『ハチミツと私』トランスジェンダーの子どもがそれを自認するまでの葛藤と、寄り添う家族の心の様を描いた物語

『ハチミツと私』トランスジェンダーの子どもがそれを自認するまでの葛藤と、寄り添う家族の心の様を描いた物語

2024-01-04 00:04:00

スペインの養蜂場でのバカンスで、トランスジェンダーの子どもがそれを自認するまでの葛藤を描きながら、寄り添う家族の心の変化を繊細に美しく描いた物語。

第75回カンヌ国際映画祭の監督週間で『Chords(英題)』が上映されたスペインの新星エスティバリス・ウレソラ・ソラグレンが監督・脚本を手がける。彼の初の長編劇映画となる本作は、第73回ベルリン国際映画祭にて主演のソフィア・オテロの演技が絶賛され、最優秀主演俳優賞(銀熊賞)とギルド賞をW受賞。ソフィア・オテロは当時9歳、史上最年少での受賞だった。また、第36回東京国際映画祭にて新設されたエシカル・フィルム賞も受賞している。

原題が「20,000匹のミツバチ」という本作には、養蜂場が登場し、ミツバチが重要なメタファーとなっている。監督はこれについて以下のように語る。「蜂には、巣の中にいる一匹一匹に、集団が機能するうえで欠かせない役割があります。しかし巣は、単に個が集まる場所ではありません。巣そのものが、一つの生物と言えます。個と集団との間に生まれる緊張感という意味で、作品のテーマに通じるものがあると思いました。依存し合う個によって統治される巣と、それぞれ明確な役割を担う個。家族内の関係をよく表していると思いました」

ストーリーに奇を衒った要素は何もないのに、観賞後の満足度が非常に高い。それは、こうした深い洞察がベースにあるからかもしれないし、切り取られた映像が美しすぎるからかもしれない。ヨーロッパの風景が絵になる、というアドバンテージを差し引いてもなおあまりある映像美が、心に滋養と潤いを与えてくれる。

新しい年のはじまりに、本作を追体験しながら改めて、自らの家族に思いを馳せてみてはいかがだろうか?

 

エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン 監督インタビュー


――このトランスジェンダーの子どもの物語は、どのようにして生まれたのですか?

私は今までずっと、アイデンティティ、身体、ジェンダー、家族などを作品のテーマにしてきました。前回の作品に取り組んでいたとき、「私たちはいつ、自分の正体に目覚めるのだろう?私たちのアイデンティティと体の関係は、どういうものなのだろう?アイデンティティは、自分の内側に見つけるものなのか、それとも外的な要素に影響されるものなのか?」と、繰り返し自問自答していました。


――トランスジェンダーについて描きたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか? このテーマは、あなた自身に響くものですか? それとも、あくまでも客観的に描いたのでしょうか?

前々から、ずっとジェンダー・アイデンティティというテーマが気になっていました。私は、6 人兄弟の5 番目で、ほとんどが女の子でした。家の中で担う役割と外の世界で求められる行動に、大きな隔たりを感じていました。6 歳から1 3 歳まで水泳をやっていて、毎日欠かさずトレーニングをして、女子の部門で大会にも出場しました。女子のロッカー室で着替えをしてね。思春期に突入すると、私の体はどんどん変化し、性というものを意識するようになりました。私は、活発で、競争やゲーム、スポーツが大好きだったので、昔からいつも男の子に囲まれていました。

だけど、自分がその男の子グループの一員だと思えたことは一度もなかったです。1 0 代半ばに身体がますます女性らしく変化するにつれて、男の子たちとの距離は、さらに広がっていきました。

本作のストーリーが生まれたのは、厳格なジェンダーの枠組みを問う必要性を感じたからです。この二極間に存在する曖昧な領域をまだ受け入れられていないと思います。

こうした拒絶が苦しみをもたらし、さらなる苦痛を生むことになります。劇中では、アネの父親と彼の芸術の仕事が、従来の保守的な人生観を物語っています。彼の中には、理想の男性像と女性像があります。それは彼の工房を見ても、明確に見て取れます。そして、登場人物の中で最も現代的な考えを持つアネでさえも、その考えは手放すことができないのです。

――このテーマについて、専門的なアドバイスは受けましたか? 実際のトランスジェンダーの子どもやその家族と接したのでしょうか?

ある組織を介して、3歳から9歳までの子供を持つ家族20世帯と会いました。彼らは一切隠すことなく、快く体験談を共有してくれ、この経験のおかげで脚本に深みが増しました。中には、子どものカミングアウトが新たな家族の形を模索するきっかけになり、前向きになれたという家族もいて、それが一番印象的でした。問題と向き合うというよりは、家族内のルールを見直す過程として捉えているようでした。息子や娘との関係性、母親や父親としての役割、個々のアイデンティティなどを考え直すきっかけになったと。さらに彼らについて感動したことがもう一つあります。それは、息子や娘の体験を語る際に、一度も「転換」という言葉を使わなかった点です。その逆で、子どもたちよりも、むしろ周囲の人間、つまり、自分たち自身の認識が変化していると感じたそうなのです。子供たちが別人になったわけではなく、その周りの人間が変化または進化していったと考えていました。そういった描写は、映画の中でも見つけられると思います。

本作はトランスジェンダーの子ども以外にも、他のテーマも扱っています。特に、家族の重みや生涯関わらざるを得ない社会や文化の伝統についても触れていますが、どれも自由な個人として生きていくためには避けられない要素です。それが根底に流れるテーマなので、2つの観点を持たせました。今まで受講した映画脚本のコースでは、視点を1つに絞るのは、映画脚本の決まりのようなものなので、2つにしないようにと口酸っぱく言われてきたけどね。だけど本作には、娘の視点と母親の視点があります。私は母親の方の視点に感情移入をするけれど、それは、私自身の経験や、私が生きてきた時代背景の影響があります。本作は、このふたりの主要人物の日常を中心に描かれます。私にとって、子どもがトランスジェンダーとして生きることは、人類の多様性の一部に過ぎません。世界に存在する様々な生き方や在り方の1つだと思っています。劇中では、トランスジェンダーの子どもがいることで、家族の中に変化が生まれます。

絆が芽生え、水面下にあったものが浮き彫りになっていく。だけど、トランスジェンダーだけにテーマを絞ったつもりはありません。私自身はトランスジェンダーではありません。だからこそ、そのコミュニティーを代表するようなことは避けたかったです。私は、もっと広い意味でアイデンティティと向き合うつもりでこの作品を作りました。家族との関係が、自分探しの旅にどう影響するのかを探りたかったのです。

――本作品では、家族というひとつの組織を批判的に描いているのでしょうか?

私たちは非常に社会的な生き物で、常に集団の中で進化しています。私たちが一番はじめに出会う集団が家族です。アネが取り組んでいる彫刻のように、私たちの人格はそうした環境によって形成されます。その環境から完全に自由になることは難しいんじゃないかと思います。自分の思考が他者の影響を受けるのは避けられないことです。ここでの他者というのは、両親、地元のコミュニティー、友人、社会、組織、私たちが受け継ぐ伝統など。映画の中では、近隣住民やミクロ社会として機能する地域の公共プールなどがそれに当たります。

そこに行くことで、私たちは影響を受けるかもしれないけど、そこに続く鍵が私たちに与えられるのかは分かりません。

――養蜂のメタファーはどこから生まれ、また、何を意味しているのでしょうか?

蜂には、巣の中にいる一匹一匹に、集団が機能するうえで欠かせない役割があります。しかし巣は、単に個が集まる場所ではありません。巣そのものが、一つの生物と言えます。個と集団との間に生まれる緊張感という意味で、作品のテーマに通じるものがあると思いました。依存し合う個によって統治される巣と、それぞれ明確な役割を担う個。家族内の関係をよく表していると思いました。また蜂や蜂の巣は、バスク州の社会でとても重要な存在で、人々の心に大きく影響しています。だから私は、このバスク州の独特の文化を描きたいとも思いました。バスク州では、蜂は神聖な生き物として尊重されています。


――この作品は、二言語で展開され、スペイン語とバスク語を両方使用しています。劇中では、一つの言語から別の言語へ自然に移行していますが、これは、現代映画の中でも稀な例だと思います。

バスク州が舞台なので、二つの言語を使用するのが自然だと思いました。実際、ここで暮らしている人たちは、家族内であっても当たり前のように二つの言語を使って会話をしています。さらにバスク州は、国境によって南北に分かれています。バスク州を分ける稜線は、単なる国境ではなく精神的な壁であり、ある意味では主人公が越えなければならない壁の象徴でもあります。生態学の研究によれば、地理的な境界線上は動植物が最も豊かである傾向があるらしく、複数の言語が共存し、いくつもの文化やアイデンティティが混ざり合っていることが多いです。まさに私が表現したい多様性を秘めた場所でした。さらに、ここには二元的なものも見られます。普通は、11つの言語が11つの地域を支配することが多いけど、バスクの言語には他者性を見ることができます。劇中でバスク語を使用するのは、とても重要なことでした。バスク語には、男性名詞や女性名詞がありません。そこが、主人公にも当てはまり、彼女が解放される鍵を握っていると思いました。

――本作品はあらゆるリズムを行き来していますが、それはなぜですか?

冒頭にスピード感があるのは、3人の子どもを持つ家族の日常を見せたかったからです。生き急ぐばかりに、ついつい目の前のことをおざなりにしがちな私たちの姿を表しています。しかし、この慌ただしさは村に入った途端無くなります。テンポが遅くなるのは、ここで一人一人の役をもう少し丁寧に描きたかったからです。中盤は、鏡のように役同士がお互いの歩む道に影響を与え合っています。


――全体的に、自然な演技を取り入れていますね。

リアリティを重視したかったので、自然な演技を心掛けました。観客には、人工的なものではなく、ごく普通の日常を垣間見ているように感じて欲しかったからです。この想いは、他の美的要素にも影響しています。例えば、物語の中で音楽を奏でるシーンは一切ありません。音楽は、役が瞬間を生きている時に自然に溢れ出します。それが、さらにキャラクターの色になっていきました。それに、多くのシーンで自然光も取り入れました。ココが登場する場面では特に自然光を使うようにしました。カメラに関しては、観客が役に感情移入していけるように、役に寄り添うようにしました。広い画角とアップを取り入れることで、周りの環境がいかに役に影響しているかを描こうとしました。この自然な世界観を作るため、リハーサルに力を入れました。数か月間、脚本にないシーンをリハーサルすることで、兄弟の関係性、娘と母の関係性、母と祖母の関係性など、役同士の関係性を築いていきました。演技経験のない子役を起用していたので、リアリティや新鮮さにこだわりました。もちろん、脚本ありきではありますが、演技の経験がない子たちとプロの俳優たちの質を統一することが、今回の大きな課題でした。

エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
Estibaliz Urresola Solaguren
監督・脚本
1984年5月4日スペイン・バスク州ビルバオ生まれ。
バスク州のパイス・バスコ大学 オーディオビジュアル・コミュニケーション専攻、キューバの国際映画テレビ学校 編集理論専攻を卒業。フィルム・ディレクションと映画ビジネスの分野で修士号を取得。水泳の選手権を控えた女性がトラブルに見舞われるという短編映画の『Adri』(13)や 『Ashes and Dust(英題)』(20)、第64回サン・セバスティアン国際映画祭で上映された長編ドキュメンタリー『Paper Voices(英題)』(16)などを監督。最新短編映画『Chords(英題)』(22)は、ある合唱団が補助金を受けられなくなった代わりに公害を引き起こしている企業のスポンサーを引き受けるかどうかを決めるという社会問題を含んだ作品で、第75回カンヌ国際映画祭の監督週間で初上映され、第28回ホセ・マリア・フォルケ賞の最優秀短編映画賞をはじめ、国内外で多数の賞を受賞。2023年には、初の長編劇映画監督作品となる『ミツバチと私』(23)が、第73回ベルリン国際映画祭にて、銀熊賞 最優秀主演俳優賞とギルド賞をW受賞した。さらに、第36回東京国際映画祭にて新設されたエシカル・フィルム賞を受賞。スペイン、バスク州のサン・セバスティアン在住。

 

ストーリー

男性として生まれた8歳の“私”。
だけど、男の子の名前で呼ばれるのはいや。
いま、柔らかな陽光の中で願いは輪郭を強めていく。

夏のバカンスでフランスからスペインにやってきたある家族。

母アネの子どものココ(バスク地方では“坊や(坊主)”を意味する)は、男性的な名前“アイトール”と呼ばれることに抵抗感を示すなど、自身の性をめぐって周囲からの扱いに困惑し、悩み心を閉ざしていた。

叔母が営む養蜂場でミツバチの生態を知ったココは、ハチやバスク地方の豊かな自然に触れることで心をほどいていく。

ある日、自分の信仰を貫いた聖ルチアのことを知り、ココもそのように生きたいという思いが強くなっていくのだが……。



『ハチミツと私』予告編


公式サイト

 

2024年1月5日(金) 新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺、ほか全国順次ロードショー

 

監督・脚本:エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
撮影監督:ジナ・フェレル・ガルシア 美術監督:イザスクン・ウルキホ
編集:ラウル・バレラス 衣装:ネレア・トリホス
音響:エヴァ・バリーニョ 音響デザイン:コルド・コレリヤ
ヘアメイク:アイノア・エスキサベル 、ジョネ・ガバライン
キャスティング:NOMA Acting
企画・プロデュース:Gariza Films Films/ Inicia Films 提携:Sirimiri Films
テキスト監修:鈴木みのり
プロダクションマネージャー:ララ・イサギレ・ガリスリエタ 、ヴァレリエ・デルピエル

2023年/128 分/スペイン/カラー/1:1 85 /5.1 chch/スペイン語、バスク語、フランス語/ 原題:20,000 Especies de Abejas/英題:20,000 SPECIES OF BEES

字幕:大塚美左恵 配給:アンプラグド 後援:駐日スペイン大使館
© 2023 GARIZA FILMS INICIA FILMS SIRIMIRI FILMS ESPECIES DE ABEJAS AIE

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