『瞳をとじて』スペインの巨匠ビクトル・エリセが紡ぐ31年ぶりの長編!記憶をめぐるヒューマンミステリー
元映画監督が22年前に謎の失踪を遂げた人気俳優の失踪事件について取材を受けたのをきっかけに、記憶を辿りつつふたりの半生を追想してゆく物語。
監督を務めるのは、1985年、当時のミニシアター“シネ・ヴィヴァン・六本木”にて記録的な動員を打ち立て、多くの映画ファンを魅了した『ミツバチのささやき』で知られるスペインの巨匠ビクトルエリセ。本作は『ミツバチのささやき』から31年ぶりの長編となる。
元映画監督ミゲルを『コンペティション』のマノロ・ソロ、失踪したかつての俳優フリオを『ロスト・ボディ』のホセ・コロナドが演じる。そしてまた、なんと50 年前に『ミツバチのささやき』の主演を当時6歳で務めたアナ・トレントが、フリオの娘“アナ”役となって再び帰ってくる。
寡作の作家ビクトル・エリセが沈黙を破る時、そのまなざしは美しく詩情豊かであると同時に、鋭くじっと深淵を覗いているようなところがある。
とりわけ印象的で重層的なラストシーン。「ここに込めた意図や祈りは?」という質問に監督はこう答えている。「明白な意図はありませんでした。このシーンの意味は私自身の意図や解釈に閉鎖されたものではなく、観客の意識に対して開かれたものです。映画をご覧になった皆さんが自分の内側で、各々自分の知性や心の中で、ひとつの答えを見つけるべきだと思っています」
そう、本作は観終わったあと「今度は、この物語を自分に重ねるように」と促してくるように感じられる。「映画の中で映画を観ている」というラストシーンのシチュエーションがそう感じさせるのかもしれない。でもだからこそ、そうして内面に浮かび上がってくる記憶の端々が映画体験とリンクし、それぞれの現実と呼応し、〈印象的な映画〉としてではなく〈印象的な体験〉として、深く記憶に刻まれることになるのだろう。
ビクトル・エリセ 監督コメント
私はどんな映画を作りたいのか? そして、それはなぜか?
できるだけ短い言葉で正確に伝えるなら、答えはこうだ。
『私が書いた脚本から自然に花開いた、純粋で誠実な必然によって生まれる映画』
でも、この答えだけでは十分でないだろう。
だから、「瞳をとじて」が必然として伴う“何か”について説明したい。
そのためには概念の領域を掘り下げる必要があるが、私の意図を明確に宣言する。
もちろん、それはよき意図だ。
よき意図がよい結果を生むとは限らないと、分かっていたとしても。
プロットの細部を積み重ねた果てに、この映画が観客に向かって描こうとする物語は、
密接に関わる2つのテーマ “アイデンティティと記憶”を巡って展開する。
かつて俳優だった男と、映画監督だった男。友人である二人の記憶。
過ぎゆく時の中で、一人は完全に記憶を失い、
自分が誰なのか、誰であったのか、分からなくなる。
もう一人は、過去を忘れようと決める。
だが、どんなに逃れようとしても、過去とその痛みは追ってくることに気づく。
記憶は、テレビの映像としても保存される。
人間の経験を身近な形で記録したいという現代の衝動を、
何よりも象徴しているメディアだ。
映画を撮る者の記憶は、ブリキ缶の棺に大切に保管されたフィルムだ。
映画館のスクリーンから遠く離れて、
映像視聴メディアによって社会における居場所を奪われた、
それぞれの物語の亡霊たち。
この文章を綴る者の記憶と同じように、長く刻まれる。
これらの特性を内包した物語は、半分は経験したこと、半分は想像から生まれた。
私は映画の脚本を、自分で書いている。
だから、私が人生において最も関心を抱いていることが、
作品のテーマだと考えるのは自然なことだ。
言葉では伝えきれないが、一本の映画を観た経験が主役となる
詩的な芸術性に属するものだ。
そういう意味で、「瞳をとじて」では映画の2つのスタイルが交錯する。
1つは舞台と人物において幻想を創り出す手法による、クラシックなスタイル。
もう1つは現実によって満たされた、現代的なスタイルである。
別の言い方をするなら、2つのタイプの物語が存在する。
一方は、伝説がシェルターから現れて、
そうだった人生でなく、そうあるはずだった人生を描く物語。
そしてもう一方は、記憶も未来も不確かな世界でさまよいながら、
今まさに起こっている物語だ。
(訳:原田りえ)
ビクトル・エリセ
Víctor Erice
監督
1940年 6 月 30 日、バスク自治州ビスカヤ県カランサ生まれ。
マドリード大学で法学・政治学・経済学を学んだ。1960 年に国立映画研究所(国立映画学校の前身)に入学、映画の演出を学び、映画批評雑誌「ヌエストロ・シネ」等に映画批評を寄稿する。1961年の『テラスにて』(未)以後、数本の習作短編映画を監督。並行して、『次の秋』(アンチョン・エセイナ、67 、木)の脚本執筆参加と助監督の兼任や、『あいまいな八月の夢』(ミゲル・ピカソ、68 、未)の脚本執筆に参加する。
オムニバス映画『挑戦』(69 、DVD 発売のみ)の第三話の監督を担当し、商業映画監督としてデビューする。その後長編第1作『ミツバチのささやき』(73) を発表、国内外で高い評価を受けた。しかし長編第2作「エル・スール」(83) を発するまで、約10 年間映画作りから遠ざかっていた。同作は製作トラブルによって当初予定されていた後半部分の撮影が実現しなかったが、現行版は充分に完成された傑作との評価を確立している。『エル・スール』に次いで、またしてもおよそ10 年の空白期間を経た後に、画家アントニオ・ロぺス=ガルシアの制作風景に迫った半記録映画『マルメロの陽光』(92) を発表。同作は第45 回カンヌ国際映画祭審査員賞・国際映画批評家連盟賞を受賞した。長編作品は『マルメロの陽光』以来、本作『瞳をとじて』公開までに31 年もの時を経て第4 作目となる。
『マルメロの陽光』以後、オムニバス映画『10 ミニッツ・オールダー』(02) 内の一篇『ライフライン』、『ラ・モルト・ルージュ』(06)、 オムニバス映画『3.11 A SENSE OF HOME FILMS 』(12) 中の『アナ三分間』、オムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』(1212)の一遍『割れたガラス』を発表。いずれも短編映画である。2006 年にはバルセロナ現代文化センターやパリのポンピドゥー・センターで、イラン人映画作家アッバス・キアロスタミとの共同インスタレーション(ヴィデオ往復書備)を発表した。
エリセは溝口健二監督のスペインにおいて初となる長文論考を執筆・出版するほどに溝口を敬愛しており2006 年には溝口没後50年のシンポジウムに参加した。また2011 年には東日本大震災を受け制作された『3.11 A SENSE OF HOME FILMS 』にも参加し一篇を担当する。これまでに5度の来日実績があるほどに日本とは特に深い関係性を築いている。
ストーリー
かつての親友は、なぜ姿を消したのか――。
未完のフィルムが呼び起こす、記憶を巡るヒューマンミステリー
映画『別れのまなざし』の撮影中に主演俳優フリオ・アレナスが失踪した。当時、警察は近くの崖に靴が揃えられていたことから投身自殺だと断定するも、結局遺体は上がってこなかった。それから22 年、元映画監督でありフリオの親友でもあったミゲルはかつての人気俳優失踪事件の謎を追うTV 番組から証言者として出演依頼を受ける。取材協力するミゲルだったが次第にフリオと過ごした青春時代を、そして自らの半生を追想していく。そして番組終了後、一通の思わぬ情報が寄せられた。
――「フリオによく似た男が海辺の施設にいる。」
『瞳をとじて』予告編
公式サイト
2024年2月9日(金)TOHO シネマズ シャンテ、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次公開
監督・脚本:ビクトル・エリセ 『ミツバチのささやき』 『エル・スール』 『マルメロの陽光』
出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレント 『ミツバチのささやき』
配給:ギャガ
原題:Cerrar los ojos 英題:Close your Eyes / 2023年/ スペイン / カラー /ビスタ / 4K / 5.1chデジタル / 169分 / 字幕翻訳:原田りえ
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