『リバイバル69  〜伝説のロックフェス〜』当時のバンドファンはもとより20代必見の映画! フェスのプロモーターは22歳の若者だった!

『リバイバル69 〜伝説のロックフェス〜』当時のバンドファンはもとより20代必見の映画! フェスのプロモーターは22歳の若者だった!

2023-10-03 23:06:00

『リバイバル69  〜伝説のロックフェス〜』この作品の主役は、当時22歳だったカナダ・トロントのプロモーター、ジョン・ブラウワーだ。彼がカナダ版ウッドストックと言われる伝説的フェスをいかに成し遂げたかの物語だ。

ジョンは、チャック・ベリー(当時42歳)、リトル・リチャーズ(当時37歳)などロックロールのレジェンドだけを集めたコンサートを企画するが集客が芳しくなく思案した。そこで、彼らに影響を受けたロック・ミュージシャンを集め、まずとトリに当時人気絶頂のドアーズに交渉する。ボーカルのジム・モリスンは当時26歳。それでもチケットの売れ行きは芳しくなかった。そこで、ビートルズのメンバーだったジョン・レノン(当時29歳)にコンタクトをし、オノ・ヨーコ(当時36歳)と結成した新しいバンド「プラスティック・オノ・バンド」の初めてのライブを行うことを約束させる。バンドのメンバーにはエリック・クラプトン(当時24歳)が参加した。

レジェンドのアーティストが40代、当時のロックスターが20代、そしてプロモーターも22歳という若さ!

リバイバルブーム、レストア作品ブームで、出演アーティストを懐かしんで鑑賞する人も多いだろうが、この作品は「若いということは素晴らしい! それだけで何かを変える力がある」ということを証明している。

時は、ベトナム戦争の時代、ジョンとヨーコはステージから平和を訴えた。
ビートルズは、このライブの後正式に解散が発表された。
今、20代の若者こそ、現状に閉塞感を感じているなら、それを突き破るヒントを得ることのできる必見の映画だろう。

「音楽だけのために事業をたちあげたんだ、主役はあくまで音楽で、ビジネスじゃない。目的は昼飯を食い、普通じゃない仕事に就くこと」というジョン・ブラウワー。

若くして何かやりたいことがあるのなら、「音楽」を「映画」「アート」「パフォーマンス」「ファッション」「カフェ」などやりたいことに入れ替えて映画を見れば、必要なのは、情熱と行動だということがわかる映画だ。

 

ロン・チャップマン 監督

国際的な受賞歴を持つドキュメンタリー映画監督で、トロントを拠点に活動。ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせた後、アーティスト・マネージャー、レコード・プロデューサー、クラブ・オーナーそしてコンサート・プロモーターとして活躍。その後、自身の映画制作会社や広告代理店を立ち上げ、国際的ブランドのCM制作や監督をするようになる。世界のトップ・アーティストたちが絶大な信頼を寄せる音楽業界のカリスマ・プロモーターを追った『アーサー・フォーゲル ~ショービズ界の帝王~』(13)、カルロス・バレラと交流のあったベニチオ・デル・トロやジャクソン・ブラウンを追った『The Poet of Havana(原題)』(15)、キューバのトップミュージシャンを掘り下げた『The Forbidden Shore(原題)』(16)などを手掛けている。

ジョン・ブラウワー

ライターであり、ロック・フェスティバルのPop 69 (Newport 69 Pop Festival)やトロント・ロックンロール・リバイバルのプロモーター。高校時代に当時人気のあったバンドThe Diplomats に所属。彼が初期に手がけたコンサートは、ロック・プロモーションがトロントの最大の輸出サービスとなる道を開拓。トロントにメジャーのロックアーティストを毎週カナダに呼び寄せることに成功した最初の人物である。1969年6月に開催された彼の最初のポップ・フェスティバルは、ウッドストックに数ヶ月先行して行われた。その他、カナダのウッドストックと言われるThe Strawberry Fields Festival、80年代を切り開いたニュー・ウェーブ音楽の画期的な転換点となったThe Heatwave Festivalなどを手掛けた。現在、音楽ビジネスにおいて個人的な経験を基にした映画やテレビ作品の制作を行っている。

 

ストーリー

ウッドストックと並び称される、
ロック史を大転換させた伝説の音楽フェスティバル

ロックンロールの復活を謳った奇跡の音楽フェスティバル「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」。紆余曲折の末、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジーン・ヴィンセント、ジェリー・リー・ルイス、ボ・ディドリーらロックの創始者だけでなく、シカゴ、ドアーズといった当時大人気の大物や無名時代のアリス・クーパー、さらにはエリック・クラプトンらを率いたジョン・レノンまでもが急遽参戦し、新旧のロック・スターたちによる圧巻のパフォーマンスが繰り広げられた。今や「ウッドストック」とも並び称されるが、その成立をめぐってはドタバタ劇を通り越してもはやカオスだった。トラブルに次ぐトラブルを奇跡的に解決していく過程は、もはや漫画。関係者の口から明かされるウソのような本当の話とは!?未公開のバックステージやコンサート映像とともに当事者たちが初めて語る、半世紀ぶりに届けられた必見の「お宝映像&エピソード」。ロック史を大転換させた、情熱と偶然、危機と奇跡が織りなす笑いと涙の舞台裏が今、ついに明かされる!

音楽フェスティバル「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」

1969年9月13日(土)、カナダのトロント大学構内にあるヴァーシティ・スタジアムで開催された12時間に及ぶ音楽フェスティバル。主催者は、ジョン・ブラウワーとケン・ウォーカー。聴衆は2万~2万5千人を数えたという。公演の大トリはドアーズ。後年、フェスの一部模様をD.A.ペネベイカー自身が56分にまとめた短篇記録映画『スウィート・トロント』(1971)が製作されたほか、チャック・ベリー、シカゴ、ボ・ディドリー、アリス・クーパー、プラスティック・オノ・バンドらのフェス音源をまとめた音楽アルバムも個々に発売された。



映画に登場するフェス出演者 (出演順)

・キム・フォーリー(MC)
・シカゴ(当時のバンド名はシカゴ・トランジット・オーソリティ)
・ボ・ディドリー 
・ジェリー・リー・ルイス 
・チャック・ベリー
・ジーン・ヴィンセント
・アリス・クーパー 
・リトル・リチャード 
・プラスティック・オノ・バンド
(ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト、エリック・クラプトン)
・ドアーズ (歌唱シーンなし)
※映画には登場しないが、その他に、ニュークリアス、ミルクウッド、ダグ・カーショウ、トニー・ジョー・ホワイト、ウィスキー・ハウル、キャットマザー&ザ・オールナイト・ニュースボーイズ、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ、スクリーミング・ロード・サッチが出演していた。

キム・フォーリー(MC)
1939年生まれ、米・ロサンゼルス出身のプロデューサー、シンガーソングライター、ミュージシャン。60年代から70年代にかけてジーン・ヴィンセント、キッス、アリス・クーパー、レオン・ラッセル、ジョナサン・リッチマン、ザ・モダン・ラヴァーズらのプロデュースや共同作曲を行った。全米第1位「Alley Oop」他のヒット曲、フランク・ザッパとの交友、バーズやビーチ・ボーイズへの曲提供、そして米ガールズバンド「ランナウェイズ」のプロデューサーを務めた。ジョン・レノンをステージに迎えるにあたって、キムはライターやマッチを灯すように観客に呼び掛け、ロック・コンサートでのこうしたことの初の事例となったことでも知られている。

シカゴ(シカゴ・トランジット・オーソリティ)
1967年にロバート・ラムらによって結成されたビッグ・シングを前身とし、翌年にはシカゴ・トランジット・オーソリティに改名し、69年に2枚組アルバムでデビュー。シカゴと再改名した70年には「長い夜」が大ヒットを記録し、ブラス・ロックの代表格として人気を確立。その後も幾多のメンバー・チェンジやサウンドのAOR/ポップ化を経ながら、82年の「素直になれなくて」などのヒットを放ち、今も現役で活動を続けている。

ボ・ディドリー
1928年12月30日生まれ、米・ミシシッピ州出身。だみ声ヴォーカルと“ボ・ディドリー・リズム”と呼ばれる独特なリズムにのせたダックウォーク、躍動感あふれるギター・リフを強調し、後のロックに大きな影響を与えたルーツ・オブ・ロックンロールの大御所。幼少時にシカゴに移り住み、かの地のブルースやR&Bの影響を吸収してミュージシャンに。54年にチェスよりデビュー、「ロードランナー」「モナ」など数多くのヒット曲を送り出した。2008年6月2日に死去。79歳没。

ジェリー・リー・ルイス
1935年9月29日生まれ、米・ルイジアナ州フェリディ出身のロック・シンガー。愛称は“キラー”。50年代からレコーディングを重ね、57年の「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」や「グレート・ボールズ・オブ・ファイア」(火の玉ロック)でスターダムにのし上がる。立ったままピアノを叩くように弾いて歌うなどの破天荒なアクションで人気を博すほか、生涯で7回結婚するなど私生活でも話題を振り撒く。86年にロックの殿堂入り。カントリーでもトップ10入り作品を次々と発表。2000年代以降は積極的にコラボレーションを展開。2019年に発作で入院するも全快していたが、2022年10月28日に死去。87歳没。

チャック・ベリー
1926年10月18日生まれ、米・ミズーリ州セントルイス出身のギタリスト/ミュージシャン。53年にジョニー・ジョンソンのバンドを経て、55年にシングル「メイベリーン」でデビュー。独自の“ダックウォーク”奏法で話題に。以降、「スクール・デイズ」「スウィート・リトル・シックスティーン」「ジョニー・B.グッド」などがヒット。その後、服役するが、釈放後もヒットを放つ。86年にロックの殿堂入り。“ロックンロールの創始者”と称えられ、ビートルズやストーンズほか以降のアーティストに絶大な影響を与えた。2017年3月18日にミズーリ州セントチャールズ郡の自宅で死去。90歳没。

ジーン・ヴィンセント
1935年2月11日生まれ、米・バージニア州ノーフォーク出身の1950年代のロカビリーミュージックのミュージシャン、シンガーであり「ジーン・ヴィンセント & ヒズ・ブルー・キャップス」のヴォーカリスト。ビートルズに多大なる影響を与えたとされる。1956年の「ビー・バップ・ア・ルーラ」や「ロッタ・ラヴィン」などヒットさせたことで知られ、ブルー・キャップスのギタリスト、クリフ・ギャラップのギター奏法のギャロッピングは今もなおその名を残している。米国ではロカビリーは下火になり、活動の中心を欧州に移すが1960年に交通事故に遭う。1971年10月12日にロサンゼルスで胃潰瘍のため死去。36歳没。

アリス・クーパー
1948年2月4日生まれ、米・デトロイト出身のロック・シンガー。69年にデビュー、メジャー契約を得て71年にボブ・エズリンのプロデュースによる『エイティーン』を発表。ホラー映画、ヴォードヴィル、ガレージロックなどを下敷きにし、電気椅子やギロチン、血のり、大蛇などを駆使した悪夢的イメージのステージパフォーマンスとストレートなハード・ロックが話題となり70年代にカリスマ的人気を集める。72年発表の『スクールズ・アウト』が大ヒットを記録し、ロック・シーンにおける地位を確かなものとした。現在もホラーでダークなパフォーマンスを行っている。2011年にロックの殿堂入りを果たした。

リトル・リチャード
1932年12月5日生まれ、米・ジョージア州メイコン出身のシンガーソングライター。50年代初頭からプロキャリアをスタートさせ、55年にデビュー。「トゥッティ・フルッティ」「のっぽのサリー」「ルシール」「リップ・イット・アップ」「グッド・ゴリー・ミス・モリー」などヒットを連発し、“ロックの創始者”の一人として名を馳せる。ダイナミックでワイルドな歌唱とピアノ奏法で人気を博し、後進のアーティストに大きな影響を与える。57年に突如引退して牧師となり、ゴスペルを歌うも、62年にロックに回帰。86年にロックの殿堂入りを果たす。2020年5月9日に癌(骨肉腫)により死去。87歳没。

ジョン・レノン&ザ・プラスティック・オノ・バンド
(ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト、エリック・クラプトン)
1969年、結成。1975年頃まで活動を続ける。ジョン・レノンとオノ・ヨーコによって生み出されたバンドで、固定のメンバーがいないことが特徴。1969年7月にシングル「平和を我らに」「ヨーコの心」をリリース。9月に「トロント・ロックンロール・リバイバル」で初のライヴ演奏を披露した。『スウィート・トロント』DVDに収録されたインタビューで、オノ・ヨーコは1967年にドイツでショウをやらないかと誘われたときに「メンバーが人間ではなくプラスティックの箱のバンド」というアイデアを発案。それをレノンに語ったことで結成に至ったという。また、同インタビューでは「『トロント・ピース・フェスティバル(トロント・ロックンロール・リバイバル)』がふたりの集大成だった」とも語っている。

ジョン・レノン
1940年10月9日、英リヴァプール生まれのミュージシャン。60~70年代を席巻したビートルズの中心的メンバーとして著名。ビートルズ解散後の70年に『ジョンの魂』を発表してソロ・キャリアをスタート。71年に妻のヨーコ・オノとともに拠点をニューヨークへ移し、アルバム『イマジン』を発表。英米で1位を獲得し、解散後も依然として高い人気を博す。75年の『ロックン・ロール』以後は一時音楽活動を離れるも、80年に『ダブル・ファンタジー』をリリース。だが、同年12月8日にニューヨークの自宅前で狂信的なファンの凶弾に倒れて死去。40歳没。

オノ・ヨーコ
1933年2月18日生まれ、東京都出身の前衛芸術家/音楽家。出生名は小野洋子。66年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンとロンドンで出会い、69年に結婚。レノンとの共作で実験的なアルバムを立て続けに発表し、平和運動を行なうなど、精力的な活動を展開。80年のレノンの死後も世界各地での個展やライヴを通じて“愛と平和”のメッセージを送り続ける。一時期音楽活動から離れるも、90年代後半に音楽シーンに復帰。アルバムが再発されるなど再評価を得る。2018年に5年ぶりのアルバム『ウォーゾーン』を発表。ショーン・レノンは息子。

エリック・クラプトン
1945年3月30日生まれ、英・サリー州リプリー出身のミュージシャン。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ“世界三大ロック・ギタリスト”と称される。63年のヤードバーズを皮切りに、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デレク&ザ・ドミノスとバンド遍歴を重ね、ギタリストとしてのスタイルを追求。90年代は「バッド・ラヴ」で個人初のグラミー賞を獲得。「ティアーズ・イン・ヘヴン」「チェンジ・ザ・ワールド」などをヒットさせ、再び黄金期を迎える。B.B.キングやJ.J.ケイル、ジョージ・ハリスンら共演も多い。ロックの殿堂も3度受賞。

アラン・ホワイト
1949年6月14日生まれ、英・ダラム州ペルトン出身のロック・ミュージシャン/ドラマー。プラスティック・オノ・バンドや、ジョン・レノン『イマジン』やジョージ・ハリスン『オール・シングス・マスト・パス』などに参加した後、72年にイエスに加入。以来、活動中止期などを除き、イエスのドラマーとして活躍。2015年にベーシストのクリス・スクワイアが他界した後、アラン・ホワイトが最長在籍メンバーとなった。76年には初のソロ・アルバム『ラムシャックルド』、2006年にはリーダーバンド“ホワイト”としてアルバム『ホワイト』を発表し、翌年にはサーカを結成。2017年にイエス名義でロックの殿堂入りを果たす。晩年は闘病生活を余儀なくされ、2022年5月26日にシアトルの自宅で死去。72歳没。

クラウス・フォアマン
1938年4月29日生まれ、独・ベルリン出身の画家でベーシスト。ハンブルク時代からビートルズのメンバーと親交を重ね、1970年代になってからもジョンのザ・プラスティック・オノ・バンドやアルバム『Imagine』、ジョージ・ハリスンのソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』や3枚のリンゴ・スターのアルバム、4枚のジョン・レノンのアルバムにも参加しているほか、多くのロック界の巨人たちと長年にわたってミュージシャンとしてアメリカやイギリスで活動した。デザイナーとしても「リボルバー」や「アンソロジー・シリーズ」のジャケットデザインを手掛けた。

ドアーズ
1965年、ジム・モリソン(ヴォーカル)、レイ・マンザレク(キーボード)、ロビー・クリーガー(ギター)、ジョン・デンズモア(ドラム)の4人で米国ロサンゼルスにて結成。67年に「ハートに火をつけて」がヒット、同時にエキセントリックなライヴも評判となる。同アルバムに収録の10分に及ぶ大曲「ジ・エンド」が大きな話題を呼び、後に映画『地獄の黙示録』(1979/フランシス・フォード・コッポラ監督)で印象的に使用された。以後、文学的な詞と個性的なサウンドでヒット曲・話題作を発表、カウンター・カルチャーを代表するバンドとして高い人気を得るが、71年7月にジムが滞在先のパリで急死。残った3人で活動を続けるが、73年に解散した。

 

『リバイバル69 〜伝説のロックフェス〜』予告編


公式サイト

 

2023年10月6日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町、アップリンク吉祥寺アップリンク京都、ほか全国順次ロードショー

 

監督:ロン・チャップマン
脚本:フィリス・エリス
編集:ユージン・ワイス
撮影:ヘンリー・レス、ウェス・レッグ
音楽:ピエール=エイドリアン・テオ、リッチ・ペル
製作総指揮:ヘンリー・レス、マーク・スローン、カーク・ダミコ、
D・A・ペネベイカー、クリス・ヘジダス、フレイザー・ペネベイカー、
製作:トリッシュ・ドールマン、ロン・チャップマン、サリー・ブレイク

2022年/カナダ、フランス/英語/99分/カラー/5.1ch/ビスタ/

原題:REVIVAL69: The Concert That Rocked the World
字幕翻訳:川田菜保子 字幕監修:萩原健太
提供:東北新社、バップ 配給:STAR CHANNEL MOVIES

© ROCK N' ROLL DOCUMENTARY PRODUCTIONS INC., TORONTO RNR REVIVAL PRODUCTIONS INC., CAPA PRESSE (LES FILMS A CINQ) 2022