『エス』演劇とテレビドラマを足したらなぜか映画になっている太田真博監督長編デビュー作

『エス』演劇とテレビドラマを足したらなぜか映画になっている太田真博監督長編デビュー作

2024-01-16 10:04:00

『エス』は、太田真博監督が2011年逮捕された際過ごした留置所で有り余る時間の中で思索を巡らせていた時に思いついた、彼が今まで手がけてきた短編のように中心となる人物が不在の構造で劇が進んでいく構成のドラマだ。

監督の友人が太田監督作品を「演劇とテレビドラマを足したらなぜか映画になっている」と評している。

映画は、若手映画監督染田真一(エス)が逮捕され、染田の大学時代の演劇仲間、新作映画に出る予定だった俳優の姿を時にコミカルに、時にシリアスに描いていく。

太田監督はこの映画の物語の発端となった自身が2011年に不正アクセス禁止違反容疑で逮捕され、32日間高井戸の留置所での模様を以下のように綴っている。なお全文は劇場で販売されるパンフレットに掲載されている。

『エス』ロング・イントロダクションより(一部抜粋)

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時刻は朝8時ぐらいだったろうか、チャイムが鳴った。僕は布団のなかにいた。
ドアを開けるとパリッとした表情の硬い大人たちがずらっと並んでいて、一番手前にいた大人は僕が開けたドアを極めて強い力で抑えた。何事かと思えば、僕に逮捕状が出ているとのことだった。今振り返ると非常に愚かなことではあるが、そのときの僕は、これは一体全体、何かの間違いではないかと思っていたのだ。要するにこの時点の僕というのは、女性に、いや女性にではなくてもそうだろうけれども、自分以外の別人になりすまして人を騙したり、そのためにアカウントを乗っ取ったりする行為が悪いことだということは十二分にわかっていた。しかし、それが警察に捕まるほどのことだという認識はなかったのである。特に、女性のフリをしてメールのやりとりをすること自体については、過去に出会い系サイトのサクラのバイトを数年間やっていたこともあり、僕にとって一時期は日常そのものでもあったと言える。そのせいで罪を犯したとは言わないが、なりすますことに対する悪気の少なさというか、事の重大性に気づかなかった一因ではあろうと思う。

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集合住宅に住んでいた僕は、玄関を出ると、そのまま共用階段を下った。もちろん両脇を刑事さんたちに抱きかかえられながら。そうして、階段を下りきった所で手錠をかけられた。家のなか、あるいは玄関先で手錠をかけなかったのは、近隣住人たちが僕の手錠姿を目撃することのないようにとの配慮であった。「じゃないと、戻ってきたときみんなに知られてるぞ」と。とてもありがたい配慮だと思った記憶が残っている。

その後、テレビドラマなどを見ると、警察が犯人のもとを訪れるのはだいたい朝8時ぐらいのようにも思えてきた。決まってそういうものなのかもしれない。緊急手配のようなものを除いては、たいていが朝8時ぐらいに犯人の自宅に踏み込むものなのかもしれない。だとするならば、これもまた犯人側への最低限の配慮によるもののように思う。犯人の職場へ出向いて捕まえたり、外で誰かと遊んでいる最中に捕まえたりするのではあんまりだと思っているのかもしれない。ほとんどの人が眠っている時間帯も避けている。が、だからと言って地域住人が活発に動き出すよりは前の時間を狙ってくれている。朝8時というのは非常にバランスの取れた時間のように思うのだ。

さて、逮捕当日、である。手錠をかけられた僕は警察車両に乗った。これももちろんパトカーではない。平凡な乗用車だ。後部座席に乗ると、隣にビタッと、ザ・柔道部みたいな体格の人が座った。あとで知ることだが、この方は刑事さんではなく看守さんであった。次に残っている記憶は、車が警察署の前に到着した瞬間のことだ。遠くから望遠レンズでカメラが僕を捉えようとしているのが見えて、反射的に少しだけ頭を下げた。正確にはこれは記憶というよりは、そういうふうにしていた、と友人に言われたのでそうだったのか、と思っているのである。このときの模様はNHKの夕方のニュースなどで流れ、見ていた長年の友人がのちにこう聞いてきたのだ。「あのとき、なんでちょっとお辞儀したの?」。もちろん、お辞儀じゃない。そのようなときにカメラを向けられると、ほとんど全員が顔を伏せるもんじゃないかなと思う。いや、有名人なら、手錠をかけられ警察車両に乗り込んだ時点で既に、警察署の前にカメラが待ち構えている画をイメージすることも容易だろう。それならば多少の心の準備もできよう。対して僕のような無名人にはその心の準備は不可能であり、結果、お辞儀然とした行動に出たのである。

僕の留置場生活は、服を脱ぐことに始まった。僕の、というよりこれはおそらく全員同じだろう。確認はしていないけれど。留置場の隅っこのほうで服を脱いだ。目の前には看守さんが2人。「まず、服。全部脱いで」と、一言。一瞬ためらっていると「早くしてくれるぅ?」と、声。急いで全てを脱いだ。文字どおり全部だ。が、そこへ「あーっ、下着はいいんだよ」と、声。「あーっ」と「下着は…」のあいだに、はっきりした言葉にはなっていない「ったく」というニュアンスの息がした。これは、なかなかに恥ずかしい体験であり、今もときどき思い出す。

服を脱いだことにより、危険な物を持ち込んでいないことが認められた僕は、部屋に入るように指示された。僕に割り当てられた部屋は「2室」。僕が収容された高井戸警察署には、房が4つあり、部屋の名前はそれぞれ1室、2室、3室、4室。部屋の外に「1」とか「3」とかいう数字は貼っていなかったように思うが、入り口に近いほうが1室、奥まったほうが4室となっていた。

当初、看守さんのことは怖かったし、留置されている人たちのこともまた怖かった。当初、とわざわざ書くぐらいだ。お察しのどおり、最終的にはちっとも怖くなくなるのだけれど、初日の時点ではひたすらビビりまくっていた。服を脱いだ地点は風呂場の前あたりである。4室の、さらに奥まった所だ。そこから歩いて2室に入るまでの移動距離はおそらく10メートル程度。そう、4室と3室の前を通りすぎない限りは2室にたどりつけない。2つの部屋の前を通りすぎることは、それらの部屋のなかに留置されている人たちの前を通りすぎることを意味した。

よくよく考えてみれば自分も全く同じ立場なのだが、逮捕された人たちというものは、どうしてああも凶悪な人間たちに見えるのか。いや、正確には見ないようにして前を通りすぎただけので、この時点ではひとりのことも見てはいない。見てもいないのに、なんとなく凶悪なオーラを感じとり、ただひたすらにビビっていたのだった。そのときの細やかな身体の状態は、今や正確に思い出すことは不可能だが、おそらくは全身という全身を小刻みに震わせていたはずだ。その状態でありながら、奇跡的にというべきか、僕は無事、2室へとたどりついた。そこには見るからに怖い人が、いなかった。誰の姿もない。これは、ややもするとひとり部屋があてがわれたということであろうか。それならば多少は気が楽だなという思いもあったのだが、数時間すると男がひとり2室へ入ってきた。一歩、二歩。男が室内へ足を踏み入れると、直前に看守さんによって開かれた戸、というか柵? というか。重厚な感じの金属製の引き戸、なのだが、柵のようになっていて中から手を出せないようになっているアレは、再び閉められた。各部屋、というか各房と言えばいいのか、とにかく全室そのような戸がついている。「3年B組金八先生」なんかでそのセットを見たことがある人は少なくないだろう。あれは割とリアルなセットなのだ。一方で、あちこちのテレビドラマで見かける取調室のセットは、あまりリアルとは言えない。

「Mです」2室への侵入者が深々と頭を下げた。見るからに怖そうな人だ。見るからに怖そうな人が深々と頭を下げるさまを想像してもらいたい。どうだろうか。見るからに怖そうな人が深々と頭を下げなかった場合よりも、遥かに怖い感じがないだろうか。目の前の僕。返す言葉がすぐに口をついてくれるはずもない。それはいくらなんでも無理だ。だからと言って、あまりにも不自然な間を空けてもいけない。怒らせたら最後だ。彼はずいぶんと背が高かった。結構な急傾斜のなで肩でありながらも、とんでもなく強そうに見えた。その筋肉にはパンパンに身が詰まっているようだった。

せっかく向こうから名乗ってくれたんだ。名乗れ。早く。言え。「太田です」だろ。言え。だが、名前を言ってしまっても大丈夫なものだろうか。そもそもこの人に本名を言う必要があるのだろうか。犯罪者である、この人に? 向こうが名乗ったのも本名じゃないんじゃないか? などと、ここでもやはり自分だって犯罪を犯した立場のくせしてまだそんなことを思っていて、しっかりと不自然な間ができてしまった。本名を知られることで何事か厄介事に巻き込まれはしないだろうかという懸念は大きかったが、頭のなかでは2つのチームが綱引きを始めていた。他方の軍の主張としては、そんなに大げさに考えるな。苗字ぐらい教えたって全然いい。大体ここにどのぐらいいることになるかわからないけれども、ずっと偽名で通すのは無理がありそうだぞ。こんなところであり、至極もっともに思えた。

「太田です」観念して僕はそう告げた。が、聞き返された。信じられないほど小さなボリュームでしか名乗れなかったらしい。「太田です」これがラストチャンスと、今度はハキハキと答えた。すると、ニョッ。Mの分厚い手が目前に伸びてきた。Mの顔を見てみる。無表情と言うのとも少し違うが、何を考えているかさっぱりわからない顔をしていた。味方なのか敵なのかを悟らせないための表情だとすればあまりにも完ぺきな、そんな顔であった。果たして伸ばされた手の意味するところはなんであろう…。 あ、握手か、そうか! ぐるぐると考えを巡らせた挙句にようやくその考えにたどりついた。お互いに捕まり、同じ部屋になって、名乗って、なんか握手する。どこかおかしな流れのような気もするけれど、手が伸ばしていただけたのだ。こちらも伸ばすのが礼儀だ。おそるおそる手を伸ばしてMの手を握った。こんなことぐらいで判断するのは危険かもしれないが、Mの手を握った瞬間、なんだかとっても優しそうな人だと思った。

実際にMは優しかった。握手の直後、「何やっちゃったんですか?」と聞かれ、これまたどこまで本当のことを言うべきか悩んだが、思いきってこちらが本当のことを言うと、Mもまた、なぜここに来たのかを丁寧に説明してくれた。2日目には、Mは僕をあだ名で呼んだ。おおちゃん、おおちゃん、と。小学校のときのあだ名である。中学、高校、大学、そして大人になってから、僕にはあだ名というものがない。太田、太田さん、太田くん。だから、おおちゃんと呼ばれると自然、小学校の同級生たちが思い浮かんだ。最後に小学校の同級生たちに会ったのは22歳のときだった。そこにいた同級生のひとりは今、サックスを吹いている。『エス』のオープニングテーマとエンディングテーマは、その彼が過去に所属していたスカバンド・蝦夷メキシカンズさんの楽曲である。

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留置場生活4日目、僕は、事件が実名報道されたことを知る。
これで2度と映画は撮れないなと思ったし、Mにもそのように言った。Mは言った。「きついよね。でもさ、留置場の映画撮ったらいいんじゃない?」と。「なんか刑務所の中みたいのあるよね」的なことも。「それはありますけど、でも、それって別に監督は刑務所に入ってない人ですよ」「そうか、じゃあダメか」「…いや、でもその原作の本のほうは、犯罪を犯した人が書いてますよね」「ほら」何が「ほら」なのかは、今もって不明だ。けれどMが僕を必死で励ましてくれていることは痛いほど伝わってきた。このときMが励ましてくれたから、僕は『エス』を撮れた。というそんな単純な話ではないにせよ、Mの言葉は沁みた。しかし、だからと言ってすぐにこの体験を映画にしようなどとは露ほども思わなかった。そんな心の状態には、まだまだなかった。そもそもこの時点では、しっかり反省できていたとも言い難い。だから、この時点で僕の気持ちが映画に向かうことが許されるはずもなかったのである。

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「反省する」という言葉の本質的な意味が、僕には正直、今もってよくわかっていないのだ、という気がする。わかってもいないのに、反省に時間をかけたなどとは口が裂けても言えない。さらに言えば、よくわからないなりにだが、反省に時間をかけたと言っている時点で存分に反省できていないのではないか、という思いもあったりする。だから「自己を分析する」がしっくりとくる。起こした事件のこと、その動機。そして、自分のなかに渦巻く“ドス黒い何か”について。このドス黒いものは、おそらく小学校高学年あたりで僕の心に発生し、その後絶えず渦巻いている。今もだ。片時もいなくならない。たぶんみんなにあるんだろう。ないのか? いや、あるんだろう。最近、近しい人が「私もそうだ」と言っていたぐらいだから。ドス黒いもの、僕の場合は既に32年くらい心のなかに留まり続けている。だから、余程のことがない限りはこの先も一生留まり続けるに決まっている。だから、それと戦ったり、それをなだめすかしたり、それを違うエネルギーにしたり、という術を身につけていく必要があるのだ。そして、そういうことをできるのが“人間”なのかもしれない。自己分析の日々のなかで、僕が達した仮の結論はこういうものである。

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実名報道があった翌朝のことだった。ある看守さんがこっそり話しかけてきた。「びっくりしました」と。それはそれは好奇に満ちた顔をしていた。何かもを察した僕は、「あ、新聞かなんかで、ですか?」と小声で聞いた。「いや、すごいと思って」何がだろうか。いずれにせよ、やはりそのことなのであった。僕は自主映画しか撮っていなかったが、映画祭のグランプリを受賞していたりしたので、事件は映画監督が起こしたものとして報道された。それを知った1人の看守青年が、むき出しの好奇心で話しかけてきたというわけなのだ。実名報道されたことへのショックから1ミリも立ち直っちゃいない僕ではあったが、しかし看守さんがわざわざ話しかけてきてくれたのだ、無下にはできない。「え、どんな映画撮ってるんですか?」僕が返事をしてしまったからであろう。この話題いけるのね? みたいな感じで受け取られたのか、今度はなかなかのボリュームで話しかけてきた。きっと全室に聞こえたぜ、今の。変わらずにこちらは小声で「大したものではないですけど、賞とかいただいたりしたのでああいう感じで出まして」と、“この話題そんなに続けないでくださいねオーラ”を懸命に放出させながら答えたのだが、看守青年はお構いなしにグイグイと来た。余談だが、この看守青年にはレプリカの刀を集めるという趣味があるらしく、折に触れその話を熱っぽく語ってくれた。憎めない人には違いない。さて、看守青年の声がデカものだから、同室のMも自然と会話の輪に加わってきた。「おおちゃん、すごいんすよ。ここ出たらマジで活躍してほしいんすよね」的な感じで。Mだけは実名報道前から報道に書かれていたようなことは全部知っていたものだから、“ようやくその話題解禁なのね的感覚”もあったのかもしれない。別にヤケになっていたわけでもないけれど、場に流されたというかなんというか。気づけば僕の口は、以下のような言葉を発するために動いていたらしい。「いつか留置場の映画撮れたらなと思ってるんですよ」

この発言にMと看守青年、大いに沸いた。青年は言った。「俺の役、絶対書いてくださいね! 変な、刀集めが趣味なやつ! 絶対見に行きますから」Mも負けてはいない。「俺の役なんて、俺がやっちゃえばリアルじゃない? 金も要らないしさ」

その場で映画のタイトルをふたつ考えた。ひとつは「高井戸シックスティーン」。僕自身が高井戸署の16番だったからだ。留置場では、看守さんたちは僕らのことを番号で呼ぶ。番号は運動の際などに履く便所サンダルに大きくマジックで書かれている。僕は16番。Mは3番だったような気がする。とにかく「武士道シックスティーン」をもじったその仮タイトルを、僕はMと看守青年に発表した。青年は「武士道シックスティーン」を知っていたらしく、聞いたそばから吹き出した。気を良くし、僕はもうひとつの案を発表した。「太田、逮捕されたってよ」。こちらはもちろん「桐島、部活やめたってよ」をもじったものだ。なんと青年、この本も知っていた。「16番さん、天才ですね!」と、確か言った。記憶違いだったら恥ずかしい限りだが、確か言った。規定があるのだろう、看守さんたちは僕のことを決して「太田」とは呼ばない。最後まで16番、もしくは16番さんと呼んだ。看守青年からはずっと「さん付け」だったから、彼の年齢を僕は知らずじまいだったがちょっと年下だったのかもしれない。
話は一旦、留置場を出たあとまで飛ぶけれど、もう一度映画を撮ろうと思ったときに、まずこのとき考案した2つの仮タイトルを思い返した。2012年5月に書いたメモ書きが出てきた。『園田、逮捕されたってよ(仮題)』と題した簡易的なハコ書きである。

シーン1 「え、マジで!?」からはじまる。園田逮捕を誰かが聞く。川沿いの道を歩く男。シーン2 メインタイトル「園田、逮捕されたってよ」シーン3 警察署、押収されたパソコンで再生される園田の監督作品。
シーン4以降はノーアイデアだったようだが、このメモ書きの2ヵ月後に僕は『園田という種目』をクランクインさせている(『園田という種目』とは『エス』の基になった自主映画であり、『園田、逮捕されたってよ』を改題したものだ)。2012年7月のことであった。僕が留置場にいた期間が2011年2月~3月だから、出て、1年5カ月後には映画を撮っていたことになる。

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この頃には、なんとなく、「高井戸シックスティーン」のセンは僕のなかで薄れ、「園田、逮捕されたってよ」に気持ちが向いていた。なぜか。「桐島」は桐島がほとんど不在の話である。「園田」もそういう話にしようと思い立ったためだ。

背景にはそれまでに自分が作ってきた映画たちがあった。『笑え』という2008年に撮った43分の作品は、劇団の地方公演中の話だが、皆の話題の中心である“座長”は物語の中盤まで一切出てこない。座長以外の俳優たちが、ひたすら座長の悪口で盛り上がっているだけだ。大阪のワークショップで撮った『LADY GO』という2009年の作品に至っては、話題の中心である“サイトウさん”なる劇作家は一度も登場しない。既に死んでいるからだ。このように僕は映画の軸になる人物をあえて存在させないことによって、その人物を浮かび上がらせる手法をたびたび用いてきていた。そのため、逮捕された経験から何か映画を作れる日が仮に来たとしたら、あえて捕まった人物を不在にするほうが僕らしい映画になるだろうと直感的に思ったのだ。見る人にとってそのほうが面白いのかどうか、それはわからない(そんなことはいつもわからない)。だが、僕自身、そのほうが作っていて興奮できると思った。と、まあ、今だからこのように書いてしまえるが、当時、留置場のなかにいたときに、どこまで本気でこんなことを考えていたのかは思い出せない。しかし、「高井戸シックスティーン」よりは「園田、逮捕されたってよ」だな、と思った瞬間があったことは確かだ。

ちなみに『園田という種目』もそれを発展させた『エス』も、「桐島、部活やめたってよ」には多大な影響を受けた。「桐島」はのちに映画化もされたが、僕が影響を受けたのは原作小説のほうだ。最後の100ページを一気にめくり切ったあの感覚を思い出しながら、『園田という種目』の初稿を書いた。だからと言って、似ても似つかない作品になったが、「桐島」には勝手に感謝している。こんな勝手な感謝はないが、しかし、こういう身勝手な感謝をしているときに作り手でよかったなと、僕は結構強めに思うのだ。僕は、物を書くときには必ず音楽を聴く。書く前に聴くこともあるし、聴きながら書くこともある。作品によって聴くものは変わるが、変わらない1曲もある。いつもこれだけは聴くよね、というやつ。その曲には当然ながら勝手に感謝しまくっている。ムーンライダースさんの「Sweet Bitter Candy」だ。
19歳の夏、僕は「Sweet Bitter Candy」が大音量でかかる劇場で踊っていた。大学演劇の新人公演。ラストシーンである。僕に演じることの喜びと厳しさを教えてくれた大学演劇サークルのアトリエにおける1コマである。このサークル、名を劇団木霊と言う。木の霊と書いてこだまと読む。
『エス』の登場人物のうち7人までもが、この劇団木霊みたいな劇団の出身者という設定だ。『エス』の本編には登場しないが、その劇団は劇団欅(けやき)と言う。そのことはなんと僕だけが知っている。僕が脚本を書くためだけに決めているウラ設定を、僕はいちいち俳優の皆さんに言わないからだ。スタッフにも言わない。プロデューサーも知らない。誰も知らない。共有する必要がないからだ。

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留置場にいた32日間のあいだには、何度か裁判所へも出向いた。はじめに裁判所へ向かったのは留置されて3日目のことだったろうか。起訴か不起訴かを判断されるため、皆、ほぼ同じタイミングで裁判所へ呼ばれるのだ。あとで留置場の皆に聞いたら、ある人は3日目に呼ばれ、ある人は4日目に呼ばれたようだから決まって何日目ということでもないらしい。街中でよく見かけるブルーがかった檻のような見た目のバスをご存じだろうか。あれに乗って、首都高を走り、僕らは裁判所へ向かった。
留置場の房にいるあいだ、僕らの手に手錠はかかっていない。けれど、取り調べを受けるときや、裁判所や検察庁へ行くときなど、とにかくひとたび房を出るとなれば、もちろんその手には手錠がかけられた。

裁判所へ向かう車両には大勢が乗る。エリアごとにいくつかの警察署をまわって裁判所へと向かう。まずは車両に乗り込む前に、同じ高井戸署に留置されたメンバーと手錠を1本のロープでつながれる。車両に乗り込むと既に他の署の面々がいて、今度は彼らの手錠と僕らの署の手錠が同じ1本のロープでくくられる。裁判所へ到着すると、長い列を作り、僕らは廊下を歩いた。こんな光景があちこちの映画にあったような気がするな、と僕はぼんやり思っていた。
留置場生活32日目の朝。ぽっちゃりした福耳の看守さんが外から話しかけてきた。看守青年とは別の看守さんである。初日に「下着は脱がなくていいんだよ」と言った人である。そのとき同室が誰だったか覚えていないが、確か2人部屋であり、同居人は取り調べで不在だった。福耳の看守さんは言った。「16番、ナニザ?」「え? ナニザ? って?」「星座」「あ、おとめ座です」「ふーん。おとめ座、今日運勢いいみたいだよ」「…え?」「あと何時間かでいいこと起こるんじゃないかなあ」「…え? なんですか?」「出られるって」
その日の夕方、僕は高井戸警察署をあとにした。

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『エス』の撮影は2022年10月21日~11月4日に行われた。あいだには数日撮休があった。予備日もあった。一度たりとも雨が降らなかったため、予備日を消化することもなく、あれよあれよとクランクアップのときを迎えた。
『エス』は染田真一というひとりの映画監督が女性のアカウントに不正にアクセスするという、言ってみれば変態行為によって逮捕され、映画監督としての未来が閉ざされた地点からスタートする物語だ。

 

太田真博 監督インタビュー


――太田監督にとって今回が長編劇場公開デビュー作とのことですが、ここに至るまでの道のりを教えてください。

劇団木霊(こだま)という学生劇団に所属して俳優をやり始めたのが1999年。18歳の春です。1年で退団しますが、その後26歳まで小劇場を中心に役者として活動しました。

小劇場界では東京タンバリンやラフカットといった、憧れの劇団や公演に出演できたりと、それなりに頑張っていたんですが、ある日突然、映画にも出てみたくなりました。それで、とある芸能プロダクションへ所属することに決めたんです。オーディションで採ってもらえたし、月謝みたいなものもないし、これはよかったと安堵したのも束の間でした。当時の僕には舞台出演歴しかなかったので、映像資料なるものが存在しないわけです。映像資料というのは、マネージャーが、当時はメールで飛ばすというよりポータブルDVDプレイヤーなどと共に持ち歩き、あちこちのキャスティングさんに見せたりするような、自分のところの俳優が映画やドラマなどで演じているシーンのダイジェスト映像のことですけども。で、マネージャーから、そういうのないと売り出しにくいんだよなあ、とはっきりは言われていません。でも、感じ取りまして、それで「ちょっと自分主演で短編映画撮ってきます」とか言ってしまったんです、マネージャーに。2005年、25歳の夏のことです。

で、ある映画学校のサマースクールで短編を撮ったら面白かった。映画を作ることが。出るほうより撮るほうが向いていると講師の方に言われ、あっさりその気になって本格的に自主映画を撮り始める決心をしてしまいました。本末転倒極まりないですけど、役者もやめてしまいまして。

本格的に作り始めたと言っても、高橋泉監督の『ある朝スウプは』に並々ならぬ憧れを抱いていた僕は、高橋さんが3万円でそれを作ったのだから僕も3万円で何かしらを作るのだ、という信念のもと映画制作と向き合い続けました。そんななか、ぽつりぽつりと作品が映画祭にかかるようになり、このうえでちょっとした運に恵まれでもしたらデビューできるかもな、と思っていたのが2011年頃、30歳の冬です。

しかしその直後、僕は逮捕されまして、当然ながら映画監督としての未来はすっかり閉ざされたものとなりました。それでも、信じられないことにそこからたくさんの方々に支えていただき、43歳にしてようやく長編劇場公開デビューの日を迎えられるというところです。

――そんな太田さんの「閉ざされた未来」の感覚は、この『エス』にもダイレクトに反映されていると感じます。

そうですね。『エス』のなかで逮捕される染田真一という映画監督は、お察しのとおり僕の分身のようなものです。彼に対して、その未来を期待する人が少数ながら確かに存在するという地点から、それが少なくとも一旦は完全に閉ざされた、と染田くん自身が感じるその地点までを計測したような作品となっています。

――しかし、その太田さんの分身・染田は劇中ほとんど姿を見せません。これはどのようなこだわりによるものでしょうか。

もともと僕は滝藤賢一さん主演の『笑え』など過去作品のいくつかで、話題の中心人物をあえて登場させない手法を用いてきました。それと、僕は逮捕される直前に小説「桐島、部活やめるってよ」を読んで内面をぐしゃぐしゃにされていたんですね、いい意味で。「桐島」はまさにみんなで桐島くんのことを話すけど桐島くんその人は出てこないという構図で。留置場で、逮捕された経験をもとに映画を作るしかないかもしれないと思ったときに、真っ先に思い浮かんだのが、逮捕された人間をあえて登場させないことによってかえって浮かび上がらせる、みたいなことができたらな、ということでした。

『笑え』


――先ほど3万円で映画を作ってきたとおっしゃいました。今作『エス』の企画段階から作品完成までの期間は、今までの自主映画制作とはだいぶ違う想いで過ごされたのではないですか?

おっしゃるとおりです。これまでは全部とは言わないですけど、ひとりでかなりのことを抱えてきました。現場では監督だけではなく撮影も毎回やり、時には録音までやっていました。ポスプロでも、編集は『エス』でも自分でやっていますけど、色をいじったり音を直したり、そういうことまでこれまでなら自分でやっていた。色や音は素人なりに、ですけども。それが今回は各部署にプロフェッショナルな方々がいて、それぞれの仕事がリレーのようにつながっていって作品が完成した。特にポスプロ段階では、僕がまるで違うことをしている間にも作品がどんどん完成に向かったりするわけです。ひどい話、僕がカラオケを2時間歌っている間にも(笑)。これが面白かったというか、ありがたかった。

もちろん現場のスタッフの皆さんにもたくさん支えてもらいました。これまでは、ワイヤレスマイクがガサついていないかどうかを聞きながら、カメラを回しながら、演技を見るという、今思えばなかなかの重労働を自らに課していたわけですから。

――それはかなりの違いですよね。ご負担が減った分、今回は演出に専念できたのですね。作品が完成したあと、公開に至るまでの期間についてはいかがですか?

これもまた新鮮というか、完成後のことは完全に未知の領域ですよね。今までは映画祭に出して入選したらかけてもらえるという。時には応募しなくても呼んでいただくみたいなのもありましたけども。

劇場公開となると、やっぱり宣伝ですよね。宣伝活動はもう未知すぎて毎日がとても面白かった。妻にはいつも言ってました。「いやあ、なかなかどうして大変だ、今度はこんなことをやることになった、大変だ、でも面白い」って。「でも面白い」がいつの間にか僕の口癖みたいになっていました。

――具体的に、今回、太田さんが積極的にかかわった宣伝活動があれば教えてください。

僕の過去作品で滝藤賢一さんが主演している『笑え』という43分の作品をYouTubeで無料公開してみたり、あとはワークショップを開催してその参加者の方々のうち選抜したメンバーと短編映画を作ったりしました。ワークショップ映画は『エス』のスピンオフという位置づけで、『エス』公開期間中に1度ないし複数回、同時上映されると聞いています。ワークショップ受講生の皆さんも「相手のために演じる」という僕の演出の基幹となる部分をよくよく理解しよう、体現しようとつとめてくださり、短い期間で圧倒的に成長した方も。僕自身、かなりこの作品が好きです。

あ、あと、これは宣伝に含まれるかわかりませんが、公開期間中、劇場でパンフレットを販売するんですけど、そこにいろいろと、アレですね……。

――パンフレットが何か特別な仕様になっているということでしょうか?

「イントロダクション」ってあるんですけど、映画には。まあ、文字どおり作品のための導入と言いますか、どんな経緯でとか、想いでこれ作られたの? みたいな。あらゆる映画のパンフレットや公式サイトに載ってるようなやつですね。『エス』の公式サイトにももちろん載っていて、文字数を数えてみると330字ぐらいなんです。で、パンフレットには4万字のイントロダクションを僕自身が寄稿しました。

――4万字!?(笑)

すごい長いの書いてみませんかと言われて、すごい長いってどのくらいですか、ワード30枚ぐらいなら書けると思いますけど、と言ったら本当にそのぐらいのを書くことになった。ワードの初期設定のまま、文字数や行数やフォントを指定したりしないで書いて、33枚。この「ロングイントロダクション」がパンフレットの冒頭におさめられています。僕自身が恥ずかしい犯罪を犯して逮捕される当日の出来事から、同室の面々と支え合いながら過ごした留置場生活、そのなかで『エス』の着想を得たこと、外に出てから人とのコミュニケーションを間違え続けたことなどが、自分で言うのもおかしいですが赤裸々に綴られています。こういうことをこんなに詳細に書いたことはこれまでありません。それどころか誰かに話したこともない。なので、この機会をいただいて非常にありがたく思っています。

そのほかパンフレットには『エス』のストーリー、これはあらすじのようなものですけど、若干長めに書かせてもらいまして、それからシナリオも掲載されています。あと、僕がインタビュアーと執筆をつとめた“松下倖子インタビュー”も載っています。

――なかなか特別なパンフレットですね。ご自身がインタビューされたという主演の松下倖子さんは、監督から見てどのような俳優さんですか?

ひと言で言えば“逸材”だと思ってました。2011年に出会ったとき、既にほかの俳優さんとは一線を画す才能を持っていた。相手を輝かせる才能です。この才能、というか能力と言ったほうがいいかもしれないですね、この能力がこれほど高い俳優さんに僕はあとにも先にも出会っていません。

松下倖子と一緒にシーンを演じると、なぜか周りの役者が全員上手く見えます。実際に相手役全員がそのとき一斉に上手くなるはずないんで、これは松下倖子の力だとすぐに気づきました。おそらく松下の芝居はほかの俳優さんたちのそれより圧倒的に利他的なんです。「相手のために芝居をすることで結局自分も得する」ということを、僕は常々あらゆる役者に話しています。けども、まずできない。みんな自分が輝きたいですから。それは悪いことじゃないですし、松下だってそれはそうだと思うんです、俳優ですから。でも、他の人とはどこか決定的に違う考えで演技に接しているはずなんです。その違いがなんなのかはいつか本人に聞いてみてください(笑)。いえ、まじめな話、僕も一切合切わかるわけじゃないんです、そのメカニズムが。とにかく松下がいると相手はそこに存在しやすくなる。それは厳然たる事実であり、それは最初からそうだったのです。あ、今思い出したんですけど、パンフレットの“松下倖子インタビュー”に本人の口からそのあたりのことを話している箇所がありますね。

で、『エス』撮影まで、というか今もやっていますけども、『エス』撮影までだと12年間、この松下の長所を、僕と松下とは絶えず二人三脚の要領で磨き続けてきたのです。同時に短所というか、出会った頃にはまだまだ物足りないという部分がたくさんありましたので、それらには徹底的にメスを入れ続けてきたわけです。その結果、『エス』撮影時にはじつに手のかからない俳優になっていた。相手の一部始終を常につぶさに観察しながら、仕掛けたり、仕掛けなかったりする。そういうことを楽しみながら現場で即興的に演じる、僕の理想とする俳優になっていました。

試写会場で松下倖子の演技に魅了されている方々をお見かけしました。公開後、さらに多くの方たちがそうなるでしょう。楽しみです。

太田真博
Masahiro Ohta
監督・脚本
1980年東京都出身。小劇場を中心に役者として活動後、2006年より自主映画制作を開始。
2007年からはTVCMディレクターとしても活動。2009年、『笑え』(主演・滝藤賢一)を名古屋・大阪で公開。2010年には『LADY GO』が各地映画祭に入選し、複数のグランプリを獲得。
2011年、不正アクセス禁止違反容疑などで逮捕され、30日余りを留置場で過ごす。2016年、自らの犯罪をモチーフとした作品『園田という種目』(主演・松下倖子)でSKIPシティ国際Dシネマ映画祭長編コンペティション部門ノミネート、福井映画祭長編部門グランプリ受賞。

 

ストーリー

若手映画監督・染田真一が逮捕された。

染田の大学時代の演劇仲間たちは、嘆願書を書く目的で久しぶりの再会を果たす。

染田の新作に主役として出演するはずだった、崖っぷち俳優の高野(青野竜平)。自称“染田との絆が最も深い”先輩、鈴村(後藤龍馬)。そして染田への想いをこじらせ散らかした挙句、別の男性と結婚したばかりの千穂(松下倖子)。

染田の力になってやりたい。想いはひとつ、のはずだったーー



『エス』予告編


公式サイト


2024年1月19日(金) アップリンク吉祥寺、にてロードショー

Cast
松下倖子 青野竜平
後藤龍馬 安部康二郎 向有美 はしもとめい
大網亜矢乃 辻川幸代 坂口辰平 淡路優花 石神リョウ 篠原幸子 中尾みち雄
ノブイシイ 岡山甫 高村明裕 太田真博 松永直子 / 河相我聞

Staff
監督・脚本・編集:太田真博
プロデューサー:上原拓治 撮影監督:芳賀俊
録音:柳田耕佑 助監督:山田元生 特機:沼田真隆 撮影助手:中川裕太
監督助手:玉置正義 車輌:堀田孝 スチール:ViVi小春、浦川良将
カラリスト:五十嵐一人 音楽:窪田健策 劇中台本:大野敏哉
宣伝:Cinemago 制作プロダクション:株式会社上原商店

2023年/日本/DCP/110分/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch
©2023 上原商店