『鯨の骨』ARアプリ「ミミ」の中で、死んだ女子高生と瓜二つの少女が現れる
『鯨の骨』は、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』で濱口監督と共同で脚本を担当し、米アカデミー賞の脚色賞にノミネートされた大江崇允監督が10年近く前に企画したという作品。
大江監督と共同脚本の菊池開人による当時のアイデアは、日本初のARアプリ「セカイカメラ」の体験からだという。セカイカメラは2014年にサービスを終了したが、AR自体は、今年Apple初のARデバイス「Apple Vision Pro」が発表されるなど更に進歩している。大江監督らのアイデアは時代を先行していた。
『鯨の骨』で描かれるARアプリ「ミミ」とは、位置情報を元としてスマホカメラ画面で撮影した自分の動画を撮影場所に残せるサービス。また、ミミを起動することで、その場所に残された動画を再生することができる。映画の冒頭、主人公の間宮は、マッチングアプリで唯一返信をくれた女子高生と会うが、女子高生は間宮のアパートで自殺してしまう。うろたえて山中に埋めようとするも、気がつけば死体は消えていた。間宮はARアプリ「ミミ」の中で、死んだ女子高生と瓜二つの少女“明日香”を発見する。彼女は死んだはずの少女と同一人物なのか? 幽霊を可視化する装置がARアプリ「ミミ」なのか。
落合モトキが間宮役、ミュージシャンのあのが明日香役でそれぞれ主演を務めた本作『鯨の骨』は、夢と現実という普遍的なテーマが、テクノロジーによってどちらも現実となった現代を描いた作品だ。
大江崇允 監督インタビュー
――大江監督は、もともと演劇をやられていたわけですが、先に映像の先に興味を持たれていたんですよね。
単純にテレビドラマとかが好きなだけで、映画をめちゃくちゃ観ていたという感じではなかったんです。大学にはぜんぜん違う学部で入学して、でも映像をやりたい気持ちはあって、それで「映像もありますよ」みたいなことが書かれていた演劇専攻に転部したんですけど、映像なんてどこにもなかったっていう(笑)。一応、編集とかはできたりしたんですけど、大した授業はなくて、そこで演劇をやり始めたというのが経緯です。
――その頃から脚本を書くように?
いや、全然書いてなかったです。自分でやる公演を自分で書いて演出はしたことありましたけど、基本的には演出に一番興味があって。まあ縁ですよね。もともと本を読むような子供ではなくて、今でも文字を読むのがあんまり得意じゃない。だから、まさか脚本でお仕事いただけるなんて思ったこともなかったです。
――それが巡り巡ってカンヌで受賞したりアカデミー賞に絡む脚本家になってしまった?
本当に出会いですね(笑)。山本晃久プロデューサーが「書いてみませんか、書けるんじゃないですか」って言ってくれて。最初は深夜ドラマの脚本をやって、『ドライブ・マイ・カー』も含めて映画脚本もやらせてもらって。だから今でも自分が脚本家という自覚はほとんどありません。
――『鯨の骨』のような自分で監督する作品の脚本と、人のために書く脚本で住み分けはあるんでしょうか?
それはあると思います。手を抜いてるとかそういう意味じゃなくて、やっぱり自分で監督するオリジナル脚本は自分で監督することを想定して書いている。たぶん僕が監督した作品って全部、脚本を読んだだけではよくわかんないと思うんですよ(笑)。
自分の監督作は、まず前提としてその作品で表現したいものがあります。そして脚本は映画の出来上がりみたいなものから逆算して演出含めて画を文字化する作業だと思っていて、なので脚本を書いてるという印象ではないんです。『適切な距離』や『鯨の骨』のスタッフは、完成したものを観て初めて「ああ、こんな感じだったんだ」みたいなリアクションでした。
――なにか作風のお手本になったり、影響を受けたものはありますか?
なんなんですかね、教えてほしいんです……。自分で最近思ったのは、バカっていうか天然っていうか、ちょっと抜けてるのかもしれないなって(笑)。
話は飛躍しますが、演劇をやってる時は、例えばなんで演劇って客席まで舞台美術を作らないんだろう、別に作ったらいいやんとか、観客が観に来てくれて帰っていくにあたって、どうすれば演劇ならではの体験をしていただけるのか、みたいなことはよく考えていました。映画でもそれに近い感覚があって、映画だからこそできる表現というのは入り口として常にあります。特に今回の『鯨の骨』に関しては、映像でしかできないことについて一番考えたかもしれないです。
――『鯨の骨』にはスリラーというかミステリーというか、ジャンル映画っぽい趣きもありますね。
この映画自体は『適切な距離』を撮った直後、10年近く前に企画したものだったんです。ちょうどジャンルものに興味を持っていた時期に着手した、というのはあったと思います。ホラーの「ほんとうにあった怖い話」とか、Vシネ系は何本かやったんですけど。『鯨の骨』は何度もジャンルスイッチするというか、音楽で言えば転調を繰り返しつつ結末へ向かうイメージで構成しました。
――そもそもの着想の元は何だったんでしょう?
AR(拡張現実)ですね。当時セカイカメラっていうARのアプリがあって、一緒に脚本を書いている菊池(開人)が、セカイカメラって面白いねって言い出したんです。僕は、彼はすごく天才的な発想をすると思ってるんですけど、「スマホをかざすと(ARが)見えるのって面白くない?」ってところから、最初の明日香の死体が消えちゃうところまでをバーっと話しだしたんです。それがそのまま映画になる、冒頭としてつかみもあるって思ったところから始まってます。ARは幽霊を可視化させる装置で、とても映画的に思えました。
ただやっぱり、当時は「わかんない」って言われたんですよね。僕は極力ガジェット的な話にはしないようにはしてたんですけど、でも本当に分かってもらえなくて。「ポケモンGO」が世に出て初めて、企画書を読んでくれた人がリアクションしてくれるようになりました。そういう意味じゃ10年経って今やるべきものになったのかな。それも縁ですね。
――『美しい術』や『適切な距離』も、世間に身の置き所が見つけられない主人公がいて、他者とのコミュニケーションを媒介する不思議なものが出てくる。『適切な距離』では日記であったり、『美しい術』では綿棒をさした植木鉢であったりして、今回はそれがARアプリなんですけれど、監督の中でつながってるテーマがあるんでしょうか?
まさにおっしゃるとおりで、個人的にコミュニケーションへの興味が強くあって、そこに対しての話を作っています。これは大きい声で言うつもりはないんですけど、今回はちょっと『適切な距離』の続編的なイメージで作ってはいて、まさに雄司というキャラクターの10年後として内村遥にも出てもらいました。色濃く続編ではないのかもしれないですけど、コンセプトとしてはかなり引き継いでいる気はしています。
『適切な距離』は、日記を介してお互い嘘を重ねながら、どこかで本心を語り合った気がしてしまう親子の話で、劇中の日記はSNSだと思っていました。SNSっていうか、つぶやきだったり日記だったり、今までは自分の中にだけ書き留めていたものが人に見せるものを前提として出始めた頃で。そうなるとそこに書かれる内容も変わってくるよねっていうことは思っていたんです。
当時インターネットは人をダメにするとか一部で否定されてたんですけど、僕は新しいコミュニケーションになる可能性があるんじゃないかと。今回もその延長な気がしていて、新しいツールを通してコミュニケーションの形態に広がりが出たり、今までありえなかったものがコミュニケーションに取り込まれてしまう現象はきっとある。そうすることで生きやすくなるのか生きづらくなるのかわからないけど、現状で生きにくい人たちがそれを拠り所にするっていうのはありえるよな、みたいに考えていました。
――新しいものを否定するより、可能性を信じている、ということですか?
極論を言うと、僕は人間って絶対今より明日の方が良くなっていたいと願って生きてると思っていて、新しく出てくる技術からは、将来的にあったらいいなって夢想したものが生まれてくると基本的には感じているんです。それを今の観点から消してしまうのはすごくもったいない。検証して本当に価値のないものなら、なくなっていいんですけど。
今回でいうと、ARなのかXR(クロスリアリティ)なのか、そんな言葉すらもうアレかもしれないですけど、AIに取り込まれてしまう時代だと思うんですけど。でもAIみたいなものって大きな可能性があって、僕はそれに期待してるし、人間に期待したいと思ってるんですよね。
――『適切な距離』の日記も今回の「ミミ」も、本来与えられていた用途ではない、新しい使い方を人間が発見していくという点で共通していますよね。
だから人間って面白いんですよね。うまく言えないんですけど、将棋が分かりやすい例で。AIが登場したことによって、人間の将棋の能力も拡張された。人間にはそういうものを取り込む想像力がきっとあると思ってて、その上よくも悪くもロジカルじゃないっていうか。なにか色々な物をグチャっと壺に入れて混ぜたら別のものができた、みたいな、僕はそういう黒魔術みたいな感じがすごく好きです。
あと僕は、ある意味主人公の間宮はこの世界に対してものすごく真面目に付き合った人だという気がしているんです。真面目に付き合えば付き合うほど今の世界って混乱する。例えばSNSに参加するのって、加害者であり被害者である、傍観者でもあるという、3つがそろった状態だと思っていて、間宮を演じる落合さんには全ての瞬間でその3つの状態を同時に表現して欲しいとお願いしました。
一番難しい芝居だったのですが、彼が淡々とこなして下さったから映画が成立しました。この映画は落合さんありきだと思います。そんな挑戦にお付き合い下さった彼に感謝しています。
――明日香役をキャスティングする際に、あのさん自身が役と重なる可能性は意識していましたか?
それは、彼女にお会いした時に感じましたね。やっぱり誰でもできるわけじゃないんだなって。明日香の場合は、演じたあのさんご自身が置かれている状況がどこか重なったり。もちろん全部じゃないと思いますけど、役の中にそういう状況はあるのかなと思ったんです。映画の中の明日香がああいう風なものになったのは、あのさんの個性ゆえのような気がしますね。
それは凛っていうキャラクターもそうなんですけど、彼女たちの状況って、理解できない人は理解できないというか。例えばシナリオを読んで、明日香が何で自殺したのかわからないと思う俳優はきっといる。でもあのさんだと、彼女の体だけで感覚的にわかる感じで、あまり過度に観客に説明せずとも表現してくれる部分もあって、本当に彼女で良かったなと思います。
――あのさんのセリフ回しや間の取り方がとても自然だと思ったんですが、台本を読むと一言一句同じセリフが書かれていたりして、つまりアドリブで本能的に演技をしてるわけじゃないんですよね?
もう本当にその通りです。あれは技術です。ホントにすごいと思いますし、演出のかけがいがあるといいますか。例えばもうちょっと間を空けてほしいとか、もう少し音を落として低い音出してくれとか、そういう指示も意図を瞬時に理解してやってくれる。もっと演技してほしいし、 舞台の演出家としては 舞台にも出てほしいぐらいで(笑)。
演技が上手い人の条件っていくつかあると思うんですけど、あのさんは抜群に体が整ってるというか、運動神経がいい。演技する上で、必ずしもマストではないけれど、運動神経って結構大きなアドバンテージだったりする。なおかつ頭がいいというか、人間に対する捉え方、感受性が飛び抜けているので、ああいう演技ができたんだと思いました。
その他、宇野さんや大西さんのお芝居にも本当に助けられました。宇野さんは急遽現場でワンシーンワンカットになった場面があったんです。間宮の家のシーンなのですが、宇野さんがカットを割らなくても良いように全てが画面に映るよう表現して下さって、おかげで想像を超える素晴らしい落合さんとの掛け合いが撮影できました。
大西さんには幻影と現実の中間に位置する難しい役柄を演じて頂きました。細かい演出が多く、一つの台詞に何度もテイクを重ねて頂けてありがたかったです。彼女のお芝居はずっと見ていたくなります。
――『鯨の骨』というタイトルは、「ミミ」や明日香にハマる人たちが、何か光るものに群がって食い尽くしてしまうことにもなぞらえていますよね。なにかに依存してダメにしてしまう人間の性質を描くことと、新しい技術にポジティブな可能性を見出すことのバランスはどう取ってるんでしょうか。
基本的に、どちらかの側面だけっていうのは好きではないんです。ものごとには捉え方によって必ず2つ以上の側面があると思っていて、彼らは「ミミ」を時間つぶしにはしてるんですけど、その時間つぶしがあるから今日も明日も生きていける。二面性だったり多面性は、常に映画の中に残さなければいけないような気がしていて、自分の興味もきっとそこにある。それがおのずと作品に出てくるんだと思ってます。
とはいえ、どんな人が映画や、すべての芸術を作るんだって考えたときに、やっぱりどこか否定的じゃない人だと思うんです。僕は表現って、世界を肯定するための方法だと信じていて、最終的にバッドエンドだったとしても、それはどこか人間に対して肯定したいっていう願望が裏返ってるんだって感じることが多いんです。
今回の映画も、物語を抽象化して答えを観客に委ねて終わりたくないっていうか、ちゃんと「2人はまた出会えました」というお話にしないといけないという責務は感じていました。抽象的な映画であればあるほど、結末はきっちりとしたものにしたい。映画が娯楽であることも放棄せず、いいバランスで余白を残すっていうのが、僕の一番の理想なのかもしれません。
大江崇允
監督・脚本
1981年、大阪府出身。映画作家。
近畿大学で演劇を専攻し、大橋氏よりフランスの演技システムであるルコック・システムを学び、卒業後も演出や俳優として舞台作品に携わる。その後、映画制作を始め、監督・脚本として活動。監督・脚本映画に『美しい術』(09)、『適切な距離』(11)がある。ドラマでは演出『君は放課後、宙を飛ぶ』(18/TBSサービス・東映)、『すべて忘れてしまうから』(22/Disney+)、脚本では『恋のツキ』(18/TX)、『ガンニバル』(22/Disney+)など。映画『ドライブ・マイ・カー』では共同脚本を手掛け、濱口竜介監督と共に、カンヌ国際映画祭や日本アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞などで脚本賞を受賞。監督・脚本の新作映画『鯨の骨』(23)が2023年10月13日より劇場公開。
ストーリー
結婚間近だった恋人と破局した不眠症の間宮は、マッチングアプリで唯一返信をくれた女子高生と会うが、女子高生は間宮のアパートで自殺してしまう。うろたえて山中に埋めようとするも、気がつけば死体は消えていた。 間宮はAR アプリ「ミミ」の中で、死んだ女子高生と瓜二つの少女“明日香”を発見する。彼女の痕跡を追いかけるうちに、現実と幻想の境界が曖昧になっていく間宮。いったい“明日香”とは何者なのか?彼女は死んだはずの少女と同一人物なのか?
結婚式を間近に控えたサラリーマンの間宮(落合モトキ)は、ある日突然、婚約者の由香理(大西礼芳)から浮気しているとカミングアウトされて破局してしまう。なかば自暴自棄になった間宮は、職場の後輩の松山雄司(内村遥)から教わったマッチングアプリに登録。唯一返信をくれた若い女性(あの)と喫茶店で待ち合わせる。
車で自宅のマンションに向かいながら、間宮は相手がまだ女子高生であることに気づく。一瞬躊躇するも、どこか挑発的な少女の誘いについ乗ってしまう。しかし先にシャワーを浴びている間に、少女は大量の薬を飲んで自殺してしまっていた。死体の傍らには、「さようなら 冷めないうちにどうぞw」と書かれたメモが置かれていた。
慌てて救急に連絡するも、うまく説明できずに電話を切ってしまう間宮。うろたえながらも証拠隠滅をはかり、死体を山中に運んで埋めようとするが、穴を掘っているうちに、車のトランクに入れていたはずの死体は消えてしまっていた。
途方に暮れつつ自宅に戻ると、部屋には少女のカバンが残されていた。開けてみると、予備校の教材やナイフが入っていたが、少女の身元がわかるようなものは何も見つからない。
間宮は罪の意識と死んだ少女の幻影に怯えるようになり、仕事にも身が入らなくなってしまう。ある夜、近所の公園でひとり缶コーヒーを飲んでいたら、ネットアイドルの凛(横田真悠)と彼女のファンたちに話しかけられる。彼女たちは「王様の耳はロバの耳(通称ミミ)」というARアプリにハマっているという。誰かが「ミミ」を使って映像を投稿すると、ユーザーはその映像を撮影された場所でだけ再生できる。凛たちは「ミミ」に投稿するための映像を撮っていたのだ。
凛から「ミミ」ユーザーたちのカリスマ、“明日香”の存在を知った間宮は、その姿を見て驚く。自宅のマンションで自殺した少女と瓜二つだったのだ。“明日香”は、街のあちこちで自分の映像を投稿しており、“謎の美少女”として熱狂的なファンを得ていた。ファンたちは街を徘徊しながら、“明日香”の痕跡を見つけることに夢中になっていた。
間宮は、消えた“明日香”の行方を知ろうと、新しく投稿された映像を探し始める。そんな間宮を、“明日香”のファンたちは“新規さん”と呼んで歓迎する。しかし“明日香”の投稿は間宮と会った日を最後に途絶えてしまっていた。間宮は“明日香”が投稿した映像を探しながら、ときに寂しく、ときに優しく、場所ごとにガラリと印象を変える“明日香”に魅了されていく。
“明日香”の痕跡を追いかけるうちに、現実と幻想の境界が曖昧になっていく間宮。いったい“明日香”とは何者か? 彼女は死んだ少女と同一人物なのか? そして本当に存在するのだろうか?
『鯨の骨』予告編
公式サイト
2023年10月13日(金) シネマート新宿、渋谷シネクイント、アップリンク京都、ほか全国順次ロードショー
Cast
落合モトキ あの
横田真悠 大西礼芳
内村遥 松澤匠 猪股俊明 / 宇野祥平
Staff
監督:大江崇允
脚本:菊池開人 大江崇允
音楽:渡邊琢磨
製作幹事:カルチュア・エンタテインメント
制作プロダクション:C&I エンタテインメント
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
Ⓒ2023『鯨の骨』製作委員会