの仕事は、被害者や生存者の何千、何万もの証言である「黒い帳簿(black books)」をすべて調べることでした。私はルドルフ・ヘス、あるいは彼の妻や子供たちと関係のあるものを探していて、数か月後、彼らが私たちに資料、時には小さなもの、時には出版されたものを提供し始めてくれました。庭師や何人かの使用人からの証言などです。そのうちの1つに、戦争を生き延びた庭師が、ルドルフが転勤することについてヘートヴィヒが文句を言い、激怒した瞬間について語ったものがありました。彼女は夫に、当局が自分をこのアウシュビッツから追い出すことになると語っていました。これを映画の設定にしたいと考えたのです。この人事異動の時、彼女は丹精込めて作り上げたものすべてのものを失うという脅威にさらされます。我々が作った映画は、男とその妻を描いたファミリードラマです。2人は幸せに満ちている。美しい家に5人の子供と住んでおり、妻は庭いじりに精を出し、自然に囲まれた暮らしを満喫している。夫は重要な仕事を任されており、それをそつなくこなしている。2人は申し分のないパートナー同士ですが、会社が自分を別の都市へ異動させたいと考えているという知らせを夫は受け妻はショックを受ける。一緒に行きたくないと。2人の結婚生活には亀裂が生じるが、彼は行ってしまう。夫婦はできる限りのことをして、すべてを投げ出すことはない。そしてハッピーエンドを迎える。彼は戻ってきて、仕事を続け、家族と一緒に好きなことをする。ひとつ言い忘れていたのは、彼はナチスのアウシュビッツ強制収容所の所長だということ。ここから傍観者的な虐殺というテーマが生まれたのですが、この物語はある意味で我々を描いた物語でもあることが分かります。この物語の中で自分自身の姿を見い出すか、自分自身を見ようとするかということ。我々が最も恐れているのは、自分たちが彼らになってしまうかもしれないということだと思います。彼らも人間だったのですから。
――あらゆることが整然としていることが、苛立たしいですね。映画の視線は、非常に正確で、非常に均一的で、極めて中立的な態度を取っています。
それは確かです。だがバランスというものは必要でした。ある程度の明るさも必要でした。ポーランドへ何度も行ったのですが、最初のとき、暗闇しかなかったら映画は作れないと思ったのを覚えています。90 歳の、当時あの場所にいて、元パルチザンだった女性に出会いました。当時 12 歳だった彼女は、ポーランドのレジスタンスの一員として、組織の命令であちこちに行っていたのです。彼女は私に、外に出て何人かの収容者にこっ そり食事を与えていたと言ったが、それを自慢げに言ったわけではありませんでした。そういうことが起きていたのです。彼女がしたことは、あの状況下での彼女の年齢では自然なことだったのです。 自分の子供たちのこと、そして彼らの窓の外にあるものについて考えさせられました。つまり今のこの普通で健康的で幸せな環境について。少女時代の彼女の窓の外では、人々が追い詰められ、殴打され、処刑されているのが見えた。彼女は収容所から2キロほどのところに住んでいたのです。彼女の話は私の心に残り、それがとても神聖なものであるように感じた。宗教的な意味ではなくてね。でも彼女はヘスの分光のスペクトルの対極に位置していて、まぶしい光でした。映画が撮れそうな気がしました。映画で彼女は熱を表示するイメージ (サーモグラフィー)で表現されています。音楽を見つけて、演奏するのは彼女。またリンゴや梨を集めて、彼らのところに置いていくのも彼女。彼女は映画の中で非常に重要な役割を果たしていますが、実際には登場人物ではありません。私は彼女をエネルギーとして捉えたのです。
――この映画には、非常に奇妙で制御された形式的な映像がたくさんあります。サーモグラフィーについて言及されましたが、プロローグ(序幕)もコーダ(結び)も完全に黒い画面で、冒頭のタイトルが現れ、徐々に暗闇の中に消えていきます。またフィクションとドキュメンタリーのつなぎも、全くの予想外のものでした。
それはすべて、21 世紀のレンズ(視点)を持ち続けることと関係しています。他のあの時代を描いた映画のように作って、それを博物館に展示するような感じにはしたくなかったのです。「あの時はこうだった」みたいなね。我々はおそらく人類史上最悪の時代について描いているのに、「それはそっとしておこう。それに我々のことじゃない。我々は安全だ。80 年前の話じゃないか。もう我々には関係ない」となっている。だが、それはそうなのですが、困ったことに、常にそうなりかねないわけです。だから常に現代の目で見ていたかったのです。また我々は、すべてにおいて新鮮さを意識していました。あの邸宅はヘス一家が住む数年前に建てられ たものでまだ新築と言っていい。アウシュビッツ強制収容所も新しそうに見える。今では 15 メートルほどの木々も、当時は苗木でした。すべては真新しいもののように見え、それをカメラに収めました。あらゆるものがくっきりとちゃんとしているのですが作者が見えない、つまり実体がないように感じる。サーモグラフィーの映像も同じところから発想しました。この映画では、撮影用の照明を全く使っていません。どれも自然光か、誰かがスイッチを入れた部屋の照明だけ。つまりリビングルームを照らしたり、野原を照らすつもりもありませんでした。当時、夜の野原では何も見えないのです。
ジョナサン・グレイザー
監督・脚本
1965 年ロンドン生まれ。ノッティンガム・トレント大学を卒業し、演劇監督や映画・テレビの予告の制作でキ ャリアを始めた。その後レディオヘッド、ジャミロクワイの MV を手がけ、97 年には MTV のディレクター・ オブ・ザ・イヤーを受賞。「セクシー・ビースト」(00)で長編監督デビューを果たすも、ニコール・キッド マン主演作「記憶の棘」(04)を発表後は MV の世界を中心に活動。映画はスカーレット・ヨハンソン主演の 異色 SF スリラー「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」(13)を経て、10 年ぶりの長編監督作となる「The Zone of Interest」でカンヌ国際映画祭コンペティション部門のグランプリを受賞した。
イントロダクション
空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。第76回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞など世界の映画祭を席巻。そして第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞の2部門を受賞した衝撃作がついに日本で解禁。
マーティン・エイミスの同名小説を、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化。スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは?
『関心領域』予告編
公式サイト
2024年5月24日(金) 新宿ピカデリー、TOHO シネマズ シャンテ、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー
出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー
監督・脚本:ジョナサン・グレイザー 製作:ジェームズ・ウィルソン、エヴァ・プシュチンスカ
原作:マーティン・エイミス 撮影監督:ウカシュ・ジャル プロダクションデザイン:クリス・オッディ
衣装デザイン:マウゴザータ・カルピウク 編集:ポール・ワッツ 音楽:ミカ・レヴィ
原題:THE ZONE OF INTEREST 製作国:アメリカ、イギリス、ポーランド
上映時間:1 時間 45 分
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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