『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』女流作家と僧侶の顔を持ち、恋と革命に生きた彼女の生き様を綴る密着ドキュメンタリー
ご存命であれば、2022年5月15日で満 100 歳を迎えるはずであった、作家であり僧侶でもある瀬戸内寂聴。
生涯を通じて向き合ったテーマは「恋と革命」。水と油のようなこの2つのイメージを内包し、時代と戦い、もがき苦しみながら、それらを体現し、表現し、生きた女性である。
2015 年に NHK スペシャル「いのち 瀬戸内寂聴 密着 500日」(ATP 賞ドキュメンタリー部門最優秀賞受賞)のディレクターも務めた監督 中村裕が、17年に及ぶ歳月を費やし、カメラに収めた彼女とのやりとりを通じて、その波乱万丈な「生き様」に迫った。
「生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです」と語る彼女は事実、そのように生をまっとうした。人前で話す時の凛とした佇まい、慈愛に満ちた表情、屈託のない子供のような笑顔、いつまでも瑞々しい感性、そうした彼女のすべてが、死の直前まで人を惹きつけてやまなかった。
彼女の生き様には、人がより強く、より自由に、そして悔いなく生きるための処方箋が丁寧に織り込まれている。
ストーリー
国民的作家の“寂聴さん”とディレクター“裕さん”。
密着17年。二人の間に“タブー”はない。
17年に及ぶ密着では、日常的に互いに全てを報告し合う、まるで母親、先達、友人、あるいは恋人のような……形容しがたい関係性の二人。
長年、寄り添い続けた監督だからこそ描ける“誰も知らない瀬戸内寂聴”の“本音”や“金言”の数々を、ぎっしり詰め込んだ貴重なドキュメンタリー映画が誕生した。
寂聴は、死の直前まで月刊誌、新聞の連載をこなす“現役“作家であり、2020 年 1 月まで行っていた、月一の法話には全国から人が押し寄せる「最長寿の国民的アイドル」。
駆け落ち、不倫、三角関係など、自らの体験を私小説の形で次々に発表し、世間のバッシングに晒されるも、女流作家として不動の地位を確立。
51 歳のとき出家し、以来、僧侶、作家の 2 つの顔を持つ。いつまでも恋心を持って生きる―。
女性であるということを忘れず人生を楽しむ―。
彼女の“生き様”は、不寛容な空気が充満しつつある現代社会で、人間の生命力とは何かを強く感じさせてくれる。
それは、〈いかに生き、老いていけばいいのか〉のヒントともなるはずだ。
中村 裕 監督インタビュー
――17年におよぶ密着のきっかけを教えてください。
2004 年の MBSの番組「情熱大陸」の取材がきっかけで出会いました。その翌年に、ある作家さんを連れて海外に行くという企画があったのですが、予定していた方が急遽行けなくなり、ダメもとで先生にオファーしたところ「一緒に行ってあげるわ」と言ってくれたんです。その時、17年も付き合うと決まったわけではありません。その翌年にも佐渡島に番組の取材でご一緒した後に、「もう一回一緒に番組を作りましょう」という話しにはなりました。先生的にはその時に、僕と仲良くなったという認識を持たれたようです。
2006 年に先生から申し出があり、「私に何でも聞いて番組一本作りなさい」と仰ってくださり番組を作りました。そのあたりから家族ぐるみで付き合いが始まりました。その後 2008 年以降もお付き合いする中で番組を作るようになり、確か 2009 年頃から「私が死ぬまでカメラをまわして何か作りなさい」という話が持ち上がったのを記憶しています。
その後は、行けるときに行き不定期に取材をしていましたが、2020 年にコロナ禍となり、その時は電話でお話しをしたり、メールのやりとりをしたり、だんだん先生が手の動きが緩慢になってきてメールが上手く打てなくなってきて、電話で話したりしていました。
――本作の成り立ちを教えてください。寂聴さんから映画化の希望があったのでしょうか?
先生から言われたわけでないのですが、2019 年あたりから KADOKAWA の成瀬プロデューサーとそういう話をし始めました。それ以前は何も決まっておらず、テレビ番組にしようとすると当然テーマは何だとか、老いてく中でどんな物語があるのかといった、起承転結を求められる。もう少し自由にモノが作れるといいんじゃないかなということで、映画に行きつきました。僕と先生の間で撮れたものは、僕との会話の中で面白いものが出てくるかどうかということなので、実は番組にはしづらい。テレビドキュメンタリーは取材者が表にでてきたりしないですし、客観的に物事を見なければいけない、といったテレビのドキュメンタリーとしての文法があるんですね。
先生との間で撮れたものはそういう枠には入らないので、この際それらを映画という形でどうですか、と話しているうちに成瀬プロデューサーがいいじゃないですかとなり、内容も何も決まっていないうちに映画の話しが動き出しました。先生は、映画になることは知っていて、2019 年か 2020 年だったかに「映画にしようと思います」とお話ししたら「どうぞおやりなさい」と。「私が死んでからだったら何をやってもいいよ」とも。「僕は先生が亡くなってから好き勝手やるつもりはないんです」と言いました。先生が生きているうちに何でこんなもん作ったのよと言われたかったですし、そこは僕の中で一貫していました。
しかし、2021 年の11月に先生が亡くなられて、その考えを改めなくてはいけなかった。先生の 100 歳の5月の誕生日あたりに上映しようといっていたのですが、コロナであまり撮影もできなくなって、どうしようかと言っているところでした。先生が生きているうちに作るつもりでいましたが、先生が亡くなったことで踏ん切りがついたように思います。
――17年の間に、寂聴さんと監督の関係性に変化はありましたか?
「私とあなたの関係は何なの」という話をしているシーンがあるのですが、割と出会った当初から、我々の関係は何なのかという話はしていました。先生は「母親とか姉とか肉親みたいなもんじゃないの」と仰っていました。奇妙な関係が続いたものだと思います。「先生は僕に対して、これだけなんでも話せる人はいない」と言っていました。
先生を撮りに行くときは、ご飯を食べながら撮影します。ずっとカメラを回しているわけにはいかないので、百科事典などを積んでそこにカメラを置いて撮るので、たぶん撮られていることも気づかないのだと思います。ある意味、撮影の方法としては反則ですが、逆に後で見た時にこんなことを話していたのかと気づくことが非常に多い。たとえば、結果的に最後のインタビューになったのですが、「あなた、私をもっと撮ってお金儲けする気がないの?」と先生に叱咤されています。「あなた、やるなら本気でやりなさい、私あなたが思っているほどそんなに長生きしないわよ」と。
――お互いに信頼関係がおありだったのですね。
先生はどうかはわかりませんが、僕は作家としても僧侶としても凄く尊敬していた。やはり信頼がおける人だったなと思います。
――寂聴さんの17年間の晩年の撮影は、どのようなものでしたでしょうか?
パブリックなものも撮ってきましたが、2016 年以降というのは、法話を1回だけ撮りました。2018 年頃からはあまり外出もされなくなり、2019 年からはほとんど外に出られなくなっていました。撮影は、ほぼ寂庵のダイニングキッチンで行われました。執筆しているところと二人でしゃべっているところがほとんどになると思います。
――作家としての寂聴さん、僧侶として、いかが思われますか?
女性の作家として様々なものと戦い続けた人です。ゴシップで叩かれたり、ご本人も不倫されていたり、それを執筆したりと、つまり世間に抗ってきた歴史がある人です。そんな中で先生は伝記小説の名作を何冊も書いており、菅野寿賀子や伊藤野枝など主に青鞜に関わった女性の新しい生き方を模索して命をかけて闘った人たちのことを伝記小説にされています。
また、執筆するだけでなく、湾岸戦争に反対してハンガーストライキをしたり、反原発の集会に参加したり、安保法制反対のデモに飛び入り参加するなど、常に思い立ったら行動するという生き方をされてきた方なので、そういう意味でもまあこのような人はなかなか出ないだろうなと思います。また、もっと愛の本質を自由に描き続けるために、ご自身の性愛の部分だけを断ち切って、僧侶になられたと仰っていました。
法話を通じて悲しみ、苦しみを抱えた多くの女性たちを癒すことになったのは、僧侶としての活動が大きかったんだと思います。国民的なアイドルのようには、作家だけやっていたらなれなかったでしょうし、そういう意味では稀有な生き方をされた人だなと思います。感受性が若々しくみずみずしく、何歳になっても偉ぶったりせず、わからないことがあれば素直にわからないと訊ける人でした。
――晩年の寂聴さんとの秘話で、心に残る出来事やシーンはございましたか?
結果的に最後のインタビューとなった 6 月のある日に「あなた本腰入れて撮りなさいよ」と怒られました。一方で、6 月 10 日付の朝日新聞のエッセイで、私小説みたいなものを書かれていて、僕との思い出のようなものを書かれていました。それはエッセイではなくて完全に創作がいっぱい入っていて、創作と虚構と現実がない混ぜになっていました。先生は、100 歳に一番近づいたときに、あらゆることを自在に書けるようになったのかもしれません。作家として到達点に近づいたように思いました。
――寂聴さんが仰られた中で好きな言葉はありますか?
「好きなことやりなさい」という言葉です。好きなことをやるということはあらゆることを自分で責任を取るということですから。自分の才能を信じなさいと言っていました。小説書けとお尻を叩かれたので、いつかやってみようと思います。
常に、応援してくれました。僕に対して「あんたのことが心配だ、もっと頑張れ」と言っていますが、僕だけでなく日本中の人に言っていると見えるといいなと思っていますし、実際そうだったと思います。
――多くの女性が寂聴さんの法話を聞きに来られていました。法話に来る女性たちは、寂聴さんに何を求めて遠くから来られていたと思いますか?
先生が出てきた瞬間に泣いてらっしゃる人もいる。その場に足を運ぶ、何かつらいことを抱えて寂庵に行く、または天台寺に行く、そういうことが凄く大事な行程なのだと思います。そこで、さらに先生に直接言葉をかけられたら、もっと浄化されるといいますか。お子さんを亡くされたり、ご主人を亡くされたり、大きな悲しみを抱えていらっしゃる人たちもいますし、一朝一夕で癒えたり快復したりするものではないのですが、そういう人が自ら行動して先生の元へ出かけて行くことには、ある種の治療効果があったのだと思います。
――これからご覧になる人たちへのメッセージをお願いします。
先生がこの世から亡くなられて、月日は過ぎていますが、この人がいたことが大きかったんだな、と皆さんに感じてもらえるといいですね。姿は見えなくなったけれど、先生の言葉は本など様々な形で残っていますし。この映画が本当にそうなればいいと思います。映画の中で言葉が残っていくので、それを皆さんが味わってくれたら嬉しいです。亡くなりはしたけど、いなくなりはしていないのです。
『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』予告編
公式サイト
5月27日(金) 角川シネマ有楽町、アップリンク吉祥寺、アップリンク京都、ほか全国ロードショー
監督:中村裕
出演:瀬戸内寂聴
プロデューサー:松浦敬 阿部毅 成瀬保則 伊豆田知子
制作:スローハンド/協力:曼陀羅山 寂庵
配給:KADOKAWA
©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会/上映時間:95分