『ヒッチコックの映画術』「観客の鼓動を制御したかったのだ」by ヒッチコック
『ヒッチコックの映画術』は、これまでの人生で見た映画の数が1万6千作品以上という、北アイルランド出身の超映画オタクのマーク・カズンズ監督の新作だ。
前作『ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行』では、2010年から2021年の映画を縦横無尽に引用し、テーマ、表現、撮影方法などを軸に紐づけて解説していったが、今作『ヒッチコックの映画術』では、『サイコ』『ロープ』『ダイヤルMを廻せ』などよく知られた作品から1925年に制作された初監督作品『快楽の園』まで、40本の作品の映像が引用され、撮影や編集の手法、映画術が語られる。
本作を観る観客は、映画の冒頭のクレジットで「脚本&ナレーション:アルフレッド・ヒッチコック」と現れるところから本作の映画術に嵌っていくだろう。
「観客の鼓動を制御したかったのだ」というヒッチコックの映画術は、ドローン撮影、VFX、CGが当たり前の、iPhoneで映画を撮る現在のクリエイターたちにも十分に通じるものだ。
アルフレッド・ヒッチコック
20世紀を代表する映画監督。“サスペンス映画の神様”とも称される。
イギリス生まれの彼は、サイレント映画時代からヒットメイカーとして君臨。イギリス映画界からハリウッドへ渡ってからも、即座に監督作の『レベッカ』(40)が第13回アカデミー賞で作品賞を受賞するなど、輝かしいフィルモグラフィを積み上げてきた。また、イギリス映画界初のトーキー映画となった『恐喝(ゆすり)』(29)を監督するなど、映画史においても重要な作品を手掛けた人物でもある。
サイレント映画からトーキー映画、モノクロ映画からカラー映画への移行、或いは、映画の画面比率がスタンダードサイズから大型してゆく変遷や、テレビの台頭による映画産業の斜陽化。さらには映画が3D化する時代にも遭遇するなど、ヒッチコックの映画人生は映画の歴史と共に歩んできた。
マーク・カズンズ 監督コメント
ヒッチコック自身が映画を語る「一人称」の映画
2021年、プロデューサーであるジョン・アーチャーが、2022年はアルフレッド・ヒッチコックの幻の処女作『Number 13』から100周年になると教えてくれました。そして彼は、ヒッチに関する映画を撮らないか、と提案してくれました。私はかつて、オーソン・ウェルズについての映画を撮ったことがありますが、普段は映画界の“巨匠たち”をあえて題材に選ばないようにしています。なぜなら既に広く知られているし、それよりもあまり知られていない分野を開拓する方が好きだからです。しかし、アルフレッド・ヒッチコックの映画は、私にとっても底が知れない存在に思えただけでなく、すぐにあるアイデアを思いつきました。「一人称」の映画だったらどうだろう。ヒッチコック自身が映画を語り、アーカイブ映像や古いインタビューは使わない。新たに長いモノローグを書いて、ヒッチコックのような声を出せる人に声を当ててもらったらどうだろう。例えば、アラン・ベネット(英国の小説家・劇作家)のモノローグ劇のように。このアイデアは、非常に直接的かつ、“彼の声”を使って自由に表現することができるので、映画監督としてとてもワクワクしました。
ヒッチコックについて新たに語るべきことがあることを確認するために、当時はコロナ禍によるロックダウン状態でしたので、彼の全作品を年代順に観直すことにしました。同時に、彼のテクニックやこだわりを分析した多くの本や、娘のパトリシアの本、ティッピ・ヘドレン(『鳥』や『マーニー』などに出演した女優)の本などを読みました。どのような視点から語るべきか、方向性を決めるために「孤独(Loneliness)」「充実(Fulfilment)」「高さ(Height)」など、あまり予期されないようなテーマをあえて選んで観始めると、すぐに何ページものメモを書き込んでいる自分がいました。例えば「充実」を意識して観ると『下宿人』と『バルカン超特急」は微妙に異なるものになります。初期のサイレント映画は、『めまい』の前兆のように感じられるようになります。ヒッチのインタビューを何時間も見て、彼の声や言い回しについて勉強しました。さらにノートのページが増えてゆき、ついに私のノートはいっぱいになりました。
数ヵ月かけて、ようやく執筆の準備が整いました。ノートにハサミを入れて、行や段落に切り分けていく。その結果、1000枚ほどの紙ができあがると、それをテーマごとにまとめ、新たに文章を構成していく。数週間は執筆に没頭していました。そして、脚本が完成し、編集者のティモ・ランガーと一緒に、最初はヒッチコックの代役として自分で声を当てながら、編集作業を開始しました。
すべてを終え、2時間の映画が出来上がりました。プロデューサーのジョンとエクゼクティブ・プロデューサーのクララ・グリンがそれを観て、ある種のモザイク、遊び心のある織物ができたと同意してくれました。しかし、ヒッチコックの声は誰がやるのだろうか。私は友人でもある俳優のサイモン・キャロウにアイデアを求めました。すると彼は「この業界で最高の耳を持つのはアリステア・マクゴーワンだ」と言うのです。私たちは彼のエージェントに連絡を取りました。やがて、私の携帯電話にひとつの音声ファイルが届きました。それはアリステアが脚本の最初の5分を読んでいる音声で、しかも、彼の声はヒッチそのものでした。私たちはシュルーズベリーの小さなスタジオでレコーディングをしました。これまでにジェーン・フォンダやティルダ・スウィントンといった、多くの一流俳優と仕事をしてきましたが、アリステアの才能の正確さと独創性には本当に驚かされました。私の声が彼の声に置き換わることで、映画はより生き生きとしたものになったのです。
そして映画が完成しました。オープニング・クレジットに「脚本&ナレーション:アルフレッド・ヒッチコック」とクレジットされています。もちろん、これは事実ではありません。エンドクレジットで、誰が本当に声を担当したのかを観客に伝えはします。しかし、私たちの中にアルフレッド・ヒッチコックが蘇り、彼の驚異的な作品群、すなわち20世紀の偉大なイメージシステムのひとつであり、快楽と欲望の迷宮を案内してくれる、という幻影を作り出したのです。
21世紀の私たちから見ると、ヒッチコックの『逃走迷路』はロードムービーであり、アメリカの風景画であり、寛容で素敵なエッセイのように見えます。『農夫の妻』の優しさは、監督の妻アルマとの長く密接な関係を反映しているかのようにも見えます。『三十九夜』はハイパーリンクの映画のように感じられます。『間違えられた男』と『ロープ』の道徳的な深刻さは今の時代においても相変わらず明白で、ヒッチコック映画の中心的存在であることを感じさせますし、『サイコ』『私は告白する』『裏窓』における”孤独”は声高です。時系列順に作品を観ていくと、この映画作家がストーリーだけでなく、充実感、大胆さ、そして様式美の探求を続けていることが分かるでしょう。
この模索こそが、彼の映画を”今日”的なものにしているのです。タイミングを重視する彼の作品は、時代を超越しているのです。
マーク・カズンズ
Mark Cousins
監督
1965年生まれの映画監督、作家。北アイルランドのベルファストに生まれ、現在はスコットランドを拠点に活動している。
2004年に発表した著書『The Story of Film』が世界各国で出版されると、タイムズ紙で"今までに読んだ映画についての本の中で最も優れた作品"と評され、本著を元に製作された930分にも及ぶ超大作『ストーリー・オブ・フィルム』(2011)を自ら監督する。制作に6年の歳月をかけ、約1,000本の映画とともに映画史に隠された物語に迫った本作は、マイケル・ムーア監督が主催するトラバースシティ映画祭でスタンリー・キューブリック賞を受賞するなど、各国の映画祭で絶賛をもって迎えられ、映画教育にも多大な影響を与えた。
2013年には、『大人は判ってくれない』から『E.T.』まで、世界各国の映画の中で描かれる子供たちを取り上げた『A Story of Children and Film』(2013)を発表し、第66回カンヌ国際映画祭の公式セレクションに選出される。映画の著作権と、映画と観客の間にある“連想性”について描いた「Bigger than the Shining」(2017)では、ロッテルダム国際映画祭での上映終了後に上映素材を自ら斧で破壊し、二度と観られなくするパフォーマンスが話題になった。
その後も、オーソン・ウェルズの創作の秘密を彼の個人的なスケッチブックから紐解いてみせた『The Eyes of Orson Welles』(2018)、183人もの女性監督を取り上げた14時間にも及ぶ大作『Women Make Film: A New Road Movie Through Cinema』(2019)、『戦場のメリークリスマス』『ラストエンペラー』などを手掛けたイギリスの名プロデューサー、ジェレミー・トーマスの軌跡をロードムービー形式で追った『The Storms of Jeremy Thomas』(2021)など、膨大な映像のモンタージュを駆使し、映画史を新たな視点から切り取る斬新なドキュメンタリーを数多く発表している。第74回カンヌ国際映画祭でカンヌ・クラシックスのオープニングを飾った『ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行』(2021)は日本でも劇場公開された。
また、映画史をテーマにした作品以外にも、イラクのクルド人の子供たちを描いた自身初の長編ドキュメンタリー『The First Movie』(2009)、クリストファー・ドイルの撮影で自身の故郷・ベルファストを擬人化し、政治や歴史、風景、個人的な思い出などさまざまな角度から映し出す『I Am Belfast』(2015)、自らの視力回復手術の様子を撮影し「見ること」について再考した『The Story of Looking』(2021)など、これまでの監督作は20作以上に及び、現在もコンスタントに作品を発表し続けている。
ストーリー
“サスペンス映画の神様”とも称されるアルフレッド・ヒッチコック。監督デビューから100年。映像が氾濫するこの時代においても、ヒッチコック作品は今なお映画を愛する者たちを魅了し続けている。本作は「本人」が自身の監督作の裏側を語るスタイルで、その“面白さの秘密”を解き明かしていくドキュメンタリー作品である。膨大なフィルモグラフィと過去の貴重な発言を再考察し、観客を遊び心と驚きに富んだヒッチコックの演出魔法の世界へと誘ってくれる。監督と脚本は『ストーリー・オブ・フィルム 111の時間旅行』(11)で6年の歳月をかけて約1,000本の映画を考察しながら映画史を紐解いて見せたマーク・カズンズ。
本作で引用されるヒッチコック作品 ※年代順、(TV)=TV映画
『快楽の園』(1925)The Pleasure Garden
『下宿人』(1927)The Lodger
『ダウンヒル』(1927)Downhill
『リング』(1927)The Ring
『農夫の妻』(1928)The Farmer’s Wife
『シャンパーニュ』(1928)Champagne
『マンクスマン』(1929)The Manxman
『恐喝(ゆすり)』(1929)Blackmail
『ジュノーと孔雀』(1930)Juno And The Paycock
『殺人!』(1930)Murder!
『リッチ・アンド・ストレンジ』(1931)Rich And Strange
『第十七番』(1932)Number 17
『ウィンナー・ワルツ』(1934)Waltzes From Vienna
『暗殺者の家』(1934)The Man Who Knew Too Much
『三十九夜』(1935)39 Steps
『サボタージュ』(1936)Sabotage
『第3逃亡者』(1937)Young And Innocent
『バルカン超特急』(1938)The Lady Vanishes
『巌窟の野獣』(1939)Jamaica Inn
『レベッカ』(1940)Rebecca
『海外特派員』(1940)Foreign Correspondent
『スミス夫妻』(1941)Mr. And Mrs. Smith
『断崖』(1941)Suspicion
『逃走迷路』(1942)Saboteur
『疑惑の影』(1943)Shadow Of A Doubt
『救命艇』(1944)Lifeboat
『白い恐怖』(1945)Spellbound
『汚名』(1946)Notorious
『パラダイン夫人の恋』(1947)Paradine Case
『ロープ』(1948)Rope
『山羊座のもとに』(1949)Under Capricorn
『舞台恐怖症』(1950)Stage Fright
『見知らぬ乗客』(1951)Strangers On A Train
『私は告白する』(1953)I Confess
『ダイヤルMを廻せ!』(1954)Dial M For Murder
『裏窓』(1954)Rear Window
『泥棒成金』(1955)To Catch A Thief
『ハリーの災難』(1955)Trouble With Harry
『知りすぎていた男』(1956)The Man Who Knew Too Much
『間違えられた男』(1957)The Wrong Man
『めまい』(1958)Vertigo
『北北西に進路を取れ』(1959)North By Northwest
『サイコ』(1960)Psycho
『鳥』(1963)The Birds
『マーニー』(1964)Marnie
『引き裂かれたカーテン』(1966)Torn Curtain
『トパーズ』(1969)Topaz
『フレンジー』(1972)Frenzy
『ファミリー・プロット』(1976)Family Plot
<一部監督作品>
「Memory of the Camps」(1945)(TV)
『ヒッチコックの映画術』予告編
公式サイト
2023年9月29日(金) 新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA、角川シネマ有楽町、アップリンク京都、ほか全国順次ロードショー
監督:マーク・カズンズ
声の出演:アリステア・マクゴーワン
2022 年/イギリス/英語/120分/カラー/1:1.78/5.1ch
原題:My Name Is Alfred Hitchcock/字幕翻訳:小森亜貴子
配給:シンカ
© Hitchcock Ltd 2022