『アダミアニ 祈りの谷』社会の分断や暴力が蔓延する暗い時代だからこそ、困難に立ち向かう彼らの生き様に目を向けてもらいたい
『アダミアニ 祈りの谷』ドキュメンタリーの舞台となるのは東ジョージアのパンキシ渓谷。そこは、古くは、チェチェン紛争、近年ではシリアに渡りISに参加した者がいることなどからテロリストの巣窟と呼ばれていた。
カメラが捉えるのは主に4人。レイラ・アチシビリは、パンキシ渓谷でゲストハウスを営むキスト人の女性。
その娘、マリアム・ケバゼは、ゲストハウスを手伝っている。
ポーランドからやってきたバルバラ・コンコレフスカは、パンキシ渓谷の美しさに魅せられ、ツアー会社を設立する。
そしてコンコレフスカと共に会社を手伝うのは、チェチェン紛争を闘った戦士アボ・アチシビリ。
およそ3年間、竹岡寛俊監督は、ジョージアに通い続け彼らの生活を捉える。
レイラは、自分の息子を亡くした深い悲しみを背負っている。長男ハムザトがシリアで戦っていることを知り、単身アレッポへと渡り戦火のなか息子と対面し、家に帰れと訴えたがレイラの説得にハムザトは応じず亡くなったのだった。自分と同じ悲劇を、2度と他の母親に経験して欲しくないと竹岡監督に訴えた。
監督は撮影が始まる時、「私はあなたたちキストをテロリストではなく、人間として撮りたい」と伝えたという。
このドキュメンタリー作品にどう身を委ねるのかは、配給会社のプレス資料に寄せられた金原由香氏のレビューの一部が的確に評していると言えるだろう。
「パンキシ渓谷の場所が地図でもって示されないし詳しい解説もない。カメラが回っているときが西暦何年何月何日で、時系列が良くわからないという曖昧な構成も、通常のドキュメンタリー映画と比べると、ゆるい。だが、それはパンキシにふらりといつでも行けて、去ることも選べる旅人のスタンスであり、旅人としての興味を優先させた眼差しだと考えると、私達も竹岡の慎重ながらもラフな距離感を借りることで、この映画の中の世界とアクセスすることが可能となる」
本作は、国内外で東京ドキュメンタリー映画祭長編部門グランプリ受賞のほか、クラクフ映画祭国際映画批評家連盟賞、South East European Film Festival最優秀撮影賞を受賞し、高い評価を得ている。
竹岡寛俊 監督コメント
――主人公たちとの出会い
主人公の一人、レイラの家を初めて訪れたのは2016年の冬だった。レイラは私を部屋に招き入れ、小さな鉄製のペチカ(暖炉)に薪をくべてくれた。
部屋の隅には、春を待ち侘びるように植木鉢が並んでいた。2013年、レイラは長男ハムザトがシリアで戦っていることを知り、単身アレッポへと渡った。
戦火のなか息子と対面し、ヨーロッパに残した子どもたちのためにも家に帰れと訴えた。だがレイラの説得にハムザトは応じなかった。
息子たちが亡くなった後、レイラは自身の体験を少しずつ語るようになった。自分と同じ悲劇を、2度と他の母親に経験して欲しくないと訴えた。
レイラは息子を止めることができなかった悔いを抱えながら、遺された家族と新しい未来を生きようとしていた。
「私はあなたたちキストをテロリストではなく、人間として撮りたい。」撮影が始まるとき、私はレイラにこう伝えた。
アボとは、パンキシ渓谷の北にあるトゥバタナの山頂で出会った。
森林限界を超えた見晴らしいのよい山肌で、キストの若者が裸馬に跨り馬の速さを競い合っていた。アボはキストの尊敬を集める屈強な戦士で、若者のまとめ役だった。
撮影する私たちに近づいてくると、古い携帯電話を取り出し画面を見せてきた。そこには山を背に銃を構えるチェチェンの戦士たちが写っていた。
アボは指を天に向け、目を閉じた。10代の頃から共に紛争を戦い、戦死した仲間たちの写真だった。シリアでも多くの友人が戦っていた。
撮影が始まったころ、アボはカメラを嫌い、自分が写ることを決して許さなかった。レイラのゲストハウスの客だった、ポーランド人バルバラとの出会いがアボを変えた。ムスリム以外に持っていた敵意が消えてゆき、自分たちとは違う世界に住む人間たちがいることを学んでいった。
やがて、「キストの未来のためなら」と撮影することを許可してくれた。レイラもアボも、戦争のトラウマと悔いを抱え、生きていた。
――最初の転換点
製作は資金の目処の無いままスタートした。転機となったのは2017年の秋、日本のドキュメンタリーの海外展開・国際共同製作を支援するTokyo Docsへの参加だった。国内外のデシジョンメーカー(放送局やプロデューサー)を前に、企画のピッチング・セッションを行った。
当時、ISの脅威を煽るドキュメンタリーが盛んに作られていたが、私はレイラを中心にシリアで息子を亡くしたキストの母たちをテーマとした。
死んでしまった息子に話を聞くことはできない。遺されたキストたちが、今後どう生きるのかを共に見たかった。
中東やヨーロッパのプロデューサーたちは、日本人よりもテロの脅威を身近に感じていた。
なぜ彼らがシリアへと渡ったのか、故郷がどう変わるのか、あなただから撮れるものはなにか、企画に強い興味を示してくれ、意見交換は新鮮だった。
運良く最優秀企画賞と100万円の製作支援金を手にし、撮影の継続が決まった。
――映画公開によせて
日本に帰国してまもなく、コロナが世界を覆い、ウクライナでの戦争が始まった。誰も予想していなかった悲劇が次々と起こった。一時の中断を余儀なくされたが、レイラやアボ、バルバラ、観光協会のメンバーもパンキシの未来のためにいまも仕事を続けている。破壊されるのは一瞬だが、人間の傷が癒やされるのには途方もない年月を要する。社会の分断や暴力が蔓延する暗い時代だからこそ、困難に立ち向かう彼らの生き様に目を向けてもらいたい。
竹岡寛俊
監督・撮影・編集
1984年、大阪生まれ。2010年にジョージアのパンキシ渓谷に住むチェチェン系ジョージア人、キストの人々に出会いドキュメンタリー制作を始める。2014年、キストの暮らしを追ったドキュメンタリー番組でATP賞優秀新人賞。2019 年、シリアで息子を失った母たちの姿を追った番組でATP賞ドキュメンタリー部門最優秀賞を受賞。“アダミアニ 祈りの谷”が初の⻑編映画となる。
ストーリー
東ジョージアの山岳地帯、パンキシ渓谷。
レイラはチェチェン紛争で難民となり、シリア内戦で二人の息子を失った。
息子たちの死後、彼女は美しい庭を作り、
娘のマリアム、両親とともにゲストハウスを始める。
いとこのアボは、レイラの元を訪れる旅行者をコーカサスの山々へと案内するガイド。
戦士の一族に生まれ、戦争の重いトラウマに苛まれていた。
やがて二人は戦争で荒廃し、谷に残された負のイメージを払拭するため、
ポーランドからきたバルバラと旅行会社を作ることになる。
だがある日、テロ容疑でパンキシ渓谷の青年が殺害され、新たな分断が生まれてしまう……。
【ジョージア基礎データ】
首都:トビリシ
人口:370万人
言語:ジョージア語
宗教:主としてジョージア正教
民族:ジョージア系(86.8%)、アゼルバイジャン系(6.2%)、アルメニア系(4.5%)、オセチア系(0.4%)など(2014年、ジョージア国勢調査)
面積:日本の約5分の1
貨幣:ラリ
『アダミアニ 祈りの谷』予告編
公式サイト
2023年12月1日(金) YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク京都、ほか全国順次ロードショー
監督・撮影|竹岡寛俊
撮影|山内泰 編集|Herbert Hunger
音楽|Julian Marshal
共同プロデューサー|Jia Zhao
製作|クロスメディア・テムジン・アダミアニフィルム
共同製作|MUYI FILM
配給|アークエンタテインメント
2021年|日本・オランダ|カラー|120分|ビスタ|5.1ch レイティング:G
©2021 ADAMIANI Film Partners