『夜明けのすべて』観ているうちにどんどん心がほぐされていく映画(上白石萌音)
『夜明けのすべて』は、『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督の最新作。原作は瀬尾まいこの小説。
三宅監督は小説の映画化に対してこう語っている。
「『夜明けのすべて』の主人公たちは希死念慮こそ強くないようですが、生きているのが辛いけど死にたくないという、ぎりぎりの日々を経験している人物です。この国に住む一定の年齢に達した人の中で、周囲に自死した方が一人もいない人のほうが少ないと思うのですが、これは本当に異常で哀しいことです。人それぞれいろんなことを抱えている現実に対して何を書けるかということが瀬尾さんの小説の背景にあり、そのことで独特なユーモアに溢れた小説をいくつも生み出されていると、あくまで僕なりに解釈しました」
物語は、パニック障害の青年・山添くん(松村北斗)とPMS(月経前症候群)で生理前にイライラが抑えられなくなる藤沢さん(上白石萌音)が会社の同僚でお互いのことを理解し始めるところから始まる。ただ、よくある男女の物語になるのを避けて二人の日常の生きづらさを描いていく。
劇中、PMSの藤沢さんがパニック障害の山添くんに「おたがい無理せず頑張ろう」と語り、山添くんが「PMSとパニック障害は全然違うじゃない」と言うと、藤沢さんはそうかという表情で「病気にもランクがあるってこと」と言うシーンがある。
そのどちらでもない多くの観客は、彼らが語る病気のランク外で生きているのだが、生きづらさについては感じる人は多いのではないだろうか。
三宅監督はこうも言っている。
「生きづらさを感じている人たちが、自分一人ではどうにもならなくても、誰かと共に過ごすことによって自分の人生を生きることができる、その可能性を捉えたいということを共同脚本の和田清人さんと話しながら進めていきました」
『夜明けのすべて』は、「観ているうちにどんどん心がほぐされていく映画」(上白石萌音)に間違いないだろう。
三宅唱 監督インタビュー
――最初に、この企画を引き受けた経緯について聞かせてください。
2021年の6月頃、『ケイコ 目を澄ませて』の編集がそろそろ終わるという時期に企画のお話をいただき、単行本のカバー袖に書かれた人物紹介を読んだ時点で直感的に二人に惹かれました。具体的には、藤沢さんの「どうして私は簡単に、彼のことをやる気のない人間だと決めてかかっていたのだろう」、山添くんの「いや、はたして、本当にそうだろうか」という部分に興味を持ちました。どちらも、一度で決めつけずにもう一度問い直そうとしている言葉です。「本当にそうだろうか?」と考え続けるのは正直大変で面倒くさいことですが、それでも考え続けようと相手に接する二人になにか大切なものを感じましたし、「自分なんか」と思っている二人が実はとても個性的で、ちょっとヘンなところもあり、とても愛着が湧きました。また、個人的な思いですが、前作でも先入観や偏見を越えていくことの面白さを実感していたので、自分がまるで詳しくなかったPMSやパニック障害について知ることができる題材であることにもやりがいを感じました。
――小説と映画とでは多くの変更点がありましたが、どのように脚本をつくりあげていったのでしょうか?
まず、二人が魅力的で、そして恋愛で解決する話ではないのがいいですよね、ということを企画当初にプロデューサーのみなさんと確認し、ずっと一貫しています。ロマンチックコメディやメロドラマは最も好きなジャンルですが、この映画には、それらを参考にしつつも、一組のユニークな男女が恋愛以外の方法でいかに互いに幸せに生きうるかを描ける可能性があり、新しいチャレンジになると考えました。
また、この映画はPMSやパニック障害を描けばよしという話ではなく、自分ではコントロールのできない理不尽な原因によって思うように働けなくなってしまったことこそが苦しい、そういう人たちの物語であると捉えました。劇中で「働かなくては生きていけない」とあるように、どんな国や時代であれ切実な問題がベースにあります。とはいえ働くことについての物語だといっても、現実的に解決すべき社会構造を批判すること等に映画の目的をすり替えずに、医学的にも解決が困難なレベルの不条理に直面しながらも人が共に過ごすときの歓びや愉しみを表現することこそが、この映画をみる面白さの根幹になると考えました。
その上で、瀬尾さんの他の小説のなかで、自死の問題が含まれている作品にも、個人的に感銘を受けました。『夜明けのすべて』の主人公たちは希死念慮こそ強くないようですが、生きているのが辛いけど死にたくないという、ぎりぎりの日々を経験している人物です。この国に住む一定の年齢に達した人の中で、周囲に自死した方が一人もいない人のほうが少ないと思うのですが、これは本当に異常で哀しいことです。人それぞれいろんなことを抱えている現実に対して何を書けるかということが瀬尾さんの小説の背景にあり、そのことで独特なユーモアに溢れた小説をいくつも生み出されていると、あくまで僕なりに解釈しました。そう勝手に解釈しているのは、それが自分が映画を作る核の一つだからだと思いますが。
ともかく、生きづらさを感じている人たちが、自分一人ではどうにもならなくても、誰かと共に過ごすことによって自分の人生を生きることができる、その可能性を捉えたいということを共同脚本の和田清人さんと話しながら進めていきました。ユーモアや想像力が重要な物語なので、自分たちも感傷的になるのを避け、楽しく真剣に共同作業ができたのは和田さんのおかげです。そして、登場人物全員をしっかりと、生き生きと映すことができれば、きっと小説と変わらない温度の映画にできるだろうと信じていました。
―― 一番大きな変更点は、栗田金属が栗田科学になり、宇宙の要素が入ってきたところだと思いますが、これはどういう理由からだったのでしょうか?
「夜明け」を単に希望の比喩とせずに、さまざまな意味を持ちうる「夜」を描きたいと考えていたところ、たまたま宇部市のプラネタリウムに行く機会があり、これはいい!と思ったんです。久しぶりに行ってみたら本当に楽しくて。解説される方の語りが教科書的でなくとてもユニークで新鮮で、初めて目にした五藤光学さんの投影機「VENUS S-3」も最高だし、しかもプラネタリウムを観た後、外に出るとものすごい解放感がありました。
自分の内側と一人で向き合っていた主人公たちが、栗田科学という職場で働きながら、他者と出会い直し、さらにはこの街や過去を感じ、もっといえば地球や宇宙を改めて感じることで、自身を位置づけ直し、囚われていた場所からゆるやかに解き放たれていくことができそうだとイメージが膨らみました。調べてみると、プラネタリウムとは、さまざまな事情で本物の夜空を見られない人たちの想像力を育むための場所として生まれ、それはまるで映画館と同じだとも感じ、より意義を感じました。また、移動式プラネタリウムの活動をされている方たちや、心理学における「夜の航海」という言葉も参考になりました。
――主演のお二人とは、事前に役についてどのようなお話をされたんでしょうか?
まず松村さんは、初めてお会いした時点で既に、こちらから事前にお願いしたわけでなくご自身の強い想いで、山添くんを演じるために髪を伸ばし始めていて、またパニック障害についても書籍などで丁寧に調べられていて、頼もしいプロフェッショナルな俳優であるということがすぐにわかりました。ただ、彼のそうした熱意にこちらが甘えて発作を演じてもらうのはリスキーだと危惧していたので、あくまで慎重に探っていきたいと提案したところ、それもすぐに理解してくれました。また、社会で働き始めたばかりの人物を演じるにあたり、彼自身が十代の頃から働くなかで感じてきたことや、僕がかつて働き始めた時に感じていた葛藤などを二人きりで話した時間を、よく覚えています。
――上白石さんは、元々原作がとてもお好きだったそうですね。
上白石さんの原作に対する強い想いは事前に伺っていました。小説からの変更点について、直接お会いする前に手紙を書きました。お会いしてさらに具体的にお互いの考えを交換できて、脚本をブラッシュアップすることができました。そのやりとりがなければ今の映画の形にはなっていません。それから、個人的にも重要な経験になったのは、生理やPMSやケアについて性別と年齢を超えて話すことができたところです。恥ずかしながらこれまで異性とも同性とも話題にしたことはほぼありませんでした。今回、いくら仕事として一緒に扱う題材といえども、上白石さんが勇気を持って一歩目を踏み出してくれたおかげで話すことができましたし、以前に比べて世の中の捉え方がだいぶ変わった気がしています。
――撮影現場でも、みなさんちょっとした合間によくお話をされていましたよね。
この物語の魅力は、ごく簡単に言えば、おしゃべりって楽しいよね、ということを改めて感じるところにもあると思います。自由におしゃべりするには安全な関係性が必要で、僕らスタッフもそうした環境づくりを撮影現場で実践しようと準備していましたし、主演の二人も他のみなさんも自然と互いに心を開いて、いろんな話をしてくれたように思います。
――最初と最後のナレーションは、撮影が終わった後に新たに加えたものなんですよね?
はい。撮影中から二人の声に聞き惚れていまして、もっと聴きたいという僕の思いから生まれました。撮影前から、これは声の映画、相手の声を聴くことについての映画になるだろうとは予感していました。プラネタリウム用の原稿をリレーのように交代で読む場面もあるし、クライマックスには上白石さんの素晴らしい声が地球全体に染みわたっていくような場面もある。そうした場面により自然に身を委ねてもらうためにも、彼女の声とともに映画が始まり、山添くんの声で終わろうと考え、ナレーションを作成しました。
――映画のなかで、特に印象に残ったシーンはありますか?
会社を早退した山添くんに藤沢さんが付き添い、アパートの玄関前で二人が初めてまともに話をする場面は印象深いです。二人ともなんて素晴らしいんだと実感しました。充実したツーショットを撮影の序盤に撮れたことで、二人を切り離してバラバラに撮るカットバックではなく、二人を同時に同じフレーム内で同じ距離から見つめるのが、この映画の面白さだと確信できました。
山添くんで言えば、アパートで一人で過ごす場面が撮影序盤にあったのですが、エアロバイクに乗るというアイデアが撮影現場で生まれ、松村さんと一緒に試しながら作っていく強い手応えを感じました。また、栗田社長とやりとりする場面や弟の声をテープで初めて聴く場面でも新たな魅力を発見させてくれました。
藤沢さんで言えば、山添くんの恋人とばったり出会うシーンが予想外でした。上白石さん本人が持っている、自然と周囲の人を明るくする力のおかげか、脚本を超えて特別な時間が流れています。ずぶ濡れ姿や凛々しい姿まで、想像を超えて豊かな人物像を繊細かつ大胆に演じきってくれ、抜群にかっこいい俳優です。
――おっしゃるように、この映画は自然と横に並ぶ二人の映画ですよね。だからこそ、最後に別々の場所に行ってもそれもまた二人の自然なあり方なんだ、と素直に思えた気がします。
生きていれば、ある場所を離れなければいけないこともあるし、その場に留まらないといけないこともある。どちらが正しいというのはありませんし、他人には到底ジャッジできないことです。二人が選んだ道は違いますが、両方とも良しと受け止められるような、そんな映画にしたいと思っていました。
三宅唱
監督
1984年7月18日生まれ、北海道出身。一橋大学社会学部卒業、映画美学校フィクションコース初等科修了。監督作『ケイコ 目を澄ませて』(22)が第72回ベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門に正式出品され、また第77回毎日映画コンクールで日本映画大賞・監督賞他5部門などを受賞した。その他の監督作に、映画『Playback』(12)、『THE COCKPIT』(15)、『きみの鳥はうたえる』(18) などがある。
ストーリー
「出会うことができて、よかった」
人生は想像以上に大変だけど、光だってある――
月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢さんはある日、同僚・山添くんのとある小さな行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。だが、転職してきたばかりだというのに、やる気が無さそうに見えていた山添くんもまたパニック障害を抱えていて、様々なことをあきらめ、生きがいも気力も失っていたのだった。職場の人たちの理解に支えられながら、友達でも恋人でもないけれど、どこか同志のような特別な気持ちが芽生えていく二人。いつしか、自分の症状は改善されなくても、相手を助けることはできるのではないかと思うようになる。
『夜明けのすべて』予告編
公式サイト
2024年2月9日(金) TOHOシネマズ日比谷、新宿バルト9、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー
Cast
松村北斗 上白石萌音 ※W主演作品
渋川清彦 芋生悠 藤間爽子 久保田磨希 足立智充
りょう 光石研
Staff
監督:三宅唱
脚本:和田清人 三宅唱
原作:瀬尾まいこ『夜明けのすべて』(水鈴社/文春文庫 刊)
音楽:Hi’Spec
製作:「夜明けのすべて」製作委員会
企画・制作:ホリプロ
制作プロダクション:ザフール
配給・宣伝:バンダイナムコフィルムワークス=アスミック・エース
©瀬尾まいこ/2024 「夜明けのすべて」製作委員会