『一月の声に歓びを刻め』三島有紀子監督自身が体験した47年前のある事件をモチーフに「性暴力と心の傷」というテーマで作られた映画

『一月の声に歓びを刻め』三島有紀子監督自身が体験した47年前のある事件をモチーフに「性暴力と心の傷」というテーマで作られた映画

2024-02-07 14:35:00

『一月の声に歓びを刻め』は、三島有紀子監督自身が体験した47年前のある事件をモチーフに「性暴力と心の傷」というテーマで作られた映画だ。

ある事件とは、三島監督が6歳の時に大阪の堂島で見知らぬ男に性暴力被害を受けた事件のことだ。

最近、週刊誌報道やSNSでの告発など、過去の性被害が大きな問題となっている。法的な時効だとか、過去のことだからという理由で性犯罪や、人権問題を曖昧にしようとする声もあるが、それは間違いだ。被害者自身にとって、時効や過去のことといった時間の概念はなく、その事件が起きた時から現在まで時間は途切れることなく続いている。そのことは、当事者にしかわからないことかもしれないが。

三島監督自身が47年前の事件を直視して自主映画という形になるまでに、いったいどのくらい時間がかかったのか、想像力を働かせたい。

映画の構成は3つに分かれている。いわゆる別々の短編のオムニバス映画ではなく、表現スタイルの違う3作によって織りなされ、ラストにつながる。監督自身が映画という形により、自身の体験を浄化するために作り上げた物語を目撃することになる。

事件が起きた当時三島監督は、事件内容を知った両親に「怖かったね、辛かったね」と抱きしめて欲しかったが、誰も抱きしめてはくれなかったという。公開前に行われたプレス向けの京橋の試写室で本作の上映が終了すると、おそらくロビーにいた三島監督には聴こえなかったであろうが、満員の試写室では拍手が起こった。

さて、映画館でこの映画を体験した観客は、映画を見終わったあとどうすればいいのか。それは、男女問わず同意のない性的行為を受けたすべての被害者(それが法的な犯罪であろうがなかろうが、時効であろうがなかろうが)、そして性的被害を受けたことに苦しみ続けるすべての被害者に、思いを馳せることではないだろうか。そして加害者は人権侵害を行ったのであり、加害者と加害者を擁護する社会構造を許さない事だろう。

なお、映画の表現は当事者がフラッシュバックを起こすような過激な描写はなく、引き込まれる俳優の演技と美しい映像で綴られていく。

 

三島有紀子 監督インタビュー


――この作品を作ることになった背景と経緯を話していただけますか?

47 年前の出来事をようやく直視できたことで誕生した映画です。大阪の都心ど真ん中にある堂島という街で普通に明るく生きていた自分が6 歳の時、友だちの家に遊びにいく途中で、見知らぬ男に性暴力被害を受けました。

「今までの自分ではなくなった」という喪失感が起こり、精神的離脱をしました。事件のあと、友だちの家に到着して何事もなかったかのように振る舞ったけれども、親御さんが異変に気づいて私の親に電話して、帰宅後に問い詰められました。婦人警官がやって来て、子どもなりになるべく柔らかく事件内容を説明しつつ横に見えた、母の落胆しきった顔や、父の怒りに満ちた顔が、鮮明に記憶に残っています。「男を絶対に捕まえてくれ」

と話す父の静かな怒りの表情を見ながら、本当は抱きしめてほしかったんですよ。「怖かったね、つらかったね」と。でも誰も抱きしめてくれませんでした。もう自分は自分じゃない、汚れてしまった、生きていく価値なんてない、自分の体を抹消したいという欲求が生じました。「包丁でお腹を刺してしまえばいいのか」とか「堂島のどれかのビルから飛び降りればいいのか」とか。

――しかしご自分を抹消しませんでした。どうやって思いとどまれたのですか?

4 歳の時に父に連れられて見たイギリス映画『赤い靴』(1948)を思い出して。世界にはこんなに美しいものがあるのかと思った映画です。主人公のバレエダンサーが愛とバレエの二択を選ばされる状況下で選ぶに選べなくなって、走る列車に飛び込んで死ぬというラストシーンを見た時、ショックで1週間寝られないという経験をしました。あの映画のことを思い出しつつ、「私は飛び降りようとしながらも今日はまだやってない、今日は生きているな」と気づいた時、「今は生きることを選択している瞬間なんだ、そうだ、映画を見に行こう」と思い立ったんです。それ以来、自宅の近所にあった「大毎地下」という名画座に1日おきくらいに見に行くようになって、チャップリン、デイヴィッド· リーン、トリュフォーなどたくさんの映画を見て、みんな逞しく生きている、死ぬ結末だったとしても、生きている時間がすごく美しいと思えて、ここに来れば生きられると思いました。梅田の東映会館の中に「アニメポリス・ペロ」というパンフ屋があり、入り浸って立ち読みしていると、「映画とは監督の宇宙である」という言葉を見つけました。「映画は大勢で作っているけど、監督の中に宇宙があって、世界がどう見えているのか、それを大勢のスタッフによってどんどん広げられた世界を私たちは見ているんだ。なんか、かっこええなあ。監督という生き物になってみたいな」と思い始めました。両親は「あほかー今村昌平とか黒澤明みたいな豪傑的な人物が就く職業だろう」と相手にしてくれませんでしたが。 

聞き手 荻野洋一 ( 映画評論家、番組等の構成 · 演出家 )

――でもその志を遂げて、本当に映画監督になられましたね。

本当の意味でなれているのかわかりませんけど··· 映画を撮る機会はいただけてきました、しかし最近はPFFの審査員をつとめたりして若手を応援する側の年齢になり、そろそろ自分も100%の思いを映画にしないといけないとも考えるようになりました。そしてコロナ禍となってすぐの2020 年5 月、撮影予定だった新作が製作中止となり、次の企画も、その次の企画も中止。6 ~ 7 年かけて準備してきた3 本の新作がコロナの3 年間で全部消えてしまいました。「こういう今こそ大阪の映画を作るべきだ」とプロデューサーの山嵜晋平から言われましたし、いろいろご指導いただいてきた青山真治監督(’22 年死去)からも「お前が大阪の映画を作らないでどうする」と言われていて、「向き合いたくないものだってあるんだ」「いや、向き合え」といったやりとりがありました。

――機が熟してきたわけですね。企画実現の直接的なきっかけは?

きっかけは、コロナ禍の真っ只中に作った『IMPERIAL 大阪堂島出入橋』(2022)というオムニバス映画の中の短編作品を作るために、故郷の堂島を訪れたことです。堂島一帯のロケハンをしている最中に、スタッフと一緒にある喫茶店に入りました。あの事件現場からビル1 軒隔てた喫茶店でしたが、大丈夫だろうと思って入ってみたら隣のビルが壊されていて、窓から現場が丸見えになっていました。事件以来一度も来られなかった場所を眺めながら「あの場所やねん」と私は言いました。「何の話ですか?」とプロデユーサーの山嵜さんが訊いてきて、6 歳の時の事件のことを明かしました。今まで直視できなかった場所を47 年後の今、私は直視している。
その時、「これは撮るということだよね」という共通認識が立ち上がりました。そこから脚本を書き始めたのです。

――直視し難いものを直視しながらの作業は、かなりハードだったのでは?

NHK で事件や出来事を追いかける、読み込むという作業をずっとやってきて、そこから時代や世相を考えることは慣れています。自分の身の上に起こった事件をどのように捉えるべきか。まず第3 章の大阪堂島編からメモを書き始めたのですが、事件自体を書くだけでなく、事件のあとも人生が続いていく、自分と向き合って生きていくことはできるのかという視点での作業となりました。今の自分ほどは年齢のいっていない、まだ生々しい30 代の女性――好きな人とセックスしたくてもできない、そんな女性を描こうとしました。自分の中だけでなく、ご覧になる皆さんにも当事者になっていただく、体感していただくという映画にしようと。私的な出来事を追いかけつつも、ある個人が何と出会って、何が変わっていくのかということも見つめていく。そういう作品にしようとしたのです。直接的に関わる人たちだけでなく、遠くの土地に生きている人にも物理的には聞こえないはずの声が届いて、何かが変わるということがあるのではないか。そうした共鳴構造を信じたいという。

――3 エピソードとも、主人公はぶつぶつと独り言を言う人たちです。

漏れてくる感情、声なき声を聴かせたい。本来であれば誰にも聞こえていないことが、まわり回って誰かに届くはずだという思いがあります。遠く離れた誰かの発したことが別の誰かに影響を与えていると思っていて、声なき声をお客さんに聴かせ、玉突きのように影響を与えていきたい。ひとりは大阪で自分のような体験をした人。ひとりは洞爺湖の父親のような、傷ついた子を抱きしめることのできなかった後悔とともに生きる人。

もうひとりは事件を経験して罪の意識を抱いている人。そういう遠く離れた人たちを対比させながら、たがいに繋げてもいるんです。

だからこの映画はオムニバス映画ではありません。ジャームッシュ、ロメールなどのようなオムニバス的遊戯性というよりも、3 つの孤立した存在を声の派生で繋げていきたいと思って作りました。最後に編集を変えてみたんです。洞爺湖でのマキの最後の言葉を、大阪のれいこに直結繋げてみたんです。マキの声がれいこに届き、こんどはれいこの歌がどこかへと届くのではないかと潜在的に感じてもらえればいいなと。

堂島って、その名のとおり元々は川と川に囲まれた島だったので、孤立した場所だったんですよ。そこから罪の島としての八丈島が第2章の舞台として浮かび上がり、そして第1章はどこにしようかと考えていた時にたまたま、今回フードスタイリストで入っていただくことになる石森いづみさんから私にメールが届いたんです。「自分の別荘はもうすぐ取り壊すから、そこで撮ったらどう?」と。

――第1章の洞爺湖の湖畔にたたずむあのとても素敵な一軒家ですか?

そうです。『タンポポ』(1985)など多くの伊丹十三作品でフードスタイリストをつとめた石森いづみさんに、監督作である『しあわせのパン』(2012)にもどうしても入っていただきたくて口説きに行った時に訪れたのが、あの別荘だったんです。つまりあの別荘は10 年以上前から私の中でイメージが熟成されていた。そして今回、石森さんのメールを読んで「ここだ!」と。直感的な決定です。洞爺湖の中に中島という島があり、野生の鹿がいたりして聖なる場所という感じなんです。この聖なる場所に人が向かえばいいと思った時に、第1章の舞台が決まったのです。

――『一月の声に歓びを刻め』というタイトルにはどのような意味を込めていますか?

第2章の八丈島では船を待つ人、第3章では船で到着する人、さらに船で行く人というふうに繋げていく構成です。脚本完成時のタイトルは『パーツ· オブ· シップ』でした。船のパーツはひとつひとつなら水に沈むほど重いのに、組み立てると浮かんでどこかへと行くことができる。部品、破片、断片もたがいに組み合わさり、結びつくことによって、浮かんで前に進んでいけるのではないか。孤立した島と島を結ぶ声、そして声にならない声を響かせる太鼓の音、そうした聴覚要素を視覚的に具現化したのが船なんです。だから当初は「船」をタイトルに入れようと考えていたわけですが、結果的には「声」のほうを入れることに決めました。やはり、実際撮影して編集してみて、役者さんたちの肉体から発せられる「声」が一番力強いと感じたというのが大きいです。

――なぜ第3章だけモノクロームなのでしょうか?

大阪堂島編は3つの章の中で最も自分に近いお話がベースになっていて、基本的に自分はモノクロの世界に生きているという感覚がずっとあるんですよ。だからこそ色彩に結構敏感なほうでもあるんですが。一方、カラーというのは私にとっては映画の中だけなんですよね。子どもの頃、本当に世界は全部モノクロで、映画館のスクリーンだけがカラーでした。だから、堂島ではあのモノクロの世界にいる自分に戻っていく感覚だったのです。それから、れいこ自身が過去に生きている人でもありますから、一瞬過去なのか? といった効果も出ると考えました。ロケハン中に「モノクロにしてもいい? 最初から言えばよかったよね」と話して、「うんうん、よしモノクロでいきましょう」となっていきました。

――この『一月の声に歓びを刻め』を発表することは、監督人生にとっても転換点になりうるほどの大きな出来事ではないでしょうか。この作品を作ることによる変化、影響については、現状どのようにお考えですか?

仲のいい函館のシネマアイリスの館長・菅原和博さんが見てくださったあと、「映像作家・三島有紀子の誕生ですね」という言葉をかけてくださいました。もちろん今までも頑張ってやってはきたんだけども、ここからはまったく新しい作家に生まれ変わる。自分自身、一度葬り去ったほうがいいものってあったんだなと実感しています。人間のある一時期の瞬間をとらえて丁寧に描きこむことに集中しました。今後、やっぱり自分自身が見つめていくものは変わっていくだろうなと思いますし、実際に変わってきています。

――ご両親はご健在で…

いいえ、2 人とも亡くなっているんですよ。私は父が年取ってからできた子どもで、私が29 歳の時に他界したので、大学時代の自主映画以外は私の映画を1 本も見ていません。母は映画好きだったので、私の映画をちゃんと見てくれていました。

――もしもご両親が今回の作品をご覧になったら、どんな感想をおっしゃると思いますか?

母はたぶんつらいだろうと思いますね。母は私がいまだに独身なのはあの事件のせいだと思っていたみたいですから。実際は仕事が好きだとかいろんな理由があるんですが。今の自分には、当時の父と母の気持ちもわかるような気がするんです。ですので、母にはつらい映画でしょう。とにかく父も母も私にはその話は一切しなかったですし、必要以上に日々を楽しませようとしてくれたように思います。

それでも父がこの映画を見たら、今度こそ抱きしめてくれるだろうなという気がします。「あの時はごめんな」って言いながら。母も手を握ってくれるでしょう。

 

三島有紀子
監督・脚本
大阪市出身。18 歳からインディーズ映画を撮り始め、神戸女学院大学卒業後NHK に入局し「NHK スペシャル」「ETV 特集」「トップランナー」など市井の人々を追う人間ドキュメンタリーを数多く企画・監督。03 年に劇映画を撮るために独立し、東映京都撮影所などでフリーの助監督として活動、ニューヨークでHB スタジオ講師陣のサマーワークショップを受けた後、『しあわせのパン』(12 年)、『ぶどうのなみだ』(14 年) と、オリジナル脚本・監督で作品を発表。撮影後、同名小説を上梓した。企画から10 年かけた『繕い裁つ人』(15 年) は、第16 回全州国際映画祭で上映され、韓国、台湾でも公開。その後、『少女』(16 年) を手掛け、『幼な子われらに生まれ』(17 年) では第41 回モントリオール世界映画祭で審査員特別大賞、第41 回山路ふみ子賞作品賞、第42 回報知映画賞監督賞など、国内外で多数受賞。その後、『Red』(20 年)、短編『よろこびのうた Ode to Joy』(21 年『DIVOC-12』)、『IMPERIAL 大阪堂島出入橋』(22 年『MIRRORLIAR FILMS Season2』) を発表。2023 年コロナ禍での緊急事態宣言下の感情を記録したセミドキュメンタリー映画『東京組曲2020』公開。

力強く美しい映像の力を信じ、永続的な日常の中の人間にある軋みを描きつつも、現代の問題を浮かび上がらせ、最後には小さな“魂の救済”を描くことを信条としている。

 

ストーリー

北海道・洞爺湖。お正月を迎え、一人暮らしのマキの家に家族が集まった。マキが丁寧に作った御節料理を囲んだ一家団欒のひとときに、そこはかとなく喪失の気が漂う。マキはかつて次女のれいこを亡くしていたのだった。それ以降女性として生きてきた“父”のマキを、長女の美砂子は完全には受け入れていない。家族が帰り静まり返ると、マキの忘れ難い過去の記憶が蘇りはじめる……。

東京・⼋丈島。⼤昔に罪⼈が流されたという島に暮らす⽜飼いの誠。妊娠した娘の海が、5年ぶりに帰省した。誠はかつて交通事故で妻を亡くしていた。海の結婚さえ知らずにいた誠は、何も話そうとしない海に⼼中穏やかでない。海のいない部屋に⼊った誠は、そこで⼿紙に同封された離婚届を発⾒してしまう。

⼤阪・堂島。れいこはほんの数⽇前まで電話で話していた元恋⼈の葬儀に駆け付けるため、故郷を訪れた。茫然⾃失のまま歩いていると、橋から⾶び降り⾃殺しようとする⼥性と出くわす。そのとき、「トト・モレッティ」というレンタル彼⽒をしている男がれいこに声をかけた。過去のトラウマから誰にも触れることができなかったれいこは、そんな⾃分を変えるため、その男と⼀晩過ごすことを決意する。やがてそれぞれの声なき声が呼応し交錯していく。

 

『一月の声に歓びを刻め』予告編


公式サイト

 

2024年2月9日(金) テアトル新宿、アップリンク吉祥寺アップリンク京都、ほか全国順次ロードショー

 

Cast
前田敦子、カルーセル麻紀、哀川翔
坂東龍汰、片岡礼子、宇野祥平
原田龍二、松本妃代、とよた真帆

Staff
脚本・監督:三島有紀子
プロデューサー:山嵜晋平 三島有紀子
音楽:田中拓人 編集:加藤ひとみ
撮影:山村 卓也(洞爺湖、大阪) 米倉伸(八丈島)
照明:津覇 実人(洞爺湖) 後閑健太(八丈島) 菰田 大輔(大阪)
録音:小黒 健太郎(洞爺湖、大阪) 大竹修二(八丈島)
美術:三藤 秀仁(洞爺湖、大阪) 装飾:徳田あゆみ(八丈島)
スタイリスト:齋藤ますみ ヘアメイク:河本花葉
フードスタイリスト:石森いづみ 篠原成徳 廣瀬里穂 
助監督:山城研二(大阪、洞爺湖) 大城義弘(八丈島)
制作担当:越智喜明(洞爺湖) 佐野優(大阪)
音響効果:勝亦さくら サウンドアドバイザー:浦田和治 俳句:佐藤香津樹
協力:石森いづみ 石森均 洞爺湖町 (一社) 洞爺湖温泉観光協会 洞爺湖プロジェクト 萬世閣 ワイズエンターテインメントファクトリー 野田幸之助 ビクターミュージックアーツ 名古屋宗次ホール
配給:東京テアトル
製作:ブーケガルニフィルム

2023年/カラー・モノクロ/シネマスコーブ/118分
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