『JFK/新証言 知られざる陰謀【劇場版】』「大統領暗殺陰謀説は真実である」とオリバー・ストーン監督が描く
『JFK/新証言 知られざる陰謀【劇場版】』ケネディ大統領暗殺後の28年、1991年に『JFK』でその真相に迫った劇映画を監督したオリバー・ストーンがさらに30年後の2021年に監督したドキュメンタリー作品だ。
『JFK』公開の翌1992年アメリカ議会がジョ ン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法を可決し、膨大な文章が公開されたが、結局真相はわからないままだった。
ストーン監督が「JFK暗殺陰謀説は、真実である」 と確信するに至ったのは、関係者の証言の積み重ねからなる。さらに当初の調査委員会ウォーレン委員会とのある証言者のインタビューを収めたテープは破棄されてしまった。「それが何よりの証拠です」とストーンは語る。
日本と比較すると、公式の記録は圧倒的に記録され保存されているアメリカ。それでもその記録が残ると不都合なものは、削除される。
ベトナム戦争の終結方法、CIAの組織改革などケネディは大統領になってから、これまでの既得権益者たちとはちがう政治的判断を下していった。
何のために大統領暗殺が行われたのか、ストーン監督はこう述べる。
「私は、この国の状況を少しずつ変えようとしていた若き大統領に対するクーデターだっ たと捉えています」。
プロダクションノート
1991 年 12 月 20 日(日本公開:1992 年 3 月 21 日)、ワーナー・ブラザースは、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺を扱ったオリヴァー・ストーン監督の映画『JFK』(1991)を公開した。アメリカで最も影響力を持った政治家の一人、ジョン・F・ケネディ大統領の衝撃的な殺害、それにまつわる無数の論争や隠蔽工作について、ケビン・コスナー扮するルイジアナ州地方検事ジム・ギャリソンの視点から描いた作品である。同作品は、アカデミー賞の8部門にノミネートされ、2部門での受賞に輝いたオリヴァー・ストーン監督のキャリアで最も興行的成功を収めた映画の一本である。
1963 年 11 月 22 日、ケネディ大統領がオープンカーでダラス市内をパレード中に射殺された後、ウォーレン委員会は、ケネディの殺害はリー・ハーヴェイ・オズワルドによる単独の犯行だと結論づけた。そして、オズワルドは拘束されたわずか2日後にナイトクラブのオーナーであるジャック・ルビーによって射殺され、事態はさらに泥沼化した。長年に渡って、オリヴァー・ストーンの他、多くの人がケネディ暗殺の背後には、一人の男の存在だけでは片付けられない大きな力が潜んでいることを確信していた。
「全世界が見守る中の白昼に堂々とアメリカ大統領を殺害するなんて、一人の男が持つ力以上の大きな存在が働いているはずだ、と多くの人々がすぐに感じ取りました。CIA による”秘密工作”の戦略が示すように、裏舞台から実行に至るまでのすべてが説得力のある反証を持って巧妙に演出・隠蔽されています。事件以後、変貌を遂げたアメリカは、諜報機関と軍が、政府の国家安全保障や戦略といった巨費が絡む案件の舵取りを水面化で握ることになり、それ以来その方向性を変えることができた大統領は一人もいませんでした。どの大統領も、アメリカの軍国主義に大きな変化を及ぼすには限界があったのです」とストーンは語 った。
大統領が殺害される2年前、ケネディ大統領はキューバの指導者フィデル・カストロ政権転覆を狙い、前任のアイゼンハワー大統領が計画したピッグス湾侵攻作戦を許可して大失敗している。そしてその1年後、キューバ危機が発生し、アメリカ、キューバ、ソ連間の緊張はさらに高まった。
ケネディ大統領は、ソ連との冷戦が核戦争に発展しないよう、フルシチョフ大統領と慎重に外交を展開した。同じように、ケネディはベトナムから1万5千人の軍事顧問(※外国に派遣され、派遣先の軍隊の組織編成や訓練、戦闘指揮などに協力する軍事専門家)を撤退させた。さらに、凶弾に倒れる前月には国家安全保障行動計画 263 号を発行し、1963 年末までにベトナムから 1,000 人の軍事顧問を引き揚げ、激化する東南アジアの戦争から利益を享受しようとする者たちに損失をもたらした。
「ケネディは、第二次世界大戦の戦闘を経験した若者であり、新鮮な感覚で物事を捉えていました。アイゼンハワー大統領のようには考えず、また、彼以外の大統領たちがそうしてきたように、軍にへつらうこともしませんでした。だから彼は当選したのです。彼は人々に好まれ、人気がありました。そして(次の大統領選のある)1964 年に当選し、おそらくまたルーズベルトのように大統領の座を確保して、1968 年と 72 年には弟のロバートが彼に続くことになったでしょう。ケネディは実に多くのことをこなしましたが、それ以上のことはできませんでした。彼はキューバとのデタント(※緊張緩和)を模索し、ロシアと協力して最初の核実験禁止条約に調印しました。彼は NSAM263(※国家安全保障行動覚書 263 号)で、ベトナムから撤退するための最初の重要な段階を踏んでいました。ケネディによるベトナム、キューバ、南米、インドネシア、アフリカの反植民地政策は、事件の隠蔽に大きな影響を及ぼしたリンドン・ジョンソン(※事件当時は副大統領だったが暗殺により大統領に就任)によって直ちに覆されることになりました」
オリヴァー・ストーン監督が『JFK』を公開して以来、ケネディ大統領の死を巡って多くの新しい証拠が公開された。1992 年には、米国議会がジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法を可決。この法律は、すべての暗殺関連資料をアメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration ※以後略⇒NARA)に収容することを義務づけるものである。また、FBI、CIA、ウォーレン委員会や下院暗殺特別委員会から公開された数百万ページの旧機密記録を監督する独立機関として、暗殺記録再評価委員会(Assassination Records Review Board ※以後略⇒ARRB)が設立された。
1990 年代から 2000 年代初頭にかけて、JFK 暗殺事件の研究者たちによる民間のコミュニティが、事件の新展開について調査し、オンラインや年次会議で結果を共有した。オリヴァ ー・ストーン自身も何度か足を運び、写真専門家のロバート・グローデン、歴史研究家のジ ョン・M・ニューマン、法科学病理学者のシリル・ウェクト博士など、映画『JFK』でアドバイザーを務めた人々と連絡を取り続けた。また、ケネディ研究家のメアリー・フェレルや作家のジェームズ・W・ダグラスなどの関係者とも仕事をしている。
「JFK 研究者の多くは、人生の数十年間をかけて真相究明に取り組んでいます」とストーンは語っている。
JFK の死後 50 周年となった 2013 年、従順で順応主義的なメディアによって、ケネディの死は神聖化されてしまった。記念日特集を組んだネットワークニュースが、ウォーレン委員会の誤った調査結果を繰り返し伝えることにより、事件の新情報が無視され、真相はメモリーホール(※不都合な情報を消し去る穴)に追いやられてしまった。それについてオリヴァ ー・ストーンは不満を募らせていた。
「JFK 記録法も ARRB(暗殺記録再評価委員会)もなかったかのように扱われてしまいました」とストーンは振り返る。
JFK 暗殺 50 周年に、ストーンと彼の長年のドキュメンタリー・プロデューサーであるロブ・ウィルソンは、法科学病理学者のウェクト博士が毎年開催する JFK暗殺研究会議に参加し、当時調査を担当したマーク・レイン弁護士と再会。さらに、作家のジョザイア・トンプソン、ジョーン・メレン、ゲイリー・アギュラー博士のほか、本作の脚本を担当したジェームズ・ディユジニオのほか数名と面会する機会を得た。
ディユジニオは「ロブ(・ウィルソン)と私は 50 周年の会議で話をしました。その後、私の出版社は、私の著書(「JFK Assassination: The Evidence Today」)のためにオリヴァーに紹介文を書いてもらえないかと依頼しました。これをきっかけにオリヴァーと私は、ARRB (暗殺記録再評価委員会)から発表された新たな証拠について議論を交わし始めたのです」と語る。
「1994 年当時、わずかな前進になったとはいえ、私には ARRB(暗殺記録再評価委員会)が真相を解明できる教授の集まりだとは思えませんでした。映画の公開を受けた世間からの圧力を和らげる目的で議会が設置した学術的な委員会に過ぎなかったのです。彼らは機密指定を解除する権限しか持っておらず、調査する権限は持っていませんでした。確かにそれに異を唱えた議員も数名いましたが、アメリカの調査委員会は、下っ端に責任をなすりつける以外に、具体的な成果を出したことはほとんどありません」 とストーンは語っている。
暗殺から 54 年後の 2017 年 10 月、ドナルド・トランプ大統領は、残されている JFK のファイルをすべて機密解除する予定を発表したが、再び直前の数時間前に”国家安全保障”を理由に撤回し、情報機関からの圧力によるファイルの一部しか公開しなかった。
この後、50 周年時の互いのフラストレーションを糧に、ロブ・ウィルソンはオリヴァー・ストーンに、今度は JFK 事件についてのドキュメンタリー作品を再び制作するアイデアを持ちかけた。
「ロブ・ウィルソンがいなかったら、私はこの作品制作を進めることはなかったでしょう」とストーンは振り返る。「彼は私に『オリヴァー、これをドキュメンタリー作品として作るべきだ。人々はそれを知る必要がある。さもなければ、この事件に関する誤った情報が広がり続けるだけだ』と言ったのです」
そうして誕生したのが、『JFK/新証言 知られざる陰謀』だったのだ。
オリヴァー・ストーン
Oliver Stone
監督・出演
1946年9 月15 日生まれ、ニューヨーク出身。イェール大学を1 年で退学後、ベトナム戦争で兵役に就く。退役後、ニューヨーク大学でマーティン・スコセッシに師事。ホラー映画『邪悪の女王』(1974/ 日本劇場未公開)で監督デビューを果たす。その後、アカデミー脚色賞を受賞した『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)、『コナン・ザ・グレート』」(1982)、『スカーフェイス』(1983)などで脚本家として頭角を現す。ベトナム戦争に従軍した実体験を題材にした監督作『プラトーン』(1986)は世界的な大ヒットを記録しアカデミー作品賞・監督賞を受賞。監督としても才能を開花させ、以後『ウォール街』(1987)、『7 月4 日に生まれて』(1989)、そして本作のオリジナル作品である『JFK 』(1991)ではアカデミー賞8 部門にノミネートされ2 部門(撮影賞・編集賞)を受賞。その後も『天と地』(1993)、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)などの社会派かつ問題提起する作品を監督し、世界的な名声と地位を築く。その後も精力的に活動し、監督だけでなくプロデューサーやドキュメンタリー番組の監督も手掛け、『ワールド・トレード・センター』(2006)、『ブッシュ』(2008)、『ウォール・ストリート』(2010)、『スノーデン』(2016)といった話題作を発表し続けている。ちなみに、歴代で最も好きな大統領はもちろんジョン・F・ケネディである。
イントロダクション&ストーリー
JFKーー。この3つのアルファベットが何を意味するのか。多くの人が知っている。 アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・F・ケネディ。東西冷戦のさなか、選挙で選ばれた大統領としては史上最も若い43歳で就任。国民の期待を一身に担う存在となった。歴代大統領の中で最も知名度が高いと言われ、ニューヨークの国際空港にはその中が冠されている。しかし在任期間は1036日で、現職のバイデンを除くと歴代7番目の短さである。1961年1月に大統領に就任し、その2年10ヶ月後、ダラスで命を奪われてしまったからだ。 アメリカ大統領はそれ以前にも、第16代のリンカーン、第20代のガーフィールド、第25代のマッキンリーが在任期間中に暗殺されている。また、第40代のレーガン大統領の暗殺未遂事件も起こった。アメリカ大統領の命が狙われるのは、ひとつの“宿命”かもしれない。こうした暗殺事件の中で、現在に至るまで、時を超えてセンセーショナルな注目を集め続けるのが、ケネディ=JFKのケースだ。 1963年11月22日、オープンカーでダラス市内をパレードするケネディ大統領の頭部を銃弾が貫いた。沿道のビルから狙撃したのは、元海兵隊員のリー・ハーヴェイ・オズワルドとされ、彼は拘束される。しかしわずか2日後、移送中のオズワルドを、ナイトクラブのオーナー、ジャック・ルビーが射殺。容疑者は「死人に口なし」となり、大統領暗殺の完全なる真相は闇に葬られることになった……。 世界の歴史でも最大の「ミステリー」のひとつ、ケネディ暗殺事件。その後、数々の謎、陰謀論が都市伝説的に広がり続け、28年後の1991年、事件の謎にまっすぐに向き合った映画が完成する。オリヴァー・ストーン監督の『JFK』だ。
2023年の今、このタイミングで観るべき意義
撮影監督を務めたのは、ストーン監督の『JFK』など3度のアカデミー賞撮影賞に輝いたロバート・リチャードソン。またナレーションを、ハリウッドを代表する名優のウーピー・ゴールドバーグ、ドナルド・サザーランドが担当。サザーランドは『JFK』のクライマックスの重要なシーンで、主人公ジム・ギャリソンにケネディ暗殺の真相を“匂わせる”X大佐(ミスターX)を演じており、最高のキャスティングとなった。 日本でも2022年、安倍晋三元首相が殺害される事件が起こり、さらに翌年、未遂ながら現職の岸田文雄首相の命も狙われ、改めてケネディ暗殺事件からの地続きを感じている人も多いはず。またここ数年、世界を揺るがす大事件から、有名人のスキャンダルに至るまで、メディアが伝える情報が本当に正しいのか、忖度や陰謀で事実が隠されているのではないか……という不安も増大している。このような社会状況において、新たな証拠から真実を炙り出そうとする『JFK/新証言 知られざる陰謀』は、まさに“今こそ観るべき”一本だろう。 世界を震撼させた暗殺事件から60年を経て、20世紀最大のミステリーがどのような結末を示すのか。あるいは、さらに疑惑の闇は広がっていくのかーー。 真実を見極める役割は、われわれ一人一人に託される。
アメリカ近代史 年表
1939 第二次世界大戦(WWⅡ)勃発
1941 日本軍が真珠湾を攻撃、太平洋戦争が勃発
1942 原爆開発を目指すマンハッタン計画開始
1944 ノルマンディー上陸作戦
1945 ローズベルト大統領死去
ハリー・トルーマン、第 33 代大統領に就任
ポツダム会談、日本に原爆投下、日本無条件降伏により終戦
1947 冷戦(米ソの対立)激化
1949 北大西洋条約機構(NATO) 成立、
共和党のマッカーシー上院議員によって主導された国内の共産党員、
およびそのシンパを公職から追放する政治活動「赤狩り(共産主義者)」が激化 1950 年代-60 年代 公民権運動(人種差別に対する社会運動)が起こる
1950 アメリカが朝鮮戦争に介入
1951 トルーマン大統領、連合国軍最高司令官(GHQ)マッカーサー元帥を解任
1953 ドワイト・アイゼンハワー、 第 34 代大統領に就任
1954 アメリカ合衆国最高裁判所、 公立学校における人種差別に違憲判決
1955 ローザ・パークス事件(モンゴメリー・バス・ボイコット運動)
1958 アメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1 号」打ち上げ成功 1960 大統領候補のニクソンとケネディ、 大統領選初のテレビ討論 1961 ジョン・F・ケネディ、 第 35 代大統領に就任
ピッグス湾事件(※)によるキューバ侵攻失敗
【ピッグス湾事件】
1961 年 4 月、米国がカストロ政権の転覆を狙ってキューバに侵攻した事件(第一次キューバ危機とも称される) CIA の支援を受けた亡命キューバ人部隊が、本島南岸のコチーノス湾に上陸したが、3 日間の戦闘の末、キューバ軍に撃退され失敗に終わ った作戦。キューバ革命後、カストロ政権は東側諸国との連携を強め、社会主義的な改革を推進。産業を国有化し、米系企業の資産を接収したことから、米国は 1960 年1 月、キューバとの国交を断絶。侵攻作戦はアイゼンハワー政権下で計画され、ケネディ政権下で実行された。事件後、カストロは、キューバ革命が社会主義革命であったと宣言。ソ連との友好関係を深める中、1962 年、同国への核ミサイル配備をめぐ って米ソが対立する(第二次)キューバ危機が起きた。
1962 アポロ計画の人間衛星船打ち上げ成功
キューバ危機(※)回避される
【キューバ危機】
1962 年 10 月、当時のソ連がキューバに攻撃用のミサイルを設置したため生じた事件(第二次キューバ危機とも称される) ミサイルの搬入阻止をめぐって米ソ両国が対決寸前となり、世界中を核戦争瀬戸際の恐怖に陥れた。当時、アメリカのキューバに対する敵視政策はエスカレートしており、62 年 1 月には米州機構がキューバを除名するなどキューバ封じ込めが進んでいた。一方、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送った。そんな中、10 月 16 日にアメリカは偵察飛行で核ミサイル基地の建設を発見、直ちにキューバを海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を迫った。米ソ両国は一触即発の危険な状態に陥ったが、当時のケネディ大統領とフルシチョフ第一書記とで書簡をやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。また、これを機に米ソ間でホットラインの開設がなされ、不測の事態による軍事衝突を防ぐための対策が取られた。
1963 8月、人種差別撤廃を求める運動の一環として“ワシントン大行進”の最中に、キング牧師の「I Have a Dream(私には夢がある)」 演説が行われる。
11 月 22 日、ケネディ大統領暗殺事件(※)
【ケネディ大統領暗殺事件】
11 月 22 日(金) 現地時間 12 時 30 分、テキサス州を遊説中の現職の第 35 代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディがダラス市内をパレード中に銃撃され、死亡した暗殺事件。エアフォースワン(大統領専用機)機内でアメリカ合衆国大統領の就任宣誓を行いリンドン・ジョンソン副大統領が、第 36 代大統領に就任(昇格)
1964 公民權法成立
1965 ベトナム戦争に本格的軍事介入
1967 ワシントンでベトナム反戦集会、サンフランシスコで「サマー・オブ・ラブ」起こる 1968 キング牧師暗殺
ジョン・F・ケネディの弟で、アメリカ合衆国上院議員ロバート・ケネディ暗殺
1969 リチャード・ニクソン、第 37 代大統領に就任
「ウッドストック・フェスティバル(野外コンサート)」開催
宇宙船アポロ 11 号月面着陸 人類がはじめて月面に立つ
1972 ウォーターゲート事件起こる
1973 ベトナム和平協定締結。 アメリカ軍撤退
1974 ウォーターゲート事件でニクソン大統領辞任
ジェラルド・フォード、 第 38 代大統領に就任
1975 ビル・ゲイツとポール・アレンがマイクロソフトを設立
1977 ジミー・カーター、第 39 代大統領に就任
スティーブ・ジョブズ等がアップルコンピューター社設立
1979 米中国交樹立
スリーマイル島原発事故
1981 ロナルド・レーガン、第 40 代大統領に就任
レーガン大統領撃たれる
1983 レーガン大統領、スターウォーズ政策発表
1986 スペースシャトル「チャレンジャー号」 打ち上げ直後に爆発
1989 ジョージ H・W・ブッシュ、 第 41 代大統領に就任
マルタ島で米ソ首脳による冷戦終結宣言
1990 米ソ大統領が戦略兵器削減交渉 (START) 条約の基本合意声明を発表
1991 対イラク湾岸戦争(1 月~4 月)
1993 ビル・クリントン、 第 42 代大統領に就任
1995 ベトナムと国交回復
1998 クリントン大統領不倫疑惑
1999 コロンバイン高校銃乱射事件
2000 IT バブル崩壊
2001 ジョージ・W・ブッシュ、第 43 代大統領に就任
同時多発テロ事件(9.11 テロ事件)で世界貿易センタービル崩壊
アメリカを中心とする有志連合国がアフガニスタンに侵攻
『JFK/新証言 知られざる陰謀【劇場版】』予告編
公式サイト
2023年11月17日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、アップリンク京都、ほか全国順次ロードショー
監督:オリヴァー・ストーン(『JFK』『プラトーン』『7月4日に生まれて』)
出演:オリヴァー・ストーン
ナレーション:ウーピー・ゴールドバーグ、ドナルド・サザーランド
2021年/アメリカ/118 分/カラー/1.77 16x9/5.1ch/英語/G
原題:JFK Revisited: Through the Looking Glass/字幕翻訳:加藤亜弓
配給:STAR CHANNEL MOVIES
©2021 Camelot Productions, Inc. All rights reserved.
Photo: John F. Kennedy Presidential Library, National Archives